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続・帝國連合艦隊〜世界最終戦争〜  作者: 007


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ソマリア戦争直前の軍事力3

『次は空軍と海軍空母艦載機、つまりは航空機について見ていく。大日本帝国は第二次世界大戦終結後に陸軍航空隊と海軍航空隊を統合し空軍を創設したが、海軍は空母艦載機で他国の空軍に匹敵する航空機保有数を誇っていた。その為に2つの空軍と他国から呼ばれる程であった。



順番にまずは空軍から見ていく。

ソマリア戦争直前の空軍の保有機は、特にジェット戦闘機は第2世代と第3世代が混在していた。そして配備機数で一番多かったのは、第2世代ジェット戦闘機の14式戦闘機月光だった。月光は世界初の実用超音速戦闘機であり、ソマリア戦争直前には空軍は約1400機保有していた。最大速度マッハ1.5を誇り、懸架点ハードポイント6ヶ所に空対空ミサイルや対地ロケット弾、最大3500キロまでの兵装を搭載可能だった。機体数の多さは1954年9月からの実用化の為に、大量生産された事に理由があった。だがソマリア戦争開戦時には陳腐化が目立つようになっており、退役と第3世代ジェット機への更新が急速に進められている最中であった。とはいえ持ち前の爆弾搭載量の多さから戦闘爆撃機として、北爆に投入され活躍していた。

次が開発時点から戦闘爆撃機として1958年に実用化された、第2世代ジェット戦闘機の18式戦闘爆撃機雷電である。初めて機体内に爆弾倉をもった戦闘爆撃機であり、その爆撃能力は軽爆撃機という機種を不要にし「国防省が機種を間違えた」とさえ言わせる程だった。しかし決して戦闘機としての本質を失った訳ではなく、ソマリア戦争では主に爆撃を行いながらも、北ソマリア軍機を大量に撃墜している。当時の単発戦闘機としては大きなエンジン出力を誇り、それを生かして機動力と搭載量を両立させた本機は、今でいう多用途マルチロール機の先駆けであるとも言える。

ソマリア戦争直前には保有機数は600機となっており、北爆に投入された。 

次は1955年に実用化された15式戦闘機天雷である。天雷は大日本帝国本土に飛来する可能性のあるアメリカ合衆国とヨーロッパ共同体の、核搭載戦略爆撃機を迎撃する目的で1949年に開発が開始された迎撃機だった。各軍需企業が提出した試案で特に優れていたのが単発三角翼機であり、これが天雷として採用された。

最大速度マッハ1.3で、空対空ミサイルを機体下部左右側面及び下面の3つの機内弾薬庫ウェポンベイに搭載し、空対空ロケット弾24発を機内弾薬庫扉を兼用する発射機に搭載可能だった。三角翼特有の広大な機内容量により燃料搭載量が多く超音速機としては空中給油の援助なしでも滞空時間が長く哨戒任務には適していたが、加速性・上昇力に劣り、また当時の電子機器の耐G性の低さから機動に強い制約があり、対戦闘機戦闘は回避するよう厳命され戦略爆撃機迎撃のみに限定されていた。

天雷の低性能は空軍を失望させ、より性能の優れた要撃機の開発が急務となった。新型の火器管制装置を搭載し、空力的改良とパワーアップも加えた改良型は、1957年に17式戦闘機閃電として制式採用された。その為にソマリア戦争直前では既に15式戦闘機天雷は生産を中止されており、17式戦闘機閃電に更新が行われていたがそれでも300機が配備されていた。

そして先述した15式戦闘機天雷の改良型で1957年に実用化されたのが、17式戦闘機閃電であった。最高速度はマッハ2に及び格闘性能も圧倒的なものになり、懸架点は両主翼下それぞれ1箇所と胴体下部5箇所の計7箇所になった。空対空ミサイル、空対空核弾頭ロケット弾を機内弾薬庫ウェポンベイに搭載する。また天雷に装備されていた空対空ロケット弾の発射装置(弾薬庫扉兼用)は閃電では廃止されている。ソマリア戦争直前では天雷を更新する為に大量生産が開始されており、700機が配備されていた。

第3世代ジェット戦闘機として1966年に採用されたのが、20式戦闘爆撃機電光である。ソマリア戦争直前には300機を保有していたが、とはいえこれは海軍空母艦載機として開発されたものを、空軍が高性能さにより採用した為に詳細は空母艦載機の紹介の時に行う。




その次は攻撃機を見ていく。

ソマリア戦争直前に大日本帝国空軍の主力攻撃機であったのは、第3世代ジェット機の20式攻撃機橘花であった。世界初の実用可変翼機として知られる橘花は、当初は戦闘爆撃機として開発された機体ではあるが、兵器搭載量や低空侵攻能力が隔絶しており攻撃機としての開発が変更される事になった。そしてソマリア戦争で北爆に投入され、主に対地攻撃任務に用いられた。

とはいえ当初は戦闘爆撃機として開発が開始されながらも、実際には対空戦闘能力はほとんど持ち合わせておらず、速度性能にこそ優れていたが実質的には専用の攻撃機・爆撃機でしかなかった。これが新型制空戦闘機として開発を行っていた空軍には最大の失敗となり、先述したように異例となる海軍が空母艦載機として開発して実用化した

19式戦闘機電光を戦闘機として採用する事に繋がったのである。

しかしながら純粋な攻撃機として本機を評価すれば、その低空侵攻能力と爆弾等の搭載量は、極めて優れている。大日本帝国空軍が制空戦闘機を必要としていた時期の開発変更という不運が、本機の評価を妨げていた一因となっている。橘花の[失敗]を踏まえた大日本帝国空軍は、あらためて純粋な空対空戦闘機として大型の第4世代ジェット戦闘機を開発し、その機体から改良・発展型である戦闘爆撃機が開発され、橘花の本格的な後継となった。ソマリア戦争直前には500機が配備され、北爆に大活躍する事になった。

次は14式攻撃機桜花である。20式攻撃機橘花が実用化される前の大日本帝国空軍の主力攻撃機であり、1954年に実用化された第2世代ジェット機だった。大日本帝国空軍は陸軍航空隊と海軍航空隊が統合して創設されて以後、保有する爆撃機が重陸上攻撃機深山改・重爆撃機連山改・戦略爆撃機富嶽改という全てが戦略爆撃機だった。一応空軍は深山改と連山改を[戦術爆撃機]だと強弁し、正式名称にもわざわざ戦術爆撃機と変更したが誰がどう見ても戦略爆撃機であり、実際にヨーロッパ共同体やアメリカ合衆国等が運用する戦略爆撃機よりも巨大な戦術爆撃機という有様だった。

それは空軍自体も理解しており、まともな戦術爆撃機になりえる攻撃機の開発が進められていたのである。

当面の対策として海軍空母艦載機の艦上攻撃機流星改を、空軍は攻撃機として採用する事にした。イタリア戦争時に大活躍する事になる究極のレシプロ機であり、その打撃力も改良前の時点で第二次世界大戦末期に実証済みだった。

そんな中で空軍がようやく独自に実用化する事になったのが、14式攻撃機桜花であった。これにより戦術爆撃任務が通常に行えるようになったが、爆弾搭載量がやや少なかった為に20式攻撃機橘花が実用化されると、全面的な更新が行われる事になりソマリア戦争直前には既に200機だけになっていた。




そして大日本帝国空軍の真の主力であり、[核抑止の三本柱]を担う戦略爆撃機について見ていく。大日本帝国空軍戦略航空軍団という組織編成であり、ソマリア戦争直前の戦略爆撃機は戦略爆撃機富嶽改・15式戦略爆撃機轟天・18式戦略爆撃機銀河の3種類を保有していた。

戦略爆撃機富嶽改はソマリア戦争直前では、旧式化により後継機の15式戦略爆撃機轟天への更新が進んでおり200機しか残っていなかった。第二次世界大戦を終結させた武勲機であったが、そもそもがレシプロ機の戦略爆撃機であり改良型としてジェット機化されたが基礎設計が旧式化していた。核抑止の三本柱を構成する戦略爆撃機は重要である事から、新型機の開発と更新が強力に推し進められた結果だった。戦略爆撃機富嶽改はその特徴的な掃射機型と輸送機型については、後継機が実用化されており既に退役していた。

そしてソマリア戦争直前の大日本帝国空軍戦略爆撃機の主力は、15式戦略爆撃機轟天であった。技術的には、先行する富嶽改で実証された諸要素を踏まえ大陸間爆撃機の航続力と兵装搭載量、亜音速の速度性能を誇るの機体である。ヨーロッパ共同体圏内の目標を自由落下型核爆弾で攻撃する為に作られたが、大日本帝国空軍の性癖でもある絨毯爆撃にも投入されソマリア戦争ではその兵装搭載量を活かして、第二次世界大戦で投下された爆弾を大きく上回る量の絨毯爆撃を行い[死の鳥]と恐れられた。

何せ戦略爆撃機富嶽改が全長50メートル、全幅75メートル、最大速度880キロ、武装として20ミリ機関砲20門を搭載し、爆弾搭載量25トン、航続距離28000キロ、実用上昇限度13500メートル、乗員12名という、超大型戦略爆撃機であったが15式戦略爆撃機轟天は後継機という事もあり更に巨大だった。

全長68メートル、全幅90メートル、最大速度1009キロ、武装は懸架点24箇所に爆弾倉を含めて兵装搭載量42800キロ、航続距離30000キロ、実用上昇限度19800メートル、乗員5名という化け物のような性能を誇っていた。本来というか核抑止の三本柱を担う事から戦略核攻撃に使用する為に、機体中央部の爆弾倉に大型で大重量の水素爆弾を搭載可能である。

そして先述したように絨毯爆撃も行う為に各種通常爆弾も搭載でき、しかも空中発射型の巡航ミサイル(核弾頭と通常弾頭の両方)も搭載可能だった。更に兵器は胴体内の爆弾倉のほか、主翼内側下の懸架点に追加搭載も可能である。また装備する12基(富嶽改と同じ6発機だが、1発に2基の連装エンジンとなっており合計12基エンジンとなる。)のIHI製の大規模ターボファンエンジンは燃費が非常に良く、それが驚異的な航続距離を誇れる理由になっていた。

技術的に機体は一回り小さくする事も可能であったが、将来的な発展性を考慮し電子機器や各種設備を追加しやすいように機内容量を確保する、という策であった。そしてそれは見事に役立ち、随時改良が加えられ実用化から半世紀経過し冷戦終結後も大日本帝国空軍の主力戦略爆撃機として運用される事になった。

次は18式戦略爆撃機銀河である。15式戦略爆撃機轟天から少し遅れて開発され、3年の時差で実用化された18式戦略爆撃機銀河は世界初の超音速戦略爆撃機であった。当初18式戦略爆撃機銀河の開発は中止される筈だった。それはヨーロッパ共同体のコメットショックにより弾道弾開発に、予算を割くべきだという意見が帝国議会で巻き起こったからである。

だが国防省と統合幕僚作戦司令本部が、それに反対した。常に最悪の場合を想定し複数の選択肢を有する事は、軍事上当然だと力説したのだ。それに15式戦略爆撃機轟天は大規模な搭載量による破壊力の誇示が可能なのに対して、18式戦略爆撃機銀河は超音速による迅速かつ奇襲的な打撃力が可能という運用面での違いも説明された。これにより18式戦略爆撃機銀河の開発中止は撤回され、実用化される事になったのである。全長56.6メートル、全幅32メートル、最大速度マッハ3、武装は懸架点10箇所に爆弾倉を含めて兵装搭載量21000キロ、航続距離18900キロ、実用上昇限度22100 メートルというものだった。兵装搭載量は15式戦略爆撃機轟天の半分だが、マッハ3という圧倒的な速度を活かした奇襲又は強襲を行う戦略爆撃機として運用される事になった。


更に中でも富嶽改の掃射機型と輸送機型の後継機が目立っていた。掃射機型の後継機は短距離離着陸性能と不整地離着陸性能を重視した、ターボプロップエンジンを4基搭載しその輸送力と運行性能の高さから、[世界最高の輸送機]との呼び声も高い16式戦術輸送機の改造型であった。16式戦術輸送機の機体を大規模に改装し、20ミリ多銃身機関砲8門・40ミリ機関砲4門・105ミリ榴弾砲2基を搭載し、この圧倒的な対地制圧能力により空軍は[16式強襲支援機]という名称を16式戦術輸送機の改造型に付けたのである。

富嶽改の輸送機型は20式大型輸送機となる。全長76メートル、全幅68メートルという、富嶽改を上回る巨体で最大130トンを空輸可能だった。大日本帝国本土から世界中どこへでも大日本帝国陸軍全ての装甲戦闘車両と航空機が運ぶ事を念頭に開発され、その中には74トンの架橋戦車などの戦闘設備も含まれている程の圧倒的な搭載量を誇っていた。



そして空軍の何といっても最大の特徴として、大陸間弾道弾を運用している事だった。ソマリア戦車直前に大日本帝国空軍が配備していたのは、武御雷タケミカヅチ二型大陸間弾道弾と国造(クニノミヤツコ:古代地方豪族は倭王権に服し、国造に任命され指定地域の支配権が認められた。また、倭王権が中央豪族を派遣し国造に任命する場合もあった。国造は軍事権・裁判権など広い範囲の自治権を認められ、従者や隷下の人民を武装させ軍を編成した。これを歴史学で国造軍と呼び、飛鳥時代まで続いた。その国造から命名された。)二型大陸間弾道弾であった。

武御雷二型大陸間弾道弾は液体燃料ロケットエンジンを搭載した量産型、国造二型大陸間弾道弾は固体燃料ロケットエンジンを搭載した量産型という違いがある。それ以外は集束式エンジン・3段式ロケットと共通であった。両方共に二型とあるようにそれぞれ武御雷大陸間弾道弾は1955年、国造大陸間弾道弾は1957年に所謂一型が実用化されていた。それは1955年に科学技術宇宙省の外局である宇宙開発事業団が沖縄県嘉手納宇宙基地から打ち上げた、R-1ロケットを大陸間弾道弾に転用して

実用化したものだった。大日本帝国の宇宙開発は政府主導により強力に一本化され推進されており、宇宙開発事業団と空軍の宇宙開発事業は完全に共有だった。

その為にわざわざ沖縄県嘉手納空軍基地は宇宙基地と呼ばれており、空軍の偵察衛星・通信衛星打ち上げや宇宙開発事業団の各種探査衛星等は嘉手納宇宙基地から打ち上げられていた。そして空軍が武御雷二型大陸間弾道弾と国造二型大陸間弾道弾を実用化すれば、それはR-6ロケットとして宇宙開発事業団が衛星打ち上げロケットに利用するという事になっていた。

大陸間弾道弾としての発射基地は、シベリア府とハワイ県に設置されておりそれぞれヨーロッパ共同体とアメリカ合衆国に、照準を合わせている。

そして分類上は大陸間弾道弾とされる、弾道弾迎撃ミサイルとして同じくシベリア府とハワイ県の発射基地に設置されているのが、天之尾羽張アメノオハバリ弾道弾迎撃弾であった。

陸軍の3式対空ミサイル発射機と違い、大陸間弾道弾を頂点高度1000キロで迎撃する為に開発されたものだった。弾頭は通常弾頭と核弾頭の両方があり、費用対効果は悪いが戦略爆撃機迎撃にも使用可能だった。

以上のような大規模な戦力を大日本帝国空軍は保有し、航空優勢を獲得する為に展開していた。しかも更に早期警戒管制機や偵察機・電子戦機・対潜哨戒機を大量に保有し、大日本帝国全土のみならず、大東亜共栄圏加盟国や東側諸国にも租借地として基地を設置し、展開している。







そして海軍空母艦載機を見ていく。

ソマリア戦車直前の空母艦載機は、空軍と同じく第2世代ジェット機と第3世代ジェット機が混在していた。

まず戦闘機であるが1957年に実用化された17式戦闘爆撃機秋水となる。開発は1952年に大日本帝国海軍連合艦隊が超音速制空戦闘機を要求したことから始まった。この要求に応じた川崎重工は数々の新機軸を盛り込んだ機体を開発した。試作初号機は1955年3月25日初飛行および超音速飛行に成功し高性能を示した為、海軍に採用されることとなった。直ちに量産が開始され、生産型は1955年9月に初飛行している。艦上機としては世界初の超音速戦闘機である。

秋水は当時の空軍機をも凌ぐ高性能を誇り、また信頼性が高く、扱いやすかった。例えば同じエンジンを搭載する空軍の14式戦闘機月光が最高速度マッハ1.5だったのに対し、本機はマッハ1.85に達した。これは機体形状が改良された事により、エンジンの性能を最大限に引き出したことによるものであった。

実用化後大日本帝国海軍の空母の運用方針が変化し、艦載戦闘機にも多用途性が求められるようになった。第二次世界大戦終結後大日本帝国海軍はジェット機を純戦闘機として、レシプロ機を戦闘爆撃機として運用していたがさすがにレシプロ機は性能的に限界に達し、ジェット戦闘機に戦闘爆撃機としての能力が要求されるようになったのである。

この趨勢の中、同時期に採用された機体はこの要求に対応出来ずに短命に終わってしまったのとは対照的に、秋水は一定の汎用性も兼ね備えていたため大量に生産された。また離着艦能力に優れていたことにより、正規空母保有国とはいえ大日本帝国海軍に比べて小型の空母しか保有しない中華民国海軍とインド連邦海軍等においても採用され、電子機器を更新しながらも長きにわたって現役を務めた。

ソマリア戦争直前に世界各国ではミサイル万能論が台頭し、空対空ミサイルのみを搭載し機関砲を取り外し機体の格闘性能も皆無だった。だが大日本帝国空軍と海軍はその性癖から、格闘性能に異常に拘り空対空ミサイルを搭載しながらも機関砲を基本的に2基搭載していたが、秋水は4基もの20ミリ多銃身機関砲を搭載しておりソマリア戦争ではヨーロッパ共同体が北ソマリアに貸与した、ジェット戦闘機を撃墜する活躍をみせた。

次は第3世代ジェット戦闘機の20式戦闘爆撃機電光である。大日本帝国海軍初の超音速双発艦上戦闘機として開発され、大型の翼と高出力のジェットエンジンを双発で装備し大きな搭載量を特徴としている。1960年に実用化され格闘性能は空軍の戦闘機も含めてこの当時では世界最強であり20ミリ多銃身機関砲も2基搭載し、兵装搭載量は8895キロを誇り圧倒的な兵装を誇った。ソマリア戦争直前では17式戦闘爆撃機秋水と共に、ヨーロッパ共同体が北ソマリアに貸与した戦闘機を圧倒し活躍した。その圧倒的な性能から空軍も1966年に採用し、生産機数は更に拡大し17式戦闘爆撃機秋水との更新が進められた。

そのソマリア戦争の活躍から多くの東側諸国に採用され、各国の要求に応じて様々な派生型が数多く作られたことにより冷戦期の代表的な機体となった。数々の実戦戦績や各国への売り込みの成功も含めて傑作戦闘機と評価され、川西航空機の発展の原動力としてその名を世界に広めた戦闘機とされる。因みにこの20式戦闘爆撃機電光で川西航空機は大いなる飛躍を遂げ、業績が低迷していた愛知飛行機を買収合併し社名を[新明和工業]へと変更している。

次は攻撃機である。

ソマリア戦争直前の空母艦載機の攻撃機は、23式攻撃機極星であった。爆弾やミサイルなどの攻撃兵器を大量に搭載し、全天候下で精密攻撃を行う攻撃機として開発された。大型のレドームに合わせ並列複座としたために機体前部が丸く大きくなっている。主翼は中翼配置で折り畳み機構を備える。IHI製J52ターボジェットエンジン2基が胴体下部に配置されている。兵装搭載量9480キロという膨大な搭載量は他を隔絶しており、ソマリア戦争の北爆で大活躍する事になった。

それ以外は早期警戒機・対潜哨戒機・電子戦機・輸送機・哨戒回転翼機・汎用回転翼機を装備していた。その世界最強の海軍は、ソマリア戦争で大活躍するのであった。』

小森菜子著

『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋

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