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続・帝國連合艦隊〜世界最終戦争〜  作者: 007


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ソマリア戦争直前の軍事力2

『次は陸軍である。ソマリア戦争直前の大日本帝国陸軍は総兵力46個師団約100万人を擁する規模を誇っていた。そしてその大日本帝国陸軍の総兵力は次のようになっていた。

総兵力約100万人。

イタリア王国駐留イタリア派遣軍(2個方面軍12個師団:機械化歩兵師団8個、機甲師団4個約24万人)及び各種支援部隊の合計約25万人。

太平洋地域3個師団(ハワイ諸島に機械化歩兵師団と機甲師団を1個ずつ、アリューシャン列島に機械化歩兵師団を1個)及び各種支援部隊の合計約7万人。

トルコ共和国駐留トルコ派遣軍(2個方面軍12個師団:機械化歩兵師団8個、機甲師団4個約24万人)及び支援部隊の合計約25万人。

本土戦略予備軍19個師団(機械化歩兵師団8個、空中機動師団2個、機甲師団5個、空挺師団3個、近衛師団1個)約38万人及び各種支援部隊の合計約40万人

その他教育訓練、管理部門、留学生など(合計約3万人)となる。

第二次世界大戦終結後の戦後軍縮により総師団数を33個師団(機械化歩兵師団20個、機甲師団10個、空挺師団2個、近衛師団1個)に縮小しており、トルコ防衛線とイタリア防衛線に1個方面軍6個師団(機械化歩兵師団4個、機甲師団2個)ずつ、太平洋防衛線に機械化歩兵師団を2個と機甲師団を1個配備し、本土配備師団数は機械化歩兵師団が10個、機甲師団が5個、空挺師団が2個、近衛師団が1個であったがイタリア戦争後に総師団数は拡大された。

そして機械化歩兵師団4個、空中機動師団2個、機甲師団4個、空挺師団1個が新たに編成された。これにより大日本帝国陸軍の総師団数は46個師団(機械化歩兵師団26個、空中機動師団2個、機甲師団14個、空挺師団3個、近衛師団1個)に拡大して編成される事になった。

新しく編成され空中機動師団2個と空挺師団1個は、空中機動ヘリボーンに特化した編成であった。観測回転翼機約100機、汎用回転翼機約300機、輸送回転翼機約80機、大型輸送回転翼機50機、攻撃回転翼機約200機が配備されていた。この莫大な空輸能力により、師団独力で一度に4000名以上の兵員を空輸する能力があり、歩兵だけに留まらず、捜索・砲兵、更に支援部隊までもを空中機動展開することが出来た。すなわち、史上初の[空中機動可能な諸兵科連合部隊]であったのだ。

大日本帝国は以上のように世界各地に合計44個の師団を編成保有配置し、世界中の防衛体制を維持していた。この兵力は[核戦争にも対応しつつ、通常戦力で世界各地の紛争を抑止する]という当時の大日本帝国の[柔軟反応戦略]を支えるために設定された規模だったのである。

とはいえこれだけの規模を誇りながらも大日本帝国陸軍は、総兵力は少ない方であった。世界最大の陸軍を誇っていたのはヨーロッパ共同体であり、それは400個師団約850万人という膨大な陸軍を保有していた。何せヨーロッパ全域を支配下に入れているヨーロッパ共同体は、約6億3000万人という膨大な人口を誇っていたからだ。

それに対して大日本帝国は人口約1億7000万人であるが、総兵力46個師団約92万人と各種支援部隊合計約100万人を編成していた。人口規模からすれば更に編成可能であったが大日本帝国は、海軍を優先する事にしており陸軍は大東亜共栄圏加盟国に任せていた。その結果中華民国は人口約6億8000万人で250個師団約600万人、 インド連邦は人口約5億4000万人で200個師団約500万人、ロシア連邦約1億8900万人で150個師団約350万人を編成していたのだ。更に満州帝国やオーストラリア共和国・イラン帝国・トルコ共和国・イタリア王国等も陸軍を編成しており、大東亜共栄圏全体としての陸軍はかなりの数であった。

西側陣営はヨーロッパ共同体の他は、アメリカ合衆国が人口約2億人で200個師団約350万人を編成している。東西両陣営共に巨大な人的資源を背景とした動員力が、当時の国際政治に於ける発言力の源泉の1つだった。この時代世界人口は約40億人程度であり現在の約80億人と比べると半分であるが、現在以上に膨大な常備軍を編成していたのだ。それこそがまさに東西両陣営に分かれた、冷戦構造の異常さとも呼べるだろう。




ここからは陸軍の個別兵器を見ていく。まずは陸軍の華とも呼べる戦車から見ていこう。大日本帝国陸軍はソマリア戦争直前には、第2世代主力戦車である[21式戦車 埴安姫神ハニヤス]を配備していた。1961年に実用化され大日本帝国陸軍は保有する全ての戦車を、21式戦車埴安姫神に更新していた。埴安姫神は日本神話に登場する神であり、土壌の神の名前である。

この21式戦車埴安姫神は、ヨーロッパ共同体の強大な陸軍に世界中で対決する為に開発されたものだった。大日本帝国陸軍は第二次世界大戦終結後、四式重戦車の後継となる新型主力戦車として[五式戦車]を実用化していた。

四式重戦車はその完成度の高さから事実上世界初の主力戦車と評価されており、その後継となる五式戦車は第1世代主力戦車の定義を決定付けた。そして五式戦車に対抗してヨーロッパ共同体も第1世代主力戦車である、[センチュリオン]を実用化した。アメリカ合衆国も第1世代主力戦車である、[M48パットン]を実用化した。海軍は大日本帝国が圧倒的な程に世界最強の兵力を誇っていた為に、ヨーロッパ共同体とアメリカ合衆国は陸軍整備を進め、その中でセンチュリオンとM48パットンは五式戦車を圧倒する性能を有していた。

そこで大日本帝国陸軍は新型戦車の開発を行い実用化したのが、第2世代主力戦車である21式戦車埴安姫神だった。

1960年代頃から、軽便な発射機から大威力の投射が可能な成形炸薬弾を用いた対戦車ミサイルないし対戦車ロケット弾等が猛威をふるい、戦車無用論も唱えられたが、対戦車に限らず幅広い目標に威力を発揮する戦車砲と、対戦車ミサイルより多数存在する機関砲以下の火力に耐えうる重装甲車両の意義は覆らなかった。第2世代主力戦車は、対戦車弾頭を装甲で凌ぎきることは困難との想定のもと、機動性と遮蔽物を利用したハルダウンなど回避に重点を置いた設計が趨勢となっていた。そして第2世代主力戦車は、核生物化学防護システム・暗視装置・主砲へのスタビライザー、または機械式の射撃管制システムを装備していることを特徴として定義されたのである。

21式戦車埴安姫神は全長10.84メートル、全幅3.55メートル、最大速度60キロ、武装120ミリ砲1門・

13ミリ重機関銃2門、最大装甲厚200ミリ、乗員4名というものだった。60トンを越える車体に、大馬力発動機と自動装填式の120ミリ砲を詰め込み重装甲で鎧った文字通りの怪物戦車だった。広い接地圧の無限軌道と過給器付き大馬力ディーゼルエンジンが生みだす機動力も第二世代戦車としてなら申し分はなく、(埠頭・橋梁・道路・鉄道などの関係で)運用できる場所(国)が制限される事と割高な価格を考えなければ間違いなく最強級の存在だった。

四式重戦車は砲兵装備の120ミリ榴弾砲を改造し、主砲に採用していた。その後継である五式戦車は更に改良した120ミリライフル砲を採用していたが、21式戦車埴安姫神は日本製鋼所が完全新規設計として120ミリ滑腔砲を実用化して採用していた。こうして21式戦車埴安姫神は大日本帝国陸軍の主力戦車として、ソマリア戦争前には五式戦車から全て更新されていた。




21式戦車埴安姫神の他には、155ミリ砲を搭載した22式自走砲、180ミリロケット弾を12連射可能な2式多連装ロケット砲、20式装甲兵員輸送車、18式装甲車、23式対空砲、3式対空ミサイル発射機が配備されていた。

3式対空ミサイル発射機は広域防空ミサイルとして開発され実用化されたものである。当初は戦略爆撃機迎撃の為に開発が開始されたが、各種弾道弾の性能が向上した事から弾道弾迎撃も可能な防空ミサイルとして開発が変更された。とはいえ当時の技術力では大陸間弾道弾のような頂点高度1000キロに到達は出来ない為に、成層圏での終末期の迎撃ミサイルとして実用化された。しかも弾頭は通常弾頭と核弾頭となり、核ミサイルを迎撃する為に核ミサイルを撃ち込むという有り様だったのである。

だが世界初の実用的弾道弾迎撃ミサイルであり、大日本帝国陸軍のみならず大東亜共栄圏各国にも輸出されていた。

そして大日本帝国陸軍の編成で目を引くのは、弾道弾軍団が管理し野戦砲兵隊によって運用される車輌搭載型弾道弾だった。それは準中距離弾道弾・短距離弾道弾・戦術弾道弾・戦域弾道弾4種類であり、それぞれが専用車輌に搭載されて運用された。

ソマリア戦争直前に大日本帝国陸軍が大量に配備を行ったのは、回転翼機だった。回転翼機は海軍が特に力を入れて開発していた。それは艦艇からの移動を短艇の代わりにする為の汎用回転翼機、対潜哨戒用の哨戒回転翼機、回転翼機揚陸艦に搭載する攻撃回転翼機・輸送回転翼機・大型輸送回転翼機の存在があったからだ。

それに陸軍も注目し空中機動に特化した、空中機動師団2個と空挺師団1個を編成したのである。そしてその3個師団は観測回転翼機・汎用回転翼機・輸送回転翼機・大型輸送回転翼機・攻撃回転翼機を配備しており、それ以外の機械化歩兵師団や機甲師団にも各種回転翼機は配備される事になったのである。

ソマリア戦争開戦後に、回転翼機の有効性は証明され大東亜共栄圏加盟国は大日本帝国に競うように回転翼機の購入を求め、工業力技術力のある加盟国は認可ライセンス生産し、国産開発を進めた。それは西側諸国も同じで、ヨーロッパ共同体とアメリカ合衆国は大日本帝国に対抗して必死に国産開発を推進する事になった。




そして陸軍の銃火器で目を引くのが[20式自動小銃]だった。1960年に実用化された自動小銃であり、豊和工業が生産する大日本帝国初の実用的自動小銃だった。20式自動小銃が開発されたのは、ヨーロッパ共同体が実用化した[AK-47]が原因だった。AK-47は1949年にヨーロッパ共同体が実用化した自動小銃であり、その先進的設計から当初は精鋭部隊にしか配備していなかった。

その為にイタリア戦争で義勇軍として派遣した部隊には配備しておらず、実戦投入はサラワク革命であった。そのサラワク革命で大日本帝国の特殊部隊はAK-47の威力を目の当たりにし、更には数丁を鹵獲する事に成功し大日本帝国は開発を開始した。

ヨーロッパ共同体のAK-47は[AllgemeineKriegswaffe (汎用戦争兵器)]という、ドイツ語をベースにした、非常に硬派な名称の頭文字だった。 Allgemeineは汎用・全体的という意味で、 Kriegswaffeが戦争兵器という意味だった。 ヨーロッパで共通して使える兵器、という意味を込められ略称がAKになるため、現場の兵士からは「アー・カー」とも呼ばれている。このAK-47は極めて高い工作精度を持ち、共通のパーツが使える(モジュール化された)工業製品という性格付けがあり、無骨さは無く大量生産されても尚職人的拘りのある自動小銃だった。

そして大日本帝国の20式自動小銃は全長1005ミリ、重量3.6キロ、口径7.7ミリ、使用弾薬7.7✕58ミリ弾、装弾数30発、発射速度880発/分、有効射程730メートルという性能を誇っていた。

大日本帝国陸軍は第二次世界大戦中に実用化した41式機関短銃マンドリンを長年愛用していたが、20式自動小銃の実用化により全てを更新した。

弾薬は新開発の7.7ミリ弾に変更した事により全自動射撃時の制動性さえ問題なければ、対人用途の弾薬として最もバランスの取れた有効射程と、殺傷能力を有していた。それが弾薬の口径変更の理由であり威力と言う点では、敵兵に対して効果的なストッピングパワーを発揮する事も7.7ミリ弾が採用された最大の理由となった。ソマリア戦争直前には、全部隊が四式自動小銃から更新を果たしていた。』

小森菜子著

『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋

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