↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
続・帝國連合艦隊〜世界最終戦争〜  作者: 007


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/50

サラワク危機4

10月23日に大日本帝国の要請を受けて午前に会議を開いた大東亜共栄圏は、サラワクのミサイルを取り除くあらゆる措置を認める決議を全会一致で採択した。これで今回の海上封鎖《隔離》という措置の適法性が強められて集団的自衛行動となった。

この日国家安全保障会議は午前10時と午後6時に開かれて『サラワクへの攻撃用兵器引き渡し差し止め宣言』の内容を討議し、岸信介総理は戦時国際法を適用解釈して、サラワク海域近辺の公海上に設定された海上封鎖線に向けて航行するヨーロッパ共同体の貨物船に対して、大日本帝国海軍連合艦隊艦艇が臨検を行うことの命令書に署名した。臨検に従わない貨物船に対しては警告の上で砲撃を行うこと、さらにこれらの貨物船を護衛する潜水艦による攻撃や、大日本帝国海軍連合艦隊艦艇や航空機に対する銃撃などの敵対行為を取ってきた場合は即座に撃沈することを併せて指示した。この時に他の議題としてサラワク上空を地対空ミサイルの射程圏内となる低空偵察飛行を許可し、もし万一ヨーロッパ共同体に撃墜されたらそのミサイル基地を爆撃することも決定した。これは4日後に大きな波乱を呼ぶこととなった。


大東亜共栄圏では特別会合が午後に開かれて、大日本帝国大東亜大使はヨーロッパ共同体のミサイル配備を非難し、ヨーロッパ共同体外務大臣はサラワクにミサイルがあることを認めずそれ以上の質問の回答は一切拒否した。この時は大日本帝国側は証拠となる空中写真をまだ公開していない。この時に大日本帝国大東亜大使もヨーロッパ共同体外務大臣も本国から何も知らされていなかった。

一方ヨーロッパ共同体は2通の書簡を送付した。1つは岸信介総理宛てで「平和への重大な脅威であり、海上封鎖は国際法の重大な違反行為で大日本帝国は壊滅的結果を招く可能性がある」として激しく非難した。岸信介総理宛ての書簡はこれ以降サラワク危機の間に10通以上が届いた。この時代、現在のように日欧間にホットラインはなく首脳同士が直接対話することは出来なかった。このサラワク危機をきっかけに日欧間でホットラインが設置されて、初めて両国の首脳による電話での会談がいつでも行えるようになった。

このヨーロッパ共同体から岸信介総理宛ての書簡に対して、岸信介は返書を送り秘密裡にサラワクに攻撃用ミサイルを与えたことで海上「隔離」を行ったことを確認して「理性を持って状況を管理不能な状態にしてはならない」と要望した。この後に岸信介総理は佐藤栄作大蔵大臣に秘密裡に、ヨーロッパ共同体駐日大使と会ってヨーロッパ共同体の行動は間違っていることを伝えさせた。この時ヨーロッパ共同体駐日大使は「隔離は受け入れられない。封鎖は突破する」と佐藤栄作大蔵大臣に答えたという。

もう1つのヨーロッパ共同体からの書簡はサラワク共和国宛てで「ヨーロッパ共同体は引き下がることはない」と確約した。サラワク共和国は最高レベルの警戒態勢に入り、各地に陸軍を派遣して防衛準備を仕切らせた。そして3日間で30万人以上のサラワク人が武装し最悪の事態に備えた。



10月24日午前にパリではヨーロッパ中央幹部会の承認を受けて岸信介総理に書簡を寄せ、「世界核戦争のどん底に突き落とす攻撃的行動」で「海賊行為」であり「封鎖を無視する」とした。この日の夜に再びヨーロッパ共同体から書簡が届き、封鎖には従わない、必要なあらゆる手段を取ると記してあった。

この日午前10時に海上封鎖が開始され、大日本帝国は陸海空軍海上保安庁を総動員した体制を取り、航空機・艦船・潜水艦などで海上封鎖線近辺の警備を強化した。特に海軍連合艦隊は大規模に動員され海上封鎖の主力を担った。

何せ数ヶ月前に習熟訓練を終え実戦配備に就いたばかりの原子力空母鳳翔も投入され、大日本帝国海軍連合艦隊は保有する空母の超弩級空母大和級3隻(大和・武蔵・信濃)、正規空母雲龍級10隻(雲龍・海龍・天龍・神龍・轟龍・雷龍・地龍・黒龍・昇龍・赤龍)、重装甲空母秋津洲、超弩級空母大鳳級3隻(大鳳・神鳳・天鳳)、正規空母大鷹級4隻(神鷹・隼鷹・龍鷹・千鷹)、大型空母青龍級4隻(青龍・朱雀・白虎・玄武)、大型空母敷島級4隻(敷島・朝日・初瀬・三笠)、原子力空母鳳翔、という30隻全てを投入していた。

大型空母青龍級4隻は1958年までに、大型空母敷島級4隻は1960年までに、原子力空母鳳翔は1961年に就役し、第二次世界大戦終結後に建造された空母となっていた。軽空母千歳級10隻(千歳・千代田・姫路・神戸・仙台・函館・高松・下関・大分・博多)は、大東亜共栄圏加盟国への軍事支援として供与された。正規空母大鷹級2隻(大鷹・沖鷹)は正規空母から『回転翼機揚陸艦』へと改装されていた。

そして大日本帝国海軍連合艦隊は30隻の空母の他に、原子力ミサイル巡洋艦を筆頭にミサイル巡洋艦80隻、ミサイル駆逐艦220隻、海防艦(諸外国のフリゲート艦相当)570隻、攻撃型原子力潜水艦80隻、戦略型原子力潜水艦55隻、補給艦・輸送艦・各種支援艦多数という世界最強海軍に相応しい陣容を誇っており、それが全てサラワク海上封鎖に投入されたのだ。

この時期アメリカ合衆国は太平洋が絶望的に劣勢な為に、東海岸ノーフォークを海軍の拠点にしており精力的に海軍の整備を続けていた。だからこそ大日本帝国海軍連合艦隊はサラワク海上封鎖に全力投入したのである。

その大日本帝国海軍連合艦隊に対して、ヨーロッパ共同体海軍は完全に劣勢だった。第二次世界大戦中に建造した正規空母ジョッフル級2隻を近代化改修し、クレマンソー級2隻とマジェスティック級4 隻を建造した。サラワク危機の時点では次世代型正規空母ジブラルタル級4隻は設計中だった。とはいえ空母はたった8隻しか保有していなかった。だが西側陣営の盟主としてサラワクに向かう輸送船団護衛として、『マジェスティック機動艦隊』を随伴させていた。大日本帝国はヨーロッパ共同体の貨物船が海上封鎖を突破し海軍連合艦隊がこれを撃沈した場合、即座に全面戦争となる可能性もあったことから、大東亜共栄圏各国の基地においても総動員体制をかけ、休暇中の兵士を呼び戻した。

そして国家安全保障会議では航空偵察写真と偵察衛星写真の分析結果から、中距離弾道弾と準中距離弾道弾両方のミサイル基地建設が進んでいることが分かった。封鎖線にヨーロッパ共同体の船舶が近づいており、会議の雰囲気は緊迫したものだった。しかしヨーロッパ共同体は実際には慎重であった。これらの船舶は本国からの指示により大日本帝国海軍により通達された海上封鎖線を突破することはせず、海上封鎖線手前でUターンして引き返した。ヨーロッパ共同体の貨物船は、もし公海上での臨検を受け入れた場合は大日本帝国の『恫喝』に屈服する形になるだけでなく、大日本帝国側に様々な軍事機密が流れてしまう恐れがあることから臨検を受けることをよしとせず、また海上封鎖を突破し攻撃を受けた場合は即座に報復合戦となり、さらに全面核戦争になる可能性が高いことから、回避行動に出たのである。大日本帝国海軍連合艦隊が実際に初めての臨検を行ったのは26日(金曜日)の午前である。


この日大東亜共栄圏は日欧両国に、数週間は両国とも対決姿勢を緩める措置をとり、ヨーロッパ共同体はサラワクへの兵器輸送を一時停止すること、大日本帝国はサラワクへの海上封鎖(隔離)を一時停止することとし、そのうえでミサイル基地建設も停止されればその貢献は大きいとして仲介することを提案した。これに対してヨーロッパ共同体は前向きに受け入れたがミサイル基地建設停止は同意しなかった。岸信介総理はミサイル基地建設を中止するのであれば隔離を停止すると表明した。この大東亜共栄圏の仲介の下での予備的交渉には両国も同意した。この停止措置の提案は3日後の劇的展開で実質的なものにはならなかったが、ヨーロッパ共同体にとっては出口での口実を得たことになった。つまり大日本帝国の違法な要求ではなく、大東亜共栄圏の要請に応じてということで体面を保つ口実であった。


10月25日(木)

ヨーロッパ共同体は、事態が深刻化する中で自らの姿勢を見直すようになっていた。ミサイルや他の兵器をサラワクに送っても体制の防衛強化にならず、逆に今や大日本帝国から侵攻される危険が大きくなった。ここで大日本帝国が今後サラワクへの侵攻を行わない確約をする代わりにミサイル基地を撤去することを申し出ることをヨーロッパ中央幹部会に提案した。これであれば当初のアナディル作戦の目標は無となるが、少なくともサラワクの安全を確保できて、まずまずの成果であると言えるとして、賛成が多く了承されたが、この取引に応じる用意があるとの合図を送るのはしばらく控えることにした。



10月25日の緊急大東亜共栄圏安全保障理事会で、大日本帝国大東亜大使がそれまで極秘で公開していなかった航空写真と偵察衛星写真を用いて、ヨーロッパ共同体の外務大臣と対決し、劇的な効果を収めた。大日本帝国大東亜大使は、ヨーロッパ共同体外務大臣にミサイルをサラワクに設置しているのか尋ね、外務大臣が「そんなものは存在しない」と否定した後、それを反証する決定的な写真を見せて以下のやり取りとなった。


大日本帝国大東亜大使「通訳は必要ないでしょう。はいかいいえでお答え下さい。」

ヨーロッパ共同体外務大臣「私は大日本帝国の法廷に立たされているのではない」

大日本帝国大東亜大使「あなたは今、世界世論の法廷に立たされているのです」

ヨーロッパ共同体外務大臣「そんな検事のような質問をされてもお答えすることはできない」

大日本帝国大東亜大使「地獄が凍りつくまで回答をお待ちしますよ」


この駆け引きで、ヨーロッパ共同体がサラワクにミサイルを配備していることを世界中に知らしめることに成功した。


10月26日(金)

前日にヨーロッパ共同体のタンカー1隻を停船させたが、何もせず他のタンカーとともに通過させた。北ソマリアの客船も何もなく通過させた。そしてこの日の未明にブラジル船籍でパナマ人の船主のヨーロッパ共同体がチャーターした貨物船を停船させ、乗船して臨検に及んだ。岸信介総理は必要になるまでヨーロッパ共同体船の航行を妨害させないつもりだったが、大日本帝国が本気であることを示すためにヨーロッパ共同体にチャーターされた中立国の船舶に対して乗船臨検させた。この時は問題なしとして通過を許可した。この間に続々とヨーロッパ共同体船がUターンしているとの情報が入ってきた。

毎朝国家安全保障会議の冒頭に帝国情報保安局からの報告があるが、この日ミサイル基地建設がまだ進んでいるとする情報が入り、中距離弾道弾は週末には実戦に使えるようになる見通しになったとの帝国情報保安局長官からの説明に、海上封鎖が効果を発揮していないとしてミサイルをどうするかに議論が戻りつつあった。その効果についての疑問の声が増え、25日から26日にかけて岸信介総理と他のメンバーとでヨーロッパ共同体への圧力を一歩強化する方策を熟慮検討していたが、軍は空爆か侵攻を主張し、岸信介総理は猪突猛進に反対していた。総理は「サラワクからミサイルを撤去させるには、侵攻するか、取り引きするしかない」と語っていた。この時、どちらを選択するか、腹の中は決まっていた。

26日正午に外務省報道官が定例の記者会見で今後の行動について不用意に「更なる行動」にコメントしたため臆測を呼んで、空爆か侵攻が迫っているとの情報が流れ、岸信介総理が激怒する一幕があった。この報道官は総理執務室に呼ばれ岸信介総理から叱責された。しかし24時間後に岸信介総理はこの報道官の誤りが役に立つ効果を生み出したのかも知れない、と冗談交じりに語ることになった。



10月26日の朝ヨーロッパ共同体に、大日本帝国からの情報として、大日本帝国空軍戦略航空軍団に史上初めて第二種警戒体制の防衛準備態勢に入るように命じられたとの報告をヨーロッパ保安委員会から受けた。この時にヨーロッパ共同体はもはや待つ余裕はなくなったと腹を決めて、岸信介総理宛てに書簡を送ることとした。それはミサイル撤去についての提案であった。

この書簡は送信に手間取りこの日の夜、東京に届いた。この時まで実務的に日欧間でミサイル撤去交渉というものがあったことはない。この時代のこの段階ではおよそ無理な話であって、最高指導者の間でのやり取りで決定せざるを得ないものであった。この意味で10月26日から28日までの間の岸信介総理とヨーロッパ共同体との息詰まるやり取りはこの2人の指導者が冷静に相手の真意を探り合うものであった。

10月26日に届いた書簡は、ミサイルをサラワクに置いたのはサラワクを侵攻から守るためで、もし大日本帝国がサラワクを攻撃・侵攻しないと約束すれば、大東亜共栄圏の監視下でミサイルを撤去するという旨の内容であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。