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続・帝國連合艦隊〜世界最終戦争〜  作者: 007


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21/51

サラワク危機3

こうした首相官邸内の極秘の動きの中で、この日午後5時にヨーロッパ共同体外務大臣が首相官邸を訪ねてきた。これはそれ以前から予定されていたもので、大東亜共栄圏首脳会議への出席のための訪日に伴う儀礼的な訪問であった。岸信介総理はこの場では攻撃用核ミサイルを発見したことを一切語らずに、またヨーロッパ共同体外務大臣はヨーロッパ共同体の対サラワク援助は「サラワクの国防能力に寄与する目的を追求したもの」として「防衛兵器の扱いについてヨーロッパ共同体専門家がサラワク人を訓練しているのは決して攻撃的ではない」ことで「もしそうでなかったらヨーロッパ共同体政府は決してこうした援助を与えないであろう」と述べて、「サラワクに配備されたミサイルは防御用の通常兵器である」と9月に述べたことを繰り返し述べた。この首相官邸の執務室での会談は、その後冷戦史上に残る最も奇妙で緊張した会談であり、茶番劇でもあった。ヨーロッパ共同体外務大臣は会談後にパリに東京の状況は満足のいくものであった、と報告している。岸信介総理が何かをつかんでいるとは微塵も感じなかったのである。そして岸信介総理は4日後の声明で、この日のヨーロッパ共同体外務大臣とのやりとりを明らかにして、「偽りであった」と非難した。

ヨーロッパ共同体外務大臣との会談終了後、岸信介総理は首相官邸の閣議室に戻った。そしてこの日の夜に急速に海上封鎖が有力な案になった。また外務・国防・法務の各省はその法律専門家に封鎖宣言の根拠について検討作業を始めさせた。


10月19日(金)

この頃は貴族院中間選挙が11月初めに予定されており、その応援演説のため遊説があり、岸信介総理はこの日横浜、仙台、そして福島に行く予定であった。それらをキャンセルすると政府内での動きが感づかれる恐れがあったので、予定通りに向かう事になった。それは副総理も同じで結局は選挙遊説で会議に出ていないことが多かった。そして岸信介総理は軍部と朝に会議を行った。

そしてその朝の会議で、統合幕僚作戦司令本部のメンバーとの協議の席で、服部卓四郎総長はサラワクへの軍事行動はトルコ共和国とイタリア王国を危険にし東側陣営から批判を浴び、大日本帝国を孤立させかねないとする総理の立場を認めながら、早急な軍事行動が必要とする意見を曲げなかった。

そして陸軍参謀総長瀬島龍三大将らが空爆や侵攻を強く主張し、空軍統合総長源田実大将は封鎖は弱腰と判断されるとして岸信介総理を苛立たせた。この直後岸信介総理は「お偉いさん達の意見をその通りにして間違っていたら、間違っていたと言おうにも誰も生きていないことになる」と補佐官のに吐き捨てるように言い残した。



この日午前の会議(総理は中間選挙遊説で欠席)では2つのグループに分かれて海上封鎖と空爆について最も有力なシナリオを提示することにした。午後の会議では全体会議を行い、空爆と封鎖の賛成は拮抗していた。ここで西竹一国防大臣の空爆を認めながら海上封鎖を優先させるべきとの意見と佐藤栄作大蔵大臣の「会議で空爆と結論を出しても総理は受け入れないだろう」との意見が通り、海上封鎖を実行し事態が進まない場合は空爆実施という折衷案がまとまった。


10月20日(土)

そして佐藤栄作大蔵大臣からの要請を受けて岸信介総理は「軽い風邪のため」として選挙遊説を早めに切り上げて回転翼機で東京に戻った。

20日午後2時30分からの正式な会議(国家安全保障会議第505回会議)で、岸信介総理はまず帝国情報保安局長官から新しい航空写真と偵察衛星写真、その他の情報を提出させて、その後で、(1)まず封鎖から始めて必要に応じて行動を強めていくか、(2)まず空爆から始めて最後は侵攻を覚悟するか、という2つの選択肢を基幹としてそれから派生する分枝の問題が提示された。

その後に岸信介総理はまず封鎖から着手すべきとして、空爆と侵攻を主張するメンバーにそういう作戦がその後に絶対に採られないことではないと解してよろしいと言葉を続けた。決める前に限定的な空爆がまず出来ないことを重ねて確かめるつもりであったが、結局岸信介総理は自分で結論を出した。総理が下さなければならない決断であり、それが出来るのも総理だけだからであるからだ。

岸信介総理はこのとき海上封鎖の実施を決断した。岸信介総理がその次に打つ手を自由に選べることと、ヨーロッパ共同体にも選択の余地を残す利点があることで封鎖での力の誇示がヨーロッパ共同体に考え直す機会を与えることになることが決め手であった。何よりも悪いのは何もしないことであった。しかしもしミサイル基地の撤去に同意しなかった場合については意見が分かれた。多くのメンバーは空爆を支持したが西竹一国防大臣と外務大臣は反対し、外務大臣はブルネイダルサラーム国の陸軍基地の撤収まで言及して軍事的衝突は避けるべきであると主張した。

この封鎖以外での外交交渉でのカードとしてトルコ共和国の準中距離弾道弾撤去があったが、この時には岸信介総理は他の東側諸国にとって関心の無い南シナ海の小国の問題で自国の利益のためにトルコ共和国とイタリア王国の安全を犠牲にするのではないか、という疑惑を裏書きすることで同盟を破壊しかねない譲歩をすべきではないと考えていた。この問題は最後の局面で重要な課題となった。


この後に、岸信介総理は21日(日曜日)にテレビ・ラジオを通じて国民に演説する意向を示したが、外務省から事前に大東亜共栄圏各国に説明する必要があり、日曜日ではなく月曜日にそれらを全て行うため、結局22日(月曜日)午後7時に演説することで同意した。ここで外務省からあった封鎖という言葉が好戦的で戦争行為と解釈されるので、以後は隔離を言葉として使用することも決まった。会議が終わってから外交ルートで大東亜共栄圏への申し入れ、各国首脳あての手紙、ヨーロッパ共同体への簡単な通告文書の作成にかかった。



21日に、岸信介総理は空軍司令官と会談した。司令官は率直に、一度の攻撃でサラワク共和国の全てのミサイルを破壊できる保証はないと伝えた。攻撃しても、結局残ったミサイルで反撃される可能性があったのである。ミサイルの問題は封鎖でも空爆でも、解決できないことを岸信介総理は理解したのである。そして総理補佐官に「最終的には取引しなければ駄目だろうな」と述べている。この日にイタリア王国首相に親書を送った。より詳細な内容は、翌日駐伊大使より報告があったが、この他に翌日のテレビ演説の直後にも、イタリア王国首相と電話で会談をしている。イタリア王国首相は、イタリア王国がもう何年もヨーロッパ共同体の核ミサイルの射程圏内に入ったままだと述べて過剰反応を戒め、サラワク共和国を忌避する大日本帝国に懸念を示した。岸信介総理はイタリア王国首相に今回の秘密の動きは、トルコ共和国に関係していると伝えた。

岸信介総理の考えの中には、今回のサラワク共和国へのミサイル配置はトルコ問題への駆け引きがあると睨んでいた。ヨーロッパ共同体のサラワク戦略とトルコ戦略は連結していると考えている岸信介総理は、ヨーロッパ共同体がサラワクで揺さぶることでトルコ問題を一挙に解決する(要するにヨーロッパ共同体にとっては獲得する)ことを目指したものであると結論を出していた。統合幕僚作戦司令本部のメンバーに「サラワクに爆撃を加えたら、それは彼らにトルコを奪取する口実を与えることになる」「我々がサラワクへの状況に耐える意思を持たなかったことで、トルコを失ったと後で国民から見なされるだろう」と述べた。


10月22日(月)

一方ヨーロッパ共同体では、パリ時間の22日朝から動きがにわかに慌ただしくなった。岸信介総理が夜遅くにテレビ演説を行うという情報が入って、ヨーロッパ共同体軍参謀本部情報総局が大日本帝国軍の行動がきわめて異常だと報告し始め、ヨーロッパ保安委員会は東京で何か重大なことが起きようとしているとの気配を察知していた。ヨーロッパ共同体はヨーロッパ中央幹部会を緊急招集した。

ヨーロッパ共同体はサラワクのミサイルが発見されたことを岸信介が公表するのだと確信し、国防大臣は大日本帝国がすぐに行動に出ることはないとした。しかし幹部会のメンバーは海上封鎖を宣言して何もしてこないと予測する方よりも、遅くとも数日以内に南シナ海で戦争が起こる可能性が高いとみる方が多かった。この時点でヨーロッパ共同体は「最終的には大戦争になるかも知れない」と思った。そしてサラワク駐留ヨーロッパ共同体軍総司令官に出す指示の内容についての議論が始まった。全面的な警戒態勢を取り、如何なる場合も核兵器は政府の明示的な許可がないと使用してはならない旨を伝達することが決まった。しかし包囲された中での防御戦では戦術核兵器を使用しなければ防御は絶望的だとの思いが強まり、もしパリからの通信が遮断された場合は総司令官に許可することもいったんは決定したが、この部分は事態の進展を待ってということで留保された。情報が傍受されて核兵器使用の権限を現地総司令官に移譲するなどと大日本帝国が知ったら、逆に先制攻撃の口実を与えることになることを憂慮したのであった。



『大日本帝国ではこの日22日の午前から大東亜共栄圏への通知が行われた。各首相のもとに特使を派遣し、大東亜共栄圏の総意として支持を得た。

元総理の鳩山一郎、石橋湛山、山本五十六に対しては首相官邸から電話で岸信介総理自身が状況説明を行い、さらに午後5時から帝国議会衆貴両院に対しても自身で状況説明を行った。この帝国議会との会談では多くの議員から反対の声が聞かれ、辻政信・中曽根康弘の両衆議院議員は海上封鎖に反対し、サラワク爆撃を主張した。ヨーロッパ共同体の駐日大使が外務省に招かれたのが午後6時でほぼ同じ時刻でパリで駐欧大使がヴェルサイユ宮殿(再建されヨーロッパ共同体大統領官邸になっていた)に向かった。



そして岸信介総理は10月22日午後7時からテレビ・ラジオを通じて大日本帝国国民にサラワクにおける新しい事態の説明を始めた。この演説で、サラワクにヨーロッパ共同体の攻撃用ミサイルが持ち込まれた事実と大日本帝国によるサラワク海上封鎖措置を発表し、ヨーロッパ共同体およびサラワク国民に対して攻撃用ミサイルは何の利益にもならないと強調して、この中で以下の6項目の措置を速やかに行うことを明らかにした。


1.サラワク向け船舶の海上隔離措置

2.サラワクへの空中監視

3.他国へのサラワクからのミサイル発射は大日本帝国への攻撃とみなすこと

4.ブルネイダルサラーム国にある陸軍基地の増強および全部隊に警戒態勢を指示

5.大東亜共栄圏全体会議の招集

6.ヨーロッパ共同体に『世界を壊滅の地獄から引き戻すための歴史的努力』に参加すること


この演説は、帝国海外情報局 を通して各国語訳され、世界中に衛星放送された。

ヨーロッパ共同体では岸信介総理の演説の後に、しばらく猶予が与えられたと考え、ミサイル基地の建設を続けることを決定した。幹部会では全軍の兵力に対して低いレベルでの警戒態勢に入るよう命じ、アメリカ合衆国にも同様の措置が要請された。またヨーロッパ共同体を出発してまだ日が浅い船舶については引き返すように指示し、サラワクに近い船については予定している港でなく一番近い港に全速力で向かうように命じた。この他、国内の大陸間弾道弾やサラワクの中距離弾道弾を発射準備に入れ、またサラワクの都市部をはじめサラワク国内の主要地点に対空砲を構えて大日本帝国軍の攻撃に備えた。



大日本帝国は国内の軍隊を台湾方面に移動させ、空軍戦略航空軍団は警戒体制を引き上げ、海軍連合艦隊の艦艇を南シナ海に展開させて海上封鎖の準備を整えた。大日本帝国軍全部隊の警戒態勢は、22日の総理演説中に[第三種警戒体制]となった。これは最高度の第一種警戒体制と平時の第五種警戒体制の中間にある警戒体制である。迎撃機が各地に配置され、すでに空軍戦略航空軍団は警戒体制を上げていた。そして戦略爆撃機のうち8分の1は常時上空に待機する(飛行中)体制となった。万が一ヨーロッパ共同体が奇襲しても爆撃機が確実に生き残れるようにするためであった。』

小森菜子著

『帝國の聖戦回顧録』より一部抜粋

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