↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
続・帝國連合艦隊〜世界最終戦争〜  作者: 007


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/50

サラワク危機

1962年8月3日、ヨーロッパ共同体とサラワク共和国は極秘裏に軍事協定を結び、サラワク共和国に密かに核ミサイルや兵員、発射台、ロケット、戦車などを送った。大日本帝国は偵察飛行で核ミサイル基地の建設を発見、直ちにサラワク共和国を海上封鎖し、核ミサイル基地の撤去を迫った。一触即発の危険な状態に陥ったが、最終的にヨーロッパ共同体が核ミサイルを撤去してこの危機は終わった。またこれを機に日欧間でホットラインの開設がなされ、不測の事態による軍事衝突を防ぐための対策が取られた。

危機の期間に定義があるわけではないが、大日本帝国軍が空中偵察でミサイル基地を発見した1962年10月14日、または総理にその情報が入った同年10月16日から、ヨーロッパ共同体がミサイル撤去を伝えた同年10月28日までとすることが多い。ただし実際にヨーロッパ共同体が核ミサイルをサラワク共和国から撤去し、大日本帝国が封鎖解除したのは同年11月21日である。









大日本帝国は国内で『60年共和主義闘争』を終息させてから、サラワク共和国への対策としてブルネイダルサラーム国への軍事支援を開始した。それまでブルネイダルサラーム国は国家警察を謂わば軍事力の代わりとしていた。国境線を接するサラワク王国も大東亜共栄圏に加盟する国であり、何ら国家安全保障上の危機が無かったからだ。その為にサラワク王国での共和主義革命は当初は大日本帝国より、ブルネイダルサラーム国への影響が大きかった。

そして大日本帝国が国内で『60年共和主義闘争』を終息させてからの軍事支援で、ブルネイダルサラーム国は1961年5月31日に『王立ブルネイ軍』を設立した。更に大日本帝国はブルネイダルサラーム国防衛の為に、陸軍1個機械化歩兵師団を駐留させる事にしたのである。更にはサラワク共和国に対して大日本帝国は全面的な経済制裁として、全ての輸出入と入送金を停止させた。この経済制裁は大東亜共栄圏には強制させる事はしなかった。それはサラワク共和国を追い込んで、暴発するのを防ぐ為だった。

だが大日本帝国陸軍のブルネイダルサラーム国駐留がサラワク共和国に、『大日本帝国が直接軍事介入してくる』と疑心暗鬼にさせる事になり、ヨーロッパ共同体に対して正式な軍事協力を強く求めるようになった。そしてこれはヨーロッパ共同体にとって、サラワク共和国が大日本帝国を牽制する格好のカードと考えさせる事になった。

だが最初は慎重に進められた。ヨーロッパ共同体にとってサラワク共和国は地理的に遠すぎた。何せ大日本帝国の勢力圏のど真ん中に拠点を維持するというリスクを理解していた為、当初は経済支援にとどめ軍事介入には慎重だったのだ。

だが皮肉にも大日本帝国の行動が、ヨーロッパ共同体にサラワク共和国の戦略的価値の発見を行わせる事になった。それは大日本帝国がトルコ共和国に準中距離弾道弾を配備した事への対抗策(同等の脅威を大日本帝国の至近距離に置く)として、サラワク共和国に核ミサイルを配備することを思いたのである。

ヨーロッパ共同体は1962年夏には、最新兵器の提供の代わりに秘密裏に核ミサイルをサラワク共和国内に配備するアナディル作戦を可決し、サラワク共和国側もこれを了承した。サラワク共和国へのミサイル配備をヨーロッパ共同体が検討を始めたのは1962年4月の終わり頃であった。

ヨーロッパ共同体がサラワク共和国にミサイルを配備しようとした動機は何よりもサラワク共和国の防衛であった。しかしただ防衛だけであったなら、わざわざ隠密に極秘に核ミサイルを運ばなくても堂々とサラワク共和国と協定を結んで通常兵器を供与する方が大日本帝国も反対できなかった

し、仮にそれが小規模のものであっても大日本帝国が攻めて来る場合はヨーロッパ共同体兵と直接戦闘となる危険が生じ、歴史上初めて大日本帝国とヨーロッパ共同体が直接武力で戦う覚悟を必要とし、それ故に大日本帝国のサラワク共和国侵攻の抑止になると考える方が自然である。そう考えなかったヨーロッパ共同体にはミサイル配備のバランスで大日本帝国と均衡させるためにあえて核ミサイルの配備にこだわったと言える。

アナディル作戦の背景には、当時核ミサイルの攻撃能力で大幅な劣勢に立たされていたヨーロッパ共同体がその不均衡を挽回する狙いがあった。大日本帝国はシベリア府とハワイ県にヨーロッパ共同体を攻撃可能な大陸間弾道弾を配備し、加えてトルコにも準中距離弾道弾を配備した。これに対しヨーロッパ共同体の大陸間弾道弾はまだ開発段階で、潜水艦と爆撃機による攻撃以外に大日本帝国本土を直接攻撃する手段を持たなかったといわれる。

ヨーロッパ共同体がアナディル作戦でサラワク共和国への軍事力の展開をするには事前の発覚を避け、それでいて高性能の戦闘機、地対空ミサイル、それを管理する部隊や大量の装備品、そして約5万人の派兵が必要でそれらの人員や装備品を輸送する船舶がおよそ85隻が必要であり、しかもその船舶は何回も往復しなければならなかった。この時に運んだ人員および装備は以下の通りである。

戦術核兵器

中距離弾道弾(IRBM)24基、準中距離弾道弾(MRBM)36基

陸上兵力

4個連隊合せて1万4000名。これらは機甲化されていないが各連隊に戦車、大砲、対戦車ミサイルを装備。そして射程40キロの短距離ロケット36基。

航空兵力

軽爆撃機42機、戦闘機40機、その他地対空ミサイル72基。

沿岸防衛

巡航ミサイル112基、巡視艇12隻。

この他に、海上兵力として潜水艦11隻なども予定していたが、結局サラワク共和国には送られなかった。そしてサラワク共和国に派遣された人員は4万5234名で、この内海上封鎖が始まった時点で3332名はまだ公海上であった。

なお、これほど大量の物資及び人員を海上輸送する作戦をヨーロッパ共同体軍は実施したことはなく、加えて急遽決定された計画であったため、ミサイル基地の建設は非常に困難を極めるものであった。



1962年7月から8月にかけて、ヨーロッパ共同体やアメリカ合衆国の貨物船が集中的にサラワク共和国の港に出入りするようになった為、これを不審に思った大日本帝国軍は、サラワク共和国近海の公海上を行き来するヨーロッパ共同体やアメリカ合衆国の船舶やサラワク共和国内に対する偵察飛行を強化していた。帝国情報保安局はヨーロッパ共同体船の数が急増していることの意味を検討していた。また亡命サラワク人やサラワク共和国と交易のある同盟国(ベトナム王国やフィリピン共和国)の情報機関からも情報が入ってきた。8月に帝国情報保安局は4000~6000人がヨーロッパ共同体からサラワク共和国へ入国していると結論づけた。ヨーロッパ共同体が戦略ミサイルを配備しようとしているかも知れないが、ヨーロッパ共同体はそれほど愚かだと考える者は事実上皆無であった。

そして8月23日に岸信介総理は帝国情報保安局長官にサラワク共和国に核ミサイルが存在することは容認しないと述べていたが、この時にヨーロッパ共同体が核ミサイルの配備を試みていると考えた者は帝国情報保安局長官以外はいなかった。そして帝国情報保安局内部でもヨーロッパ共同体は核を運んでいると分析することはなく、9月19日に帝国情報保安局が政府に提出した報告『特別国家情報評価』の中の『サラワクの軍事力増強』でも同じ見方であった。それはヨーロッパ共同体の過去の行動パターンにも予測する政策にも合致しないことであった。そして9月にサラワク上空に偵察機を飛ばすことを制限した。



このような動きに対して岸信介総理は、確かな証拠がまだ手に入っていないがもし配備されていたら容赦はしないとの警告を出す決意をした。8月31日政府与党の旭日尊皇党議員は、岸政権はサラワク問題に対して意図的な怠慢を続けていると非難し、以降ヨーロッパ共同体は1000人以上の部隊をサラワクに派遣してミサイル基地を建設していると指摘した。他にも有力な旭日尊皇党議員からもサラワクへの行動に出るように要求が出された。

議員のもとに亡命サラワク人からの情報が入っていた。9月4日岸信介総理は政府与党連絡会議で、現時点でヨーロッパ共同体軍の大規模な展開はあるが、今までの監視から見て防御的な性格であると説明して、同日に声明を発表し「戦闘部隊が組織だって派遣されている証拠はない。軍事基地を提供している証拠もない」と前置きして「これらの証拠があるとなれば、最も憂慮すべき問題が生じ、きわめて深刻な事態が起きることになるだろう」と警告した。

9月6日にヨーロッパ共同体の駐日大使から「貴族院中間選挙(第二次世界大戦終結後の改革により、貴族院の半数は勅選議員では無く選挙により選ばれるようになった。その為に貴族院中間選挙が行われる。)前にヨーロッパ共同体が国際情勢を複雑にしたり日欧関係の緊張を増したりするような措置は取らない。ただし大日本帝国がそのような行動に出ないことが条件である。ヨーロッパ共同体はサラワクで新しいことは何もしておらず、全て防衛的性質のもので大日本帝国の安全に脅威を与えるものではない」とのコメントが官房長官を通じて伝えられた。

9月7日に岸信介総理は陸軍軍人1万5000人の予備役を招集する権限を帝国議会に要求し、さらに9月11日に「いつ如何なる形であれサラワクがヨーロッパ共同体に軍事基地を提供した場合は、大日本帝国は自国及び大東亜共栄圏の安全を守るため行わなければならないことは全て行う」と再び声明を出した。


同じ9月11日にヨーロッパ共同体は声明を発表しサラワクに対する如何なる軍事行動も核戦争を引き起こすであろうと警告していた。しかしその間にもヨーロッパ共同体から、通常の工作機器の輸出に巧妙にカモフラージュされたヨーロッパ共同体製核ミサイルや、核兵器が搭載可能で大日本帝国台湾の主要都市に達する航続距離を持った爆撃機が秘密裏に貨物船でサラワクに運ばれた。さらに核兵器の配備に必要な技術者や軍兵士もサラワクに送られ、急速に核ミサイルがサラワク国内に配備されはじめた。

しかし当初大日本帝国軍の解析班は、これらの貨物船で運ばれている物の多くが大日本帝国からの経済制裁の発令に伴って供給が止まり、その代わりにヨーロッパ共同体から送られるようになったドラム缶に入ったガソリンや木材であると解析した。更に帝国情報保安局による分析では、貨物船でサラワク共和国に運ばれたヨーロッパ共同体軍兵士の数も実際は4万3000人程度いたところを、その4分の1以下の約1万人と見積もるなど、岸信介総理の命令により偵察機による撮影が制限されてしまった大日本帝国の情報チームは、ヨーロッパ共同体によって行われた巧妙なカモフラージュを全く見抜くことができなかった。

ようやく9月下旬に入り岸信介総理はサラワク共和国上空の偵察飛行を再開させ、更には打ち上げたばかりの最新鋭偵察衛星の偵察を開始させたが、この間にサラワク共和国にヨーロッパ共同体からは準中距離弾道弾とその弾頭99個、さらに核兵器の搭載が可能な爆撃機が秘密裏に運ばれ、同時期に貨物船の船底にぎゅうぎゅうに詰め込まれて送られた万単位のヨーロッパ共同体陸軍将兵とともに、サラワク共和国内への配備が始まっていることには気が付かないままであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。