技術革新
1954年3月1日午前6時45分。北緯11度41分、東経165度16分トラック諸島ビキニ環礁爆撃演習場。当時世界最大出力の、また世界初の水素化リチウムを用いた核融合兵器を用いた核実験である、『旭日作戦』が行われた。これにより従来の原爆である熱核兵器に対して、核融合兵器が実用化され核兵器は新たな段階へと到達しま。しかしながら出力がTNT換算15メガトンと、事前に見積もられていた6メガトンの2.5倍となった事により、ビキニ環礁の東地域で想定外の放射能汚染を引き起こしてしまった。とはいえ未だに世界で唯一核兵器を保有しているのは大日本帝国のみであり、水素爆弾の実用化はその優位性を確固たるものにしたのである。
この水素爆弾実用化により1950年代は『技術革新の時代』と呼ばれる事になった。それは第二次世界大戦前に旧ロシア地域で、ロシア人技術者・科学者を積極的にスカウトした成果でもあった。そしてそれは1955年4月1日の大日本帝国による衝撃的な発表の要因になっていた。
その衝撃的発表は『レナ川以東の旧ロシア地域の大日本帝国への併合』と、『レナ川以西からヨーロッパ共同体国境線の地域のロシア連邦建国』であった。
第二次世界大戦中に『シベリア解放作戦』という名称で、旧ロシア地域の平定・占領・鉄道整備が大々的に行われていた。大日本帝国はヨーロッパ侵攻を行う為に旧ロシア地域に侵攻し、実際に第二次世界大戦末期にはウクライナ国境線まで侵攻する事に成功していた。
その旧ロシア地域侵攻は大日本帝国が第二次世界大戦前からスカウトしたロシア人技術者(四式重戦車や43式弾道弾開発に関わった人々)へのお礼でもあった。そして第二次世界大戦終結によるヨーロッパ共同体との東西冷戦構造は、大日本帝国に新たな策謀を行わせる事になった。
それが『レナ川以東の旧ロシア地域の大日本帝国への併合』と、『レナ川以西からヨーロッパ共同体国境線の地域のロシア連邦建国』であった。『レナ川以東の旧ロシア地域の大日本帝国への併合』はもはや既成事実である、占領統治の解決として決定された。何せレナ川以東の領域は、面積はおよそ400万平方キロメートルから450万平方キロメートル程度と推計される広大なものだが、地形はベルホヤンスク山脈やチェルスキー山脈などの険しい山岳地帯が広がっており、非常に起伏が激しいのが特徴で極めて人口密度が低く、自然環境が非常に厳しい為に未開拓地域が大半を占めている地域であったのだ。
その為に住民達は大日本帝国による占領統治の間の社会インフラ整備や経済支援に感謝すらしていた。そんな中での大日本帝国への併合は、住民達には渡りに船だった。こうして大日本帝国は日本列島の10倍以上という広大な面積を持っている地域を併合したのである。
大日本帝国による併合は表向きは『住民達の人道的見地』から行われたものだが、実際はこの地域が地球規模で見ても極めて豊かな天然資源の宝庫だからという、大日本帝国の機会主義の発露によるものだった。
エネルギー資源として樺太沖やヤクーチア地方には大規模な石油・天然ガス田が存在し、鉱物資源としてダイヤモンド・金・貴金属・レアメタル・石炭が存在した。
そして大日本帝国にとっては嬉しい事に太平洋の恵みも大きく、豊かな漁場が広がっていた。主要な魚種はスケトウダラ、マダラ、ニシン、サケ・マス類、カニ類が主力で、特にカムチャツカ半島周辺は世界有数の漁場として知られていた。
そして『レナ川以西からヨーロッパ共同体国境線の地域のロシア連邦建国』は『報奨』として行うという人間味があり、大日本帝国らしい現実的な統治政策であった。第二次世界大戦中のスカウトしたロシア人技術者・科学者による活躍で、大日本帝国は飛躍的な技術力向上を成し遂げた。その報奨として、大日本帝国はロシア人達に再び自分達の国を与えたのだ。だがレナ川以西からヨーロッパ共同体国境までをロシア連邦とすることで、大日本帝国は地理的・軍事的な緩衝地帯が自然に出来る事になり、大日本帝国の目的は寧ろそちらの方が大きかったと言われている。
こうして冷戦構造は更に深化し1955年というタイミングでこれを行うのは、東西冷戦が本格化する中で『東側陣営の勢力圏確定』という意味合いが強く出ていた。大日本帝国領としてレナ川以東のシベリア地域を正式に『シベリア府』として併合し、資源開発(石油・鉱物)と軍事拠点化が進められる事になった。
そしてロシア連邦がレナ川以西からヨーロッパ共同体国境線までの広大な地域に建国され、旧ロシア人技術者・知識層を中核とした親日政権が樹立された。名目上は独立国家だが大東亜共栄圏に当然のように加盟されており、外交・国防・経済で大日本帝国の強い影響下(事実上の衛星国)にあった。
東側陣営が確立されてから数ヶ月後、1955年7月24日。大日本帝国沖縄県嘉手納宇宙基地から『R-1』ロケットが打ち上げられた。そしてR-1ロケットは静止軌道上に世界初の人工衛星である、『高天原』を投入する事に成功したのであった。このR-1ロケット(Rは単純にロケットのローマ字頭文字)は世界初の宇宙ロケットであり、ロシア人技術者セルゲイパーヴロヴィチコロリョフと日本人技術者糸川英夫が、実用化したものだった。
コロリョフ技術者と糸川技術者は大日本帝国のロケット開発の中心人物であり、その2人を強力に支援するのが中央省庁に新設された『科学技術宇宙省』の外局である、『宇宙開発事業団』であった。この宇宙開発事業団には大日本帝国中の全ての宇宙開発組織機構が統合され、科学技術宇宙省つまりは大日本帝国政府による強力な指導の下に宇宙開発を行っていく事になった。
そしてR-1ロケットは単に宇宙ロケットでは無く、早々に弾頭を核弾頭にした大陸間弾道弾・中距離弾道弾・準中距離弾道弾、そして潜水艦発射弾道弾の実用化に転用される事になった。
これにより『軍事・経済・技術』の三方面で大日本帝国が優位に立っている状況が明確になり、更に核兵器に於いても『戦略爆撃機・大陸間弾道弾・潜水艦発射弾道弾』という3本柱が確立される事になったのである。
だが大日本帝国は圧倒的優位性を確立したと思っていたが、ヨーロッパ共同体は巻き返し政策により大日本帝国の直ぐ背後にまで迫っていたのだ。
西側陣営はイタリア戦争の反省から、経済成長と軍備拡張を強力に推し進める為に巻き返しを図った。
ヨーロッパ共同体はイタリア戦争の教訓を活かし、『巻き返し政策』と称する大規模な経済再建と軍備拡張に邁進した。ヨーロッパ全域を単一国家として傘下に収めている利点を最大限に発揮し、中央集権的な計画経済によりインフラ整備と重工業復興を加速させたのである。
具体的な政策として、以下の施策が実施された。
まずは『欧州重工業再建計画』により、フランス州・ドイツ州・ブリテン州を中心に製鉄・造船・航空機・自動車産業への国家投資が集中された。旧フランス・オランダの工業基盤を中核に、ドイツ州の重化学工業を再活性化させることで、ヨーロッパ全体の生産力を短期間で回復させた。この短期間での回復は必死になりながら第二次世界大戦終結からイタリア戦争前までに、復興計画を行っていた事が何といっても基盤になっていた。
次に『欧州統一インフラ整備計画』が推進された。高速道路網の整備、鉄道の電化・複線化、港湾の近代化が国家予算で一気に進められた。特に大西洋岸と地中海を結ぶ物流網の強化は、資源輸送と工業製品の流通を効率化し、経済成長の基盤となった。
さらに、『欧州軍需産業統合計画』により、軍需企業を国家管理下に集約。何といってもヨーロッパ共同体成立により各国の軍需企業が存在する為に、大量に並列している事になっていた。それを国家管理下で集約して統廃合をしたのである。これにより戦車・航空機・ミサイルなどの開発・生産が急速に拡大した。これにより失業対策と技術開発を同時に進めることができた。
これらの政策は着実に成果を上げ、1952年頃から経済成長が本格化した。1953年にはGDP成長率が前年比で8.5%を記録し、失業率も大幅に低下した。重工業の復活により、鉄鋼生産量は戦前水準を上回り、造船業も大西洋艦隊の増強需要で活況を呈した。
この経済成長に付随して軍備拡張も急速に進展した。1955年3月15日、大西洋上でEC初の核実験に成功した。これによりヨーロッパ共同体も核保有国となり、西側陣営の軍事力は大幅に強化された。
さらに同年7月4日、アメリカ合衆国も核実験に成功し、核保有国として軍事的に復活した。西側陣営は経済成長と軍備拡張を並行して加速させ、大日本帝国の優位に対抗する体制を急速に整えていった。
こうして1950年代は、東西冷戦が軍事・経済・技術の全方位で激化する時代へと突入したのである。




