イタリア戦争3
イタリア戦争は不思議な戦争となっていた。当事国はイタリア王国とイタリア共和国という南北分断国家だった。だがイタリア王国は大東亜共栄圏加盟国であり東側陣営の強力な支援を受ける事になり、特に大日本帝国は東側陣営盟主として万難を排して援軍派遣を決定した。だが大日本帝国はヨーロッパ共同体つまりは西側陣営との全面戦争を警戒して、大東亜共栄圏加盟国には義勇軍の派遣のみを求めた。
それに対してイタリア共和国はヨーロッパ共同体の全面的な支援を受け、イタリア共和国陸空軍は供与兵器を大量に配備して即席ながらかなりの軍隊を編成していた。更にヨーロッパ共同体は正規軍を義勇軍名目で大量投入し、地上部隊・航空戦力を北イタリアに展開していた。アメリカ合衆国も航空支援と巨額の資金援助を行い、西側全体の威信をかけた支援体制を構築した。
東西両陣営共にある意味直接介入をしていたが、お互いに建前はイタリア王国とイタリア共和国による『代理戦争』であり、東西両陣営共に全面戦争は避けていた。だが代理戦争という割には規模は拡大していった。
四式重戦車を主力とする大日本帝国陸軍機甲師団を先頭にして北上を開始した大日本帝国陸軍とイタリア王国陸軍を、ディエゴガルシア島から飛来した戦略爆撃機富嶽改の大編隊が支援した。爆弾搭載量25トンを誇り、地上を地獄の業火に包みこんだ。
そして派生型として掃射機型が存在しておりこれは爆弾倉に100門もの20ミリ機関砲を密集搭載し、対地掃射攻撃に特化すると同時に、敵戦闘機の護衛任務も兼ねる多用途機であった。その掃射機型は低空飛行を行い、20ミリ機関砲の雨を降り注いだ。その為に北イタリア陸軍は大損害を受けて後退した。
勢いに駆って北上するイタリア王国陸軍と大日本帝国陸軍は、北イタリアのミラノにまで肉薄した。だがそこには北イタリア陸軍のみならず、ヨーロッパ共同体陸軍が義勇軍として展開していた。しかしその規模が尋常では無かった。ヨーロッパ共同体が義勇軍として投入した陸軍は、何と80個師団160万人に及んだのだ。
ヨーロッパ共同体はヨーロッパ全域を領有する事もあり、陸軍はある種『人海戦術』を掲げて師団数だけを増大させていた。その結果が80個師団160万人であった。数を優先した為に各師団は装甲車や軍用トラックを配備しただけの、歩兵師団であり自動車化歩兵師団では無く、大日本帝国陸軍のような機械化歩兵師団でさえも無かった。
師団の主力となる戦車は第二次世界大戦終結後に開発されたセンチュリオンだったが、師団がそもそも歩兵師団である為に戦車の数は少なかった。だがイタリア王国駐留の大日本帝国陸軍1個方面軍は6個師団(機械化歩兵師団4個、機甲師団2個)12万人であり、イタリア王国陸軍は30個師団60万人となり兵力差は圧倒的だった。
北上を続けていたイタリア王国陸軍と大日本帝国陸軍は、この人海の濁流に呑み込まれた。敵味方が入り乱れた市街地・山岳地帯での戦闘となったため、大日本帝国空軍と空母航空隊は誤爆を恐れて攻撃を控えざるを得なかった。
これにより情勢は一気に西側陣営優位へと逆転した。ヨーロッパ共同体義勇軍は怒涛の如く南下を開始し、イタリア半島の戦局は予断を許さない状況へと急変したのである。




