第六話「隠された罪」3 毒の正体
その夜、奥方様のお部屋で詳しい話を聞いた。
伯爵様と私が同席している。
「アーモンド水とアーモンドミルクは、名前が似ています」
奥方様は、説明した。
「昔は、容器も明確に分かれていませんでした」
「ラベルも、よく見ないと分からない」
「そのため、混同されることがあったのです」
「配達業者が、間違えることも?」
伯爵様が聞いた。
「ええ。それもあり得ます」
奥方様は頷いた。
「つまり、今回も事故の可能性が...」
「そうかもしれません」
でも、奥方様の表情は晴れなかった。
「でも...念のため、調べる必要があります」
「何を?」
「誰が、その瓶を台所に持ち込んだのか」
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翌日、トーマス様が調査に行った。
商店の家族に話を聞いてきた。
「新しく雇った料理人が、自分の道具を持ち込んでいたそうです」
トーマス様が報告した。
「料理人の名は?」
「コンラートと言うそうです」
「その者を呼べ」
伯爵様が命じた。
でも、トーマス様は困った顔をした。
「それが...もう、姿を消しているそうです」
「逃げたのか?」
「分かりません。事件の翌日、突然いなくなったと」
奥方様は、少し考えてから言った。
「過去を調べましょう」
「過去?」
「コンラートが、以前どこで働いていたか」
奥方様は続けた。
「もし、同じようなことが起きていたら...」
「事故ではなく、故意かもしれない」
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数日後、王都に手紙を送った。
コンラートという料理人について、調べてほしいと。
返事を待つ間、私は落ち着かなかった。
カップのことが、ずっと心に引っかかっていた。
(言わなきゃ...)
でも、言えない。
時間が経てば経つほど、言いにくくなっていった。
そして、ロッカーに隠された破片が、私を責めるようだった。
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一週間後、王都から返事が来た。
伯爵様が、手紙を読む。
その顔が、険しくなった。
「...なんということだ」
「何が書いてありますか?」
奥方様が聞いた。
「コンラートは、王都で二つの貴族屋敷に仕えていた」
伯爵様は、手紙を見つめた。
「そして、両方の屋敷で、原因不明の突然死があった」
私は、息を呑んだ。
「やはり...」
奥方様は、小さく呟いた。
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手紙には、詳しく書かれていた。
半年前、ある伯爵邸。
伯爵が突然死した。原因不明として処理された。
コンラートは、その後すぐに別の屋敷に移った。
三ヶ月前、男爵邸。
男爵の息子が突然死した。これも原因不明。
コンラートは、姿を消した。
そして、メーレスブルクに来た。
「三件も...」
伯爵様は、拳を握りしめた。
「間違いない。これは故意だ」
でも、奥方様は首を横に振った。
「いいえ。もしかしたら...」
「もしかしたら?」
「最初は、本当に事故だったのかもしれません」
奥方様は、窓の外を見た。
「配達業者の間違いで、化粧水のアーモンド水が台所に届いた」
「コンラートは、それをアーモンドミルクだと思って料理に使った」
「そして、誰かが死んだ」
奥方様は続けた。
「コンラートは、後で気づいたのでしょう」
「『まさか、あれが原因?』と」
私は、奥方様の話を聞きながら、胸が痛んだ。
(何かに気づいた時の恐怖...)
「でも、確信が持てなかった」
奥方様は、静かに言った。
「証拠もない。言えば、殺人者として裁かれる」
「だから...確かめようと思った」
伯爵様が、息を呑んだ。
「まさか...もう一度?」
「ええ。また同じことをした」
奥方様の声は、悲しそうだった。
「そして、また人が死んだ」
「その時、確信したのでしょう」
「本当に、自分が殺したのだと」
私は、震えた。
(最初は事故だった)
(でも、隠してしまった)
(そして、言えなかった)
私も、カップのことを隠している。
小さな嘘。
でも、このまま隠し続けたら...
私も、もっと大きな嘘をつくようになるのだろうか。
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「コンラートの行方を追え」
伯爵様が、命じた。
トーマス様と他の騎士たちが、捜索に出た。
数日後、コンラートはメーレスブルクの近くの森で見つかった。
小さな小屋に、隠れていた。
騎士たちが、城に連れてきた。
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コンラートは、三十代半ばくらいの男だった。
痩せていて、目の下に隈ができている。
まるで、何日も眠っていないような顔だった。
伯爵様の執務室に、連れてこられた。
私も、奥方様と一緒に同席していた。
コンラートは、うつむいていた。
「お前は、王都でも同じことをしたのか?」
伯爵様が、厳しい声で聞いた。
「...はい」
コンラートは、すぐに認めた。
まるで、それを待っていたかのように。
「なぜだ?」
「最初は...」
コンラートの声は、震えていた。
「最初は、事故でした」
彼は、ゆっくりと話し始めた。
「配達の間違いで、化粧水のアーモンド水が台所に来て」
「私は、それをアーモンドミルクだと思って...」
コンラートは、顔を覆った。
「そして、伯爵様が亡くなりました」
「後で気づいたのか?」
奥方様が、静かに聞いた。
「はい」
コンラートは、頷いた。
「瓶を見て、気づきました」
「『まさか、あれが?』と」
「でも、確信が持てなかった」
彼は、涙を流し始めた。
「証拠もない。言えば、殺人者として裁かれる」
「でも、もし違ったら...」
「だから...」
コンラートは、顔を上げた。
その目は、絶望に満ちていた。
「だから、確かめようと思いました」
「もう一度、同じことを?」
伯爵様が、信じられないという顔で聞いた。
「はい」
コンラートは、小さく頷いた。
「別の屋敷に移って、また同じことをしました」
「そして、また人が死にました」
「その時、分かりました」
「本当に、自分が殺したのだと」
私は、その告白を聞いて、震えが止まらなかった。
(隠すことは、こんなにも恐ろしい)
(最初は小さな嘘だった)
(でも、どんどん大きくなっていく)
「でも、もう言えなかった」
コンラートは、続けた。
「怖くて、逃げました」
「そして、ここに来て...」
彼は、奥方様を見た。
「でも、アーモンドミルクを使う料理をリクエストされて……」
「その時に思ったんです。いままでのが偶然で……」
「今度こそ誰も死なないと……」
コンラートの声は、絞り出すようだった。
「でも……違った……また、殺してしまった」
「誰かに、止めてほしかった」
そして、彼はテレジア奥方様に深く頭を下げた。
「見つけてくれて、ありがとうございます」
その言葉は、異様だった。
殺人者が、自分を捕らえた人に感謝している。
でも、私には分かった。
彼は、この重荷から解放されたかったのだ。
隠し続けることの苦しみから。
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「お前は、王都で裁かれる」
伯爵様が、言った。
「はい」
コンラートは、静かに頷いた。
もう、抵抗する気力もないようだった。
騎士たちが、彼を牢に連れて行った。
部屋に、私と奥方様と伯爵様だけが残った。
「悲しい事件だったな」
伯爵様が、呟いた。
「ええ」
奥方様も、悲しそうだった。
「最初は事故だった。でも、隠したことで、もっと大きな罪になった」
私は、その言葉を聞いて、胸が締め付けられた。
(私も...)
(このままでは...)
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コンラートが王都に護送されることになった。
数日後、騎士たちが彼を連れて出発した。
事件は、解決した。
でも、私の心は晴れなかった。
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その夜、私は奥方様のお部屋でいつものように仕事をしていた。
お茶を淋れる。
手が、震えた。
カップ(新しいもの)が、カタカタと音を立てた。
「アンナ、どうかしましたか?」
奥方様が、本から顔を上げた。
「...いえ」
私は、首を横に振った。
でも、手は震え続けた。
「そう」
奥方様は、また本に目を戻した。
沈黙。
私は、耐えられなくなった。
コンラートの顔が、頭に浮かぶ。
『見つけてくれて、ありがとう』
あの言葉が、耳に残っている。
隠し続けることの苦しみ。
それが、どれほど恐ろしいか。
私は、もう我慢できなかった。
「奥方様」
「はい」
「...お話ししたいことがあります」
奥方様は、本を閉じた。
私を、静かに見つめた。
「聞いていますわ」
私は、深呼吸した。
そして、言った。
「お気に入りのカップを...壊したのは、私です」
奥方様は、何も言わなかった。
ただ、静かに聞いていた。
「不注意で、落としてしまって」
涙が、溢れてきた。
「怖くて、言えませんでした」
「ロッカーに、隠していました」
私は、泣きながら続けた。
「本当に、申し訳ございません」
奥方様は、しばらく沈黙していた。
そして、静かに言った。
「知っていましたわ」
「...!」
私は、顔を上げた。
「カップがなくなった日、あなたの様子がおかしかった」
奥方様は、優しく微笑んだ。
「だから、気づきました」
「では、なぜ何も...」
「あなたが、自分で言うのを待っていました」
奥方様は、私を見つめた。
「隠し続けるか」
「それとも、告白する勇気を持つか」
「今日、あなたは正しい選択をしました」
私は、涙が止まらなかった。
でも、少しだけ、胸の重荷が軽くなった気がした。
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奥方様は、立ち上がった。
窓辺に行き、外を見た。
「でも、罰は必要です」
奥方様の声は、優しいけれど厳しかった。
「...はい」
私は、覚悟した。
「明日、札を持って厨房に行きなさい」
「札、ですか?」
「『私が奥方様のカップを壊しました』と書いた札を」
奥方様は、振り返った。
「そして、迷惑をかけた料理人や皿洗いの人たちに、謝りなさい」
私は、顔が青くなった。
(恥ずかしい...)
でも、頷いた。
「...かしこまりました」
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奥方様は、椅子に座った。
私に、優しく語りかけた。
「コンラートを見たでしょう?」
「はい」
「最初は、小さな隠し事だった」
奥方様は、説明した。
「でも、それがどんどん大きくなった」
「気づいた時には、もう戻れなくなっていた」
奥方様は、私を見つめた。
「あなたも、同じ道を歩むところでした」
「今、恥ずかしい思いをすることは辛いでしょう」
「でも、これは『小さな隠し事』で済んだ」
「もし放っておけば、もっと大きな嘘をつくようになる」
奥方様の声は、温かかった。
「だから、今のうちに学びなさい」
私は、深く頷いた。
涙が、止まらない。
でも、分かった。
(奥方様は、私のために...)
「ありがとうございます、奥方様」
私は、深く頭を下げた。
ここで描かれる「アーモンド水」は実際の中世欧州で使われた化粧水です。現在のアーモンドミルクとは、別のものでアーモンドミルクに毒性はありません。




