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メーレスブルクの秘録  作者: ヒロセカズヒ
街道の影
24/28

第六話「隠された罪」1 小さな嘘

 その日の午後、私はいつものように奥方様のお部屋で仕事をしていた。

 窓から差し込む陽の光が、部屋を明るく照らしている。春の穏やかな日だった。

 私は、テーブルを拭きながら、奥方様が読書をしている様子を見ていた。

 いつもの、平和な午後。

 そう思っていた。


---


 お茶の時間になった。

 私は、厨房から運んできたお茶を準備した。奥方様のお気に入りのカップを取る。

 手になじむ、と奥方様がいつも言っていたカップ。高価なものではないけれど、奥方様が特に気に入っている。

 私は、そのカップにお茶を注いだ。

 そして、テーブルに置こうとした時。

 肘が、カップに当たった。


 パリン。


 カップが、床に落ちて割れた。


「...!」

 私は、息を呑んだ。


 奥方様のお気に入りのカップ。

 割れて、床に散らばっている。

 幸い、奥方様は別の部屋にいた。まだ気づいていない。

 私は、慌てて破片を集めた。

 (どうしよう...)

 心臓が、激しく打っている。

 (言わなきゃ...)

 でも、怖かった。

 叱られる?

 がっかりされる?

 (...少しだけ、隠そう)

 そう思った。

 (後で...後で言おう)

 私は、破片をハンカチに包んだ。そして、エプロンのポケットに入れた。

 新しいカップを持ってきて、何事もなかったように、お茶を淋れ直した。


---


 その日の終わり。

 私は、自分のロッカーに破片を隠した。

 ハンカチに包まれたまま、ロッカーの奥に。

 (明日、言おう)

 そう思った。

 でも、次の日になっても、言えなかった。

 その次の日も。

 そして、数日が過ぎた。

 私は、毎日ロッカーを開けるたびに、あのハンカチを見た。

 そして、胸が痛んだ。

 (言わなきゃ...)

 でも、言えなかった。

 時間が経てば経つほど、言いにくくなっていった。


---


 カップを壊してから、もう数日が過ぎた。

 私は、毎朝奥方様のお茶を淋れている。でも、もう前のカップはない。

 代わりに、新しいカップを使っている。

 奥方様は、何も言わない。

 でも、私は知っている。

 奥方様は、気づいている。


---


 ある朝のこと。

 私が、いつものようにお茶を運んだ。


「おはようございます、奥方様」


「おはよう、アンナ」

 奥方様は、窓辺の椅子で本を読んでいた。


 私は、テーブルにお茶を置いた。


 奥方様が、カップを見る。

 新しいカップ。


 前のカップではない。

 奥方様は、何も言わなかった。

 でも、少しだけ寂しそうな顔をした。


 私は、胸が痛んだ。

(奥方様は...気づいている)


---


 その日の午後、厨房から料理長がやってきた。


「奥方様、申し訳ございません」

 料理長は、困った顔をしていた。


「どうなさいました?」

 奥方様が、本から顔を上げた。


「お気に入りのカップが、見つかりません」

 料理長は、深く頭を下げた。

「厨房で探しましたが、どこにも...」


「構いませんよ」

 奥方様は、穏やかに微笑んだ。


「新しいカップをご用意いたします」


「ありがとう」

 でも、奥方様は少し寂しそうに言った。

「前のカップが、好きだったのですけれど」


 料理長は、申し訳なさそうに退出した。


 私は、その様子を見ていた。

 胸が、締め付けられるように痛かった。

 (奥方様...)

 (私が壊したのです)

 (私が隠しているのです)

 でも、今更言えない。

 どうすればいいのか、分からなかった。


---


 その夜。

 城下町で、事件が起きた。

 私は、まだ知らなかった。

 これから起きることが、私にどんな影響を与えるのか。

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