第六話「隠された罪」1 小さな嘘
その日の午後、私はいつものように奥方様のお部屋で仕事をしていた。
窓から差し込む陽の光が、部屋を明るく照らしている。春の穏やかな日だった。
私は、テーブルを拭きながら、奥方様が読書をしている様子を見ていた。
いつもの、平和な午後。
そう思っていた。
---
お茶の時間になった。
私は、厨房から運んできたお茶を準備した。奥方様のお気に入りのカップを取る。
手になじむ、と奥方様がいつも言っていたカップ。高価なものではないけれど、奥方様が特に気に入っている。
私は、そのカップにお茶を注いだ。
そして、テーブルに置こうとした時。
肘が、カップに当たった。
パリン。
カップが、床に落ちて割れた。
「...!」
私は、息を呑んだ。
奥方様のお気に入りのカップ。
割れて、床に散らばっている。
幸い、奥方様は別の部屋にいた。まだ気づいていない。
私は、慌てて破片を集めた。
(どうしよう...)
心臓が、激しく打っている。
(言わなきゃ...)
でも、怖かった。
叱られる?
がっかりされる?
(...少しだけ、隠そう)
そう思った。
(後で...後で言おう)
私は、破片をハンカチに包んだ。そして、エプロンのポケットに入れた。
新しいカップを持ってきて、何事もなかったように、お茶を淋れ直した。
---
その日の終わり。
私は、自分のロッカーに破片を隠した。
ハンカチに包まれたまま、ロッカーの奥に。
(明日、言おう)
そう思った。
でも、次の日になっても、言えなかった。
その次の日も。
そして、数日が過ぎた。
私は、毎日ロッカーを開けるたびに、あのハンカチを見た。
そして、胸が痛んだ。
(言わなきゃ...)
でも、言えなかった。
時間が経てば経つほど、言いにくくなっていった。
---
カップを壊してから、もう数日が過ぎた。
私は、毎朝奥方様のお茶を淋れている。でも、もう前のカップはない。
代わりに、新しいカップを使っている。
奥方様は、何も言わない。
でも、私は知っている。
奥方様は、気づいている。
---
ある朝のこと。
私が、いつものようにお茶を運んだ。
「おはようございます、奥方様」
「おはよう、アンナ」
奥方様は、窓辺の椅子で本を読んでいた。
私は、テーブルにお茶を置いた。
奥方様が、カップを見る。
新しいカップ。
前のカップではない。
奥方様は、何も言わなかった。
でも、少しだけ寂しそうな顔をした。
私は、胸が痛んだ。
(奥方様は...気づいている)
---
その日の午後、厨房から料理長がやってきた。
「奥方様、申し訳ございません」
料理長は、困った顔をしていた。
「どうなさいました?」
奥方様が、本から顔を上げた。
「お気に入りのカップが、見つかりません」
料理長は、深く頭を下げた。
「厨房で探しましたが、どこにも...」
「構いませんよ」
奥方様は、穏やかに微笑んだ。
「新しいカップをご用意いたします」
「ありがとう」
でも、奥方様は少し寂しそうに言った。
「前のカップが、好きだったのですけれど」
料理長は、申し訳なさそうに退出した。
私は、その様子を見ていた。
胸が、締め付けられるように痛かった。
(奥方様...)
(私が壊したのです)
(私が隠しているのです)
でも、今更言えない。
どうすればいいのか、分からなかった。
---
その夜。
城下町で、事件が起きた。
私は、まだ知らなかった。
これから起きることが、私にどんな影響を与えるのか。




