第三話「東の国の剣」第二章 アンナの調査
城下町は、その日も賑やかだった。
市場では野菜や魚が並び、行き交う人々の声が飛び交う。港から吹いてくる潮風が、春の温かい空気と混じって、なんとも気持ちの良い朝だ。
私はその中を、いつもとは違う目で歩いていた。
普段、この道を歩く時は何も考えていない。お使いの帰りか、父の店への往来か。ただ歩いて、顔見知りに挨拶して、また歩く。それだけだ。
でも今日は違う。調べなければならないことがある。会わなければならない人がいる。
(お父様を守る)
その言葉が、胸の中で繰り返されていた。
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調査の一 商人ディートマールに会う
ディートマールの店は、市場から一本入った通りにあった。布地や雑貨を扱う中くらいの店で、看板に天秤の絵が描かれている。
中に入ると、四十がらみの恰幅の良い男が帳簿を広げていた。顎に短い髭を生やして、いかにも商売人という風貌だ。
「いらっしゃい」
「あの、私、ヨハン商会のアンナと申します。父がお世話になっておりまして」
ディートマールの顔がぱっと明るくなった。
「ああ、ヨハン殿の娘さんか!いやあ、あの剣は素晴らしい品だった。お父様もお喜びでしょう?」
「はい、とても。それで、あの剣についてお話を聞かせていただきたくて」
「もちろんですとも。何でも聞いてください」
私は椅子を勧められて腰を下ろし、さりげなく切り出した。
「あの剣なんですが、鞘がありませんでしたよね」
「ああ、それが残念でして。南の港から運んでくる途中に傷んでしまって。中身は完璧なんですがね」
「修理はしなかったのですか?」
「まあ、いろいろありまして」
ディートマールは軽く手を振った。どこか曖昧な答えだった。
「あの剣は、どちらで手に入れたのですか?」
「南の港で、東方からやってきた商人から譲ってもらいました」
「その方のお名前は?」
「えーと...長い名前で、なかなか覚えられなくて。外国の方でしたので」
覚えられない。私は内心首を傾げた。商売で取引をする相手の名前を覚えていないというのは、少し変ではないか。
「いつ頃のことですか?」
「二ヶ月ほど前でしたか...いや、三ヶ月前だったかもしれません」
またも曖昧な答えだった。
「この地に来てから、剣に手を入れたりしましたか?修理とか」
「ええ、少し手を入れました。地元の職人に」
「どんな方ですか?」
ここでディートマールが少し間を置いた。
「ハンス・ミュラーという鍛冶職人です。ただ、刀身には一切手をつけていません。鞘の部分だけです」
「鞘が傷んだのに、新しく作り直さなかったのですか?」
「まあ...急いでいたこともありまして」
私は表情を変えず、笑顔で頷いた。でも心の中では、違和感がじわじわと積み重なっていた。出所があやふやで、相手の名前も覚えていない。鞘が傷んだのに修理していない。なぜ急いでいたのか。
店を出て、私は次の場所へ向かった。
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調査の二 ハンス・ミュラーとはどんな人物か
ミュラーという名前について調べるには、同じ職人仲間に聞くのが早い。私は市場に戻り、刃物を扱う店に入った。
「すみません。ハンス・ミュラーという鍛冶職人をご存知ですか?」
店主の中年の男は、眉を上げた。
「ミュラー?知ってるよ。なんで?」
「知り合いから名前を聞いて、どんな人か気になって」
「腕は確かだよ、あの人は。ただ...変わった人でもある」
「どういう風に?」
「模造品作りの名人なんだ」
「模造品...」
「ああ。古い武器や、貴族の紋章なんかを、本物そっくりに作る。腕前は本物以上という人もいるくらいでね。ただ、それを本物として売るようなことは絶対にしない。そういう職人だ」
「本物として売らない?」
「必ず自分の名前を入れるんだ。分かりやすい場所に、はっきりと。そうすることで、誰でも『ああ、ミュラーの模造品だ』と分かるようにする。自分が作った偽物が、本物として売られることを嫌っているんだそうだ」
「どこに名前を入れるのですか?」
「鞘とか、柄とか。とにかく見える場所だな。アルファベットで『HANS MUELLER』って彫るそうだよ」
私は聞きながら、胸の中で何かが組み合わさっていくのを感じた。
ミュラーは正直な職人だ。模造品を作るが、必ず自分の名前を見える場所に入れる。
そして、あの剣には鞘がない。
「鞘に名前を入れるなら...」
「そう、鞘がなければ分からない。でも、ミュラーは念入りな人でもある。念のため、他の場所にも入れることがあると聞くな。念には念を入れるタイプだから」
私は礼を言って店を出た。
頭の中で、考えが転がり始めていた。
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調査の三 鞘職人に聞いてみる
城下町には鞘を専門に作る職人が二人いる。私は両方の工房を訪ねた。
「ディートマールという商人から、鞘の修理を頼まれませんでしたか?東の国の剣の鞘なのですが」
一人目は首を横に振った。
「そんな依頼は来ていないな」
二人目も同じだった。
「東の国の剣の鞘?そんな変わった依頼は覚えてないよ。来ていれば必ず覚えているはずだけど」
私は工房を出て、一人路地に立った。
(鞘が傷んだのに、修理を依頼した職人がいない)
つまり、鞘は修理されていない。新しく作られてもいない。では、どこへ行ったのか。
(捨てられた?)
なぜ捨てるのか。
(ミュラーの名前が、鞘に刻まれていたから)
だとすれば。あの剣は。
私は踵を返し、急ぎ足で城に向かった。
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夜、奥方様のお部屋に報告に行った。
三日分の調査を、できる限り丁寧に話した。ディートマールの曖昧な答え、ミュラーが模造品作りの名人であること、必ず自分の名前を見える場所に刻むこと、そして鞘職人たちが誰も修理の依頼を受けていないこと。
奥方様は一言も口を挟まず、じっと聞いていた。
「よく調べましたわね、アンナ」
話し終えると、奥方様は静かに言った。
「やはり...あれは偽物です」
「お父様は...!」
「お父様は騙されているだけ。悪くありません」
奥方様の言葉は穏やかだったが、確信に満ちていた。
「でも、このまま取引が成立したら、お父様は...」
「ええ、止めなければなりません。取引の当日、その場で証明しましょう」
「どうやって?」
奥方様は少し考えてから言った。
「ミュラーが念入りな職人なら、鞘だけでなく他の場所にも銘を入れているかもしれません。例えば...茎に」
「茎...柄を外さないと見えない場所ですね」
「そうです。お預かりしている本に、茎の図解がありました。もし銘が刻まれていれば、それが決定的な証拠になります」
奥方様はギュンター伯爵様に話してくれることになった。取引の当日、その場で証明する。ギュンター様が場を仕切り、私が調査の内容を報告する。奥方様は、人前に出られない。
「私は...外に出られませんから」
奥方様は静かに言った。
「あなたが、私の代わりに」
「はい」
私は深く頷いた。
「お父様を、守ります。必ず」
お部屋を出て廊下を歩きながら、私は自分の心の変化に気づいた。怖い、という気持ちはある。でも、それより大きなものがある。
(私がやらなければ、誰もやらない)
守られるだけでは、駄目なのだ。
自分で動かなければ、大切な人は守れない。




