第47話★ 神をも殺す獣
虚幌須市は、双成町天衝椿地区。
オフィスビルが立ち並ぶ、裏――欲望の渦巻く歓楽街は、地元住民から「バキバキ通り」と呼ばれ避けられつつも、親しまれていた。
18時半。
よく晴れた夜闇の中で、トリニティとセーメンティスはいちど熱い抱擁を交わした。
彼らの頭上から祝福するように、あるいはロマンチストめと冷やかすように、白々しい月光が降り注いでくる。
「いったん帰ろうぜ」
トリニティの言葉。
それに耳を傾け、ゆっくりセーメンティスがうなずく。
今さらだがセーメンティスは冬場と思えぬ軽装であり、触れると氷のように冷たかった。
彼に、トリニティは急いで自身の着ているジャケットを着せ、常備している手袋をつけさせる。
「汗臭い」
「お前のせいだお前の……とりあえず、ネットカフェでアルウゥスと合り――」
トリニティは不自然に言葉を切った。
何事かとセーメンティスは思い、トリニティの視線の先をたどる。
それは小川に渡した橋の、欄干の上。
月明かりがたよりという夜の景色でも、ハッキリ視認しうる発色いい黄緑色をした巨大なナニかが立っている。
ダッ!
突如全力疾走する影!
トリニティたちに向かってくる。
逃げる間も与えられず、影は前方10メートルほどの場所まで接近してきた。
「マ・ラ……」
「はあ? あれが?」
衝撃的事実に、トリニティは耳を疑う。
唐突なせりふにはある程度抵抗がついてきたと自負していたが……。
セーメンティスの発言はあまりに予想外だった。
巨大なナニかは背筋をピンと伸ばし、2本の後脚で仁王立ちする。
――ナニかとは巨大カエル。
それはまさしく、トリニティがずっと追い続けていたマ・ラの姿。
体長は2メートル超、首元の鳴嚢らしき器官が二股にパンパンに膨れ上がり、また下っ腹もでっぷり太っている。
しかし最も驚くべきはマ・ラの摩羅。
30センチもある立派な白色の棒がそそり立っていた。
「まさか……あいつ、化石骨をなんつうところにッ!」
マ・ラは自身の摩羅を守るため、貝釣大学から強奪したかの化石骨を、摩羅袋にしているのだ!
トリニティは怒り心頭に発する。
巨大カエルの蛮行は、厘月町民ひいては虚幌須市民の文化を、誇りを冒涜するものに他ならない!
憤怒の感情を身にまとうトリニティをよそに、マ・ラは湿った足音を立ててこちらに歩み寄る。
ついに、前方5メートルほどまで迫ってきた。
「セーメンティス……?」
袋詰めにされたような、ひどくくぐもった、加えて金属の振動音にも似た耳障りな声が呼ぶ。
マ・ラのものだ。
マ・ラに名を呼ばれたセーメンティスは、トリニティから表情が見えないようにし、すぐに、血みどろ汗みどろの彼の背に隠れてしまった。
「そう、であるか……」
まったくカエルでしかない黄緑の面構えは、それでどのような気持ちを受け取ったのだろうか?
人間にはわかるはずもない。
一拍を置くとついにマ・ラは、トリニティの前に「後継生物の主」たる威光を示したのだ。
「――愚かなる人間よ……ワガハイを待たせるとは、見上げた勇者マラな! あるいは、ワガハイに恐れをなした軟弱者マラか?」
「なッ、んだその取ってつけたような語尾と口調はよお!」
「ええい、どちらでもよいマラ。ワガハイが出向いたからには、貴様の命運もこれまでと心得よ!」
トリニティは怒りとも呆れとも言い切れない感情から吠えた。
実際、後継生物の親玉の名が「マ・ラ」と知れた、かなり前の時点から、当然そのカリスマについて疑問視していた。
とはいえ、種々の後継生物と渡り合い、彼らの存在はトリニティの中で確実に重要なものへと変わっていったはずだ。
その行き着く先が「コイツ」でいいのか……?
トリニティは、過去の自身に憑依された感覚がし、めまいを来した。
「まあ……探し物に足が生えて自分からやって来たと思えば、余計な手間が省けてラッキーか」
「何を勘違いしておマラ? ワガハイは踏み潰しに来たのマラ……愚劣な『因果』をな。セーメンティス! どうせこの人間には、機が熟すまで言わぬつもりだったのであろマラ?」
「何の話だ。セーメンティス?」
マ・ラの意味深長な物言いの矢印が向いた、セーメンティスへ。
トリニティは気軽に呼びかけた。
すると彼の思い描いた、お澄まし顔のセーメンティスはどこにもいなかった。
まさにセーメンティスは、瞳孔を縮め、いかにも脆弱そうなおびえた子どもの顔をしているのだ。
「時に、人間よ。ワガハイの崇高なる力は、いかにして行使するものか存じておマラか?」
「マジカルパウアーのことか? ……知ってるぜ、イヤってほど聞かされてな。キャンティマん中で『無頭症』が起きると、それが脳にある睾丸力に伝わって、力を使えるようになるんだろ。ホントなんつう話だ」
トリニティは素直に答えてみせる。
マ・ラは鳴嚢を収縮させる。
愉快な音を鳴らした。
「いかにマラ。しかし、愚かな貴様は力の神髄をわかっておらぬマラ。力の神髄……それはキャンティマではなく、『無頭症』から生じる伝達物質マラ!」
「ああ、何が言いたいッ?」
「ゲヒェヒェ。貴様ら人間がおのずから法で縛るように、キャンティマを頼ることは力に軛をつけるがごとき愚行マラ。……もっとも、キャンティマの造精能を超えて、伝達物質を給することができうるのマラ、力はこの宇宙をも支配するものとなるはずマラ!」
「だから何の話だつってんだろ!」
「こたび、ワガハイは力の軛を解き放つッ! ワガハイとメルケースしか知らぬこの術で、人間を……地球をワガハイのものとするマラああッ!!」
カエルの奇声。
そして、不意打ちの号令だった。
「遣れ、ミセ・ヤリッ!」
「なにッ――」
マ・ラの思惑通り、あわてて背後の気配に振り返ったトリニティ。
彼を、強烈な頭突きが襲う!
吹き飛ばされるトリニティ!
地面に這いつくばり、見上げた先には、3メートルをも超す巨大ウマの勇猛らしい姿。
ミセ・ヤリ。
トリニティが厘月いんせき公園で交戦したものの逃げられ、行方知れずとなっていた後継生物の1体。
「ヒヒィィン! 悪いな、兄弟……オレサマの安寧のため、犠牲になってくれ」
ミセ・ヤリは音もなく、すでにセーメンティスの後方で構えており、一瞬の隙に――彼が髪につけている白いオタマジャクシの髪飾りへと噛みついた。
「いやッ!」
気がついたセーメンティスはウマ面を手で払おうとする。
しかしミセ・ヤリは「おっと!」と、含み笑いをして軽々手をかわす。
その流れでからだをピンクに発光させると、マジカルパウアー「触ったもののサイズを変える力」により、セーメンティスの髪飾りの左1つを巨大風船とばかりに大きくした!
髪飾りは元の大きさではわかりづらかったが、内部をナゾの液体が満たしている。
カチッ――と、機械音。
髪飾りからだろうか。
直後、液体はみるみる嵩を減らしていく。
時を同じしくてセーメンティスはかつてない激しい発光に全身を包まれ、雷鳴と泣き叫んだ。
「あああああ――ッ!! 痛い、痛いッ、ああッあぁ! いやああああッッ!」
もはやセーメンティスの発光は、夜闇を照らす太陽というまばゆさで、双成町に輝いた。
ミセ・ヤリから頭突きされ、軽い脳揺れに苦しむトリニティはじょじょに、腹部の広域に違和感を覚える。
冬の寒さを押して服をまくり上げると、肉色のカサブタがうごめいている。
「何がッ、起きて――ぐ、う、くっそ痛えな……まさかこれ、腹の中からかッ?」
激痛が腹部に腰部、胸の下まで広がる。
ゆっくり、激痛が膨張感によるものと思い知らされる。
ブチッ――。
水気のある重い音。
音がした場所にあらわれた、それは、触手だ。
どす黒い、あらゆる光を吸い込もうとする闇の色をした触手。
タコの脚さながらの柔軟さと、ウニやナマコといった棘皮動物に似たツヤをもち、蠢動をしている。
どこから湧いてきた触手だろう?
――と、たどった先には膨れ上がった腹部を穿たれ、中から触手が飛び出したトリニティの姿がッ!
触手は絶え間なく、まだまだ這い出してくる!
「目覚めよ、神の仔よ、『界物種』よッ!」
マ・ラの召喚に応じようと、いっきに大きな闇の塊が産まれる。
闇には、顔と胴、腕がある。
「産まれる」と言っても、その言葉の正しい解釈通り、メスの産道から出てくるのではなかった。
トリニティの腹、肉色の皮ふを突き破って。
トリニティを脱皮殻のごとく打ち棄てる。
惨劇の終わりには、トリニティから剥離した平らな臓器――胎盤と思われるものも、大地へと投棄されていた。




