第46話★ 家族(ファミリア)の条件
虚幌須市は、妊婦の下腹部にあたる双成町。
東に辺園生川本流。
西に第二みもみじ商店街と、歓楽街・バキバキ通り。
そして中央には市内最大級の鉄道駅・清栗駅を有する。
混沌とした町だ。
1月も半ばに差しかかった晴天のこの日、何と言うこともない一夜が、トリニティにとってかつてない山場となる!
◆
18時15分。
清栗駅近くのしょぼくれた某インターネットカフェにて。
「セーメンティス。久しぶりだな」
トリニティは格好つけて言う。
正面には異質な子どもの姿――黒みがかった赤褐色の肌をし、また暗い色の髪には、オタマジャクシを模した白い髪飾りが2つ、ツインテールのようにぶら下がる。
宇宙人型後継生物、セーメンティスはそのような姿だから、トリニティが見間違えるはずもなかった。
「ッ、騙された!」
それが感動の再会とはならず、元来た廊下へ逃げ出すセーメンティス。
予想の範疇だ。
トリニティはすくっと立ち上がり小さな背中を追いかける。
「があッ! な、んだよこれ!」
トリニティがボックスルームを出ると卒然、腹部から全身へ網目模様の皮膜が広がり、自分自身を捕らえてしまった!
セルフ投網という構図。
見ると、皮膜がピンクに発光している。
「ハハ、よかった、戦わなくて……どうやら鬼ごっこがご所望みたいだな、ガキんちょ!」
みずからの網に包まれながら虚勢を張るトリニティ。
これを脱出しないことには、鬼から脱却することもできそうにない。
網は指で簡単にちぎれそうだが、摘まむと痛みが走る。
それはトリニティの身体組織の延長だからだ。
舌裏にある舌小帯を自身で切らねばならない状況を考えると、トリニティの心境がわかる。
わかるが……考えている時間が惜しい!
トリニティは歯を食いしばり、一息に網を引き裂いた!
「だああぁ!」
苦痛を勇気に変えんとする声。
鶏マスクと首の隙間から脂汗がほとばしる。
血が滴る。
トリニティは自身を覆うジャマな自身の組織を次々引きちぎり、解放した足で即座に走り出す。
2階の階段から飛び降り、1階フロントまで駆けつける。
受付に顔を向けると従業員は、さっと手で屋外を指し示してくれる。
事前の打ち合わせが功を奏した。
(足でならセーメンティスに勝てる……けどどこに逃げる? いや、どこでもいい追い続けろ!)
走れ!
しばらくセーメンティスの姿は見つからず、その後を追っているのかもわからない。
ただ東はあり得ない、辺園生川を隔てた先は農村地域だからだ。
信じて西へ走れ、トリニティ!
「おットリニティじゃん。なんで走ってんのーッ!」
「よくわからんけど頑張れー」
ほの暗い中、清栗駅の前を通り過ぎるとき、そんな声がたくさん聞こえた気がする。
幻聴だろうか。
今は幻聴でもいい。
それが間違いなくトリニティの足を速くする。
「――見えたッ!!」
思わず叫ぶ。
信じた先にセーメンティスを発見。
見るに、従来ぽっちゃりした体型のはずだがシルエットはクモのごとくシャープに変貌し、住宅やビルの上を跳躍している。
つい先ほどトリニティを苦しめた網同様、セーメンティスはマジカルパウアー「遺伝子を操れる力」で身体組織の構造やふるまいを操作し、逃亡を補助しているというのだ。
「だああああ! ジモト舐めんなよッ、宇宙人がああッ!」
トリニティは走ることしかできない。
叫んでも何でもいいから走れ!
第二みもみじ商店街に差しかかる。
またセーメンティスを見失う。
だが、西に向かったことで勝機があると信じられた。
西には元より、マ・ラの棲処があると睨んだ数々の「怪しい」場所がある。
それに、一度目にした巨大ヒツジを写した2枚の写真――心残りから見返したとき、どちらにも辺園生川水系の小川があることに気づいた。
(マ・ラの棲処に逃げ込むつもりだな! 上等だッ!)
「トリニティー!」
火災からの修復作業真っ只中の商店街大路から、いくつか呼ぶ声がしてきた。
声を背に浴びる。
トリニティの足はやはり少しずつ速度を落としていくが、絶対に止めない!
ついに道奥に川の水面とビジネス街があらわれる。
開けた場所に出る。
天衝椿地区のビル景と水景の一体となったおかしな景色。
……すると見覚えある、小柄で尻デカぽっちゃりボディのさまよう背中が。
「いた! おーいッ、セーメンティス! そこで止まれえッ!」
バカなのか。バカなのだろう。
トリニティが叫びながら走って近づくと、一瞬振り返った背中はすぐにその場から離れる。
何かを探していたのか?
ともかく、歓楽街・バキバキ通りの方へ入っていった。
けれども悪いことばかりではない。
小路の多いバキバキ通りであれば、マジカルパウアーをもたないトリニティでも土地勘を働かせられる。
トリニティも小川の橋を渡り、迷わずバキバキ通りに入る。
足は小回りの利く中速度にし、セーメンティスを探す。
数分が過ぎる。
トリニティはとある小路の手前でついに足を止めた!
「――んで、なんで! ここも、開いてない、のッ!」
セーメンティスは怒りの感情をむき出しにし、ビルの施錠された裏口を叩いている。
背後から靴とアスファルトとの摩擦音を鳴らしトリニティが近寄る。
セーメンティスは勢い振り返った。
「もう、いいだろ? まだぁ、遊び足りないか、ハ……?」
ギリギリ発言の体裁を保っているが、トリニティは息も絶え絶えの状態だ。
それを知ってか知らずかまたセーメンティスは駆け出して、小路の奥を突っ切る。
横向きのフェンス。
先は川だ。
「……ハハ。すげえな、まだ逃げようとするとはな。元気そうでよかった」
「何、それ。セーの、こと、バカにしてる?」
日没後の夜闇の中でも、セーメンティスの肌色はいっそう暗く、目元はより黒く、声に覇気がない。
川の水面は外灯の光を受けて発光して見え、それがさらにセーメンティスの存在の強さを際立たせる。
「してねえよ、ただ嬉しいだけだ。けど、おかしいよな……お前は俺に、力は家族のために使うって言ったよな? 俺を足止めするとき、逃げるとき……関係ない人間相手に、整形っつってマジカルパウアーを使ってたのもそうだ! お前は誰のために力を使った?」
トリニティが訊ねても、セーメンティスから回答は得られない。
仏頂面はまっすぐ向けてくる。
「なんでマ・ラのためって答えねえ……じゃあマ・ラはお前の何なんだよ」
「マ・ラは、セーを理解して、くれる。でも、家族じゃない。セーは、マ・ラ守る、でもマ・ラは、セー守る、しない。理解するだけ。セーが、マ・ラの後継生物ってだけ」
セーメンティスが訥々としゃべる。
なぜかその発言を聞いたトリニティは胸の奥が痛み、血まみれの右手を胸にあてがった。
「じゃあ、俺がこれからマ・ラの『自由』を奪ってやると言ったら、お前はどうするッ?」
「……絶対に、止める」
トリニティは恐ろしい低い声で言い放ったが、それはセーメンティスにもわかるほど芝居臭さを帯びていた。
だからこそ、セーメンティスの返事は嘘をつく余地もなくシンプルなものとなる。
短い返事を聞いたトリニティは――。
少しの沈黙を経て、なぜか場違いな少しの笑い声を上げた。
「そうか……ハハ! やっとわかった。悪い。俺が間違……いや、悪かったんだ」
「なに……」
「あのとき、俺はお前に『仲間』になってくれ、って言ったよな。『家族』じゃなくて。それはお前を理解してるって、守るって格好をした拒絶だったんだ」
苦しい。
これを言ってしまえば、セーメンティスを傷つけかねない。
……それでも言うんだ。
「俺もマ・ラも、お前の力を知ってるやつはみんな、お前のことが『怖い』と思ってる。その気になればいつでも俺を殺せる、生き物に生まれた時点で俺はお前には勝てない。それが怖い。だから、俺の本能が、セーメンティスの仲間になれって命じたんだよ」
「意味が、わからない」
「ああ、俺もわからなくなってきた。けどさ、やっぱ嘘じゃねえんだよ……セーメンティスが、『家族になって』って言ってくれたのが、嬉しかったのは。俺にそんなこと言ってくれたのは、お前とオヤジだけだった」
「……それは」
「言ったよな、俺は『トリニティ』になって、みんなと家族になったって。だがそれは誰かに、直接頼んだわけじゃない。頼まれてもいねえ。だってセーメンティスの理屈に照らせばそりゃ『お前を守る、お前も守れ』って言ってることになるんだろ。簡単には言えねえよ」
トリニティの粗雑な表現は、無理やりにでもセーメンティスの理解をうながした。
「俺は勝手にみんなを守りたい、守ってくれなんて思わねえ。……けど俺は弱い。だから守るための力をアルウゥスにもらって、それで人間も後継生物もッ全部の命を守るって決めた。そんな関係をアルウゥスは『仲間』っつって……セーメンティスは『家族』っつってるんだと思うんだ」
トリニティは断言する。
続けざまに、純粋に、心が望む言葉を口にする。
「セーメンティス、俺の『家族』になってくれ。一緒にいてほしい」
トリニティは胸に当てていた右手を離しセーメンティスへと差し出した。
「……セーは、初めて。『家族』になって、言われた、の。トリニティの、気持ち、わかった」
「おい、気持ちは遺伝子じゃないから、いらないんじゃなかったか?」
「いらないも、気持ちだった」
「じゃあ今はどんな気持ちだ?」
茶化すようにトリニティが訊ねる。
セーメンティスはつり目の目尻をしぼり、肩を震わせる。
「さびし、かった……」
もう押しころさなくていいんだという感情。
しゃくり上げ、涙が流れる。
それは生理現象ではなく、自身が泣いているのだと自覚させられる恥ずかしさ、重さ。
トリニティはそれらを受け止めるようとする。
セーメンティスに了承も得ず両腕で、小さなからだをがばっと抱きしめる。
それほど長い時間ではないが、2人で抱きしめ合う。
やがて北風が吹いてくる。
トリニティは腕を離そうとするが、セーメンティスの腕がそれを阻んだ。
「ちゅー、する?」
「色々台無しなこと言うなよ……ハハ。まあいいか。いったん帰ろうぜ」
トリニティの言葉に耳を傾け、ゆっくりセーメンティスがうなずいた。




