第34話 『いじめと正義』
霧散する姫川を見送って、立花はよくやっと膝を付く。
張り詰めていた緊張の糸が解けていき、何度も大きく呼吸する。
そんな立花の下へと、阿久津が駆けていく。
「大丈夫ですか!! ……立花さん!!」
未だにジワリと赤い血で服を汚していく立花に駆け寄って、立花の無事を確かめる。
「やっぱり、……こんなに血が!! 早く病院へ行かないと!!」
焦る阿久津。
しかしそんな阿久津を立花は手で制す。
「問題ない、もう治癒は始めてる。……本当に、応急処置にも満たない回復速度ではあるけどね」
「え? ……治癒? 回復速度?? で、でもいつまでもそのままって訳には……」
「大丈夫。私は、痛覚も遮断出来るから」
「痛覚を!? ……って事はもしかして」
痛覚をずっと遮断したままで、今まで戦っていたという事か?
初めの時点から、おかしいとは思っていた。
あれだけの傷を負い、あれだけの血を流したにも関わらず、こうしてここまでやって来て、あまつさえ戦闘など本当に出来るのか? ……そんな思いを抱いていた。
しかしそれでも、あまりにも何も無い様に振舞って、傷を負っているとも思えない動きから……もしかしたら本当に大丈夫なのかもしれないと、そんな風にも考えた。
立花の意思を汲み取って、どこか楽観的な希望的観測を持っていた。
だが、そうではなかったのだと思い知る。
世の中には、“無痛無汗症”という病を患う人達がいると聞く。
それは読んで字のごとく。痛みを感じず汗もかかないという病らしい。
どうしてそんな事が起こるのか?
それは痛みや温度を感じとる為の神経、温痛覚が無い事が原因であるのだが、どうしてそんな事になるのかというメカニズムは詳細に分かってない。
しかしそれによって引き起こされる問題は言うまでもないだろう。
傷を負ってもその痛みを感じない。
血が出ても、その場所が分からない。
打撲や骨折などにも気が付かない。
暑さ寒さといった気温の変化どころか、熱い冷たいといった事も分からない。
それと同じ様なことだろう。
人間の痛覚。
それは言わば、人間の身体が危険を知らせる信号だ。
人間は痛みを感じとる事により、命の危機を察知する。
“痛い”という事は、そのままでいる事が危険なのだと身体が教えているからだ。
それをあえて遮断する。感じ取らない様にするという事はつまり、そういった身体の危険信号を、命の危機を察知出来なくなるという事に他ならない。
そんな痛みを感じない状態で言う「大丈夫」が、信じられるはずがない。
今の立花であるのなら、後数分で死ぬかもしれないという身体の変化にさえ気が付けない。
「それでいい訳ないじゃないですか!? 安静にしてください!!」
「今は無理、ここはまだ敵の陣地だよ」
心配する阿久津をよそに、立花は辺りを警戒する。
開いた傷口を手で押さえ、なるべく出血を抑える様に対処する。
「……でも、」
「それよりも、さっきは助かった。ありがとう」
「え?」
「そのメガネで見てくれていたんでしょ? おかげで影人を斃す事が出来たから」
立花はそう言って、阿久津がかけているメガネに目を向けた。
黒縁のメガネ。それは立花から借りていたアイテムだ。
“影耐性”を持っている人間が、“影耐性”を持たない人間と同様の世界を見る為の物である。
立花と姫川の戦闘。
それを間近で見ていた阿久津が、自分にも何か出来ないかと考えてとった行動。
それが、このメガネをかけてみる事だった。
初めの内はこれといったものは確認出来なかった。
確かに立花が言っていた様にメガネのレンズを通して見た景色では、影の動きを視認する事が出来ない様だった。
しかしかといって、何か立花の助けになるような情報を得るには至らなかった。
だが、それでも阿久津に出来るような事も他に無く……何か少しでも得られるものがあれば良い。という一心で戦いを見続けた。
その結果が、功を奏した。
戦いが終盤に差し掛かり、姫川が影の球体を浮遊させた辺りから段々と見えてきたものがあったのだ。
それは浮遊する影の球体をメガネのレンズ越しで見た時とそうでない時で、浮遊するビーズの位置に重なるようにして影の球体があるものと、影の球体しか無いものの二種類がある事に気が付いた。
立花を苦しめている物は、何故か爆発を起こすビーズにある。
そしてそんなビーズがあるものとそうでない球体の存在を見て取って、阿久津は一つの答えに行き着いた。
影の球体の全てが爆発するのだと。
そういう風に立花を騙そうとしていると。
阿久津にはすぐに分かった。
だから阿久津は機会を待った。
決定的な瞬間を。
立花が勝てる瞬間を、ずっとずっと待っていた。
機会はそれからすぐに訪れた。
ビーズの数が減っていき、ビーズの入っていない影の球体が増え続け……。
その全ての球体が、立花を包囲した時だった。
立花の前方。
正面にある影の球体に、ビーズが無い事を見て取った。
……それからの事は知っての通りだ。
阿久津がそれを伝え、立花がそれに答えた。
ただそれだけの事だった。
「いえ……そんな」
立花からのお礼を受け取って、阿久津は言葉を詰まらせた。
単純に役に立てた事。それ自体は喜ばしい事である。
しかしそれはそれとして、心配なのはまた事実。
阿久津が心配している事は、立花にも伝わっているのだろう。
しかしそれでも、立花はあえてその話題から話を逸らした。
それはつまり、立花にとっては現状あまり触れてほしくない話題だという事だ。
「……、」
心配そうな視線を送り、それでもそれ以上は踏み込まない。
立花の戦闘は終了した。……にも関わらず未だに“猫の面”を被ったままという事は、立花は今尚戦闘態勢だという事でもあるのだろう。
ここはまだ敵の陣地。
それは立花が言った事。
そして、それについては阿久津も同意見。
油断が許せる状況はまだ先だ。
立花がゆっくりと立ち上がる。
ふらふらした足取りで、しかし警戒の姿勢は崩さない。
「このまま下の階に降りてみよう。もしかすると私の仲間達がまだ戦ってるかもしれない」
「……その傷でまだ戦うんですか!?」
「うん。それが私の仕事だから」
…… ……
影人を殺す事。
人に戻すことなく屠り去る。
糧にする。そんな覚悟を持った真城の動きは早かった。
向かい来る影の巨人を真っ向から迎え撃つ。
白く発光する右拳を振り回し、打ち下ろし、押し付けて巨人の身体を崩してく。
そして、そこから飛び散って個々に分離した影人達も迷いなく右拳で斃してく。
圧倒的なものだった。
覚悟を決めて突き進む真城に、ものの十分もしない間に影の巨人は一方的に崩れ去る。
“フェイズ5”の影人が次々と霧散する。
鴨平もただ見ていた訳じゃない。
必死に抗い、操作して、真城を殺す事に尽力する。
が、それでも好転しなかった。
真城の行動が全て先を行っていた。
生体電気を操作する。
“フェイズ5”を呼び寄せる。
それら二つの能力は、どちらも駒となる存在が不可欠だ。
操り、呼び寄せる駒が多いほど、その真価を発揮する。
だがそれは、逆を言えば“駒が無ければ役に立たない”能力だ。
ただ純粋に自身を強化出来るものではない。
使役出来る駒が無い場合、“影操作”を除くなら……鴨平は無能力者と同等と言ってもいいだろう。
“戦う相手”という駒さえも使役可能な生体電気操作能力も、真城が相手では意味が無い。
影の身体を射出して、仮にそれが真城に当たっても、その直後には……能力が起動するより早く真城の“力”で消えていく。
結果、真城の身体を操れない。
影を媒介して発動させる能力や、影の身体を持った影人に、真城の能力といった存在は天敵以外の何ものでもない訳だ。
何かしら対抗出来る手段が無いのなら、全てを封殺されかねない。
「……こ、これほどか」
鴨平はようやっと思い知る。
“黒点”や“黒鉄”が危険視し、警戒していたその意味を。
「こんな……、はずでは……」
完全に侮った。
“影狩り”が相手なら一般人をけしかければ問題ない。
真城晴輝が相手なら、救えない“フェイズ5”をけしかければ問題ない。
自身だって救える可能性の無い“フェイズ4”。
それら全ての条件を網羅し動かせる鴨平であるのなら、真城晴輝も敵ではない。
真城晴輝を一方的に殺す事が可能だろう。……そう思ったのがそもそもの間違いであったのだ。
この偽善者は止まらない。
助ける。助けたいとほざきつつ、助ける事が出来ない人間を速攻で切り捨てて殺す事も厭わずにつき進む。
真城という人間が掲げる正義の名の下に……。
影の巨人。
その鎧が剥がれ落ち、鴨平が露出する。
そんな鴨平に向かって真城が一気に接敵する。
光る拳を握り締め、そうしてそれを振り下ろす。
それだけの事だった。
それだけで決着する。
蓋を開けて見れば呆気ないものだった。
真城と鴨平の戦いが、こうしてようやく終結する。
……
社長室には二つの影が残っていた。
一つは戦いに勝利しその場に立つ真城晴輝。
そしてもう一つは、社長の机にもたれ掛かる様にして倒れ伏す鴨平であった。
鴨平は既に戦意を喪失し、薄れゆく意識の中で崩れ行く身体をただ見つめていた。
そんな鴨平を見下ろして、真城も考えに耽っていた。
結局、今回も“フェイズ4”となった人間を救う事は出来なかった。
覚悟はしていた。しかしそれでも、何かしら得られるものはあると思っていた。
が、それも無かった。
何も、感じなかった。
真城は眉を寄せて右手を見つめる。
この“力”で出来る事。それをもう一度思い出す。
“灰”は真城が欲した“影に取り込まれた人間を救う手立て”。“影と本体とを分離する力”を真城の影と取りかえた。
もしもその“灰”の言葉に嘘偽りが無いのなら、“フェイズ4”だろうが“フェイズ5”だろうが関係無く、影に取り込まれた人間を救う力があるはずだ。
まさかあの時、真城が助けたかった親友が“フェイズ3”だったから、“フェイズ3”までしか救えない。……なんて詐欺まがいな事では無いはずだ。
“灰”の言葉が事実なら。
この“力”にはそのポテンシャルがあるはずだ。
であるのなら、やはり真城の努力不足によるものか?
この“力”本来の能力を引き出せるだけの技術がただ真城に無いだけか?
“力”を100%で振るう事にも才能は必要か?
それとも努力で補える箇所なのか?
分からない。
分からない分からない分からない。
やり方が違うのか。
何かを真城が見落としているだけなのか。
それは今の真城では無理なのか。
“フェイズ3”。
“フェイズ4”。
“フェイズ5”。
それら影人に“力”を当ててみて、何か違いは無かったか?
何か変化は無かったか?
思い出せ。
感覚を研ぎ澄ませ。
この犠牲を、決して無駄にしない為。
記憶を何度も遡り、何かヒントは無いのかと頭を必死にこねくり回す。
そんな時だった。
「いじめってのは、楽しいよな? ……お前もそう思うだろ?」
険しい顔をする真城に向かって、鴨平がそんな事を呟いた。
二人しかいない空間だ。その声はしっかりと真城の耳にも届いてきた。
真城は思考を中断し、
「お前と一緒にするな」
と言い放つ。
何が『いじめは楽しい』だ。
真城はそんな事、露程も思わない。
同意を求められたとて、真城にそんな意思は無い。
しかしそれでも。
真城の返答を尚聞いて、鴨平は不敵に微笑んだ。
まるで笑いを堪えられずに吹きだした様にも見て取れた。
「……何がおかしい?」
尚も笑い続ける鴨平を睨みつけ、真城は怒気を含めた声で問いかける。
鴨平の返答は、すぐにあった。
「一緒だよ。人間ってのは面白いな。悪意で人を傷つける事には抵抗があっても、それが善意から来るものであるならば……人を傷つけることが出来ちまうってんだからよぉ。自分が正義の側に立っている。その思い込み一つで人間の意識なんてものは、理性なんてものは、破綻する。”悪いことをした奴は叱っていい”、”間違った行いをした奴は罰していい”、”集団行動を乱すような奴は排除する”……”危険な存在を認めない”。なぁ、お前さぁ……誰に乗せられて勘違いしてるのか知らないが、お前の信じるその正義とやらも端から見ればただの悪と変わらねぇのさ。いじめられる側にも問題があるから、影人は悪い者だから。……そう言って振るう暴力が、精神攻撃が。”ヒーロー”の、”影狩り”の行いと何が違う!? お前は俺達”影人”をいじめにいじめ抜いて死に追いやっているだけの、――ただの加害者でしかなんだぜ??」
「――ッ!!!?」
「つまりお前は俺と同類ってな訳だ!! 傑作だ!! お笑い草だなぁ、おい!! ハッハッハッ!!!!」
いじめとは、加害者側が全面的に悪い行いだ。
それは被害者に何らかの落ち度があろうが関係無い。
例えどんな事情、要因、言い分があろうとも、いじめに該当する行為を行った時点で、“その行為をした”という事については否定されなければならないからだ。
それは……“ヒーロー”であっても同じ事。
例え悪党がどんな行いで人々を苦しめていようとも、命の危機にさらされていようとも、その悪を裁くという目的で “暴力を振るった”時点でそれは許されない行いだ。
決して許容し、容認してはならない問題だ。
悪を裁く事。暴力を振るう事。それらは別々の問題だ。
「…………、」
言葉を詰まらせる真城。
しかしそんな真城の答えを待たずして、鴨平の身体が霧散する。
ボロボロと崩れ去り、その形を無くしてく。
~ ~ ~ ~ ~
弱者が憎らしかった。
弱いくせに、のうのうと生きている弱者が憎らしくてしょうがなかった。
なぜこんな奴らが存在するのか。
なぜ排斥されずに残っているのか、それが不思議でならなかった。
だが、初めの俺はそんな考えではなかった。
影人として誕生した瞬間の俺は寧ろ強者にイラついて、攻撃した。
弱者を虐げる強者達を徹底的に貶めて、弱者を食いものにする強者共を手懐けて遊んでいた。
強者を支配し弄ぶ全能感に酔っていた。
しかしそれが飽きてきた。
飽きてきた。と理解した途端に、弱者という存在が目障りに見えてきた。
弱者とは、これほどまでに鬱陶しいものなのか……と思う様になっていた。
気が弱い。
いつもオドオドしている。
話かければいつもどもる。
要領が悪い。
ネガティブに考える。
何かあっても言い返さない。
人より優れているモノも無いくせに。
妬む事は一人前。
気味が悪い。気色悪い。
そういう人間を見ているとイライラする。腹が立つ。
無性に殴りたくなってくる。
生まれてきた事を、生きている事を、後悔させてやりたくなる。
殺してしまいたくなってくる。
見ているだけで。
近くにいるだけで反吐が出る。
腸が煮えくり返る。
激情が、抑えられなくなってくる。
弱者とは虐げられて当然の存在だ。
強者が弱者を踏みにじるのは当たり前。
弱い奴ら、馬鹿な奴らが悪いのだ。
これこそが自然の摂理。自然淘汰なのである。
……そう考える様になっていた。
弱者という存在が許せない。
そんな奴らを排撃して否定する。
それこそが自身の存在意義であり、行動原理と成り果てた。
……そう言えば。
弱者に感じる不快感。
過剰にイラつかせるその原因。
そうなってしまった理由は、一体何であったのか?
記憶を少し遡る。
その昔。
鴨平という男は、よくあるいじめにあっていた。
根暗だなんだと揶揄されて、金をせびられ従わなければ暴力を振るわれた。
鴨平は抵抗しなかった。
抵抗が、出来なかった。
それは鴨平が、圧倒的に弱かったからだった。
鴨平はその昔、鴨平が思う弱者という存在であったのだ。
気が弱く、オドオドし、会話はいつもどもっている。
そんな奴であったから、いじめの標的に選ばれてしまっていたのだろう。
何かあっても言い返さない。
そんな鴨平の行動が、不良達の行いを助長させていたに違いない。
“こいつなら何を言ってもいい”、“何をやっても許される”。
そう思われていたのだろう。
要領が悪く、すぐにネガティブに考える。
“自分はダメな奴なんだ”とそう言って、周りの空気をダメにする。
動きが遅く、何度も失敗を繰り返し、周りの足を引っ張ってチームワークを阻害する。
そのくせ、他人を妬む気持ちは一人前。
人より優れているモノも無いくせに出来ない自分を棚に上げ、出来る奴の嫌味や文句ばかりを募らせる。
これではいじめられても仕方がない。
そう思ってしまえる程に、鴨平は弱者だったのだ。
自分が弱者だった。
自身が元々、いじめてやりたいと思う者だった。
では何故、そう切り替わってしまったか?
自分が弱者であるのなら、そんな弱者を貶める不良をターゲットにするべきだ。
復讐を、するべきだ。
……いや、確かに初めはそうだった。
鴨平はいじめのストレスを募らせて“影人化”。
そうして今の影人、鴨平が誕生した。
影人である鴨平は、自分をいじめた不良達を執拗に攻撃し、復讐を成し遂げた。
自分をいじめた連中だけでは飽き足らず、街で好き勝手する不良共さえも攻撃し、恐怖で支配した後“波嵐卍進”などという組織を立ち上げた。
全ては自分をいじめた不良共をいじめぬき、鴨平が好き勝手に虐待する為の人間遊びの場であったはずなのだ。
それがどうして、弱者を虐げる目的に変化した?
“黒点”に言われたから。というのも確かにある。
“影人工場”を作るなら、いじめられる弱者を利用するのが最も効率的なやり方だ。
だがしかし、それはそれ。
それだけでは、鴨平自身が好んで弱者を害する理由は生まれない。
自分の事だから分かる。
鴨平は、“影人工場”化という目的よりも、弱者を害する事に快感を得ていたからである。
“影人工場”化などというものは、単なる理由付けにしか過ぎない。
本当はただ弱者を害していたかった。
弱者を害して否定して、喜びたかっただけなのだ。
では何故?
……どうして、俺は?
~ ~ ~ ~ ~
これは余談話だが、ある心理学の言葉には“シャドー”と呼ばれるものがあるらしい。
それは“心の暗部”とも言われ、人間が自分自身から排除、拒絶、隠蔽した自らの側面。意識から排除され、無意識に追いやった要素であるとされている。
『抑圧された無意識』
『無意識の中にある否定されるもの』
それが、“影”と名付けられたものの正体だ。
例えば“強い人間”に憧れる。“強い人間”になろうとした場合を考える。
もしも自身が“そう”ありたいと願うなら、自分の中にある“強い人間”とは程遠い、弱い部分や脆い部分といったものは邪魔になる。
そういった部分も含めて“自分”であるにも関わらず、そういった部分から目を逸らし、心の奥底に押し込める。
そういった部分を“無いもの”として扱って、無理やり“強い人間”というものを形成する。
だが、そうしたままの“歪さ”は、逆に自身の心を擦り減らす。
かくありたい。そう願う存在と自身の齟齬が大きければ大きい程、無意識に心にかかる負担が増えていく。
人間には“心の防衛機制”と呼べる機能が存在する。
それは受け入れがたい、耐えがたい現実や場面に晒された時に自身の心を守る為のものだとされている。
防衛機制には様々な種類が存在する。
人間はそれら防衛機制の中から状況に応じて、或いはその人間が一番やり易い方法を選択し、“受け入れがたい、耐えがたい現実や場面”への対処を試みる訳だ。
そして防衛機制が起こるのは、何も“受け入れがたい、耐えがたい現実や場面”に直面した時のみとは限らない。
自分の心の中に押し込めた……“影”に対しても機能する。
心の負荷、“歪さ”から自分を守る為に……自身が押し込めた“認めたくない邪魔な部分”に対して防衛機制を用いた発散・消化を試みる。
これは例えばの話だが、防衛機制の一つである“投影”を使用した場合であるならば、自身の持つ“影”を“自分”ではなく“他者”が感じているモノとして認識を歪める事になる。
“この人が嫌いだ”。
そう思っている自分を受け入れたくない。自分が相手を嫌っているなんて思いたくない。
そんな時に“投影”は行われ、“認めたくない邪魔な部分”を相手へと押し付ける。
“自分が相手を嫌い”なのではなく“相手は自分を嫌っているのだ”と認識を歪めて対処する。
そうする事で、“自分が嫌っている訳ではない”。“相手が嫌っているのだから仕方がない”。“自分が悪い訳ではない”。“相手が悪いだけなのだ”と……そうやって心の安定化を図るのだ。
人間は思っているよりも潔癖な生き物だ。
自分の中の醜い部分。それと向き合うという事は中々出来るものじゃないのである。
そして。
心の防衛機制には、“投影同一化”と言われるものもある。
“それ”が起こる状況というのは様々あるのだろうが……。
過去にいじめられた経験のある者が翻って、執拗にいじめを行う場合には“これ”が該当する可能性が高いだろう。
いじめを受けていた。
そういった“思い出したくもない過去の記憶”を切り離し、忘れようと努力する。
受け入れがたい、“認めたくない邪魔な部分”として心の奥底へと押し込める。
しかしそうした行為は心のストレスを生み、例え切り離して表面上は忘れられていたとしても、漠然とした不快感を心に残し続ける事になる。
こうした過去の記憶からくる漠然とした不快感を持つ者がそれを払拭しうる機会を手にした時、“投影同一化”は機能する。
“痛めつけられた惨めな自己”を他者へと“投影”し、また、“過去に自身を痛めつけた加害者”と自分を“同一化”する事で、過去に自分がされた事と同じ行為を他者に向けて実行する。
そして“投影”した他者を痛めつけ、今の自分が加害者側である事を強く認識する事で……ようやっと“過去の惨めな自分”を払拭し、“認めたくない邪魔な部分”……“いじめられて傷ついた記憶”を補修して癒された様な気分になる訳だ。
他者をいじめて害する事で、過去の自分の記憶・体験を浄化する。
それが心の安定化を図る為の、心を癒す為の処置なのだ。
~ ~ ~ ~ ~
鴨平の中で何かが大きく合致する。
ランダムに散らばっていると思っていた点と点。
それが意味のあるものへと変化する。点と点が結ばれる。
(あぁ……そうか)
鴨平は一人、納得する。
鴨平が抱いていた弱者への不快感。
過剰にイラついてしまうその原因。
それは……。
気が弱い。
いつもオドオドしている。
話かければいつもどもる。
要領が悪い。
ネガティブに考える。
何かあっても言い返さない。
人より優れているモノも無いくせに。
妬む事は一人前。
そんな弱者を見ていると、過去の自分を思い出すからだ。
嫌で嫌で仕方なく、無意識に他人へと“投影”していた弱い部分。脆い部分が嫌でも見えてくるからだ。
鴨平自身を苛立たせていたその原因。
その正体は……、
(俺が否定したかったのは、――俺自身だったのか)
鴨平の身体が空気に溶ける。
完全に霧散して消えていく。
鴨平が消えるその刹那。
虚ろな瞳が目に止めた光景があった。
それは、鴨平が影の巨人で破壊した社長室の壁。
そのひび割れた隙間からチラリと見えた、真城に助けられた不良達だった。
鴨平が人間であった頃。
鴨平はいじめを受け入れた。
それは自分が、抵抗も出来ない程の弱者であったから。
鴨平は受け入れた。
しかしそれでも、ずっと誰かの助けを待っていた。
誰かに助けて欲しかった。
いつまで経っても、自分には助けが来なかった。
それなのに、お前は加害者の肩を持つ。
どれだけ待っても来なかった救いの手。
それが、こいつらにはもたらされるのか?
こいつらは助けられるのか?
そんなの不公平ではないか。
被害者を救い。
加害者も助け。
あまつさえ影人となった人間さえも救済したい。
そう願うような人間が。真城晴輝が。
どうして……自分の時にはいなかった?
お前がいてくれたのなら鴨平も……もしかしたら。
……
それは鴨平と名乗る影人であったのか。
或いは鴨平本人であったのかは分からない。
しかし鴨平は光を失った虚ろな瞳で、うわ言の様に呟いた。
「どうして、俺を……助けてくれなかったんだ」
「……ッッ!!!?」
真城は、その鴨平の最期の言葉を耳にする。
しかしその言葉が届いた時には既に、鴨平は消滅した後だった。
塵一つ残さずに、完全に消失した後だった。
…… ……
“波嵐卍進”のアジト。
その廃ビルに近づく、一つの影があった。
それは男性。
しかし“黒鉄”ではない人物だ。
その人物は廃ビルへと到着して早々、顔を顰めた。
目の前には惨憺たる光景が広がっていたからだ。
「久々に来てみれば、……敵襲か?」
玄関口周りに群がって倒れている不良達。
死んではいないものの、その全員が眠っている異様さは当然自然現象で起こるものではない。
何か人為的な要因によってこうなったと見るべきだ。
考えられる理由として思い浮かぶのは、“影狩り”が来た事だ。
ここ“波嵐卍進”のアジトには、影人のみならず一般人の不良達も大勢いる。
そんな一般人の不良達を血も流さずに昏睡させられる奴らともなれば、それぐらいに絞られる。
大方、“睡眠ガス弾”でも使われたのだろう。
“影狩り”は一般人がいる場所で無暗に能力を扱えない。
故に奴らは、このアジトの様に一般人が多くいる場所では“睡眠ガス弾”を使用する。
ここは人通りのある場所からは少し離れた所にある。
こうやって多少不自然に人が大勢寝ていても、騒ぎにはならないと踏んだのか。
「……それにしても、アイツらがこの場所を突き止められるとはねぇ。或いはわざと招いたか」
どちらにしても、男性の知る人物。
この場所を取り仕切る鴨平や大谷、姫川がそうそう取るとも思えない選択だ。
そうなると、
「アイツらがそう選択せざるを得ない、或いはそうしたくなる何かがあったのか。……まぁどちらにしろ自分の目で確かめるのが一番か」
男性が見上げた廃ビルに残る気配。
その気配から、見知らぬ雰囲気を感じ取る。
「……もう全員、やられちまったか」
そんな事をぼやきつつ、男性は廃ビルに足を踏み入れた。
「ちょっくら、弔い合戦でもしてくるか」




