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カゲビト  作者: 永眠布団
第三章 新たな任務

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第13話 『“侵食率”』



 “アイ”の暴走。

 AI事件から一夜明け……。


 真城は私室で目を覚ました。

 昨日はとくにあれ以降する事もなく、また変に復旧の邪魔をしないようにと私室に籠って時間を潰した。

 もしかすると神崎から連絡でもあるかと思い、専用端末には常に意識を向けていたのだが……連絡が来ることもなく。

 夜になり、一応は復旧したらしい食堂で飯を食べ、大浴場で汗を流し、就寝した。


 身体を起こして端末を確認する。

 バイトを辞めたとはいっても、まだ何となく早起きする習慣が残っている為だろう。

 端末の画面にはAM7時と表示されていた。


 特にすることも無いので二度寝を決め込むか、或いは朝風呂でもしに行くか。

 そんな二択を思い浮かべながら目を擦り、……端末に一通のメールが来ていることに気が付いた。


「――ん、ぁ?」


 メールの内容を確認する。

 差出人は神崎拓富。その内容は今後の『“力”の運用について』説明する、といったものだった。


 つまりは、昨日出来ていなかった本題について語ろう、という旨のものである。


 メールを更に確認すると時間はAM9~12時頃と書かれており、それくらいには仕事が一段落するから、真城の都合で好きな時に執務室へ来てほしいとのことだった。


 真城は軽く頬を叩いて意識をはっきりさせると、立ち上がる。

 指定された時間まで、少なくとも後2時間。

 そういうことなら、大浴場で完全に目を覚まし、その後に食堂で朝飯を取ればまぁ良い時間にもなるだろう。


 そうと決まれば行動に移そうか。

 今日からまた、“影狩り”としての生活が始まるわけなのだ。



…… ……



 時は過ぎ、時刻が9時になった頃。

 真城は執務室の戸を叩いていた。


 数度のノックの後、中から九条の返事が聞こえると数秒とかからずに執務室の扉が開かれた。


「お早いお着きですね。真城さん」


「はい。……早すぎたでしょうか?」


「いえいえ、お気になさらず。神崎さんももう少しで一段落といったところでしたので」


 お入りください。

 そう九条に言われ、部屋の中へと通される。


「……うわぁ」


 部屋に入った直後のこと。

 真城の第一声がそれだった。


 真城の視界に飛び込んできた光景。

 それは、視界の大半を埋め尽くさんばかりのドローンの残骸と山のように積まれた資料の束だったからだ。


 おまけに、その中心に居座る神崎は生きているのかいないのか。

 目元には遠くからでもハッキリと分かる程に黒々としたクマが出来ており、手は動かしているものの焦点が合っていない。

 瞳のハイライトは消え失せて、まるで虚空でも覗き込んだかのような闇の空間が目に宿る。


 まず間違いなく徹夜での作業だったのだろう。

 たった一日徹夜しただけとは思えない変貌に、流石の真城も息を呑む。



「…………終わった」


 突如、神崎の身体がガクンとグラつく。

 そして、糸の切れた操り人形のように力無く、そのまま机に突っ伏した。

 部屋にやってきた真城にも、どうやら気付いてないようだ。


「ちょうど終わったようですね」


 そう言って九条が神崎の下へ近づくと肩を揺する。


「神崎さん、真城さんが来ましたよ」


「……うーん、後5分。……5分だけ」


「何をバカなこと言ってるんですか。とっとと起きて動いて下さい。早くしないとチョップしますよ? それはもう全力で」


「……うぅ……ん」


 少しして神崎は、唸り声と共にユラリと重い頭を持ち上げる。

 見るからに寝不足。

 見るからに憔悴しきった顔立ちは変わらない。


「……何なら時間をずらしましょうか? 一時間ほど」


 流石に可哀想になったので、真城は予定の変更を提案する。

 せめて一時間。

 たとえ一時間であったとて、神崎に仮眠をとらせれば少しはマシになるだろう。

 しかし、


「いえいえ、お構いなく。こんなのはただの自業自得ですので」


 そう言ってニッコリと微笑んで。


「ほら起きてください!! 疲れてるのが神崎さんだけだと思うなよ、オラァ!!」


「――ゴフッ!??」


 九条は思いっ切り全力で、チョップを振り下ろした。




 どうやら九条さんも、今回かなりご立腹のようである。



…… ……



「さてと、見苦しいところを見せたね」


 コホン、と一つ咳払い。

 神崎はスッキリとした顔で机に向かって腰掛ける。

 両肘を机に置くと、顔の前で両手を組む。


 あの後、顔を洗いサプリメントをかっこんでコーヒーを一杯飲み干した結果だろう。

 随分な変わりようである。

 気持ちのオンオフを切り替えるのが上手いらしい。


「昨日の事件で故障したドローンの修理を全て押し付けられてしまってね。予定通りに戦闘訓練用のロボットを後回しにして、警備ロボットとドローンの修理と並行して進めていたんだけれど……どうにも数が多くてね。修理しても修理しても終わりが見えない。苦労したよ、全く」


 夜の死闘を思い出し、神崎は『ふぅ』と短く溜息を吐く。

 それに対して、神崎の後ろに控えた九条が、


「だから自業自得ですって」


「…………、」


 とこれまた小さく溜息を吐いて見せた。

 神崎が何か言いたそうな雰囲気を漂わせつつも無言を貫き、視線を再び真城に向けた。

 ここで、コホンともう一度咳払い。

 場の空気をリセットすると、


「君を呼んだのは他でもない」


 と、そういって本題を切り出した。



……


…… ……



 話の内容は、“真城の能力の運用について”であった。

 そこまでは当然、真城も知っている。

 重要なのはその後の内容だ。


 話を要約する。

 それは簡潔に述べるなら……。


 真城が今後の任務中、影人と戦闘する際には“力”を使っていい。という許可が下りた事。

 そして、それに対しての本部や他戦闘員の対応について。であった。


 問題となっていたのは当然、真城の“力”が一つしかないこと。

 それにより、他戦闘員が影人を斃せる状況下においても斃せない。といった点である。


 が、その点においては“真城が救える状況なら救っていい”事と“真城がいない状況なら今まで通り斃してしまってよい”といったも処置がとられる事となったらしい。


 真城としては、全ての人間を救いたいし、出来る事なら真城が来るまで待っていてほしいところではあるのだが……その“待っている間”に逃げられる。或いは被害を拡大させてしまう。といったことは流石の真城も良くはないし、無視できない。


 “影狩り”の意識改革が終わっていない段階で無理やり事を成そうとして、再び暴動などの問題が起こるなら、とりあえずは“力”の使用許可が下りたという事だけでも良しとしよう。


 影人を斃す事。

 それにより、影人に乗っ取られた人間を救えない事。

 しかし、それでも“影狩り”によって助けられてきた命は確実にあるのだ。


 今は良い。

 今まで通り“フェイズ3”以上の影人は救えないものだと割り切って、他戦闘員には動いてもらう事にしよう。

 しかしそれがいつになるかは分からないが、いずれは意識改革を促して、いずれは“フェイズ3”以上の影人でも助けられるようにして行こう。


 今はまだ、その為の第一歩。

 それが出来たのだから喜ぼう。

 

 

「……ふぃい」


 話を終えた神崎が一息つく。

 頭の後ろをポリポリ掻いて、九条が持って来てくれたコーヒーに口を付ける。


「いやぁ、大変だったよ。“過激派”の人達を説得するだけならまだしも、政府の人間にあれこれと説明して許可を貰うのは……。今までだって散々『秘匿しよう』だの『現状維持だ』何だのと話をはぐらかされてばかりで、一向に話が進まなかったからねぇ」


 “力”の運用について。

 政府の人間達とのやりとり、苦い出来事を思い出しながら、それでも現状の“上手くいった結果”を噛みしめ微笑んで、


「僕の立場から言えたことでも無いのだけれどね。真城君が初任務で“力”を使ってくれたことが結果としていい方向に働いた。礼を言う……訳にはいかないんだけれども、それでもあの時の判断は良いものだった。おかげでお上を丸め込むのに一役買った」


「……あはは」


 真城の例の行動について言われ、真城としては目線を逸らす。一応は。


 結果だけ言えば確かにいい判断ではあったのだろう。

 しかしそれは、あくまでも“結果だけ”を見たものだ。

 約束事を破って自己判断で行動し、本部に迷惑をかけたという事実が覆るわけではない。


 真城もあの行動を反省していないし、するつもりもない。

 同じ状況下になったから、何度だって同じ行動を取るだろう。

 が、それはそれとして。

 真城がここで『どういたしまして』と言ってしまうのはお門違いだ。


 そこはちゃんと、態度だけでも反省の色を出しておかねば、懲戒処分を受けた意味も無いだろう。

 結果として、真城は乾いた笑いで誤魔化す他、選択肢が浮かばない。



「真城君の“力”。それが“影世界”では使えない、というある種のデメリットも一応では役に立ったことになる。おかげで僕としてもネックだった“能力完全使用”の規定から例外的に外される事も決定した。まぁそれでも特例というだけで、周囲に一般人がいない状況でのみ使用可能といった制約は、当然あるんだけれどね」


 “能力完全使用”。

 それは“影狩り”本部が定めた戦闘時の規約。

 “地上において扱える能力の一部、武器を制限する”といった処置である。


 何らかのリミッターの様なもので強制されている訳ではない。あくまでも口約束事。

 しかし規約を破る能力使用が発覚した場合は、本部からの厳しい処罰が下ることになっている事柄だ。


 秘密結社故に表世界、地上に公表出来ないものは様々だ。

 そしてそれは、影人という存在と“戦っている”という事でさえも含まれる。


 地上での戦闘がメインの『戦闘部隊』。

 真城も所属するその部隊が、明らかな“武器”の類を持てないのはその為だ。

 日本では“銃砲刀剣類所持等取締法”、いわゆる“銃刀法”という法の下、様々な武器類・工具類が正当な理由無しに所持出来ない、といった取り決めを破らない為のもの。


 影人との戦闘に必要なのだから正当な理由はあるだろう。という、そんな理屈は通らない。

 何より、“影狩り”は国の管轄ではあるものの表には顔を出さない裏組織。

 国の上層部が知っていたとして、それを末端者……つまりは街中を徘徊する警察官程度では知り得ない情報だ。そしてそれを教えるつもりも当然無い。

 故に、こちらも隠密をする訳だ。


 そして。

 それは“武器”のみにとどまらない。

 “能力”も、それに含まれる。


 “能力”。

 それは主に影人達が使用する不可思議な力の総称だ。

 が、稀にそういった“能力”を“影狩り”の人間が宿す事もあるらしい。


 真城がすぐに思い浮かべられるものと言えば……。

 一ノ瀬の“念話(テレパシー)”と、桜井の電撃くらいのものだがまあ兎に角。

 そういった“力”にまで使用の制限を設ける、というのが“能力完全使用”の規約なのだ。


 使用が制限されない異能力。

 まずその筆頭が“影操作”。

 そもそもこの能力が無ければ影人に対抗出来ないという理由もあるが、この“影操作”は例え能力で影を操っていたとしても、“影耐性”を持たない一般人の目でその変化を捉えることが出来ないという大きな利点である故だ。


 この能力が基本。

 それ以外の能力は、各々で制限されるか否かが変化する。

 その判断で重要なのは、先で述べた通り“一般の目に触れない事”である。

 

 人々の目を引いてしまう様な派手な異能。

 いわゆる攻撃系統の能力はほぼ例外なく、“能力完全使用”の規約に引っ掛かる。


 一ノ瀬と桜井の能力でいうのなら。

 一ノ瀬の“念話(テレパシー)”は目で見えないのでセーフ。

 但し、一般人にそれで話しかければアウト。


 桜井の電撃は言わずもがな。アウトとなる。


 そしてそんな判断基準の中。

 今回許可が下りたのが、真城の“力”となる。


 能力使用中、右手が発行する点で言えばそれだけで人目に触れるのでアウトだが、“影世界”での使用がほぼ出来ず、それどころか強制的に“影世界”から吐き出されてしまう点と、その能力の特異性……出来ることを鑑みて、特例での許可が下りた。

 と、そういったわけなのだ。



「まぁ……それでもお上の説得は色々と面倒で、そういった諸々の疲れから現実逃避。気分転換に“アイ”のボディを作った結果、今回の騒動に繋がってしまった訳なんだけれどもね。ハッハッハ」


「……笑い事じゃないですからね?」


 開き直って笑う神崎とそれを見て再び溜息を吐く九条。

 

 神崎が問題を起こし、九条が胃と頭を痛める構図。

 何と言うか、どこまで行ってもこの二人の関係性が変わることはなさそうだ。


 南無、南無。



……


…… ……



「さて、と。話も終わったところだし」


 そう言って、神崎が立ち上がる。


「真城君を呼んだ理由、実はもう一つあってね。この後、医療所で健康診断をしてもらいたいんだよ。ほら、月で一回やる決まりのやつ。懲戒処分で真城君が休んでいる期間中に他の皆は終えてしまっているから、真城君一人だけってことになるんだけども」


「あぁ、はい。分かりました」


 言われて真城も思い出す。

 そう言えば、健康診断というものがあるんだったか。

 確かに真城は、“影狩り”に所属したものの、健康診断を受けていない。


 月一の健康診断。

 それは“影狩り”に所属する人間が必ずしなければならないと決められたものである。


 “影狩り”で行われるもの。

 それは、本来するべき健康診断の内容とは少し違う。

 というよりも、項目が他よりもいくつか多いのだ。


 増えている項目。

 それは、“影結晶”が及ぼす人体への影響を確かめる為のものである。


 “影結晶”。

 それは“影世界”に漂う、いわば“影エネルギー”が凝縮し結晶化したものだ。


 現在、日本を陰から脅かす事態。“影人化”。影が自我を持つ現象。

 その原因が、日本の“ある地点”を中心として展開してしまっている“影世界”。そしてその“影世界”からあふれ出した“影エネルギー”だというのだから、そのエネルギーが凝縮した“影結晶”がいかに危険な代物であるかは分かるだろう。


 一般人が触れればただでは済まない代物。

 そして、それは“影耐性”を持った“影狩り”職員であったとしても、危険を伴う代物だ。


 そんなデメリットを受け入れて影人と戦うことを良しとはしていても、出来るだけ危険は避けたいものである。

 デメリット。その前兆を見定めて、“影結晶”の使用を制限する。

 その為の診断でもあった。



「それじゃあ、ちょっと行ってくる」


 神崎は九条に一言告げると、真城を連れて一目散に部屋を出る。

 九条の『え、神崎さんも一緒に行くんですか!?』といった反応にも答えずにそそくさと、我先にといった風体で。



「真城君は健康診断、初めてだろう。僕が案内しよう!!」


 そう言って振り向いた神崎の顔は、――――どこかとても穏やかなものだった。




 ……そんなに九条の目から逃れたかったのか。



…… ……



 目的地の医療所は第十階層目に存在する。

 それは、真城が先程いた執務室と同じ階。

 とはいえ本部自体が大きく、一口に同じ階とはいっても多少の時間はかかってしまう。


 真城と神崎。

 二人でゆっくりと歩いていく道中のこと。

 軽く辺りを見渡して人がいない事を確認し、真城はある質問を切り出した。



 それは、“アイ”の暴走中。

 真城が不本意ながら“たどり着いた場所”についてのものだった。


「あの……神崎さん。少し聞きたい事があるんですが、いいですか?」


「んん? どうしたんだい、改まって」


「いえ、あの……“アイ”の“巨大ロボット”と戦った時のことなんですが……」


 牢獄の部屋。

 あの奇妙な空間と、その中に隔離された人型の何かについて。

 それを見てしまった事を神崎へと打ち明けた。


「――――あの部屋は、一体……なんの……部屋なんですか?」


 人がいないことを確認した理由。

 それはこの事が、本部の人間にどれだけ浸透している事柄なのか。

 それが分からなかった為である。

 そして、その懸念は……神崎の反応を確認し、半分以上は当たっていたものと理解する。


「…………、」


 真城の言葉を聞いて、神崎は驚きの表情を見せた。

 次いで、


「……そうか、あの部屋を見てしまったんだね」


 と、気まずそうに呟いた。

 どうしたものか、と数秒の思考を有したらしい神崎ではあったものの、しかし次第にその状況に納得し、コクリと小さく頷いた。


「なら、丁度よかったかな」


 と神崎は答えると、真城を見据えてその説明をし始める。


「えーっと、そうだなぁ。まずは何から話そうか……」


 神崎は自身のこめかみをコツコツと数度小突き、


「真城君は覚えているかな。真城君がこの本部に来て最初に僕が説明した事、……“影結晶”のデメリットについて」


「はい、覚えてます」


「簡潔に言うのなら、あそこに隔離されている人達は皆そのデメリットに侵されてしまった人達なんだよ。……言っただろ? この本部に所属する者達は全員が“影耐性”に目覚めた者で構成されている。そしてそのおかげで “影結晶”を扱うことが出来ている。……しかし『”影耐性“があれば安心、というわけでもない。あくまでも”なりにくい“というだけの話。使い続ければ我々“影狩り”であってもいずれ……』といった話をね。一度“影人化”を起こして助かった被害者達、いわゆる“影無し”は“唯一の例外を除いて”もう二度と“影人化”を起こさない。が、その“唯一の例外”というのがまさにコレに分類される。……つまりは“影エネルギー”の過剰摂取。或いは“影結晶”のデメリットによる“影人化”こそが唯一にして絶対、逃れることの出来ない我々の末路って訳なのさ」


 肩をすくめて、神崎はそう言い切った。

 そして、


「疑問には思わなかったかい? おかしいとは感じなかったかい? “影結晶”によるデメリットが“影人化”であるのなら、“影人化”を起こした後、その影を斃してしまえば良いのではないか、と。一度“影人化”を起こして斃された影は“影無し”となる。しかし、そうなることで二度と“影人化”を起こさないというのなら、“影結晶”のデメリットなど無いも同然なんじゃないか、とね。……しかし現実はそう甘いものじゃない。その結果がアレなのさ。あの、黒く変色し人の形さえ保てずにグジュグジュのスライムのように身体が崩れた姿こそが、ね。便宜上、あの状態の影人化を“フェイズ5(末期状態)”と呼ぶ事もあるが、要するにアレは影の力に呑まれた者の成れの果て。影人でさえ“影世界”の影エネルギーに呑まれれば“そう”なるが……それ以外で“フェイズ5”に至る理由が“影結晶”のデメリット。つまりは僕ら“影狩り”が生むものだ」


 話ながら歩を進め、目的の場所が見えてくる。

 そして、医療所と書かれた扉の前までたどり着く。


「そうならない為に、その前兆を見極める為の行為。それが月一の健康診断というわけだ。君も知っての通り、ここでは通常の健康診断の他に“侵食率”についての検査がある。これが上昇しすぎれば“影暴走”を引き起こし、まともな“影操作”なんて使えない。当然そうなれば“フェイズ5”となる可能性も高くなる。故に……そうなった場合は『戦闘部隊』などの部隊から外れてもらうことになるわけだ」


「……そうですね」


 神崎の説明を受けて、真城もコクリと頷いた。


 影人の“フェイズ5”。

 そのような状態があること自体は初耳だった。

 しかし、それ以外の内容については、真城も一度聞いたことがあるようなものだった。


 “侵食率”。“影暴走”。

 それについての内容も、大まかになら一ノ瀬や九条との戦闘訓練中にも聞いていた。


 “侵食率”。

 それは“影結晶”を使い続けることで現れる副作用、症状。

 “影結晶”の“影エネルギー”がそれを扱う者の身体に蓄積し、肉体を蝕んでいく……その侵食の度合を現す数値の事を指すらしい。

 これ自体は確かに危険なものである。

 肉体が“影エネルギー”によって侵されて、影人のような影の肉体へと身体を変質させていく……。

 つまりは、影と肉体が同化するということなのだから。


 しかし、かと言ってデメリットにしかなり得ない。とも言い切れない。

 “侵食率”が危険なラインさえ超えないのであるならば、むしろ有益なことも引き起こす。


 影を自在に操作する能力、“影操作”。

 そしてその操作・実体化には、“影エネルギー”を必要とする。

 その事に、影人も“影狩り”も違いはない。

 しかしその“影操作”に使う“影エネルギー”をどこから捻出するのか、といった点には違いがある。


 影人は自身を構築する影の肉体に“影エネルギー”を蓄積することが可能であり、“影狩り”である人間の肉体ではそういった“影エネルギー”の蓄積が不可能だ。

 故に、人間である“影狩り”は“影結晶”から溶け出た“影エネルギー”を代用・行使して“影操作”を可能としているわけなのだが……その話は置いといて。


 その“影エネルギー”の蓄積といった事が、副作用として侵食され、影と同化してしまった肉体部分では可能になる、といったメリットがある様だ。

 つまりは、副作用として影と一部身体が同化してしまった人間(影狩り)なら、“影結晶”を用いずに自身の影エネルギーが続く限り“影操作”を扱える様になる、との事。


 まぁ真城自身は“力”の為か、或いはまだ“影結晶”を使って日が浅いからかは分からないが、そういった経験や体験をしていないので、単純なデメリットという以外に特に言える事も無いのだが。



 “影暴走”。

 それは“侵食率”が危険なラインを超える頃から起き初め、侵食の度合に伴ってその発生率が増えていく症状のことを指す。

 引き起こされる症状は読んで字のごとく。

 影が暴走するという事である。


 これは簡単に言うのなら、“影操作”が上手く出来なくなるといったもの。

 真城達が“影狩り”へと所属して、最初の難関とされる“影操作”の会得。

 そこでは、そもそも影を動かせない。影を実体化出来ない。といった意味での『“影操作”が上手く出来ない』事を経験するのだが、それに対し、こちらの“影暴走”で言う所の“出来ない”はそうではない。


 何と言えばいいのだろう。

 それこそ自分の意思とは関係無く行動し、勝手に実体化さえするという……言わば“影人化”に似た症状だ。

 違う点と言えば、影自身に自我は芽生えていない事。そして、勝手に動き回るといっても自身の足元からも離れて別行動を始めるようなものでは無い事だ。

 例えば、ゲームの操作中にコントローラーの操作方法が突如勝手に切り替わり、十字キーで右に入力しているにも関わらず左にキャラが動いたり、或いはそのコントローラーが壊れてしまって、ボタンを入力していないのにキャラが前方に動き続ける……といったものに近い。

 それこそ制御不能というやつだ。

 そんな状況の事を、ここでは“影暴走”と呼んでいる。


 これが起こると、戦闘どころの話ではなくなってしまう。

 まずまともに影を操れず、下手をすれば味方や自身にさえも被害が及ぶ。

 例え戦闘時でなくっても勝手に影が暴れ、場所によっては一般人にさえ攻撃をしかねない。


 それが確実に起こるのが“侵食率”が七割を超えた時。

 早い人でも六割を超えると起こる為、本部では“侵食率”が五割となったら危険信号、六割に至る頃には戦線を外れてもらう事となっていた。


 現時点で、“侵食率”上昇がどのような事が切っ掛けで起こるのかは分かっていない。

 “影結晶”を使う以上、だれもが半年も続ければ“侵食率”も三割程になる。

 しかしそれ以降、それ以上“侵食率”を上げない者もいれば一気に急上昇してしまう者まで様々だ。

 故に、早めの対処が必要となるのである。



 そう言えば、“影狩り”で働く戦闘員と研究員以外の職員達。

 例えば食堂のコックや、大浴場の管理人や清掃員等は、そういった“侵食率”の問題で一線を退いた人達が進んで行っている事で成り立っているのだという話も、確か前に聞いた気がする。



「真城君が見つけたあの牢獄部屋。あの場所に“フェイズ5”となってしまった人達を隔離している理由は単純でね。まず第一に常時“影暴走”を起こしてしまっている状態の彼らは危険だから、ということ。加えて第二に、ああいった状態の姿をむやみやたらに人の目に触れさせるのが躊躇われるからということ。見る側にとっても、本人にとっても、ね。……そして第三に、これは不謹慎かもしれないが“貴重な研究サンプル”だからということ。我々には分からないことがまだ多い。故にどんな形であれ『影についての研究』に役立つものなら、早々に処分するわけにもいかないんだ」


 指を一本、二本と立てていき、そうして声のトーンを下げながら、最後の三本目を立てながら説明する。


「本部の人間でも、知識として牢獄部屋の存在は知っていてもその中がどうなっているのか知っている人は稀なんだよ? 好んで中を見たいなんて考える人もいないしね。そもそもあの部屋は出入り口を埋めてしまっているから“影世界”を経由しないと出入りも出来ない仕様だし。加えて本来はその部屋を囲うようにAIで“黒箱(ブラックボックス)”を何重にも起動させているから、まずもって僕から許可を貰って入る“正規の手順”以外での侵入は困難なわけだ。……まぁ今回、真城君が入ることが出来てしまったのは“アイ”が暴走して本部のAI関係が軒並みハッキングされた事。そして、それによって部屋を守っていた“黒箱”も解除されてしまっていた結果なわけなんだろうけどね」


 はっはっは、と頭をポリポリ掻きながら、「後でそこのセキュリティ関連もちゃんと直ってるか確認しとかなきゃ……」と遠い目になる神崎へ、真城は更に質問を投げかける。


「その“フェイズ5”になって隔離された人達は、研究が終わったら……その、……“処分”するんですか?」


「あぁ、そうだよ。と言っても出来る限りはしないけれどね。……それこそ最終段階。人格が完全に崩壊して、或いは“影暴走”がエスカレートしてどうにも手が付けられなくなってしまったら、なくなく“処分”といったことになる」


「……、」


 それを聞いて、真城はギリリと奥歯を噛みしめる。

 

 “フェイズ3”以上となった者は助からない。

 救えない。殺すしかない。

 そういった犠牲が影人との戦闘以外、……こんな所でも起きていた。

 そんな事実に、どうしようもない怒りがこみ上げる。


 無論、神崎を責めるつもりは無い。

 責められる道理もない。


 ただ単純に、この世界の不条理に。

 そうならざるを得ない理不尽な世の中に対しての行き場のない怒りが駆け巡る。


 どうして……世界はこんなにも残酷で理不尽に出来ているんだ?



 そんな答えの出ない問答が、真城に過った時だった。

 チラリと、真城の視線の先に右手が映り込む。

 灰色の燕尾服を着た男から貰った力。それが宿った右手を見つめて……。

 真城は諦めを放棄する。


 いや、まだだ。

 まだ諦める時じゃない。

 理不尽を嘆く時じゃない。


 救えない者を救える“力”は……ここにある。



 決意を胸に、真城は右手を握り締め、


「――神崎さん!! その“フェイズ5”の人達に」



 しかしそれ以上の言葉は続かなかった。



「君たち。会話に花を咲かせるのは結構なことだが、扉の前でいつまでも……時と場所くらいは考えてもらいたいものだね?」



 その言葉は、突如ガラガラと開いた医療所の扉と、そこから出てきた一人の女性。

 その怒気の含まれた声に、話を遮られた為だった。



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