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カゲビト  作者: 永眠布団
第二章 初任務

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第28話 『“靖田優沙”』



 靖田優沙(やすだゆさ)

 俺は、彼女と恋人になった。


 連絡先を交換した。

 二人でルールを色々決めた。


 まず第一に、学校ではなるべく会って話さない事。

 第二に、付き合っている事は二人の決心が付くまでは公開しない事。等々と。



 ……決めていたはずなのに。



 時が過ぎて三か月。

 季節も秋へ変わったそんな時期。


 俺達は少し気が緩んでいたんだ。

 三か月、皆に隠し通せたという事実が……俺達に『もう少しなら大丈夫ではないか?』といった幻想を抱かせた。


 学校でなるべく会わないというルールがあったおかげだろう。

 人気者であった彼女の周りには常に男女が集まった。

 それは大学のある日だけではない。

 例え講義の無い日でも、土日の休みであってもだ。

 周囲の目を気にした俺達は、中々デートと呼べるものが出来なかったのである。

 要は飢えていたのだ。俺達は。

 恋人になれたはずなのに、恋人らしい事が何一つ出来ないでいるジレンマが。

 俺達の、背を押した。



 ある日の放課後。

 授業の無い講義室に呼ばれた俺は、


「尊君……!!」


「優沙!!」


 そう言って抱き着いてくる彼女にキスをした。



 それが俺達を破滅に導くなんて露知らず。

 俺達は二人の愛を確かめる様に、何度も唇を重ねたのである。



……



 彼女の挙動がおかしくなったのはそれから一か月程経ってからの事。

 あれだけ人気者でいつも周囲に色々と男女が集う為、どこにいても大まかに居場所を把握出来ていた彼女を、大学であまり見かけなくなった。

 初めのうちは病気か、或いは雑誌の件で人気に火が付き忙しくなったのだとも思った。

 だが、それを彼女に連絡して見ても『大丈夫』『そういうのではない』といった返答が帰ってくるだけ。

 大学に行っているとは言うものの、彼女の姿を大学で目にする機会は少しずつ減っていった。


 ある時、大学内を走り回ってやっと見つけた彼女の表情には、疲労の色が見て取れた。

 別の“何か”も見て取れた、……気がした。

 それは今までの彼女にはない違和感。


 自身の持つ五感では。五感だけでは言い表せない、言語化出来ないような感覚が。

 或いは第六感とも言うべき感覚が。

 その“何か”に対して反応し、訴えているようにも感じられた。


 ……しかしそれでも、俺は。

 告白での一件。人間不信だという彼女が、人間関係で疲弊しているのだろうと……考える事しか出来なかった。



『今日の夜。22時。桜広場で待ってます』


 メールにそう書いて送信した。

 今はまだ、胸を張ってデートが出来なくても、彼女の負担を少しでも取り除ければとの思いだった。

 携帯での会話ではない。

 会って、直接する会話。

 あの告白の日の様に、何かしら他愛のない会話をして……。

 もしも何か困りごとがあるのなら、俺も力になりたい。そう思った。


 夜。

 彼女は待ち合わせの場所に来てくれた。

 俺はそこで、思っている事を全て打ち明けた。


 それを聞いた彼女は……最後には泣いていた。

 大粒の涙で、肩を震わす彼女を俺は強く抱きしめた。


 しかしそれでも、彼女の答えは、


「もう大丈夫」


「私、頑張るから」


 それしか返って来なかった。



……



 俺は遂に決心した。

 例えそれが悪い事だと思っていても、きっとそれが彼女の為になると信じて。

 彼女を尾行する事にした。


 そこで知った真実は俺を絶望へと突き落とした。



……


 

 講義も終わり、生徒も帰る夕暮れ時。

 陽が沈むまで大学に留まっていた彼女がついに行動を開始した。

 彼女が向かう先。

 そこは俺があまり近づいたことのない九号館。

 そこへ入る彼女の姿を見て以降、彼女は姿をくらました。


 人気のない九号館。

 地図を見た限り、ここには栗枝准教授の研究室があるだけだ。

 外から様子を見て見ても、現状電気が付いているのはそこだけだった。


 栗枝環樹(くりえだたまき)准教授。

 俺は一度も講義を受けた事の無い先生だ。

 確か俺や彼女の受ける一年生の授業には名前が無かった。

 それどころか、そもそも請け負っている学科が違ったはずである。


 俺と彼女は同じ学科。

 ならば必然的に、彼女と栗枝准教授との間にも接点は無いはずだ。


 ……何か、嫌な予感がした。



 静かに階段を上がる。

 九号館にはもう人はいなかった。

 栗枝准教授の研究室以外、全ての部屋の電気は消えていて、廊下も暗くなっていた。

 物音を立てず、研究室へと近づく俺に届いた女性の声。


 それは彼女のものだった。



 ……だが、彼女の声は普通ではなかった。


 それは、――喘ぎ声だった。


 それだけでは無い。

 近づくにつれて聞こえ出す、肉を叩く音。その嫌なリズム音。


 そして最後に聞こえる、


「はっはっは。やっぱりいいな! 若い女は肌触りがいい!!」


 男性。栗枝准教授の声だった。




 これは夢ではない。現実だ。


 彼女は栗枝准教授から肉体関係を強要されている。

 その事実に俺は驚き、怒り、それでも声を押し殺し、逃げるようにその場を後にするのだった。


 これは逃げではない。

 彼女を救う為のものだと、そう何度も言い聞かせて。



……



 “俺”が生まれたのもここからだった。

 彼女を守れなかった俺のストレスが、“俺”の存在を生んだんだ。



……



 栗枝環樹。

 あの男を訴えるだけ、密告するだけなら問題なかった。

 その現場を抑え、カメラで写真の一つでも取ってやればそれで終わり。

 例えそうじゃなくっても、盗聴器やボイスレコーダーなんかで声を録音すればそれまでだ。

 だけどもしその事を公表し、あの男を追放出来たとして、それで彼女があの男から“そういった被害にあっていた”という事を世間に知られてしまうのが嫌だった。

 そんなこと、したくなかった。


 彼女を守る法律か何か。

 そう言ったものはあるのかもしれない。

 調べれば出て来るのかもしれない。


 しかしそれでも、ネットに撒かれた情報は消すのが難しいと聞く。

 あの男が最後の手段として、何をしでかすか分からない。

 ……それだけが、問題だった。


 出来るなら穏便に。

 彼女が第一で助かる方法に、事を運びたかったのだ。




 だがそれも、所詮は子供の浅知恵だ。

 大学生とは言えど出来る事は限られる。

 思考もまだまだ、子供の延長線でしかない。


 考えて考えて考えて、それでも結局、何もいい案は出なかった。



……



「彼女を開放してください」


 結局俺には、一対一であの男と対話する他無かった。

 彼女のいない時、彼女に内緒で俺は研究室へ訪れた。


 こいつと彼女の現場をボイスレコーダーにおさめ、脅しの材料にして。


 だがそれでも、あの男は屈しなかった。

 謝罪の言葉すら、述べなかった。


 それどころか、あの男は大笑いして俺の肩を叩いてみせた。


「はっはっは!! 威勢がいいな、やりたいならしてみろよ。

 その代わり、あの女は一生ネットに晒され続けるだろうがな!!」


 俺が恐れていた内容だった。

 やはりこの男は彼女のデータを保存していたのである。


 勿論ハッタリの可能性もあった。

 だけど、それをハッタリと言い切る度胸は俺には無かった。

 俺がただ脅されるだけなら問題ない。強行だって出来たのだ。

 でもこの件は、彼女が関わっているのである。


 ここで俺がしくじれば、一番の被害を受けるのは彼女なのだ。

 俺にはその決断を、下す事は出来なかった。


 もっと早く気付けは良かったのだ。

 それなのに、一対一の会話など……馬鹿もいいところだ。


 結局、彼女とこの男の関係を俺が知っているという事を露呈させただけだった。

 知っていると、俺がただ言いに行っただけに過ぎない。


 ……完全な失敗だった。


 追い詰められた人間は、判断力が低下する。

 適切な行動が取れなくなる。

 目先の事しか分からなくなってしまう。


 そうは言うが、これは手痛く、……するべきではないミスだった。

 

 

……



 全ての事を失敗し、トボトボと歩く帰り道。

 その中で、あの男の言葉がよみがえる。


『どうしてあの女が身体を差し出したと思う?』


 勝利を確信し、馬鹿な俺を見下しながら。

 嬉々として差し出す一枚の写真。


『ほら、バッチリ撮れてるだろ? お前とあいつのキスシーン。

 聞いたよ。お前、あいつと付き合ってるんだって? えぇ??』


 それは一か月程前の事。

 人の居ない講義室でしたキスの瞬間が収められたものだった。


『人気が無くて気が緩んでたんだろうが……。

 もっと周りの建物にも気を配っとくんだったなぁ』


 撮ったのはこの九号館から。

 三階にあるこの部屋からは、偶然にも隣の八号館。俺達がいた講義室を覗ける位置にあったのだ。

 

『ホント、いい女だよなぁ?

 顔も良くてスタイル抜群。おまけにモデルなんかやってやがる。

 「お前のファンにバレたら終わりだな。もう一生、モデルなんてやってけねぇぞ?」ってな、脅してやったんだよ。俺は。

 そしたら素直に言う事聞くようになるんだぜ? 単純だよな、女ってのは。


 しかもあいつ、「ファンや取り巻きが知ればお前の彼氏もただじゃ済まねぇ。良くて袋叩き。悪けりゃ殺されるんじゃねぇか?」ってなぁ……、言うと面白いんだなコレが。

 本当に何でも、何だって聞いてくれるんだぜぇ?

 信じられるか!? チョロいなんてもんじゃねぇぜ!! これからも飽きるまで使ってやる!!』


 俺は、全ての言葉を失った。



……



 絶望に打ちひしがれた。

 自己嫌悪と後悔。そして、あの男への憎悪で頭がどうにかなりそうだった。


 その膨大な俺のストレスで、“俺”は更に成長したんだ。


 “フェイズ2”。

 シルエットではない。足立尊と瓜二つの姿となった。



……



 俺が失敗した翌日。


 “俺”は俺を襲った。

 理由は俺に成り代わる為。

 

 こんな俺の人生は見ていられなかったからだ。

 こんな俺の、“俺”と同じ俺の、醜態を晒す姿が見るに堪えなかったからだ。

 こんな人生何もかもぶっ壊してしまいたかったのだ。



『誰か助けてくれぇ!! 死にたくない!!』


 無様な姿。これが本当に“俺”の、俺なのか?


『俺とそっくりな奴がいるんだ!!

 本当だ!! 信じてくれ!! 俺がもう一人いるんだよぉ!!』


 “俺”は俺に失望した。


 ……だが、あいつ。

 俺は“俺”に襲われながらも叫ぶんだ。


『こんな所で死ねないんだ!! 俺は優沙を!! 優沙を助けないといけないんだ!!』


 “俺”は初め、ただの命乞いだと思った。

 余程自分の命が惜しいのだと、そう思った。

 だが、そうではなかったのだと知った。

 自分が死ぬかもしれない、そんな状況になってまで俺は、あの女の事を思っているのだと知った。



 何故だかな……。

 あれだけ見下していた俺に、同情の気持ちが沸いたのは。


 ……“俺”は最期に少しだけ、俺を助けてやる事にした。



……



 俺の身体を“俺”自身の身体、影で捕縛するとそのまま“影世界”へと引きずり込んだ。


 “影世界”の中で、“俺”は俺の肉体を手に入れた。

 意識を乗っ取るのではなく、“俺”と俺の意識を二つ保ったままで。


 助けてやるとは言うものの、今の“俺”に出来ることなど限られていた為である。

 “フェイズ2”。身体がほぼ実体化し、赤の他人にも目撃可能となった状態であっても、物に触れる事は出来ない。

 “俺”に出来るのは、俺の身体に触れる事のみ。

 それ以上をするのなら、“俺”はまず俺の肉体を手に入れなければならなかった。


 “俺”と俺。二人で話し合い、交渉した。


 俺の目的は優沙を助ける事。

 あの男の魔の手から優沙を開放する、その為に“俺”の力を借りる事。

 

 優沙を助けた後は“俺”の目的。

 “俺”に意識を引き渡し、俺が事実上の死を受け入れる事を条件に。


 

 あわよくば意識を乗っ取ってやろうともしたが駄目だった。

 俺の意識、意思がハッキリとしているうちは出来ないらしい。

 “俺”は所詮影だから、主導権は基本俺にあるのだろう。


 “影操作”にも問題が起こった。

 初め“俺”は、どんな形であれ肉体手に入れればそれだけで他の物体に触れる事が出来ると踏んでいた。

 だからこそ、肉体を手にした状態の“俺”が影を操作し男を仕留めればいい。そう考えていたのだ。

 しかし結果、その状態で“俺”が操作した影では中々に半端な状態となってしまい、あくまでも一式の主導権を持っている俺が操作した影でなければ他の物に触れる事が出来ないのだと判明した。

 

 それはつまり、“俺”ではなく俺が“影操作”を覚えなければならないという事態だった。



……



 一週間の月日が流れた。

 その間、俺は“影世界”で“影操作”の鍛錬に励んでいた。

 才能は無かった。一週間が経ったというのに影を武器の形に固定する事が出来なかったのだ。出来たのは精々、遠くにある物を“影操作”で持ってくる程度の事。

 影で掴んで、物を振り回す程度の事。


 一週間。

 その鍛錬の合間、“俺”が嫌がらせでもするように連れて行った場所がった。

 例の研究室。

 そこで毎日行われる“行為”を、俺は何度も“影世界”の中から見せられた。

 “俺”が言うには『お前のストレスが溜まれば溜まる程、“俺”も早く成長する』とかどうとか。

 正直、理由なんてどうでもよかった。

 ただ俺がどれだけ嫌がり拒絶しても、“俺”は俺の身体を影で捕縛し連れて行った。

 彼女に行われる非道な行為を前に何度も飛び出そうとする俺を、“俺”は何度も押さえつけて制止した。


 憎悪。怒り。

 その全てを、あの男を殺す為だけに費やした。



 そうして、運命の時がやって来た。



……



 夕暮れ時。

 研究室に男一人が残り、学生が全員帰った後。

 靖田優沙がやって来る。……いつもの“行為”をする為に。


 だが、そうならない内に。

 靖田優沙が来る前に、決着を付けてやる。



「……おい」


 ドスの利いた低い声で、彼女が来るのを待っている男に話しかける。

 そして同時に、研究室内にあった手頃な武器。ハサミを“影操作”で手繰り寄せる。


「……っ!?

 ……な、何だお前かよ。ビックリさせやがって!!

 まさかまだ生きてたとはなぁ。ここ一週間姿見せねぇってんで、てっきり俺に彼女を寝取られたのがショックで自殺でもしたんだと思ったぜ」


「俺が? ……自殺するわけないだろ」


「へ、へぇ。そいつは残念だな。

 あの女、お前が消えたショックで俺の命令にも従順になって来たところだったってのによ。

 まあ今更帰って来ても遅いだろうがな。身も心も、俺に堕ちるのは時間の問題よ」


「……お前は教師の風上にも置けない奴だ。殺さなきゃいけない糞野郎だ」


「だったら何だって……」


 一瞬、男の目が俺の手に握り締められたハサミを捉える。

 その瞬間、男は少し焦りだす。


「お、おい。

 お前だって今、何をしようとしてるのか分かってるのか!?

 俺を殺せば殺人者!! 人殺しになりゃあの女だって……っ!!」


「うっせぇんだよ!! 糞野郎が!!」


 後退りしようとする男の足を影で掴んで引っ張る。

 突然あらぬ方向に引き寄せられた足元に驚きバランスを崩した男は、そのまま仰向けに倒れ込む。

 それを隙と見るや、俺は男に馬乗りし、ハサミを持っていない手で男の肩を抑えると起き上がるのを阻害する。


 ハサミでの殺傷力。

 それはあまり期待が持てない。

 勢いに乗せて押し込めば腹にだって突き刺せるだろうが、それで人一人を殺せるとも思えない。

 長さも足りない。

 これではあばら骨の隙間から差し込めたとしても、ちゃんと心臓に届くのか怪しいところ。

 首を掻っ切るか?

 或いは腹に何度も刺し続けるか?

 

 どうすればこの男は死んでくれる?

 どうすれば一番苦しみ藻掻いて死んでいける?


 殺す事に躊躇は無かった。

 ただ、どう殺すかに悩んだだけ。


 しかしそのほんの寸瞬。隙が仇となる。



「……尊、くん……?」



 研究室の空いた扉。

 そこには、彼女が立っていた。


 口元を手で押さえ、まるで信じられぬものを見るような……そんな表情で固まっていた。



 それを見て、固まる俺。

 そんな俺から生まれた好機を、男は見逃さなかった。


 馬乗りになった俺を力いっぱい押しのけて、彼女のいる方向。扉に向かって全速力で駆けていく。

 

「どけ!!」

 

 前に立っていた彼女を退かすように、勢いよく腕を横に薙ぐ。

 きゃっ!! という彼女の悲鳴。

 そんな彼女に構う事無く、研究室を出て行こうとする男。


 俺は咄嗟にハサミを、男に向かって投擲する。

 只の投擲ではない。

 俺がこの一週間、使えた“影操作”の中で切り札と呼べるもの。

 ハサミを影で纏い、勢いよく槍の様に射出する。

 

 この勢いならまだ間に合う。

 男に届く。突き刺されば致命傷は違いない。


 男をただ殺すのは心残りだが仕方がない。

 逃げられるよりはマシだった。



 ……そう思っていたのに。



……



 瞬間、彼女が飛び込んだのだ。

 男と俺を繋ぐ射線上に、……いきなり。

 まるで男を、庇う様に。


 急に止める事など出来なかった。

 ハサミの刃は深々と彼女の腹に突き刺さった。


 だが、それでもまだ諦める訳にはいかなかった。

 頭に直接、“俺”の声が響いたからだ。


『まだ終わってねぇ!! ハサミは捨てて影だけで奴を!!』


 俺はハサミから影を手放した。

 影の勢いは殺さない。

 実体化をただ解いて、彼女の身体をすり抜けるとその奥。

 今丁度部屋を出て廊下に足を踏み込んだ男に向け、再び実体化をさせた影を打ち付ける。


 ドゴ!! ドシャア!!

 という鈍い音が鳴る。

 それは背中から勢いよくやって来た影に押され、正面の壁に身体を打ち付けた男の音。

 胸部だけではない。

 頭部も壁に打ち付けて気絶した男が頽れる、そんな音。



……



 気絶した男よりも重要な事があった。

 それは彼女の事。


 俺は急ぎ、倒れ伏す彼女の下へと駆け寄った。


「おい!! しっかりしろ優沙!! 優沙!!

 ……どうして、……なんでこんな!!」


 身体を揺する。

 彼女の身体を抱き起こす。

 腹に刺さるハサミからは血が滲み出る。ひどい出血なのは間違いなかった。


 救急車を呼ぼうと携帯を操作するが反応しない。


「なんで!? どうして壊れてる!!」


 焦る俺とは対称に、彼女の意識が、命が、無くなっていくのが見て取れた。



「……尊、くん」


「なんだ!! いや、違う。喋るんじゃない!!

 絶対俺が助けてやるから!! 絶対に……!! 幸せに……!!」


「……尊くん。ごめんね」


「なんで優沙が謝るんだ!! 謝るのは俺の方で……!!」


「……私がもっと勇気を出せたなら。

 もっとちゃんと胸張って……尊くんの彼女ですって……言えたなら。

 馬鹿にされるのを構わずに……ちゃんと好きって言えたなら。

 私にもっと……力があったなら、尊くんも守れて……あんな男の……言いなりにならずに済んだのに」


「大丈夫だから……!!

 俺が……助け……!!」


「ううん……。もう、私は……助からないよ。

 なんとなく……分かるから」


 血の気が引いていく。

 彼女の肌が、顔色が、どんどんと白くなっていく気がした。


 しかし尚も喋ろうとする彼女。

 そんな彼女を察して、喋りやすそうな体勢に固定する。



「桜の木の告白……覚えてる?」


「……当たり前だろ!」


「告白。……桜の噂に背中を押されたって話、……したじゃない?


 確かにあの時、私は……桜に勇気を貰った。

 そのおかげで告白が出来た。


 ……桜の花。すっごく綺麗だよね。

 みんな綺麗だって、……人を惹き付ける魅力がある。

 私も好きなんだ、……桜の花。


 そんな桜の様に美しく、誰もが羨む様な幸せを……望まないと言えば、嘘になる。

 皆に盛大に祝われて。……祝福されて、毎日が幸せで。

 ずっと尊くんと一緒に過ごせたら。……そう思わないと言えば嘘になる。


 ……だけどさ。

 別に私は、そんな完璧な幸せが欲しかった訳でもなかったんだ……。


 皆を魅了する桜の花。

 誰もが足を止め、その存在を認める様な花じゃなく。

 もっと人目に付かない端っこで……、健気に咲いている様な……。

 図鑑で調べなきゃ名前も分からない様な小さな花。


 時に笑い。たまに喧嘩もする。

 二人三脚で不安定。

 何度も風に煽られて……、転倒して傷ついて……泥臭い。

 それでもまた、立ち上がって二人で一緒に歩んでく。

 短い根っこと弱弱しい茎でも……負けじと太陽へと伸びてゆく。

 日々の中にある小さな幸せを見つけて喜べる様な……。

 そんな泥臭い花でも……、見る人が見れば綺麗だと言ってくれる様な。

 ……そんな幸せで良かったのに」


 彼女の最期を悟り、強く彼女を抱きしめる。


「……人間不信だって話、したでしょ?


 美人になって、美人だって言われて……初めのうちは戸惑った。

 こんな意気地なしな私でも、顔が良いってだけで寄って来る人が大勢いたから。

 

 私はいらなかった。こんな美貌なんて。

 必要無かったんだ。……そんなもの。

 尊くんさえ振り向かせる事が出来たなら、……それで良かったんだ。本当に。


 ……どうしてこんな顔なんだろう。

 ……どうしてこうなっちゃったんだろう。


 有名になる事も、人が集まる事も、……あの男が、やってくる事も。

 ……私は全然、いらなかったのに。

 ……もっと普通だったなら。


 ごめんなさい。

 こんな私で……ごめんなさい」


 小さい頃。

 子供の時の様に泣きじゃくる彼女を見て俺は、


「……俺こそごめん!!

 こんな俺を……選んでくれたのに。

 ……何も、出来なくて!! ……本当にっ!! ……ごめん」



 そうして、再び強く抱きしめた彼女は……既に息を引き取っていた。



「……う、あ。あ……っっ!!

 ああああああああぁぁぁぁぁあああああ……――!!!!!!!!」


 やり場のない怒り。

 そして慟哭が、……人の居ない、九号館に木霊した。



……



 壊れた俺が頽れる。

 そんな……生きる事を放棄した俺と、亡骸となった彼女を見て。


 “俺”は、一つの感情を理解した。



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