第15話 『攻防』
キャットウォークの柵の上。
そこから、真城と桜井の両名を見下ろす女の影人。
両腕には影を纏わせ、指の先からは鋭利な爪を長く長く伸ばしている。
そんな女の影人を。
真城は注意深く観察する。
正直な話、真城に打つ手はない。
解決策が見つからない。
倒すべき女の影人に、これといった弱点があるとも思えない。
唯一指摘できるとしたら、“加速”を行っている最中に影で作り出した武装を行えない。と、いったぐらいのものだろう。
それでさえ、言ってしまえば弱点とは程遠い。
例えあの鋭利な爪が無かったとしても、“加速”した拳。或いは蹴り。
体当たり、なんかであっても十分な威力を発揮するわけなのだから……。
それに何より、影で武器を作れずとも、身体そのものを“影纏い”でコーティング出来るのだから硬化も勿論可能なわけである。
“加速”し硬化された体当たりなど、鉄塊にぶん殴られるのとほぼ同義だ。
絶対に当たりたくない。
さてどうするか?
考えても答えは出ない。
相手だって、待ってはくれないだろう。
……ならば。
前進あるのみだ。
当たって砕けろ、だ。
弱点が無いなら作ればいい。
今見つからないのなら、これから見つけ出せばいい。
「すいません明花さん。
俺があの影人と戦いますんで、後方からの支援をお願いできますか?」
桜井へ向け、真城はそう問いかける。
お腹とお尻、その両方を擦りながら立ち上がる桜井。
そんな桜井ではあったのだが、真城の言葉を聞いて『ほほぅ……』と笑みを浮かべると、
「やる気十分だねぇ晴輝くん。
良いよ良いよその調子。
新人さんの初任務なんだから、自分でどんどん活躍しに行かなきゃね!!」
グッ!!
と、親指を立ててサムズアップを決めてくれる。
別にそんな意図があるわけでは無いのだが……。
そう内心で呟く真城だが、それを表に出す理由は別に無い。
集中、集中、集中だ。
すーーーっ、と一度大きく息を吸い、その後、はーーーっと息を吐く。
深呼吸。
そしてそれが終わると同時、真城は攻撃に打って出る。
右手を大きく振り上げ、狙いをつける。
そして殴る様な動作で拳を振り下ろすと同時、拳に纏わせていた影を女の影人へと向けて射出する。
それは宛ら、腕を伸ばして相手へ向かうロケットパンチのようである。
拳は勿論、影製だ。
女の影人へと向かう拳、改めロケットパンチ。
しかしそれは、ガキンッという金属同士がぶつかる様な音を響かせ、女の影人が操る鋭利な爪により、あっさりと打ち払われてしまう。
しかし真城の狙いはそこではない。
もしそれで、ロケットパンチが命中していても良かった。……というだけだ。
狙いはその後。
攻撃を躱すなり、打ち払うなりされた後にこそあるものだ。
打ち払われたロケットパンチ。
しかし真城は、それを霧散させずにあえてその形状のまま操作をし続ける。
ガッチリと、影で作った拳がキャットウォークの柵を掴み取った手応えを感じると、真城はその柵を強く引く。
柵を壊す事が目的ではない。
真城の操作するロケットパンチ。その尻尾は未だ振り下ろしたままの右手に接続されている。
「……まさか!?」
その意図に気付いた女の影人は、鋭利な爪を使い真城のロケットパンチを引き剥がしにかかる。
ガキンガキンと音が響くが、それは無意味なことである。
影自体に痛覚などは通っていない。
従って、いくら攻撃を受けたところで柵を手放す訳が無い。
女の影人もそれを理解したのだろう。
次のターゲットをロケットパンチから柵の方へと切り替える。
しかしそれも既に無意味。
真城がロケットパンチを柵に固定した瞬間、女の影人の持つ鋭利な爪が届く周囲の柵を全て影で覆って“影纏い”を決めている。そして硬化も加え済み。
真城と女の影人が操る影の硬化具合は互角らしい。
それはつまり、互いの影同士をいくら衝突させたところで意味が無い。……破壊出来ないという事だ。
「うおおぉぉぉぉおおおおお!!!!」
真城の声が木霊する。
引く。
それは自分の所へ物を寄せてくる為の動作である。
しかし、その引き寄せる物が自分より大きい。或いは重い場合はどうなるか?
答えは、『逆に自分の方が引っ張られてしまう』……だ。
小学生、或いは中学生ともなれば授業で習うこととなる『作用反作用の法則』である。
つまりはそういう事。
真城は自身よりも重い柵。そしてそれが付属するキャットウォーク自体を引っ張ることで、逆に自身を二階のキャットウォークまで引っ張り上げてもらったのである。
そして同時。
自身の拳と、柵を掴むロケットパンチの拳とを繋ぐ長く伸びた腕部分を勢いよく縮めてゆく。
そうする事で、“能力”とは違う、疑似的な“加速”を生み出してゆく。
「“加速”が使えるのは何もお前だけじゃないんだよ!!」
「ヒヒ……ッ」
女の影人の眼前に到達する。
真城の右手は引いた状態。
つまりはもう一度、振り下ろす事が可能……という事だ。
ロケットパンチを霧散させる。
お前は実に良い活躍をしてくれた。礼を言いたい。
そんな惜しみない称賛の気持ちをロケットパンチへとおくる真城。
霧散した影を自身へと戻し、再び右拳へと影を纏わせる。
くらえっ……!!
自身の重さを乗せた一撃。
その拳を女の影人へと振り下ろす。
ガキンッ……。と、再び金属が衝突したかのような音が響く。
女の影人は両腕をクロスさせて真城の拳を防いでいた。
攻撃は失敗した。
しかしそれでも構わない。
今の一撃は、あくまで真城の“初撃”である。
衝撃を受け、柵から飛び降り後ろへと下がる女の影人。
それを好機に、真城も柵を飛び越えキャットウォークに足を付ける。
真城の猛攻は止まらない。
使えるのは何も右拳だけではない。
左拳も握り固めると女の影人へと撃ちつける。
左、右、右、左。
ガードの手厚い正面を避ける様に、上体を左右に動かしてはガードの薄い箇所を突いてゆく。
「――ッ、この!!」
流石に真城の攻撃が鬱陶しくなったのか、女の影人も反撃を開始する。
鋭利な爪を横に薙ぎ、真城との距離を取ろうと試みる。
しかしそれを、真城は屈むことで回避する。
「――!?」
女の影人が操る鋭利な爪。
それは確かに強力だ。
リーチもあり、ただ振り回すだけでも相手を自身に寄せ付けない。
まともに当たれば重症も必須だろう。
例え当たる箇所を“影纏い”で覆ってガードしても、それで全てを殺しきれるわけでは無い。
もし纏う場所を誤れば……それこそ、致命的な敗北に繋がってしまう。
何より素材は影である。
“鋭利な爪”などという形をとってはいるものの、それは真城のロケットパンチ。或いは桜井が警棒で放って見せた突きの様に伸縮が自在。
その“爪”の射線上、延長線上にいるだけでもう危険。
そういうものなのだ。影から作り上げた武器の利点というものは……。
しかし、既に懐へと侵入を許してしまった敵に対してはどうだろう。
例え良く切れる剣を持っていたとして、眼前。それも目と鼻の先にいるような敵に対してはどう処理を行えば良いと言うのか。
一度距離を開け、振るった剣の刃が当たる適切な場所へと相手を誘導するしか他にない。
どれだけ刀身が長くとも、それが当たる場所、それを振るう為のスペースを確保出来ていなければ意味がない。
銃も同じだ。
ただ距離があるのなら、一方的に敵に目掛けて撃ち続けるだけでいい。
それだけで勝敗が左右する。
だがそれも、懐まで入られてしまえばお終いだ。
銃を構える動作、ターゲットを狙う時間。
それが出来なければ銃など恐れるに足りない。
それが小型の銃。ピストルや拳銃、リボルバーであるならいざ知らず、ライフルやマシンガン、ショットガンといった銃身の長い代物であれば尚更だ。
長くて鋭利な女の影人の爪。
それもまた、同様な代物だ。
女の影人は、その“振るう為のスペース”を確保する為に、無理やりにでも横に薙いで真城との距離を開ける必要があったのだ。
そしてだからこそ、それを分かっている真城は飛び退かない。距離を開けない。
元々真城は拳で殴るスタイルなのだ。
わざわざ距離を開けるより、眼前の敵を殴れる距離に置いておく方が都合もいい。
「この……ッ!! この……ッ!!」
女の影人がむやみやたらに爪を振る。
しかしそれを、真城はすれすれで避けてゆく。
これ以上、一ミリたりとも距離を与えない。
女の影人に有利な隙を与えない。
真城がどれだけ一ノ瀬にしごかれたか……など、この女の影人は知らないだろう。
修練場に籠っての一週間。
正確には、“影操作”をあらかたマスターしてからの四日間。
『戦い方など、やっている内に覚えるものだ』などという言葉を免罪符に、どれほど殴り蹴られたかなど知る由も無いだろう。
体の痛みと戦いながら、襲い来る一ノ瀬の攻撃を散々躱し続けたこと……など。
(これくらいの攻撃、一ノ瀬の奴に比べればぬるい……ッ!!)
原田との一件。
その背水の陣で見せた、時間の流れが遅く感じる程の超集中。
そんなもの、今の真城には必要無い。
無くとも真城は戦える。
なんか泣けてきた。
泣いていいのかもしれない。
まぁ、それはそれとして。
女の影人も戦闘のプロではない。
“プロ”。という言葉を使ってしまうと、真城もそうではないのだが、それは互いが培った戦闘経験の差と呼べるだろう。
接近戦において、真城は女の影人に勝っている。
それは今の状況から見ても明らかだ。
真城とて、女性の身体を殴る事に抵抗が無いわけでは無い。
そういった性癖があるわけでも勿論無い。
だからこそ、早くここで終わらせたい。
自然と、真城は拳を強く強く握る。
もう、終わりにしよう。
しかし、そんな真城の決意とは裏腹に、
「だあああああああああああああああああああああ!!!!」
女の影人の咆哮が響いた。
女の影人がキレたのだ。
一方的は真城からの猛攻に。
自身の攻撃が一向に当たらない現状に。
女の影人が後ろに飛び退く。
それに対し、今までの真城なら一歩。また一歩と女の影人に距離を詰めていた事だろう。
しかし今回は出来なかった。
女の影人が“加速”を使ったのだ。
一瞬で女の影人と真城の間の距離が空く。
女の影人が操る鋭利な爪。
それは言わば、女の影人の自信の表れだった。
自身へ向かって飛び込んでくる獲物に対し、『待ってました』と言わんばかりに切りつける為の道具でしかなかった。
だからこそ、飛び込んできた真城をただの獲物としか捉えていなかった。
いつものように。
今まで通り。
ただ切って落とそう。
そんな考えでしかなかったのだ。
だからこそ、真城の誘い。近距離での攻防にも応じで見せた。
しかし真城は違った。
獲物ではなかった。
獲物だと思い込んでいた自身こそが真の獲物だったのだ。
真城は今まで女の影人が出会ってきた、ただ狩られるだけの存在ではなかった。
……ならばもう、戦わない。
正面切って、この男と同じ土俵では戦わない。
戦ってやる必要など毛頭ない。
真城との距離が十分に空いた事を確認する。
それは真城がどれだけ頑張って走っても、数秒はかかるだけの距離。
女の影人は、そこから更に上に飛ぶ。
“加速”する。
再び、身体を捻って天井に着地。
そこから更に“加速”を付けて跳び、反対側のキャットウォークの柵へ移る。
しかしそこでも“加速”は終わらない。
身体を回転させ柵に足を付けるや否や、角度を修正して桜井の下へと仕掛けに行く。
「……むむ」
真城と女の影人の攻防を見守っていた桜井であったが、標的が自身へと変わった事に気付くと警棒を構える。
が、わざわざ正面から受けて立つ必要も無い。
当たる直前まで女の影人を引き付けると、その最後の段階になって大きく身を翻して回避する。
勿論、女の影人もそこで止まるわけでは無い。
桜井が避けた後、その更に奥ある“影世界”へと、一直線に突き進む。
女の影人の姿が、再び“影世界”へと消失する。
「明花さん!!」
キャットウォークから事態を窺っていた真城であったが、女の影人が“影世界”へと消えた事で声をかける。
女の影人の目的は、先程と同様。
視界で捉えられない“影世界”から突っ込んでくる事なのだろう。
だからこそ、『気を付けてくれ』という警戒の意を含んだ言葉だった。
しかし、
「大丈夫、大丈夫~。問題ないよ」
そんな中でも、桜井は自身のペースを崩さない。
警戒はしているのだろうが、それを一切真城に感じさせないのはある種の才能なのかもしれない。
……などと、考えていたからだろう。
警戒を怠っていたのは寧ろ自分だったのだと、真城は理解する。
不意に真城の立っている所、その横の壁にある影が揺らぐ。
「――ッッ!!」
ゴバッ!!
と、真城へ向かって女の影が姿を現す。
その速度は、当然“加速”を帯びている。
反射的に真城は影を操り、身体全体に影を纏う。
硬化させる。
しかし、それだけだった。
“加速”のついたタックルを、真城は殺しきれない。
「――ッ、か……は……ッ!!」
後ろの柵。
そこへ、真城の背中が勢いよくぶつかる。
思わぬ激痛が、真城の身体を駆け巡る。
一歩間違えば、それだけで死んでいたかの様な激痛に、真城の視界が点滅する。
咄嗟の判断。
それは、不意の一撃を突かれたおかげだったかもしれない。
焦ったおかげかもしれない。
真城は、女の影人が向かってくる方向のみならず、全身へと“影纏い”を行った。
それは咄嗟であったからこそ、下手に判断して集中的な壁を築く事が出来なかったからに他ならない。
全身を鎧で覆ってしまった方が楽だという“思考停止”が出来たのだ。
そしてだからこそ、真城は即死を免れた。
もしも真城に、状況を判断できるだけの時間があったなら。
そうするだけの猶予があったなら……きっと、真城は女の影人が向かってくる正面のみに影を纏っていた事だろう。
そして、そうであった場合……、真城は背後の柵に背骨を折り砕かれていた事だろう。
何せ、背中には“影纏い”で硬化を行えていないのだから。
しかしそれは免れた。
奇跡と言っても良いものだ。
勿論、弊害もあった。
咄嗟の為、硬化が少し甘かったのだ。
全身へと影を纏った為に、一か所に扱える影の量が少なく、影の膜……壁が薄くなってしまったのだ。
それにより真城は、意外なほど多くの衝撃を殺しきれてはいなかった。
柵へとぶつかった衝撃で足が浮く。
その勢いに乗って上半身が傾いていく。
身体が、……キャットウォークから落下する。
真城は激痛で声を上げる事すら出来ない。
ダンッ!!
と、女の影人が柵の上に着地する。
「ヒヒ……ッ、まだまだァ!!」
女の影人が、落下する真城へと狙いを定めて追撃する。
自身が落下する勢いに乗せ、更に“加速”する。
痛む身体で何とか“影纏い”を試みる。が、このままでは間に合わない。
「――ッ、」
「ヒヒッ!!」
――そんな二人の間へと、桜井が割り込んだ。
「晴輝くん!!」
真城の視界。
今にも自身へと向かってくる女の影人の姿が、桜井の身体によって遮られる。
急いで来たのだろう。
もしも、真城が万全な状態。万全な視界で物を見れていたのなら……。
息を切らし、肩で呼吸する桜井の姿を拝めたかもしれない。
桜井は警棒を振る。
それはもう……もの凄い勢いで。
宛らそれは、野球のフルスイングの様である。
真城へと向かう女の影人に向け、渾身の力で迎え撃った桜井。
ガギギギギ……ッ!!
というせめぎ合う音と共に、メキメキと何かがひび割れ、壊れる音がする。
「――っく、……このぉ!!」
拮抗していた二人の均衡が崩れる。
桜井が最後まで警棒を振り抜き、女の影人を後方へと追いやる事に成功する。
“加速”を帯びた女の影人との攻防に勝利し、桜井は『ふぅ……』と溜息をつく。
それは自身の勝利と同時に、真城を守りきれた事への安堵から来たものだ。
桜井によって助けられた真城も、床に叩きつけられる直前になってから、やっとこさ受け身の体勢をとる事に成功する。
自身の身体に影を纏い、床に接触した衝撃を影で緩和する。
それは、完全に影を固形化し硬化させるのではなく、スポンジや水風船程度の硬さに調整した影をクッションの様にして保護する一つの技。
今回の様に肉体がただの人である“影狩り”が戦闘中に高所から落下した際に使用するものである。
落下した箇所に影があればそのまま“影世界”へと落ちてしまうのも手ではあるが、何も都合よく影があるとも限らない。……そんな時に役立つ代物だ。
因みに何故、真城があえて今“影世界”に落ちる事を拒んだかというと……、純粋に“影世界”から上ってくるのが面倒だからである。
急いで真城は身体を起こす。
一々身体が痛いだのと言っている場合ではない。
結局の所、痛いと言ったからと言って痛みが治るわけでもないのだから。
桜井が女の影人を押し返した先を、真城は凝視する。
しかしそこに女の影人はいない。
「晴輝くん。……あそこ」
真城の意図を察したのだろう。
桜井が真城に声をかけると同時、ある個所に向けて指を指す。
そこには、
「ヒヒヒ……ッ!!」
壁や床、柵や天井を蹴り、“加速”を繰り返す女の影人の姿があった。
それを見て、拳を構え直す真城。
もう一度、気を引き締め直す。
真城と桜井を囲う様に、縦横無尽に跳び回る女の影人。
それを目で追いながら、いつか来る攻撃へと備える。
今か、今か、今か……と。
そして、その時が来る。
しかし、……真城には打つ手段が既に無い。
“加速”し、人一人突撃してくる相手に対し、それを止める術が無い。
桜井も桜井で、先程のフルスイングによって警棒が折れかかっていた。
流石の桜井でも、“加速”した人一人のタックル相手では一撃受けるだけで精一杯だったらしい。
二人して、逆方向へと身を躱す。
その間を、女の影人が突き抜ける。
……どうしたものか?
そんな考えが真城の頭を駆け巡る。
「……ヒヒッ!! 避けるだけですか!?
それじゃあ私には勝てませんねぇ!! ヒヒッ!!」
二人が打つ手無しだと察した女の影人は、煽りの言葉を口にする。
しかもそれだけではない。
跳び回る女の影人の周りに黒い球体型の影が二つ出現する。
それらはまるで、女の影人の周りを回る衛星の様に浮遊する。
それは一体何なのか?
その答えはすぐに分かった。
真城達が、もう何度目かとなる回避を行った直後の事。
真城と桜井が、影をムチの様に使って女の影人を拘束しようと試みた時の事だった。
女の影人が、黒い球体を自身の正面の四メートル程先へと飛ばして空中に固定する。
そして、それを足場として急な方向転換を行ったのだ。
女の影人が操る“加速”。
それは確かに脅威である。
しかしそれにも弱点はあると考えていた。
要は、いくら“加速”するとはいえ、その軌道が一直線であるが故に、次はどこに足を付け“加速”するのかが概ね予想出来るという事にあった。
そして、だからこそ真城達はその行先を予想して影のムチを操作していたのである。
だが……女の影人のそれは、真城達の頑張りを無駄にし嘲笑う程の行為だった。
足場を空中で作れる事。
それにより、更に変則的な動きが可能となっている事である。
確かに、疑問には思っていた。
女の影人が息を潜めた“影世界”。
足場の無いあの空間で、女の影人はどうやって方向転換をしているのか、と。
そして、気付かないフリをしていた。
もしかしたら……いや、そんなことは、と。
しかしそれも現実のものとなった。
どうする?
どうする?
どうする?
真城の頭を、一つの言葉が支配する。
しかし、桜井はどうやら違ったらしい。
確かにこの変則的な動きは予想外であったようだが、しかしそれでも問題ない。
勝利を確信している。
そんな落ち着きで、真城へと言葉を告げる。
「晴輝くん。落ち着いて聞いて」
そして、
「――ッ!?」
理解する。
勝敗を分ける、その最後の一手を打つ為に。
……
…… ……
時が来た。
真城へと向け、とどめとばかりに突っ込んでくる女の影人をその目に捉える。
待ち構える真城の隣で、透き通るような桜井の声が響いた。
そして同時、指を鳴らす音が続く。
「捕縛……ッ!!」
瞬間。
“加速”していたはずの女の影人の身体が、真城の目の前……空中で静止する。
「……な、何が……起こっ!!」
慌てる女の影人に桜井が自慢げに人差し指をピンと立てる。
それはまるで、『はい注目』と言わんばかりだ。
「あなたの体中に絡みついている“ソレ”。何だか分かるかな?」
そう言われ、女の影人は自身の身体を確認する。
するとそこにはキラリと光る細いワイヤー……のようなものが絡まっていた。
まさかこれで、自身が縛り上げられたとでも言うのだろうか?
女の影人は桜井を睨みつける。
「ソレ、実は私の影なんだ。
私さ、前々から“影操作”を使って“影纏い”をするよりも、こうやってよく目を凝らさないと分からないぐらいに影を細く伸ばすのが得意なんだよね。
何でかは知らないんだけど。まぁ才能ってやつかな。得意分野? ……みたいなもん。
細いからどれだけ硬化させても、引き千切ろうと思えば数分で解かれちゃうような物ではあるんだけどね。
こんな感じで相手に直前まで悟らせない事とか、結構役立つ場面多いんだ。これ」
「そんな影……、一体いつの間に!!」
人一人の身体に纏わりつき、動きを止める程の影の糸。
そんなものを一体どのタイミングで仕掛けたのか。
そんなことを出来る時間。そぶりなんて無かったと女の影人は口にするが、桜井は笑って人差し指を女の影人へ向ける。
「仕掛けたのは私じゃないよ。
あなたが手伝ってくれたんだよ? 影人さん」
そう言われ、ハッとする。
「……まさか」
「そう。
私が最初に仕掛けたのはあなたに突きをお見舞いした時ね。
あの時はあなたの爪で弾かれちゃったし、尻餅が痛かったしで色々大変だった訳だけど、本命はこれだったわけよ。
細い影をあなたに絡みつけとけば、後はあなたの“加速”移動の度に私の糸も張り巡らされていく。
必要な時以外は実体化させないから、どれだけ縦横無尽に動かれても気付かれないしね。
……さてと。
長かった戦いも、そろそろ幕引きと行きましょうか。……晴輝くん!!」
「あいよ!!」
桜井の指示が掛かる。
左拳を握り締める。
ダンッ、と片足を一歩前に出す。
それと同時に左拳を後ろに引く。
重心を後ろに下げる。
そして。
「――ッ、はぁ!!」
下げた拳を前に出す。
後ろへと引いた反動を利用して、腰の回転を利用して。
重心を前へ、前へ。
自身の体重を拳に乗せる様に。
ゴゥン……ッッッ!!!!
と、今までの金属同士の衝突より更に重さを感じる音が響く。
「――ぐぎぎ……ッ」
女の影人はその攻撃を受け止めていた。
受け止めては、いた。
眼前で再び両腕をクロスさせた構え。
二本の腕で、真城の拳を……。
桜井との会話の最中、必死に藻掻いていたわけだ。
思ったよりも早く抜け出せたらしい。
しかし、もう遅い。
ここまで来たならお終いだ。
真城の攻撃は今の一撃だけではない。
それだけでは終わらない。
真城は、もう一歩……前へ踏み込む。
右拳を握り締め、後ろに引く。
ストレートではない。
決めるのはアッパー。
女の影人がクロスさせた両腕と身体のその隙間へと、下から拳を差し込んでガードを崩す。
そしてその先に待つ顔面。顎を直接狙い撃つ一撃。
体重を込める。
体重を移動させる。
腰、肩、腕と勢いを伝達させる。
影を纏い、一回り大きく膨らんだ右拳が向かう。
そして……決着が、ついた。




