第12話 『“影無し”の男』
「よし。これで四人目だね」
そんな事を言いながら、テクテクと小走りで真城が隠れる校舎の陰へと戻ってくる桜井。
二人は現在、校舎の屋上を下りて、人通りのある小さな広場へと足を運んでいた。
その理由は、十数分前に遡る。
校舎の屋上への侵入を果たした二人は自身の目、或いは持ち運びがお手軽な小さな双眼鏡を使って辺りの人々を見渡した。
目的は影人を探す事。或いは“影無し”を探す事である。
“影狩り”に所属する者達。
彼らにある共通する力。“影耐性”が備わっている。
それは言わば、“影の変化に気づく事の出来る力”である。
影人化を引き起こした影。
その影にはある変化が起こるという。
それは、人と影が同じ動きをしていない。
或いは、影の無い人がいる。……といった事態だ。
影とは本来、その影を作っている物体や生物と同じ動きをするものだ。
それも当然のこと。
影とはただの現象なのだ。
降りそそぐ日の光など、光源から発せられた光の進行が物体や生物といった遮蔽物に遮られる事によって起こるもの。
光が遮られ、その後ろの壁や地面に出来る、光が当たらなかった部分である。
ただそれだけのもの。
それだけであったはずのもの。
何故そんな事が起きるのか。
その正確な理由を真城は知らない。
が、事実。
現在の日本では“そういった”事件が起きている。
影が自我を持ち、自由に動き回る事態が起きている。
影人化を引き起こし、影を生み出しているはずの人間と同じ動きをしない影。
それら“変化”を観測しうる力こそが“影耐性”。
これは驚くべきことではあるのだが、どうも“影耐性”を持っていない者にはその変化は分からないらしい。
影と本体が同じ動きをしていなくとも、影が足元から無くなっていようとも。
本人含めて気が付かない。
真城も現状“影無し”に分類される状態だ。
来ている服の影を除き、全ての影が存在しない……まさに“影無し”なのである。
しかしそれでも、“影耐性”の無い者が見れば、影があるように見えるらしい。
おかしな話である。
まあ、そんな話はさておいて。
つまるところ、影人を発見したのだ。
厳密には影人化を起こしている“フェイズ1”の影人を、だ。
二人はそれら影人を見つけては、そこへと向かって処理をしている。
桜井の言葉からも察する事ができるように、今しがた四体目の“フェイズ1”を斃し終えたところである。
“フェイズ1”の斃し方。
それは実に簡単だ。
影人化を引き起こし、“フェイズ1”となっている影へと近づいて、“影踏み”をする。
その際に影を操って、靴裏にブレード状の刃を影で形成しておけば……。
刺された影人は絶命するというわけだ。
……えぐい。
“フェイズ1”は自我が芽生えた程度から、本体を離れずに足元で自在に蠢く程度の個体を指す名称。
つまりは、一般人や“影狩り”に対して攻撃手段を持ち合わせていない状態なのだから斃すのはかなり容易である。
真城も仕留めた四体の内、二体をこの方法で撃破済み。
しかし、影人を初めて殺したというのにそれ程実感が湧いていない。
小さい頃に子供が遊ぶ“影踏み”の要領で斃しているのだから仕方がないのかもしれないが、そもそも現状では実害の無い影人だ。
いずれ成長し、身体を乗っ取る行動を起こすと分かっていても、こうも一方的に斃せては、蚊やゴキブリを殺すというよりも、道端の何の罪も無いアリを潰している様な感覚に近い。
人を救ったことよりも、例え影人とはいえ実害の無い相手を殺してしまったという気持ちの方が勝ってしまう。
影人だって生きている。
そんな事を言うつもりはないが……、しかし。
この胸に残る罪悪感。
例え慣れれば消えてしまうものだとしても、果たして忘れていいものか?
そんな感傷にふけっている真城へと、桜井の声がかかる。
「それにしても……。
随分と影人化を起こしてる学生が多いねぇ、この大学。
いくら卒研が大変だからって、こんなにいるもんかねぇ?」
腕を組み、むむむと唸る桜井。
真城としては、“影人工場”と呼ばれる状態がどのような頻度で影人化を生む環境なのかが分からぬ故にそういった疑問を持たないが、桜井からするとどうも変であるらしい。
「そんなに多いんですか?」
「うん。結構多いよ~、これ。
ただでさえ、今は夏季休暇の期間中で大学内の人数も少ないはずなのになぁ。
大学内でこれなんだから、凪原町全域で考えたらかなりマズイよー……」
……それは確かにそうである。
真城も言われて思い直す。
“影人工場”などと言うものだから、てっきりこれくらいでも普通なのだと納得していたが、よくよく考えてみれば確かに異常だ。
これだけ限られた区画、大学内だけで四人もの“フェイズ1”が出ていては、凪原町単位で考えればどうなるか。
このまま影人達が順調に成長してしまえば、その数は四年間での行方不明者数十一名を大きく上回る事態に発展することだろう。
それも一年も満たぬうちに……だ。
「これは……影人達が人間に効率よくストレスを与える方法を熟知しているか。
或いは、影人化を促すような能力を持った影人がいるか。って感じかなぁ~。
四年間もここを拠点にしていた事を考えれば、その両方って線もありえるし。
どちらにしても、早急に手を打つ必要があるね」
そう言って、桜井は専用端末を操作する。
本部にこの件を伝える為だろう。
桜井が専用端末へと目を落とす中、真城は何の気なしに辺りを見渡す。
それは別に何者かの気配を察したわけではない。
話し相手の桜井が専用端末に夢中で暇になったからでもない。
本当に、ただ何となく辺りを見渡しただけだった。
しかし。
(……うん? あれは)
なんの偶然か、奇妙なものが真城の視界へと映りこむ。
真城の視線の先を歩く一人の人物。
その足元にある影へと真城の視線は引き寄せられていた。
もしも、真城が“影耐性”で見る景色に慣れていたのなら。
或いは今、この場所が、真城にとって限られた空間。大学内でなかったのなら、見過ごしていたであろう小さな違和感。
真城は急ぎ、横にいる桜井の肩をたたくと、その違和感を桜井へと打ち明ける。
指をさし、目的の場所が何処なのか、それを桜井へと伝えながら。
「あの人、……“影無し”だ」
~ ~ ~ ~ ~
ひとえに“影無し”と言っても、様々な意味がある。
色々な用途がある。
その意味は大きくわけてこの三つ。
影人の証。
影人へと堕ちる危険信号。
影人から解放された被害者の総称。
真城の様な例外もあるわけだが、それは今回置いておこう。
ともかくとして、今指すべき“影無し”の意味は三つ目だ。
真城が見つけたある男。
その者は少し小太りな中年男性。
白いワイシャツに黒めのネクタイ。
上から羽織る焦げ茶色のスーツとそれに合わせた焦げ茶色のズボン。
その見た目であることに加え、ここが大学であることを考えれば、彼が大学教員、教授や講師といった立ち位置の人物であることは想像に難くない。
その男が“影無し”であった。
……それだけだ。
別に真城のように、人に当たる部分の影が全て無くなっているわけでもない。
少しだけ。本当に少しだけ、右肩辺りの影が欠けている程度である。
では何故、真城がその男に違和感を覚えたのか。
その理由は真城自身、明確だった。
“影無し”……それは影人化を起こした影が、“影狩り”よって斃される事で生じる後遺症の様なものである。
影人は、斃されれば元の影へと戻る。
しかし、その影はどこか一部形が欠けている状態となってしまうという。
理由は不明。
しかし斃され、元へと戻った影には必ず起こる現象だ。
普通の影では無い。……故に“影無し”。
そんなある種、蔑称のように呼ばれる者達の総称。
それ以外の理由で起こる事はないはずのない現象。
……では、その男はどうして“影無し”なのか?
それこそが真城の感じた違和感。
先程言った様に、この場所が真城にとって限られた空間。大学内でなかったのなら、見過ごしていたであろう疑問点。
真城達は今回の任務で既に四体。
影人“フェイズ1”を斃している。
それら影人化を起こしていた学生達が“影無し”となった事も確認済み。
で、あればだ。
何故この男は、“影無し”となっているのだろう。
真城ではない。
桜井でもない。
勿論、先にこの大学の“影世界”で戦闘したという『影世界専門部隊』からもそんな報告を受けていない。
ここ凪原町自体、こんな状態となっている事を“影狩り”が知ったのも最近のはず。
ならば、他の“影狩り”がやったという可能性も低いだろう。
考えられる可能性としては、彼がここの大学で教師となる以前のこと。
どこかの街で影人化を起こしていた彼の影を“影狩り”が見つけて処理したというくらいのものだろう。
“影世界”が生まれて十年間。
“影狩り”が発足したのは三年前だが、それ以前より非公式で活動していたようである。
ならば日本中、それなりに“影無し”の人間もいるだろう。
そのうちの一人と出会った。
ただそれだけと、考える事も出来る。
しかし、しかしである。
言わば第六感、……直感とも呼ぶべき何かが真城に待ったをかける。
“彼には何かある”……と。
しかし。
「うーん……どうだろう?」
桜井は真城の指摘に対して、怪訝そうな顔をする。
それも当然の事だろう。
真城の言葉には説得力が何もない。
ただ気になるだけ。
“勘”だ、としか言いようがないのだから。
とはいえ。
理由はどうあれ、折角真城が指摘してくれた事である。
桜井としてもあまり無下にはしたくない。
なにより。
人間の“勘”というものは案外馬鹿に出来ないものなのだ。
勘とはつまり直感だ。
生物の持つとされる感覚……五感。
それら『味覚』『聴覚』『嗅覚』『視覚』『触覚』のどれにも当てはまらないとされる第六の感。
しかしそれも、こう考えることが出来る。
こう、言い換える事も出来る。
例えば浮気なんてどうだろう。
浮気を疑う妻が、夫から感じ取る違和感の正体で言えば以下の通り。
人間、やましい事があれば相手の目を見て話す事が出来なくなるものだ。
目が泳ぐ。目の挙動。……それを妻は『視覚』で捉えることが出来る。
強く問い詰められれば夫の声が裏返る事もあるだろう。吃ることもあるだろう。
勿論これは『聴覚』で聞くことが出来る。
女の匂いというものがある。それは別にフェロモンなどという難しいもので無くてもいい。香水の匂い。それだけを『嗅覚』で嗅ぎ分ければいい。
会話が減っている。態度が変化した、なんてこともあるだろう。
妻との肉体的な触れ合いが減っている、ということも考えられる。
プレイの仕方が変わる。キスの仕方が変わる。
スキンシップの変化。
それらは『触覚』に当てはまるのではなかろうか。
真偽は定かではない。しかし一説によれば、浮気をすると『味覚』が変化するなんて事もあるようだ。
夫の食生活が変化する。食の好き嫌いが変わる。
今まで、好きだと言って食べていたもの。或いは嫌いといって避けていたもの。
それらが急に反転するなど、……怪しくないわけがない。
夫が浮気をしている。
そう思う理由は、これらなどに該当するだろう。
勿論他にもあるだろうが、それは今回置いておく。
『これがこうならば、浮気の可能性がある』
といった順番で、脳がそれらを理解していく事となるわけだ。
では。
これら五感が感じ取った違和感に対し、脳の処理が付いていけなかった結果、『浮気の可能性がある』という結果だけが先に出てしまい、省略してしまった着眼点や理由の部分を脳が言語化できなかったものこそが“直感”と言われるものの正体なのではないか、と。
……第六感と呼ばれるものに当たるのではないか、と。
つまり真城は、この“影無し”の男に対して何らかの情報を五感より取得していながら、それを真城自身の脳が処理しきれていないが故に、何故そこに違和感を覚えるのかを言語化することが出来ないだけなのではないか……と。
で、あるのであれば。
なおのこと無下にも出来ない。
或いは本当に、“直感”や“第六感”といった事象が起こった可能性も否定できない。
そもそもの話をしてみれば、“影が自我を持つ”だの“影が欠ける”などといった本来ありえない事態は起こっているのだ。……“直感”や“第六感”。またそれに似た能力が存在していても、なんら不思議な事では無い。
ビギナーズラックといった言葉もある。
桜井には無い視点。
既に、こういった状況、任務に慣れてしまった桜井では気付けないこと。
初任務であるからこそ、真城が気付けることもあるかもしれない。
どの道、現状で何かしら有効な手段が望めるわけでもないのだ。
“もしかしたら”程度でいい。
頭の片隅にでも入れておくだけでも損はないだろう。
そう納得し、桜井は専用端末に手をかける。
「うーん。
まあ一応、本部に伝えて調べてもらおうかな~。
あの人がどうして“影無し”なのか。
本部には“影狩り”が斃した影人やその“フェイズ”。
影人化を起こした人の情報なんかもちゃんと保存してるから、数分もしないうちに分かると思うし」
そう言って、操作を始める桜井。
ついでに、経過報告として今までに斃した四体の“フェイズ1”の情報も送るらしい。
何故、そういった情報も管理しておくのか。
それは当然、何らかの役に立つ機会もあるだろう。……という理由からである。
事実今回こうして役立ったわけなので、他にも用途があるのだろう。
こういった情報をまとめて仕分けするのが『支援部隊』。
桜井の言う本部とは、つまり『支援部隊』のことである。
なんでも、一度影人化を起こした後、“影狩り”に斃されて戻った影。
“影無し”達は、“唯一の例外を除いて”もう二度と影人化を起こさないらしい。
そう言った意味でも、もうなった者とそうでない者を区別しておく必要があるのだろう。
“影無し”の男の姿をもう一度みようと、真城は辺りを見渡す。
しかし男の姿は既になくなっていた。
真城が桜井と話している最中に見失ってしまったようである。
しかし、まあ別に問題はあるまい。
彼がここの職員であるのなら、大学のホームページなどを調べれば出てくるだろう。
桜井が本部へと情報を送る際、念のため真城が撮っておいた“影無し”の男の顔写真も添付してもらった。
最悪、その顔写真から人物を特定することだって可能なのだから、とりあえずは本部からの連絡待ちである。
顔写真なんていつ撮ったのか?
それは真城が“影無し”の男に気付いた後、すかさずカメラに収めたものである。
『専用端末についたカメラはシャッター音がならないので、気になるものがあったらとりあえず撮っておくといいですよ。役に立つかもしれません』……とは、九条から聞いた入れ知恵である。
任務においてこのカメラ機能は思いの外、重宝するらしい。
影人化を起こしている影についても一段落だろう。
とりあえず、目で確認した範囲内では見当たらない。
真夏の太陽が、ジリジリと肌を焼く。
空気も熱い。
(喉が乾いた……)
そんな思いから、二人は屋内へと足を運ぶ。
何故今まで屋外で活動をしていたのか。
それは単純に、外の方が“影人化”を起こしている影を見つけやすいからだ。
照り付ける日の光を浴びて、影がはっきりと姿を現す状況は、影の変化を見定めるのに丁度いい。
勿論校舎の中であっても、影の変化を見分ける事はできる。
しかし、それだと遮蔽物などが多く、また、人影以外の影も多く存在する為に人影の全体像を掴むのが難しい。
それが例え、“影人化”を起こした影であっても、他の影と重なってしまえば見分けがつかなくなってしまうのだ。
二人が何気無く訪れた場所。
それは、学生食堂だった。
学生や職員といった大学関係者のみならず、一般人さえも利用可能。
ボリュームの割には手ごろな値段で食事にありつくことの出来るこの場所は、一人暮らしを始めたばかりの真城もよく利用したものだ。
とはいえ、今回食事に用はない。
どちらかと言えば、その食堂付近に配置された自販機にこそ用がある。
大学の自販機。
詳しい理由を真城が知るわけも無いのだが、外の自販機と比べても安い値段設定となっていることが多いのだ。
限られた生活費の中で苦労する学生にとって、そういった小さな違いでさえ有難いものである。
何を買おうか。……などと考える真城達。
そんな二人に声がかけられた。
「ヒヒッ。お前らだな。
侵入してきた“影狩り”ってのは」
突如二人の前に姿を現した影人。
それを目撃すると同時。
真城と桜井が戦闘態勢に入ったのは、同じだった。




