第6話 『大浴場と修練場』
朝。
真城は目を覚ました。
時計は未だ5時の時刻を指している。
昨日、寝すぎてしまった為だろう。
慣れない自室とベッドの影響かもしれない。
ともかく、思いの外早くに目が覚めてしまった真城は、これ幸いと早々に大浴場へと向かうことにした。
エレベーターを使い、五階層へ降りる。
チン。と、短い到着音が響き、エレベーターが目的地に着いたことを真城へと知らせる。
シーンと静まり返った五階層。
昨日、ドンチャン騒ぎがあったことなど嘘のようだ。
流石の真城も、今の時間まで騒いでいるなどとは考えていない。
しかし、酒で酔いつぶれた人達で溢れかえっている……くらいには考えていた。
しかし、それが無い。
人ひとり見当たらない。
無人である。
おぉ……、と小さく感嘆の声を上げる真城。
“影狩り”。
その主な仕事内容は戦闘である。
今でこそ、“影狩り”本部内には様々な娯楽施設が存在し、戦闘員達のメンタルケアに勤める職員でさえ、元は影人と戦っていた戦闘員であったらしい事を真城は歓迎会の際に教わった。
年齢的に戦いが困難になった者や、体の不調が原因で戦闘を引退した者達が働く、第二の勤め先がそういった娯楽施設の管理なのだとか。
この仕事が“秘匿”されるが故、ここで戦えなくなったからといって他の就職先へ行くことが出来ない。……といった弊害を補う為の処置。
……そういった経緯からなのか。
ここで働く者達は、自己管理能力が高いのだろう。
自身のストレスをコントロール。
健康、体調の管理などを怠れば、影人との戦いで命を落としかねないのだから、当然と言えば当然か。
二日酔いが原因で命を落とすなど目も当てられない……。
例えここが本部内であっても、それは変わらないのだ。
大浴場に到着した。
暖簾をくぐり中へ入ると、脱衣所で服を脱いで風呂場まで直行する。
途中、貸出用のタオルが積まれた籠を見つけたので、その中からタオルを一つ借りる。
そういえば風呂に行くというのにタオルを持ってこなかった……と、反省する。
真城の自室には確かタオルもいくつか用意されてあったのだ。
ガラガラ……。
小さな音を立てて入口の扉を開けた真城は絶句する。
真城の手前、オレンジ色の照明が照らす落ち着いた雰囲気の大浴場が目に入った。
大きな岩で囲まれた温泉。
また、その温泉から立ち上る湯気に遮られ、淡く輝くオレンジ色の明かり。
それはどこか幻想的な雰囲気を真城に抱かせる。
大浴場の壁には、竹を加工して作られた柵の様な装飾。
灯篭の形をしたライトや、植物などが至る所に配置され、そこかしこから“和”を感じるデザインとなっていた。
「これは……凄いな」
誰に聞かせるでもなく真城はそう呟いた。
大浴場とは聞いていたが、まさかこれほどとは思わなかった……。
真城は入ってすぐ脇の桶置き場から桶を一つ借り受けると、かけ湯を済ませる。
次いで洗い場へ向かうと、用意されたシャンプーとボディーソープを使って身体を洗う。
そのまま湯船に浸かってしまおうかとも考えたが、折角なのでこの大浴場を見て回ろうと思い至る。
現在この大浴場は真城しかおらず、真城の貸し切りと言ってもいい状態だ。
人の居ない今のうちに、色々と確認しておいた方が良いだろう。
真城の目の前に広がる、岩で囲まれた温泉。
その他にもいくつかの温泉がこの大浴場内には用意されている様なのだ。
…… ……
「ふぅーー……」
真城は肩まで湯船に浸かりながら、大きな溜息を吐いた。
真城が今入っている温泉は最初に目に留まった、岩で囲まれた温泉だ。
約数分かけて大浴場を一周した真城は、出発地点へと帰ってくるなり温泉へと駆け込んだ。
いくら大浴場といえども、温泉に浸かることなく歩いていれば寒いだけなのだ。
真城は足の筋肉を伸ばす様に目一杯足を広げると、次いで肩の筋肉を伸ばす為に腕や首を回す。
そうして、再度大きな溜息を吐いた。
日頃の疲れが吹き飛んでいくようだ。
大浴場。
真城が見て回った結果を言うならば、この温泉の他にも、毎日湯の内容が変わる日替わり温泉や陶器風呂。
効能や温度の違う温泉が三種。
水風呂にサウナ。
岩盤浴の出来るスペースなどが確認できた。
流石にここが地下施設であることから露天風呂が無いのは仕方のないことだが、それを補って余りある程に満足できる空間となっている。
この様な大浴場に無料でありつけるなど、とてもじゃないが信じきれない。
何か裏があるのでは……?
そう勘繰ってしまえる程のものであった。
これだけすごい大浴場なら、いくらでも入り浸っていられそうだと真城は思う。
この大浴場の隣に、マッサージチェアが数台置かれているのも確認済み。
有料にはなるがマッサージルームもある。
……完璧だ。
とはいえ、今日……もとい今日から真城にはすることがある。
戦闘訓練だ。
予定では確か9時からだったか。
現在の時刻からしてまだ十分に余裕がある。
出来るだけこの大浴場を堪能してから挑もうではないか。
~ ~ ~ ~ ~
真城が大浴場を後にして、いつもより少し早めの朝食を取った後。
自室へ戻った直後の事だった。
タイミングを見計らったかのようにかかってきた九条からの連絡を受け取った。
内容は端的に、「今日から予定している戦闘訓練を第九階層にある修練場で行うので、時間になったら来てほしい」というもの。
修練場。
それは確か、七階層から九階層に渡って設けられた戦闘訓練用の施設だったはずである。
真城の訓練もそこで行うということなのだろう。
連絡を受けた真城は時計を確認し、まだ時間に余裕がある事を確かめると、先に済ませるべき用事を片付けることにした。
自身の携帯を操作し、『店長』の連絡先をアドレス帳から探し出す。
『店長』というのは勿論バイト先の店長のことだ。
数回のコール音の後、店長からの応答がある。
真城は、自身が風邪で寝込んでいることを伝えると、「申し訳ない」と謝罪しながら見えるはずもないのに数度頭を下げる動作をして通話を終えた。
深い溜息を吐く。
先程大浴場で洗い流したストレスが、再びぶり返したような気がする。
罪悪感。
それは、いままで真城が生きてきた中で、もっとも多く、もっとも精神をすり減らす感情。
真城自身、どちらかと言えば……“自分がどうありたいか”よりも“自分がどう見られるか”を気にする人間だ。
自分が馬鹿であると自覚した時から。
自分が医者にはなれないと諦めた時から。
ずっと。
ずっと、“他人にどう見られるか”、“どう評価されたいか”ばかり考えて生きてきた。
高校の頃もそうだ。
テストの点数にばかり執着していた時がそうだ。
人を助ける役職に就きたいと考えたのもそうだ。
そんな経緯からだろう。
真城の性格。
その根底、根っこの部分は何も変わっていない。
原田との一件を乗り越えて、自身の“夢”へと歩み出した今でもそうだ。
“自分がどうありたいか”を優先したはずなのに、結局は“自分がどう見られるか”を意識してしまう。
仮病を使った罪悪感。
私情により、他人に迷惑をかける罪悪感。
この数か月、バイトをしていれば分かること。
今の期間がどういった期間なのか。
何故真城のシフトが四連勤やら五連勤であったのか。
そんなこと、考えるまでも無い。
忙しいからだ。
世の学生達が夏休みを謳歌しているこの時期は、真城の働くコンビニにとっての繁忙期に他ならない。
無論、年始年末などと比べれば大したこともないのだが、忙しいことには変わりない。
今がそういう時期なのだから、当然学生のアルバイト達は休みを取りたいし、パートの人達であってもそれは変わらない。
必然的に従業員が減るのに加え、客足は増えるのだから忙しいのは当たり前。
そんな時期に真城が休めばどうなるか……?
考えるだけで頭が痛くなる。
真城の休む理由が体調不良であるが故、店長も無理を言うことが出来ないのだ。
日頃から、コンビニバイトに明け暮れていたおかげだろう。
良いか悪いか、ある種の信頼を得ていた真城だからこそ、余計な詮索をされることも無く、休むことが出来たのだ。
『真城君は嘘を付く子じゃない』
そんなある種の信頼が……。
『いつも頑張っていたんだし、風邪の時くらい休ませてあげよう』
そんなある種の優しさが……。
仮病などという嘘を付いた真城へと、罪悪感として突き刺さる。
いまならまだ。
いまからでも。
嘘を撤回して、バイトへと行きたいという思いを駆り立てる。
人はこの感情を何と言うのだろう。
正義感……?
責任感だろうか……?
ただの馬鹿だと笑う人もいるかもしれない。
それでも。
それでも、『真城晴輝』という人間はこうなのだ。
こうなのだから、仕方がない。……仕方がないのだ。
時計を見る。
時刻は8時半を過ぎた頃。
そろそろ修練場へ向かう頃合いだ。
真城は軽く身支度を整えると、部屋を出て集合場所へ向かうことにした。
~ ~ ~ ~ ~
時刻は9時。
現在、真城は第九階層目にある修練場。
その一室に来ていた。
理由は勿論、これから戦闘訓練を行う為である。
「お待たせしました」
少しして、慌てた顔の九条と仏頂面な一ノ瀬が修練場に現れる。
「すみません。遅れてしまって……」
「いえいえ。俺も今さっき着いたばかりなので」
誤る九条に真城は問題ないことを伝える。
未だ面倒くさそうに頭をボリボリとかいている一ノ瀬が視界に映る。
この九条と一ノ瀬の様子から察するに、二人が遅れてやってきた理由は主に一ノ瀬にあるのだろう。
大方、戦闘訓練をサボろうとしていた一ノ瀬を九条が無理やり引きずって来たに違いない。
神崎が、初めの2日間に九条を同行させた理由が分かった気がする。
流石は神崎と言うべきか、一ノ瀬の事をよく理解している。
そもそもの話。
一ノ瀬は、真城の戦闘訓練を一度断っていた。
神崎からの頼みとは言え、やる気が無いのはその為だろう。
元から一ノ瀬は真城を歓迎していない節もある。
病院での一件でも、原田の過去の内容を真城に伝えることで、真城が“影狩り”へと入ろうとする意志を削ごうとしていた。
真城が日常へ帰ることを望んでいた。
“影狩り”に入るといった時の一ノ瀬の表情もよく覚えている。
その後、真城へと襲い掛かって来たぐらいだ。
結局、その行動の理由を知ることは出来なかったが、そんな一ノ瀬の行動から心境を察することは容易だ。
結論を言えば、一ノ瀬はこの戦闘訓練をしたくないのだろう。
単に教えるのが面倒だとかではなく、『真城晴輝』に教えることを拒んでいる。
……介入を拒んでいる。
……まぁ、決まってしまった以上はちゃんと教えてもらいたいというのは真城の本音。
だいたい、そんな心境の一ノ瀬には申し訳ないかもしれないが、そんな一ノ瀬に教わらなければならない真城の心境も少しは察して頂きたい。
正直な所、今この場所に九条がいてくれるのは有難い。
初めから一ノ瀬とのマンツーマンなど、真城には耐えられる気がしなかった。
……これから一週間。
真城はここで戦闘訓練を行う。
それは真城にとって、かなり過酷なものとなるだろう。
真城は戦い、喧嘩というものが好きではない。
人を殴ったことでさえ、記憶にある限り原田の一件が初めてだったのだ。
人を殴る感触。
それは今の真城でも鮮明に思い出せるほど。
この手が……、この拳が……覚えているのだ。
肉に打ちつけ、固い骨に当たる感覚を。
しかし。
贅沢も言ってはいられない。
真城の手に入れた“力”。
唯一無二の、真城晴輝だけが有する“力”。
その“力”を持ってなお、結局はその“力”を相手に当てる技量が必要だ。
当てたところで勝負が決まるわけでもない。
当て続けることも必要なのだ。
その為には、真城自身が敵を無力化し拘束できるだけの体術、ないし戦闘能力が必要不可欠だ。
他人に頼るわけにはいかない。
最後のとどめだけを頂くわけにはいかない。
真城晴輝が、人々を助ける為に。
真城晴輝、自身の為に。




