第16話 『“白菊梓”』
身体に結晶を埋め込まれ、身体を熱と痛みが駆け巡る。
点滅する視界から暗転し、やがて意識が遠のいて白菊は目を瞑る。
……その中で、白菊は真城の顔を思い浮かべ、助けを求めて――。
失った意識の中で……白菊は、自身の過去の情景を夢に見た。
~ ~ ~ ~ ~
それは、白菊が小学二年生の頃だった。
昼休みの時間を使って、クラスの何人かと一緒に鬼ごっこをしていた時の事。
白菊はぬかるんだ地面に足を取られ、盛大に転倒した事があった。
別に鬼に追われて慌てていた、という訳じゃない。
ただ単に鬼ごっこなどとは関係無く、走るのが大好きだった私は、鬼が数を数え始めるのとほぼ同時、誰よりも早くひた走り、校舎裏まで駆け抜けて……そして、しくじっただけだった。
ただ、当時の私は幼かった事もあり、また擦りむいた膝がヒリヒリ傷んで血を流し、こけた時の衝撃とも相まって、泣いてしまった訳である。
……そんな時であった。
私が、真城晴輝と会ったのは。
一人で静かにすすり泣く私に、真城が話しかけて来たのだ。
真城晴輝。
その時の私が持つ印象としては、身体が弱い為なのかよく休み、体育の授業などでも一人で静かにしている様なパッとしない人物で、同じクラスではあるものの話した記憶は特にない。……そんな程度の男子であった。
偶々、偶然居合わせただけの男の子。
そんな真城と一瞬目が合って。……しかしすぐさま真城は何処かへ駆けていった。
まぁ別に、期待などはしていなかった。馬鹿にして笑われなかっただけ上等か。或いは先生でも呼びに行ったのか。などとあれやこれやと考えて、しかし未だに痛む膝の傷に目をやって、……そんな時の事だった。
真城が戻ってきたかと思ったら、何故かこちらへと駆け寄って……一体何なのかと疑問符を浮かべる私の前で膝を付くと、傷ついた私の膝へと濡れたハンカチを押し当ててきた。
「――いっ、」
「あっ、ごめん! ……痛かった?」
顔を顰める私へと、真城は慌てて謝罪する。
しかしそれで行為が終わるのか、と言えばそんな事はなく……ハンカチを押し当てる力が若干弱くなった程度の変化のみで、真城はゆっくりと血を拭ってく。
「傷口は早く洗わなきゃ、ばい菌が入っちゃうんだって」
そんな事を言いながら、真城は血を拭い終えたハンカチをポケットに突っ込むと、今度は少し大きめの絆創膏を取り出して、傷口をしっかりと覆う様に貼り付けた。
なぜ絆創膏を持っているのか?
そんな疑問がふと、私の口を衝いて出た。
真城はそれを聞くと、少し誇らしげにエヘヘと笑った。
「実は、その……将来、医者に……、人を助ける仕事がしたくって」
気恥ずかしそうに、そう告げて、
「お父さんとお母さんみたいに……僕も、誰かを助けられる人に成りたいんだ! ……だ、だから、」
だから。
いつでも誰かを助けられるようにと、絆創膏を両親に内緒で学校に持って来てたらしい。
「…………、」
まぁ何とも子供らしいというか、可愛らしいというか、何というか。そんな答えが返ってきた。
私は、いつも間にか泣き止んだ顔で、吹き出す様に笑っていた。
そう、そうだ。
そういえばそうだった。
別に、それで真城に対して恋愛感情の様なものを持ったという訳じゃない。のだが……この出会いをきっかけに、私達は仲良くなり……よく話す様になったのだ。
~ ~ ~ ~ ~
ここで突然だが、私の家庭。
両親についての話を少ししよう。
私の母と父は、いわゆる“出来ちゃった婚”だったらしい。
元々真面目寄りだった母親が、女遊びをする様な悪い男に騙されて……というやつだ。
母は真面目故に、或いはそうする事で顔だけは良かったらしい男を繋ぎ止められるとでも勘違いした為か、子供を……つまりは私を出産した。
男は遊び人。
ろくでもない人間だという事は、周囲の人にも分かりきっていた事だった。
それ故に母側の親類は、そんな男との結婚を強く否定したらしいのだが……、そんな反対を押し切って母は結婚に踏み切った。
男もただの気まぐれか、或いはそれも遊びの一部だとでも考えたのか、それは分からないがともかく、結婚を了承した。
斯くして始まった結婚生活は、まぁ……その、なんだ。
分かりきった結果ではあった訳だが要するに、当然の様に破局した。
女遊びの多い男。
時々顔を出しては適当に都合のいい甘い言葉で母を誑かしては、まるでATMと言わんばかりにお金だけをむしり取っていくようなそんな男は、いつしか帰って来なくなった。
次第に離れていく男。
最終的に母は心でも折れたのか、熱でも冷めたのか、或いは母の親類達の介入によって一種の洗脳でも解けたのか……、結果として離婚という形で相成った。
男も反対しなかった。やけにあっさりと身を引いて、もうATMとしての価値も無しとばかりに消えていった様だった。
親権は母へと渡り、そうして私と母との二人暮らしが始まった。
それが丁度、私が小学年に上がる頃の事だった。
小学生に成って以降。
次第に思考力も年相応に出来てきて、自分でもある程度に考えられる様になった……そんな私の目からして、母は……狂っていたのだと思う。
それはもしかすると、顔だけは良かった男に愛されて、特別感に酔いしれた。或いは価値観を壊されてしまった為なのか。愛に飢えていた為なのか。
その答えを、私に推し量る事は出来ないが、しかし結果として……母は、別の男を探し求めるようになっていた。
子育てが大変という事は分かる。
お金が必要という事も分かる。
片親だけで稼げる程度のお金では生活が苦しい、というのも分かる。
きっと、寂しかったのだという事も頷ける。
だが、それはそれとして……という私の気持ちも、分かってもらえると幸いだ。
別にあの男と縒りを戻せ、などと言うつもりは無い。あの男と別れたこと自体は正解だ。……とは言えど、それはそれとして母が別の男にすり寄る姿は、子供としてはあまり見たいものではないのだから。
母が求める男は、初めの内は顔立ちの整ったイケメンの類のみだった。
しかし次第に、母の求めは金持ちや裕福な人物へとシフトしていった。
それは、初めの内はまだロマンというか、自分の好みを追いかけるだけの余裕があったからであり、それが生活の困窮に伴って、なりふり構ってられなくなった。というだけの話であった。
そりゃそうだ。イケメンじゃ心が満たされようとも腹は一向にふくれない。何をどうしたって生きていくには金がかかる世の中なのだから。
ただ。
そんな思考回路のシフトが故に――、
~ ~ ~ ~ ~
それは、授業参観の日だった。
両親が仕事で忙しく、参加出来ないという事に悲しむ真城を励ましながらも、いつもの様に他愛のない話を交わしつつ私は席に着いた。
あの、絆創膏の一件から随分と仲良くなったものである。
背後から母の視線を感じながらの授業。
そんな授業の一つが一段落した休み時間。仕事が忙しいので途中で帰るという母を見送る為に玄関口へと移動した。
その途中で私は、すれ違う親子、或いは親達のグループの間でいくつもの真城の話題が飛び交っているのを耳にした。
それは、『真城家の両親は医者である』、『それ故に金がある』、『別荘だってあるらしい』などといったものだった。
その意味を、当時の私が正しく理解出来た訳じゃない。
意味を正しく理解出来たのは、もう少し高学年になってからな訳なのだが、その意味が悪性寄りである事を知ったのは、悲しい事に――この後の出来事がきっかけとなった。
玄関口へとたどり着き、靴を履き終えた母が「あぁそうだ」……と、さも今しがた思い出したかのように呟いて私の方へと振り返る。
正直、この時から嫌な予感はあったのだ。
ただ、それが一体何なのか。それを幼い私は理解出来ていなかった。理解出来るだけの知能を得てはいなかった。
いや、この時の私は……まだ母を嫌ってはいなかった。子供ながらに、愛されたいなどと……そう思っていたのだろう。
……だからこそ、この時の私はただ何も考えず、無邪気に母の言葉を待っていた。
母が私に視線を合わせる様に屈みこむ。
そうして私の頭に手を載せて、数回撫でた後に口を開く。
「梓って、晴輝くんと仲が良いんだね。お母さん、二人が仲良さそうに話してるのを見て驚いちゃったよ」
私は驚いて目を見開く。
真城と話していた所をいつの間に見られていたのか、と。
だが、そんな驚きや気恥ずかしさを押しのけて、しかし次いで私に沸いた感情は“嬉しさ”であった。
それは、笑いかけてくる母の持つ“喜び”の感情を察知して、或いは感化されて、自身も嬉しくなってしまったからだった。
「本当?」
と私は尋ねる様にそう返す。
母が嬉しがっているのなら。喜んでくれているなら、それは私だって喜ばしい。
「えぇ。晴輝くんはね、ほら、梓も知ってるあの真城医院の所の息子さんなのよ。凄いでしょ?」
嬉々とする母へと私は「そうなの?」と首を傾げて問い返す。
それは一体何が凄いのか? 医者の息子という事が凄いのか?
果たしてそれは“凄い事”……なのだろうか?
と、そんな思考が渦巻くがしかし、きっと今の自分には分からない事なのだろうと思い改める。
「だからね。その調子で晴輝くんとは仲良くしておきなさい。……きっと、良い事があるから。分かった?」
だからこそ、母からこの言葉を受けた時でさえ『私はそういったものが目当てで真城と仲良くしたい訳じゃない』『ただ仲良しなだけでいい』と、そういった思いがあったにも関わらず、……ただ、母が喜んでくれるならと。そうすれば愛してもらえるかもと、そんな考えにしか至れずに、
「うん。分かった」
とだけ頷いて、――それが間違いだったのだと後悔した。
ガタン!
と背後で何か音がして振り返り、そこに真城がいることに気が付いて……。
その真城が涙を流して見開く目を、私へと向けている事にも気が付いて……。
首を振って玄関の外へと駆けていく真城へと手を伸ばすも届かずに、何を言えばいいのかも分からずに、ただただ私は立ち尽くし……それでもと、ようやっと駆け出したのは数秒経ってからの事だった。
いつだって、後悔が先に立ちはしない。
何でもいい。
何か少しでも弁解しよう。弁解したい。
そんな思いで真城の事を追いかけて、しかし中々見つける事が叶わずに……ようやっと真城を発見したのはそれから一、二分経ってからだった。
だが、私の目に映った光景は、校門前。途中参加でやって来たらしい母親へ、泣いて抱きつく真城の姿であり……結局、私は何も声をかける事が出来なかった。
謝るタイミングを完全に逃してしまい、また真城が私を避けるようになってしまった事。謝る事が出来なかった事実が、それ以降……謝る機会を得る事も叶わずに、私達の縁はそこで終わりを迎える事となったのだ。
真城と仲違いをしてしまうきっかけ。それを作った母へと、私は何度も八つ当たりをしたし、それ以降も変わらずに、私が誰かと話す度「あの子とは仲良くしておきなさい」「あの子とは離れた方がいいだろう」などと言ってくる母へと、どれだけの嫌気と嫌悪感を募らせたことだろう。
私が高校に上がる頃には、狂った母の素行の悪さも相まって、完全に“嫌い”になっていた。それこそ、いずれ必ず家を出て一人暮らしをしてやると思う程。
まぁ……高校から今現在に至るまで、ずっとバイトを続けてはいるものの、母からの仕送りなどに一切頼ることなく一人暮らしをするには、如何せん貯金が心許なかったが為に、今尚一人暮らしを実行出来ていない訳ではあるのだが。
~ ~ ~ ~ ~
私はあの日以降、真城に対して“安易に頷き肯定してしまった事”をずっと謝りたいと思っていたし、あの時しっかりと母に自分の意見を言えば良かったという後悔と、頷いてしまった罪悪感を抱えていた。
「何やってんだよ、お前ら!! その子が嫌がってるだろ!!」
……だからこそ、その日偶然、真城と再会した時は、止まっていた私自身の中の時間が、数年ぶりに動き出したのだと錯覚を覚えた程だった。
真城は、本当にあの頃と殆ど変わらないままだった。
あの頃のまま「人を助ける仕事がしたい」、「誰かを助けられる人に成りたい」そんな願いを抱きつつ、実際にそれを叶えようと努力する人に成っていた。
では、私はどうだろう?
ただ真っ直ぐに、愚直なまでに突き進む真城を見て……そんな相手を裏切って傷付けてしまった自分が、本当にどうしようもなく汚れた存在の様にも思え……。
どうにかして謝りたい。あの日の事を謝罪したい。そんな思いが強く、大きく膨れ上がっていくのを自覚した。
だから私は、どうにか関係の改善を図ろうと、行動を起こす事とした。
それはあの時の、したくても出来なかった謝罪と償いとを、数年越しにようやっと行えるチャンスが来たのだと、そう考えるには充分なものだった。
しかし。
謝りたい。罪滅ぼしをしたい。許されたい。そしてもし許されるならもう一度、仲良くしたい。他愛なく、なんの気無く、あの時までの様に語らいたい。
そう思う私とは裏腹に、再開した真城からは私を嫌う感情がありありと読み取れた。
このままでは、真城は再び私の前から去ってしまう。そう思った私は、少し意地汚い方法を使ってでも、真城を私へと釘付けする手段を考えた。
真城の母親へと積極的に話しかけ、真城と電話番号を交換する事に成功した。
実際問題、心の底から現状困っている案件ではあったものの、“それ”を使って“お礼をする”という名目で、私と共に行動させる事に成功した。
それは全て、私が真城と仲直りするきっかけを作る為。そして謝罪する機会を得る為のものだった。
~ ~ ~ ~ ~
デートで文化祭は丁度いい。
それは人々が楽しむ為のイベントだ。であるならば、私達が二人で何か同一の遊びに興じるといった行為そのものが、“仲良くなる”とまでは行かずとも多少の関係改善に役立つのではなかろうか。……などと、少なからずポジティブに考えていた感は否めない。
或いは、真城が私を嫌う度合を見誤っていたのだろう。
だから。
デート当日、少しばかりのオシャレをして待ち合わせ場所へ向かった私が、まさか30分近く待ちぼうけをくらう事に成ろうとは、想像だにしなかった。
いや……流石に来ないとは思わないじゃないですか。めっちゃくちゃ嫌ぁな顔で苦虫を噛み潰した表情であろうとも、来てくれるとは思うじゃないですか……。
いや本当、真城家が有名で良かったよ。でなければ、ここで私の計画は水泡に帰していた。
文化祭に向かう途中。
あれこれと理由を捏ね回し、真城を彼氏役に据える事に成功した。
それは、尾倉からの執拗な付き纏いにうんざりしていた手前、真城が喧嘩に強くなっていたと知り、ボディーガードをお願いした……というのが大半の理由であり、真城に説明した事に嘘はない。
が、強いてそれ以外の理由を挙げるなら、偽りとは言え“彼氏と彼女”といった関係性の変化によって、少しでも私を意識してくれれば良いのにな。嫌悪感が軟化してくれると良いのにな。といった願い故のものだった。
白日院大学へと到着して早々に真城を連れて行ったのは、私が参加する部活。女子陸上競技部が出店するメイド喫茶だった。
理由としては、私に彼氏が出来た事を周りに伝える為である。
噂が広まってくれれば、尾倉を含めた“私に良からぬ事を企む男達”が距離を置いてくれるだろう。諦めてくれるだろう……といった思惑と、真城と行動を共にしている内ならば、尾倉の様な過激な人物が襲って来る事があっても返り討ちに出来るだろう……といった希望的観測。また、真城の返り討ちによって真城の喧嘩強さが広まれば、真城と別れた後でも十分な抑止力として機能してくれるだろう……といった考えがあってのものだった。
メイド喫茶で、メイド服に着替えて真城をおちょくりに行ったのは、まぁちょっとした出来心。オムライスの時もそうだった。
一応、真城を彼氏だと紹介した手前、それを聞いた部活の友人達の目もある中で、彼女役の私としても“そういったロールプレイ”的な事をしておいた方が良いのかな? といった考えが脳裏を過ったが為に、急遽思い至って実行した事ではあったのだが……まさか、何と言うかあそこまで顔を赤く染められては……こちらとしても、うん。
結構。いや、かなり気恥ずかしいものだった。
……照れ隠しがてら、ついつい騒ぎすぎてしまったのは本当に申し訳なく思っている。あの時は本当に気まずかった。もう二度とあの様なヘマはしたくない。
~ ~ ~ ~ ~
真城が程よくオムライスを食べ進めたのを確認してから、私は私服へと着替える為に席を立った。いそいそと更衣室代わりの小部屋へと入って速やかに着替え終えて部屋を出る……と、まるで見計らっていた様に、複数の友人達に囲まれた。
まぁどうせ真城についての話を根掘り葉掘り聞きたいのだろうと考えて、私は裏口扉から外に出た。それは小部屋の壁が薄い事もあり、また屋内で話すにしても声が大きくなってくれば、未だ客で賑わうメイド喫茶側に迷惑がかかるのを懸念しての事だった。
「ちょっとちょっと、夏美から聞いたよ~。彼、あの医院の所の人なんでしょ? 凄いじゃ~ん」
「じゃあ彼って、頭が良くってお金持ちって事? 良いなぁ」
外に出るや否や、友人達は嬉々とした顔でそんな事を言ってきた。
全く、そう言いたくなる気持ちも分からなくはないのだが、しかしてそれを口にするのはどうなのか。とも思いつつ私はやんわり、
「……別にそういう訳じゃ」
と、それが目的ではないと否定する。
まぁ確かに、今はカップルとして振舞っているのは事実だし、その事についてあれこれと言われ、思われてしまうのは仕方のない事ではあるのだが……それでも私の目的はただ過去の過ちを謝罪して、友人として仲直りをしたいというだけなのだ。
それ以外の思惑など、……尾倉達を何とかしたいとかその程度のものである。
「でも要するに玉の輿ってやつじゃない? 医者って給料良いらしいし、嬉しくないの?」
「そりゃあ、……お金とか、あるに越したことはないけどさぁ」
まぁ、羨ましがる気持ちも分からなくはない。
使えるお金があるならば、それを喜ばない人間なんてそう居ない。
私だってお金の重要性は理解しているつもりだ。
それこそ、母ほどにはお金に対してがめつくはないものの、私も一人暮らしを目指している以上は、お金を必要としている事実は変わらない。
……が、当然真城に対してそういった思惑は毛頭ない。
けど……、と私は言いかけて、しかしその言葉は別の友人の言葉によって遮られてしまった。
彼女らの話す勢いは、そうそう止まりはしないのだろう。
「あっ、それにお医者さんの身内になったら、病気になっても無料で見てもらえたりもするんじゃない? もしかしたらお薬も……」
「……コラコラ、」
それはただの犯罪だから。
まぁ、もしかしたらギャグか何かで言っているのかもしれないが……あ、こやつ目が笑っているな。十中八九分かってて言ってやがるなコノヤロー。
やれやれと、悪意はなくどちらかと言えば祝福してくれる様に顔を向けてくる友人達に肩をすくめて、『でも実は嘘なんだよなぁ、カップルになったのは』と罪悪感を憶えつつ、しかしそれを飲み込んで……そこから更に二言三言と友人らと言葉を交わしつつ、もう食べ終わっているであろう真城へと、私は思考を切り替えた。
~ ~ ~ ~ ~
席に戻ろうとして見れば、真城は既にいなかった。
慌てて外を見てみれば、メイド喫茶出入口からはもう随分と離れた場所に真城が立っている事に気が付いた。
何事かと小走りで真城の下へとたどり着けば、何やら怒気を孕んだ雰囲気の真城がそこにいた。
私が目を離した隙に何かがあったのかもしれない。が、まぁ聞いても答えてくれたりはしないだろう……と考えて、下手に追求してこれ以上の好感度を下げるより、スルーした方が良いはずだと、私は話題を無理やり切り替えた。
「白日院大学の文化祭はイベントが盛り沢山だからさ、色々遊んで回ろうよ」
そう言って真城を連れ回し、少しでも二人の時間を共有し、私といる時間の不快感を減らしていくという作戦を開始した。
……まぁ、それで何の気なく向かったC棟で「あ、あのぬいぐるみちょっと可愛いな」だなど早計に立ち入って、まさか時間にして30分、経費にして千二百円を浪費する事になろうとは、全く思っていなかった。
とはいえど……、そんな愚行も決して無駄ではなかったらしい。
私が何度も輪投げを失敗するのを見かねてか、真城がぬいぐるみを取ってくれた。
嬉しかった。それは……まさか、手伝ってくれるなんて思ってもみなかったから。
驚嘆した。間違いなく私の事を嫌っているはずなのに、それでも手伝ってくれた事……その心の在り方に。
それに、それにだ。
その後に起こった出来事に、私は目を見開いた。
突如、駆けていた子供が転んで泣き出して、それに真城が駆け寄った。
泣いている子供に話しかけ、慰めて、血の流れた傷を拭き取ると、その傷口へと絆創膏を張り付けた。
……そんな真城の姿を見て取って、私は。
あぁ本当に、本当に真城は変わってない。何もかも彼はあの時のままなのだ。と、そう改めて理解した。
泣いて、励まされて、駆けていく……その子供と過去の私が重なった、気がした。
それだけで、ただなんの確証もなく、今ならばいけそうだという感情が私の中を支配した。“この事”をきっかけに謝罪して、仲直りをしたいのだとそう告げたい。そんな衝動が私の身体を強く動かした。
真城は、覚えているだろうか。私との初めのやり取りだなんて、と。
「あっ、あのさぁ! その、……少し話したい事が、あるんだけ、ど」
真城へと語りかけ――、しかしそれ以上の言葉は、真城からの「速く別のところへ行こうぜ」という言葉に阻まれて制止した。
それは……、真城からのある種の拒絶なのだろうと、そう受け取ったからだった。
これ以上ないとも言えるタイミング。ではあったと思うのだが、……しかしそれでも今は真城の意思が重要だ、と割り切った。
真城がまだ私を許さない。許したくないというのなら……もっとコミュニケーションを取ってから。少しでも警戒心と嫌悪感を下げてからの方が良いだろうと、そう考えてのものだった。
……思い返せば、それが失敗だったのだろう。
ただ、“次”のタイミングを待てば良いのだと、確証もなく“次がある”とそう信じ、行動を先送り、そうして結局何も言えないままだった。
“あれ”以降、“あれ”以上はないのだと、“あれ”が最後のタイミングであるのだと……そう分かっていたのなら――きっと、この後悔はしなかった。
事態が急変したのは、それから少ししての事だった。
最後にあった楽しい時間など、一緒に焼き鳥を食べた事くらいのものだった。
真城の突然のパフォーマンスを見た人達が、大きく拍手音を響かせて……そんな状況から恥ずかしさの中逃げ出した私達は、……逃げた先で遂に不良達に絡まれた。
私達を取り囲む複数の男達。しかもその手には鉄パイプやバットを握り締めた者までもがチラホラと見て取れた。
私はその時になって、自分の浅はかさを後悔した。
確かに、真城と一緒にいる内に尾倉が絡んでこないかな、などといった考えはあった。
しかしそれは、尾倉単体。或いは尾倉に加えていつもの取り巻きが二、三人程度を想定してのものだった。それなのに……まさか尾倉がこれほどの人数を、私と真城の為だけにかき集めて来るなどとは思ってもみなかった。
私はどうしたらいいのだろう?
どうすればいいのだろう?
どうやって、この事態を収拾すればいいのだろう……。
私がどれだけ頭をフルで回転させようと、一向に答えは出なかった。
にも拘らず、そんな私の思考を置き去りに、突如として始まってしまった男達の大激戦に息を呑み……私は、見ている事しか出来なかった。
実際、真城からすれば足手まといだったに違いない。
しかしそれでも尚、私は自分の蒔いてしまった種に対して、どう収拾を付ければ良いのかと、そればかりを考えて……が、結局答えは見つからず、最終的に真城が提示した「先生でも呼んで来い」といった言葉を受け入れた。
それは……結局の所はそれこそが事態の収拾に繋がるのだと、真城の助けになるだろうと踏んだから。
だからこそ、納得と同時に私は全速力で駆けたのだ。
真城が強い事は知っていた。
しかしそれでも、この人数は不可能だ。流石に無理に決まっている。
いくら喧嘩が強くとも、真城はプロの格闘家ではないはずだ。
もし仮に、格闘家やそれに類するような武術を身に付けた人物であろうとも、これだけの大人数……それも武器を持った奴らまでもを相手取り“勝てる”ともなれば、そういるまい。
であるならば、当然の真城も分が悪い。……そう思っていたのだが。
いざ全力でひた走り、先生を見つけ出して元の場所へと戻って来てみれば、そこにあったのは不良達の倒れ伏す、既に戦闘の終わった空間だけだった。
私は驚いた。まさかここまで強いのか、と。
そしてそれと同時に、結局私がこの状況・事態において何の役にも立つことなく、自分の蒔いた不始末の償いや謝罪も出来ぬまま、事態は終わってしまったのだと気が付いた。
~ ~ ~ ~ ~
私は、……焦っていたのだと思う。
だから事が片付いた後で校舎へと辿り着いた私は、トイレへと立ち寄った。
それは少しばかり崩れたメイクを整える事が目的で、それともう一つ……どうにか先程の失態を挽回して謝罪する。そしてあわよくば当初の目的である“あの一件”での謝罪ないしは友好関係の再開……といった計画についてのアイデアを限られた時間でこねくり回して捻出する。その為のものだった。
が、それが致命的な隙を生んだに違いない。
トイレが思いの外混んでいたのだ。
その結果、予想以上に真城の下へと戻るのに時間がかかってしまった。
だから、多分だが……どう思い返しても“ここ”だったに違いない。
ギャルの女が、尾倉のアジトで言っていた。
私と真城が離れる“何か”をしたのだと、そう自慢げに言っていた。
であるのなら……、それはきっと“ここ”のタイミングでしたのだろう。
もしそうであるのなら、私がトイレから帰った時になぜか真城の雰囲気が変わっていた事にも頷ける。
あぁ全く、本当に、致命的な、失敗だ。
完全にしてやられたものである。
おかげで私は、そのギャルの……ひいては尾倉の策略にハメられた。
彼らの思惑取りに、真城と別れる事になってしまった私は、一人で帰宅する事となり……その帰路を狙われた。
~ ~ ~ ~ ~
結局の所を言うのなら、私は当初の目的を何一つ達成出来なかった。
私は、最後まで真城へと謝罪する事が叶わなかった訳である。
あれこれと思考を巡らせたにも関わらず、だ。
真城からの好感度は相変わらずゼロのまま。或いはゼロ以下のものだろう。
……まぁそれは仕方のない。私の努力不足の問題だ。
非常に残念な事ではあるものの、それは純然たる事実に他ならない。
だが、それでも変わった事はあった。分かった事があったのだ。
それは私が、この一日の中で確信を持った事だった。
私と真城が、数年ぶりに再会したあの日。
真城が私を助けてくれたあの時に……真城が昔から変わらずに、未だ“誰かを助けたい”と願う心を持ち続けているのだと、私はそう理解した。
そして、あの日に感じとった“それ”が間違いではないのだと、気のせいではないのだと、今日一日で改めて――そう確信を得たのである。
……だからかもしれない。
尾倉に一度捕まって、そこから奇跡的に助かった後の事。
現れた“黒子”の存在によって引き起こされた危機的状況を前に逃げ出して……、そうして手に持った携帯電話を操作する中で、助けを求めて思い浮かべた存在が、真城晴輝であったのは……。
彼ならきっと。
こんな私であってもと、そう考えてしまった。
迷いはあったし、不安もあった。しかしそれでも“本気で困っているのなら”、“彼なら助けてくれる”とそう信じ、結局は頼ってしまった訳だった。ただ助かりたい一心で。
もしそれで、真城が私を助けられなかったその時に、真城がどう感じ、どう思うのかの考えにも至れずに。
あぁ本当に、私は愚かな人間だ。
自分で自分が嫌になる。
意識を、黒々とした何かが侵食していく。
ただただ昔の過ちを謝罪して、仲良くなりたかっただけなのに、どうしてこんな事になるのだろう。
……いやきっと、全部私が悪いのだ。
黒々とした何かが私を深く沈めてく。
ごめんなさい。
ただそれだけを、ずっと伝えたかっただけなのに――。




