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カゲビト  作者: 永眠布団
第四章 帰省

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第15話 『救援・来襲・急転』

 


 夜闇を駆ける少女の姿があった。

 しかしそれは部活帰り、或いは塾帰りといった姿をしてはいない。


 中学生くらいの体型、そしてそれ相応の顔立ちをしたその少女は、しかし歳相応というには少し異質と思われる……というか、普段着というにはあまりにも可笑しな恰好。

 それがそういった催しのイベントの最中であるのなら、まぁ納得も出来ようものだが、そうではないというのなら、幾ばくかの奇異の目をされても仕方の無さそうな、そういった衣装。つまりは……少しばかり露出の多い、黒のゴスロリ風衣装を身に纏っていた。


 時刻はもう20時近い。

 であるのなら、或いはそんな目を惹く外見に加え、背丈と顔立ちも相まって、“何かあるのではないか”と警察官に職務質問でもされそうなものではあるのだが、“そう”なっていないのは単に、駆けているその場所が常人では不可能な、ビルの屋上から屋上へ……屋根から屋根へと飛び移る、そんな移動手段をとっているからに他ならない。

 きっと、その漆黒のゴスロリドレスも相まって、少女を視認出来た者さえいないだろう。



 さて。

 ではそんな件の少女が、そういった移動手段をとってまで、どこに向かっているのかと言えば……だ。


 現在、この少女が情報のみで実物までは知る由もない、ある“ヒーローの成り損ない”が取りこぼした……とある女性の危機的状況を、彼方より察した為だった。



 それは本当に偶然であった。

 “そういった状況に陥った女性”を知る為に得た力。

 その力を使って夜な夜な様々な街を徘徊する様な、そんな少女が今回“訓練”をする為にこの街の付近へと呼び出されていた事が理由であった。


 “訓練”の片手間で、少女が力を使ったその瞬間、女性の危機を感じ取り……驚くべき俊敏さでもって移動を開始した為に、“ヤツ”を置いて来てしまったのはご愛嬌。

 決して、ずっと同じ空間でいつまでも同じ空気を吸っていたくなかった訳ではない。そう、決して。決してだ。



「“こっち側”に出てないと力が上手く機能しないのは考えものね。使っていけば少しずつ使いやすくなるかしら」


 なんて。

 自身の開花した力に少しばかりの愚痴を言いつつ、少女は尚もひた走る。

 向かう場所が、ようやっと見えてきた。



 …… ……



 白菊梓は目を覚ます。

 ここは一体何処なのか?


 何やら複数人の男性達に混じり女性の声も聞こえるが……。

 頭がぼーっとする。未だぼやける視界の中でゆっくりとそっと目を動かし、周りの様子を確認する。


 内装の内容からしてスナックバー、の様な所だろうか?

 と言っても営業している様子はなさそうだ。

 穴の開いたソファーに、破れたカーテン。壁の一部がくずれた天井……床は掃除してるのかガラス片などは落ちていないが、まぁ察するに既に閉店して使われないまま放置された廃屋を、彼らが勝手にアジトとして利用しているのだろう。


 背中が少しひんやりする。

 白菊が寝かされているのは……ガラステーブル、かもしれない。

 腕と足にある違和感の正体は、ロープで縛られている為か。



(あれ、は……)


 目に入ったのは尾倉を含めた不良達と、女性陣の中に混じる……同じ部活の先輩達。

 が、何故ここに? などとは考えるまでもないだろう。

 つまりは“そういう事”であったのだ。

 それは白菊が息を潜める中で届いた、尾倉と彼女らの会話からも“そう”である事は明白だ。


「ねぇ、はやく頂戴よ。あの女の帰り道と時間、間違ってなかったでしょ?」


「そのおかげで捕まえる事が出来たんだしぃ、ちょこ~っと、多くても良いんじゃない?」


 先輩達が尾倉にすり寄って、何かしらを要求する。

 しかし尾倉が口を開くより早く、別の人物が割って入る。

 それは私服をあれこれと着崩した、いわゆるギャル風の女性だった。


「ちょっとちょっと、私の功績のが大きくない? 白菊ちゃんと彼氏君、離れさせたのは私だよ?」


「たまたまでしょ~。用事があったって話だし」


「そうそう。大体それが事実だとして、何をしたってのよぉ」


「ふふん」


 口を挟んできたギャルに向け、ぶーぶーと不満そうにする先輩達。

 しかしそれに対して、ギャルは待ってましたと鼻を鳴らす。


「人に話を信じて貰うにはコツがいるんだよ。嘘の中に真実を混ぜる事……初歩的ではあるけれどね、だからこそ効果は高いの。あぁ後、ちゃんと“あなたの事が心配よ”とか、“あなたの為を思って言ってるの”とかっていう善意アピールも忘れずに、ね」


「……そんなんで騙せるわけがないでしょうよ」



(……、)


 その言葉の意味は分からない。

 だが、話をそのまま受け取るなら……白菊と真城、二人が別れる事になった経緯・背景には、ギャルが一枚噛んでいるらしい。

 文化祭では常に真城と共にいた。であればあのギャルと真城には接点が無いはずなのだが……いやそうだ、先生を呼びに行った時。或いは、トイレに行っていた時などが怪しいか。


 真城は元より白菊に対して良い印象を持っていない。

 であるならば、白菊不在のタイミングで接触し、何か“悪い噂”でも吹き込めば……或いは真城も、信じてしまうことだろう。

 いやきっと、悪い意味で“信じたい”という気持ちが勝つはずだ。

 白菊はチクリと痛む胸を堪えつつ歯噛みして、しかし今はまだマズイと耐え忍ぶ。


「あなた達こそ良いの? 可愛い部活の後輩なんでしょ? 白菊ちゃん」


「ふん。いいのよ、こんな奴。ちょこ~っとタイムが良かったからって一年生のくせに大会のメンバーに選ばれるとか……本っっ当に調子乗ってるからね、マジで。憎らしいったらありゃしない」


「ホントホント。それに付き合いだって悪いしね。私達が食事に誘ってあげてるってのに断ってくるのよ? 『何、お高くとまってるの?』って感じぃ。……その癖に彼氏とか。マジありえない」


「えっ何、ひがみ? こっわ~……」


「寧ろコイツに何も無いアンタのが怖いんだけどぉ??」


 先輩達とギャルの言い合い。

 それに今度は男達まで入ってくる。


「なーに言ってんだ。この女を捕まえる事が出来たのは、最終的に俺達のおかげでしょ」


「そそ、この女一人捕まえるのにどんだけ苦労したと思ってるの?」



「……はぁ、何をお前らがほざいてやがる」


 が、しかしそんな男達。部下達へと尾倉は溜息を吐く。


「慢心し過ぎて、後少しの所で白菊を取り逃がすところだっただろうが」


 部下達を見回して睨む尾倉。

 そんな尾倉もまた慢心し、あと一歩で取り逃がしそうになっていた訳なのだが……。

 その事実を告げようとする者はここにいない。


「大体、上手く行ったのは――この“力”のおかげだろ」


 そう言って、何かを飛ばす様に前へと掌を動かすと、前方にあった空の酒瓶がガシャンと勢いよく砕け散る。


 角度的によくは見えなかったが、本当に何かを投げていた訳じゃない。

 誰も触れていないのに、突然酒瓶が割れたのだ。

 考えられる事としては、その“力”とやらによるものだろう。

 ……そう。白菊(自身)を何度も苦しめた、あの不可視の不可思議現象だ。


「確かに! この“力”、めちゃくちゃ便利っすよね!!」


「あの黒子みたいな恰好の男、最初は何かと思ったが……本当にさまさまでしたね」


「まさかこんなに良い“力”、貰えるとは思わなかったですもんねぇ」


「……正直今でも“これ”が何なのか、俺はイマイチ分かっていないけど」


「まぁ何でもいいじゃねぇか。便利ならそれで良いんだよ」


 男達、皆一様に尾倉の意見へ同意する。

 しかし、


「私ら貰ってないんだけどぉ~?」


「そうそう。私達にも分かる様に話してよ」


「最初に見た時驚いたけど……それって結局なんなのさ?」


 そうでもない人達もいるらしい。

 反応や、声のトーンからして女性陣は“力”については何も知らない様である。


「簡単に言えば“超能力”、みたいな?」


「なぁなぁ今更だけどこれ、テレビや雑誌に売り込めばそこそこの収入になるんじゃね?」


「ハハッ、サイコキネシス~~ってか?」


「……そんなコツコツと頑張らんくても。もっと有意義な使い方があるんでない? この“力”があれば扉のロックとか余裕で外せるでしょ。空き巣とかめっちゃ簡単よ?」


「あぁ確かに。……行けるか? 銀行強盗」


「警察とかどうするん……まぁそうそう負けないか“コレ”があれば」


 ワイワイと騒ぎ始める奴らから目を逸らし、尾倉はガタンと音を立てて手提げ金庫をテーブルの上へと持ってくる。

 その音を聞いて、それまで騒いでいたはずの輩が一声に静かになる。

 その視線は真っ直ぐと金庫へと注がれて、待ってましたと言わんばかりの表情を形作る。


「……まぁいい。過程はどうであれ結果がしっかり出てるなら、相応の対価はあって然るべき、だよな?」


 尾倉が金庫へと手をかけると、ダイヤル式の丸いつまみをカチカチと回して鍵を外す。

 パカリと開かれた箱の中に入っている物は見えないが、まぁ碌なものではないだろう。


 おぉ、と感嘆の声をもらす彼らに向け、尾倉がいくつもの小さなプラスチック袋を投げて渡す。中には、白い粉が入れられている様だった。

 嬉々として受け取った彼らは一袋ずつそれを取って回す。

 そんな中で、白い粉を満足そうに見つめる男の一人が尾倉へと質問を投げかける。


「相変わらずですけど、すっごい綺麗っすね、真っ白じゃないですか! よくこんな純度のものを手に入れる事ができますね……俺が買うのなんて、どうにも不純物が多くって」


「俺なんてアレだぞ。この前大ハズレに出会ったわ。多分だけど、砕いたラムネだかブドウ糖だかでかさ増しされてたぞアレ」


「それは草。……まぁブラックリスト入りだなソレは」



「別に大したことじゃねぇよ。今の世の中、ヤクなんて端末一つと秘匿性の高いアプリがあればいくらだって手に入るんだからよ。まぁ純度に関しては相応に値が張りはするけどな」


 尾倉はニヤリと笑って袋から粉を少量取り出すと、慣れた手つきで注射器を準備する。

 そうして白菊へ近づいて、ゴム紐を白菊の腕へと血管が浮き出るように結び付けると、コツコツと外筒を指で弾きつつ注射器から空気を抜いていく。


 尾倉は注射針を白菊の腕へと近づけて、しかしその直後、不敵に笑って手を止めた。


「何だ、目が覚めてたか」


「――ッ」


 注射針が刺されると思って……。

 薬を入れられてしまうと思って……。

 腕を強張らせてしまった所為だろう。

 白菊が意識を取り戻している事を、ついに尾倉に気づかれた。



 ……


 …… ……



「――くっ!!」


「逃がすか、よ!!」


 白菊がすかさず身体を起こすが、尾倉がそれを阻害する。

 恐ろしい程の力で上から肩を押さつけられ、テーブルへと倒される。


「こ、この!!」


 白菊が何度も尾倉の腕を殴りつける。

 が、尾倉の腕は、それではピクリとも動かない。


 両腕を縛られている所為もある。

 それにより、あまり力が入らない。

 足だってそうだ。このままでは、立って走って逃げられない。


「ハッ! 無様なもんだな白菊!! 自慢の足は使えない。その上、せっかく出来た頼みの彼氏もここにいない!!」


 じたばたと藻掻く白菊を尚も強く押さえ付け、尾倉は勝ち誇った様に高笑う。


「思えばあの男もマヌケな奴だぜ。彼女を置いて先に帰っちまうんだからな。……まぁ、そのおかげでこうしてお前を楽々と手に入れる事が出来た訳だが」


「戦っても勝てないからって……ッ」


「おいおい。俺だって残念には思ってるんだぜ? 折角あの男をボコボコにしてやれると思ってたってぇのに……まさかいねぇってんだからなぁ」


 尾倉はそう言いつつ、白菊を押さえ付けたまま、空いたもう片方の手でチラチラと注射器を見せつける。


「ま、あんな男は後回しでいい。俺の狙いは元からお前なんだしなぁ」


 ニヤリと下品な笑みを浮かべ、尾倉が注射器を近づける。

 白菊がどうにか身を捻って注射器から遠ざかろうと抗うが、その直後、身体がまるで金縛りにでもあったかのように硬直する。

 身体全体に何かが纏わりついてくるような感覚だ。これはまず間違いなく不可視の“力”によるものだ。


「……ぐ、くっ!!」


「抵抗は無駄だぞ、諦めろ。……それに、すぐに抗う気もなくなるさ。最終的には“コレ”が欲しくて仕方なくなってくる。従順になるまで躾けてやるよ」


「――ッ、あんた!! 頭おかしいんじゃないの!?」


「頭がおかしい? そういうのは、あいつらの事を言うんだよ」


 そう言って、尾倉は周りを流し見る。

 白菊もその視線の方へと目をやると……、


「――……!?」


 既に本番を始めている男女達がそこにいた。

 白菊は顔を引き攣らす。


「俺は薬を自分に使うなんてバカな真似はしねぇのよ。こういった薬は、人を動かすのに使うのが一番だ。……お前もすぐにあんな風になるからよ」



「おっ、ようやく始めるんすね!」


「俺も早くヤリたいんで、早くまわしてくださいよ!!」



「るっせぇな、お前らはそっちの女共とヤッていろ!!」


 周りから飛んでくるヤジに尾倉は適当に返しつつ、ようやくここまで来たとばかりに笑みを零す。



白菊(コイツ)で楽しむのは俺だけだ」



 …… ……



 それは突然の事だった。



 尾倉が手に持つ注射器が、白菊の細腕へと差し込まれる――その瞬間、アジトたるスナックバーの入り口が轟音と共に破裂する。

 木製のドアとその周りを取り囲む壁が、車でも突っ込んできたかの様な勢いで粉々に砕け散り、その破片が行為中の男女を含めた尾倉達全員へと降り注ぐ。


「な、何だ一体……ッ!?」


 それは誰が言ったのか。

 破砕音のみに止まらない甚大な被害の状況に誰もが目を見開いて、その爆心地の方へと目を向ける。と、そこには一人の少女が立っていた。


 まるでこの惨状を引き起こしたとは到底思えない少女。

 その姿を見て取って、まず初めに驚いて、次いでその少女が纏う漆黒のゴスロリドレスにギョッとする。


 衣装からして、この場所にはおおよそ似つかわしくない少女。

 しかしそんな少女がこの惨状の中に立っている。という事が、異質……である以上のただならなさとなっていた。


 カタギじゃない事はすぐ分かる。

 あの女はまともじゃない。と尾倉は本能で感じ取る。

 これはもしもの話だが、仮に尾倉達へと“力”をくれたあの存在。彼の黒子の衣装を纏った存在と敵対したとしたならば、きっと同じ忌避感を抱くだろう……とそう思う。


 ここにいる皆がそう感じているのだろう。

 故に、誰一人として。白菊さえも声を発しない。




 砕けた扉や壁の破片を踏みつけて、ゴスロリ少女が室内へと入ってくる。

 そうして一歩一歩と誰もが押し黙る空間へと踏み入って、白菊を見て立ち止まる。


 顔立ちの悪くない、そんな少女の顔が一気に歪む。

 それは不快や憎悪、苛立ちや軽蔑といった様々な感情を混ぜて煮詰めたかの様な形相だ。

 シンと静まり返った空間で、チッと少女が発した舌打ち音だけが木霊した。


「蛆共が」


 それが合図だった。

 瞬間、少女を中心として風の様なものが吹き荒れる。


「――――ッッ!!!?」


 一瞬の事だった。

 部屋にいた白菊を除いた全員が、何かに弾かれたかの様に吹き飛んで、その勢いのまま壁に激突する。


「がッ!?」


「う、ぐッッ!!」


「いっ、たぁ……ッ」



「え、……なに?」


 もし仮に、“影耐性”を持っていたのなら、ゴスロリ少女が作り出して振り回した影の鞭によって、不良達が薙ぎ払われたのだという事が理解出来た事だろう。

 がしかし、“それ”を持たざる白菊に、当然それは見えていない。

 突如として尾倉達が吹き飛んで、壁に激突したという事しか分からない。


 もちろん尾倉達が使っていた不可視の“力”。

 原理は分からずともそういったものがあるのだと理解した上での白菊も、まさか目の前に現れた少女までもがそういった“力”を持っていようとは……考えてもみない事だった。



 次いでブチリッと、白菊の手足から音がする。

 見れば白菊を拘束していた手足のロープが切れていた。


「――あ、」


 もしかして、白菊()を助けてくれるのか?

 白菊はぱちくりと瞬きし、切られたロープと少女の顔を交互に見る。

 扉と壁を破壊して現れて、尾倉達を突如吹き飛ばしたゴスロリドレスを纏う少女からは、何故だか敵対の意志を感じない。

 どうやら白菊を害する意図はないようだ。


「ほら、はやく立って。とっとと逃げるのよ」


「あ、ありがとう」


 少女が差し出した手を掴み、ぐっと勢いをつけて起き上がらされた白菊が礼を言う。

 この少女は一体何なのか。扉や壁を破壊して、尾倉達を吹き飛ばしたあの“力”はなんなのか。どうしてこの場に現れて、自分を助けてくれるのか。……と聞きたい事はあるのだが、今はその気持ちをグッと堪えて、白菊は破壊され穴の開いた入り口へと目を向ける。


 まずは逃げるのが先決だ。

 奇跡的に訪れた千載一遇のチャンス。それを逃す手は無いだろう。

 ここを逃せば、きっともう次は無い。



 しかし。

 白菊が入り口へ向けて走り出そうとした――その直前。

 白菊の眼前へと伸ばされた少女の腕が、白菊の動きを阻害した。


「……待って」


 少女が、警戒を孕んだ声色で白菊を静止する。

 一体何事か? 一瞬、そう疑問符を浮かべた白菊も、すぐにその理由を理解した。

 白菊が行こうとしていた入り口を塞ぐ様にして、ある人物が……黒子の衣装を纏う存在が立っていた。

 あまりにも異質な存在だ。一体いつからそこにいたのか。視界に入るまで、全く気が付いていなかった。


「これはアンタの差し金?」


 少女は黒子へと問いかける。

 しかし黒子は答えない。何も答えず、ただジッと二人の行く手を阻む様にゆらりゆらりと立ち尽くす。


 少女は、それを答えと受け取った。

 少女は「そう」と短く呟くと、黒子の懐へと一気に距離を詰めていく。


「なら、――――死ね!」


 勢いよく振るわれた回し蹴り。

 それが黒子の脇腹へと炸裂し、――しかし黒子は微動だにしなかった。


「――ッな!?」


 少女の顔が驚愕に染まる。

 それは、ただ攻撃が効かなかった以上の何か(・・)に驚く風であり、しかしそれが何なのか、それが判明するよりまず先に、黒子が次いで動き出す。


「――――――ッッ!!!!!?」


 ただ、横に薙ぎ払うような素振りでの裏拳。

 決して必要以上に力が込められている様に見えなかったはずのソレは、しかし少女を大きく吹き飛ばし……、壁に新たな穴を作り出す。少女は穴の奥へと消えていた。


 穴が開いた衝撃で店内が大きく揺れ軋む。

 天井からは粉が舞い、ガラガラと新に出来た穴の周囲の壁もが崩れてく。



 まるでボールの様な勢いですっ飛んでいった少女は、それでのされてしまったのだろう。

 数分ほど経過して尚、しかし少女が戻ってくる気配は無い。

 決着は、驚くほど簡単に付いてしまった様だった。


 黒子がゆらりと揺らめいて、一歩二歩と白菊へ向かって歩いてくる。

 あれほど心強く感じた少女はもういない。

 しかも、そんな少女さえも倒してしまう程の強敵は未だ健在。


 白菊はジリジリと後退る。

 逃げ道が、どんどんと遠退いていく事に焦燥しつつも、しかしそうする以外の選択肢が無い事に歯噛みする。

 そんな時だった。悪い状況というものはどうにも連鎖する様で……、


「いっつー……、ったく何だったんだ一体」


「あれ? さっきの女はどこ――ってあ、あんたは!?」


 少女の振るった影の鞭によって失神、あるいは気を失っていたであろう尾倉達が目を覚まし、またその内の一人がアジトに今までいなかったはずの黒子に気づいて声を上げる。

 そしてそれを皮きりに次々と男達、或いは女達が起き上り……白菊を包囲するように取り囲む。


「……この、」


 白菊の手足の拘束は解けている。

 故に穴から外に出さえすれば、後は自慢の脚力でもって振り切ってしまえば良いだけだ。

 白菊の足であるのなら、尾倉達を撒く事など造作もない。

 ……しかし、それも外に出られたら。

 こんな決して広いとは言い難い店内で、男女複数人に取り囲まれてしまったら、最早走り出す事さえ難しい。


 白菊は周りの様子を窺って、少しでも包囲の薄い所を探してく……が、それはどこにも見つからない。男達は不可視の“力”も持っている。加えて黒子までもがいる始末。これは“詰み”なのではなかろか?

 ……とは言えど、それで「はい、お手上げだ」などと諦めてしまっては、それこそ終いになってしまう。


 下唇を噛む。

 逃げる意志は充分ある。しかし状況がそれを許さない。

 どうすればここから返せるか。そんな考えを何度も思い浮かべては破棄してく。

 時間をかければかける程、この状況が“詰み”であるという事実を補強していくだけなのに。



「……――ッ」


 こうなれば無策でも全力で突っ込むか。などと、そんな一種の自暴自棄にも似た案を本気で実行しようか等と考えていた時だった。



 事態は再び急変する。

 白菊を取り囲む男女達……その中の男全員が突然、藻掻き苦しみ出したのだ。


「――がッ!? ああぁぁぁああああ!!??」


「ぜ、全身が……ああぁッ、なん、なんなんだよッッ、コレは――ッッ!?」


「痛い痛い痛いッッ……!! 頭が……、割れるッ?!」



「え、ちょっと!? なになになに!?!?」


「み、皆、一体急にどうしたのよ!?」


 腹を、腕を、胸を、頭を押さえて頽れる男達。

 そんな男達の状況に、目を見開いて驚き慌てる女達。

 男女それぞれ気色の違う形相と、抑えきれぬ程の叫びと混乱が波及する。


 状況が呑み込めず、目を白黒とさせるのは……白菊とて同様な事だった。

 いくら相対する間柄。不快に思う者達であってさえ、“こう”なって欲しい等とまでは望まない。

 さしもの白菊であってさえ、“同情”が先に来る……そんな惨状となっていた。



 そんな中でただ一人。

 何食わぬ様子でもって驚いた風でもなく、平然と佇む存在へと白菊は目を向けた。

 それは頭のてっぺんから足のつま先まで黒一色。黒衣(くろご)と呼ばれる衣装に身を包み、表情や髪型、或い体格や性別すらも読み取れない“黒子”の恰好をした人物が突如、(こえ)を発した為だった。


「『カゲ』『人』『か』。『随分』『と』『時間が』『カカッタ』『な』」


「――!?」


 それはまるで一音一音発する度にボイスチェンジャーを切り替えたかの様に。

 録音しておいた他人の声を切り抜いて、無理やりつなぎ合わせた物を再生したかの様に。

 同じ人物が発しているとは思えない(こえ)が連鎖する。


 それは成人女性の。

 それは男児の。

 それは初老男性の。

 それはしわがれた老婦の。

 そう聞こえる(こえ)は自前のものなのか。そうでないのか。

 それは分からないがともかく、黒子の恰好をした人物から、意味を孕んだ言葉が紡がれた。というのは確かな事だった。


 そして、その言葉が意味する事。

 それはこの“黒子の恰好をした人物”が、この場の不良達を藻掻き苦しませている原因である事を示していた。


 毒でも盛ったのか。或いは、尾倉達やゴスロリ少女が扱っていた様な“何らかの力”を行使している為なのか。その事実を計り知る事は出来ないが、しかしこの惨状を意図して起こしているというのなら、――それだけで警戒するには充分だ。


「――え!?」


「っきゃ、な、何!?」


 突如、白菊の眼前から黒子の姿が消失する。

 そしてそれと同時、苦しむ男性の一人へと駆け寄っていた女性。その一人の眼前へと出現する。

 目の前で起こった現象に理解が及ばず、声を詰まらせた白菊と、黒子が目の前に現れた事に戸惑い驚く女性をよそに、黒子が右手に何かを握り締め……眼前の女性へと近づいて、


「……え、」


 その右手を女性の胸へと深々と突き立てる。

 一体何が起きたのか、まるで夢でも見ているかの様に……状況を理解出来ていない女性は黒子と、その黒子が右手を突き刺したままの自身の胸を交互に見やる。

 そして、それが現実である事をゆっくりと理解して、――そうして感情が爆発する。


「きゃあああぁぁぁぁぁああああ!!!!」


 甲高い悲鳴が響き渡る。

 その声に、何だ何だと他の女性達が目を向ける、がそれで黒子は終わらない。

 既に用は済んだとばかりに女性から右手を引き抜くと、黒子はその場から再び消失する。

 そしてまるで瞬間移動でもした様に、黒子は別の女性の元へと移動すると、先ほどと同じ動作でその女性の胸に右手を突き立てる。


 移動する。突き立てる。移動する。突き立てる。

 そうして黒子が、白菊以外の女性全員の胸を突き終えた時だった。

 女性達が、男性達と同様の症状を訴えて苦しみだす。


「『コチラ』『の方は』『即効性』。『コチラ』『ならば』『ドウ』『成るか』」


 淡々と(こえ)を繋げる黒子から、白菊は視線を感じて硬直する。

 次は自分がこうなる番。そう告げられている様な、鎌首をもたげられたかの様な危機感に、堪らず白菊は走り出す。


 幸か不幸か、黒子のおかげで不良達全員がまともに動けなくなった今ならば、逃げる事も難しくはなくなった。

 黒子ももう、入り口に開いた穴を塞ぐようには立っていない。

 これならば――、行けるはず。


 白菊は視界の端に見覚えのある物……つまるところ携帯端末が落ちている事に気が付いて目を向ける。

 それはまごう事無き白菊が落とした代物だ。

 やはり回収されてたか、などと考えるが今は良い。

 見つけられただけ運がいい。


 最短距離を駆け抜けて携帯端末を拾い上げ、そのまま一気に入り口の穴へと駆けこんで、店外に顔を出す。

 そこから一気に曲がれ右。ここが何処だかは知らないが、大通りまで行ければ問題ない。


 白菊は、全力で裏道を駆けだすその刹那。

 チラリと確認した“店内で起きていた出来事”に見てみぬフリを決め込んで、一気に脚力を解放する。



 何だあれ、何だあれ、何だあれ。

 先ほどまで身体を押さえて苦しんでいたはずの男達。或いは女性達までが、ゆらりゆらりと起き上がり、悦び、慶び、喜悦して、黒子へと頭を下げていた……あの奇妙な光景は?

 関わってはいけない。アレに触れてはいけない。そういった悪寒が白菊の首筋を駆け抜ける。


 白菊は携帯の電源を付けるとそのままロックを解除する。

 電波良し、電池も良し。これならば警察へ助けを求める事が叶うだろう。

 白菊はすかさず画面をタップして“110”と入力しようとし――しかしそこで『いや待て』と手を止めた。


 この状況下で、警察以外に頼れる者は無いはずだ。

 だが、果たしてあんな(・・・)不可思議現象を、警察は信じてくれるのか?

 いや、きっと無理だろう。

 白菊でさえ、あれ(・・)を正確に伝えられる自信が無い。

 では、どうすればいいのだろう?

 一体誰であるならば、こんな状況を信じてくれるというのだろう?


「…………、」


 そんな切羽詰まった危機の中、白菊は“ある人物”の顔を思い出す。

 だがしかしと、何度も頭を振って否定して、その“ある人物”を頭から追い出そうと努めるも、それでも一向に消えては無くならない。もしかしたらと、“ある人物”の顔がチラついて離れない。

 彼ならば、或いは信じてくれるかもしれない、と。そういった期待が拭えない。


 迷いはある。不安もある。

 陥っている状況がどうであれ、助けを求めた人物が『白菊だ』という一点で、来てくれないなんて事もあるだろう。

 だが、それでも……と白菊は電話帳を操作する。

 すぐにその、“ある人物”の名は見つかった。


 通話ボタンを押す刹那。一瞬だけ躊躇うが……その直後、白菊の脳裏を“その昔、彼の語った言葉”が駆け抜けた。



 ――僕も、誰かを助けられる人に成りたいんだ!



 ニッコリと恥ずかしそうに笑った彼の顔。

 それを鮮明に思い出し、もう迷いは無いと決心し、通話ボタンを強く押していた。



「――――ッ、」


 角を曲がった時だった。

 眼前に、細道を塞ぐようにして黒子がゆらりと立っていた。

 白菊はすぐにブレーキをかけると踵を返して来た道へと目を向ける。


「――――なッ!?」


 がしかし、その来た道でさえ、ゆらり揺らめく不良達が道を塞いで立っていた。

 唐突な、完全な挟み撃ち。白菊は舌打ちしつつも辺りの様子を確認し、――しかし、身体が何かに押さえつけられたかの様に動かなくなり膝を付く。

 手に持った携帯が、何かの力に払われて宙を舞う。そして、カンと音がして携帯が地に落ちる。画面はひび割れ、黒く歪んだ表示になっていた。


「……う、そ」


 ここまでか。

 そう諦めにも似た感情を抑え付け、まだ何か突破口が無いかとばかりに目をやって、その目が黒子の右手で停止する。

 黒子の右手の中にある何やら小さな黒い鉱石、結晶の様なものがキラリと光ったのを見て取って、それが女性達に突き立てられていた物なのだと理解して……今のこの状況が、次にどうなるかまでもを察すると、


「い、いや」


 自然と、無意識に首を振っていた。


「『オマエモ』『すぐに』『あぁ』『成れる』」


 黒子が近くまでやって来る。

 鉱物を握ったままの右手が深々と白菊の胸に突き刺さる。


 視界がチカチカと点滅する。

 激痛が身体中を駆け巡る。


「誰か、――助けて」



 その声は、しかし誰にも届かない。

 届かない。しかしそれでも、そう願わずにはいられない。



(……真城、くん。……た、すけ)



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