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森勝蔵長可 転生者は家族を守りたいが為、狂い笑う。  作者: 確かな嘘
第7章 騒乱の信長包囲網
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西國の戦後処理

今回は戦後処理がどうなったかです。

あれから半年が経った。

1573年春から1576年春までは激動だった。

柴田のバカと服部らによる謙信暗殺。(1573年明け)

将軍と近衛騒動で将軍足利義助、近衛前久の島流し。(1573 年春)

柴田の処刑(1573春過ぎ)

上杉家の御館の乱の終了と景勝の承継(1573年秋)

武田と北条の討伐(1573秋から1574年夏)

西日本の大戦(1575春から1575秋)

その後の戦後処理(1576年明け過ぎまで)


見事に関東北陸より西はほぼ織田の手中となった。この国のほぼ全てが織田右近衛大将信長様のものとなった。


そして、さら西日本の大戦の戦後処理中に

伊達、最上、南部が臣従し、東北を分け合うように諸国の国人へと攻めた。

佐竹が宇都宮を攻め、結城も潰した。

北条は上総を手に入れた。というか認めた。ある程度はね。可哀想だし。裏切らないようにと。


さらに空いた四国は三好家を継いだ十河存保が三好義堅を名乗り、子の千松丸が生まれ初様と婚姻と相成った。これで俺と浅井家との婚姻話はないだろう。せんだけがいい。

そして、四国のうち土佐と阿波を領地とした。伊予と讃岐は仙石に与えた。


そして空いた淡路は家臣になった真田昌幸に与えた。

中国地方は長門を毛利、その他は秀吉が得て、家臣団に分け与えた。





家族関係、家臣関係も整理したい。

新たに家臣として

真田昌幸が入った。

昌幸の一門として信伊が入り。

昌輝は信綱の一門になった。信綱は浅井長政様の家臣になった。


そのほか、島津家久も俺の家臣になった。

本人が希望した。まぁだいぶ領地を減らされた島津だ。理由はわかる。

本人は完全なインテリ脳筋で戦に感動したと。戦い方と龍造寺などを裏切らせたこと、大友を敵対するためにガブラルを切ったとか。


言わなかったが、ガブラルの件は気まぐれだ。

切った後で大友と敵対すると一瞬は思ったが、それはそれかと思ったのは内緒の話だ。

まぁ九州は遠いし水軍強いし、大友ぐらいなら、いけるでしょ。というのが真意だ。


そして龍造寺と島津以久の大隅島津家に島津の本家家、長曾我部家、大友家も独立した家だが、臣下扱いだ。

西日本のうち四国と九州が当家の配下に入った。


後、仙石は完全に当家の家臣となった。本人の希望と秀吉様の気遣い。


そして、島左近と蒲生氏郷が家臣に入った。順慶や六角の家臣であったが出弄し、その後は浪人を終え、当家に来た。

彼らは知能派で半兵衛さんの元で学びたいという理由。

俺の案のほとんどが半兵衛さんの策だと思ったらしい。

ちなみに島左近は三成の部下というのが史実だ。三成に過ぎたるものと言われる人だ。

そして、氏郷は秀吉様の部下が史実だ。とにかく優秀で、特に有名なのが北条討伐の一件だ。佐々の三階管笠を欲しがるくだりは戦国マニア垂涎の話だ。

正直いえば興奮しました。久しぶりに。マニア魂が熱くなるのを感じた。

なぜかお市様が喜んでいたのは、謎だ。


そうそう、今回の戦いも、戦略部分は俺、戦術部分は半兵衛さんだ。

それを知って2人は驚いていた。その後の尊敬はいうまでもない。


関わった人たちは知っていたけどね。


そして、各務の息子に婚約者ができた。俺の妹。

これで各務は俺の一門となった。各務は俺の筆頭家老に名実ともになった



俺も織田家筆頭家老になった。そして、ある理由で一門にもなった。

俺の家臣団の編成は

森家の家老

各務元正を筆頭に、竹中重短、松永久秀、藤堂高虎、可児才蔵、

下間頼廉、村井貞勝、林一吉、真田昌幸、仙石秀久。

そのうち

松永が大和守、重短さんが河内守、藤堂が普請奉行、可児が伊予守 仙石が讃岐守、真田が淡路守、下間が大坂守、可児が和泉守 林が堺守護、村井が京都守護代、


各務は官位を得た。

各務は治部少輔だ。父上の官位だ。


なお、半兵衛さんは家督を重短に譲った。官位も。


後、佐々だ。佐々は独立した武将だが俺の配下扱いである。今は越前を所領し越前守として頑張っている。

不遇さを味わい。それでも柴田の間違いを正す行為をし、信濃や甲斐、関東などで結果を出したからだ。上司が変わればここまで変わる。いい例だ。

ただ、大津城に、信長様に挨拶に来た際に新坂本に来て、長居するのは勘弁してほしい。

執務がたまる。

大体は俺の子供の時の神童ぶりを各務と熱く語る。信者になってしまった。布教活動はしていないのに信者が増えている。(信者数推定70万人。大坂で一向宗から鞍替え組が増えた。それと新坂本の街の人口が20万人を超えた。これで40万人で他に河内や和泉、北陸方面、で増加中)


それと、一太は子育て中、2児の母だ。一姫二太郎である。


一太の後釜は壊で、壊も婚姻した。つい最近。あのテンプレ野郎が結婚とは嬉しい限りだ。壊は現在武将になった。家老ではないが武将である。織田家の工作兵部隊を指導監督する立場で各家に引っ張りダコ、人気講師となった。今でしょとか言わないといいな。官位を持つことが決まっている。

現在は、御所の改装の普請代として頑張っている。


照算改め照姫は湯算(照算の部下だった者)と婚姻し、1児の母となった。最近、しょっちゅう隠居した佐大夫さんが来るらしい。たまに監物も。



家族に関して

父は官位を返還し、瀬戸で蘭丸と領地の勉強に付き添っている。のんびり子育て隠居だ。


他の弟は皆、信長様近習として仕えている。

蘭丸はいずれ西近江か美濃あたりの領地をもらうはず。

なぜなら

蘭丸とお市様の娘の茶々様と婚姻だから。これで俺も織田家一門になった。遠戚だが。


お市様はどうしても俺と自分の娘を結婚させたいらしいのだが、俺は嫌なのと、岳父上が浅井と森家本家の婚姻は問題あると言ってくれた。織田なら良いとか。

なので、茶々様と蘭丸だ。2人は仲がいいらしい。蘭丸は信長様の近習であったので、浅井家とよく会っていたためだ。年は4歳差だ。

で蘭丸は兄の官位を受け継ぐ予定だ。まだ子供だしね。ちなみに成利と名前が決まった。元服していないので、まだ蘭丸だけど。


蘭丸に婚姻が決まったら、あの人が来たよ。堀殿。

「逃げの治部卿、お見事。逃げるのが上手い。さすがでございます。感服いたしました」

とか

「いいので?初恋のお市様のお子様ですよ。でも、まあ、後お2人いらっしゃいますね」

とか

「より年下を望みますか?年上好きかと思っておりました」

などと宣うので、ずっと無視した。それくらいは今の俺なら許される。切らないだけマシだろう。


また、兄上、可隆は分家として独立して、西近江が領地になり、山城守護となった。空いていた叔父上の役職。ここのところずっと、但馬爺の指導を受けている。さらに官位の山城守と大膳大夫をもらった。


森家が織田家でダントツの出世だ。他の追随など許す許さないの話ではない。



俺の妻と子について。

妻せんは三人の子を産んだ。

俺は17で3歳と2歳、0歳の父だ。

それぞれ一番上が長女で白雪。女の子だ。白雪姫スノーホワイトだ。

次が長男で信可となる予定の荒神丸。アラジンマルと読む。アラジン。

最後が次女の月夜 つきよと読む。かぐや姫を模した。

考えるのが大変だったせいで、白雪の時に、肌が雪のように白いから春の始まりに生まれだけど季節外れの雪の日であったので、白雪にした。なので、そのまま童話シリーズにした。



男の子の幼名はクソミソな名前をつけ長生きするようにとするのが慣例となっているが俺の子にそんなのは必要でない。なので、少しふざけてアラジンマルとつけた。俺らしいと言われる。神を殺す神だから。荒ぶる神様。


最近は父上だけでなく俺も子宝の神になりつつある。この辺りが信者を大量増産の理由。俺の子も、戦の合間の短い期間にした子作りでせんが妊娠しているために子宝の神と祀る流れだ。父上を笑った罰だな。親を笑うのはやはりダメだ。


最後に俺の官位は中納言に上がった。信長様は大納言となった。幕府を開くにたる官位となった。いや、武士として最高位になった。なお、信忠様は近衛少将となった。


ここまで、これまでの森家を語ったが、まだ喜べない。奴らを駆逐する。



さあ、ラストを飾る徳川包囲網へ

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