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森勝蔵長可 転生者は家族を守りたいが為、狂い笑う。  作者: 確かな嘘
第7章 騒乱の信長包囲網
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柴田の乱①

柴田様がやらかしました。ついに大事件です。

はぁ、ある方から相談という報告を受けて、

呆れて、殺意すら湧いて来た。


柴田の野郎。





淡路を攻略から一年後1573年の春のことだった。百地から報告があった。

信玄が死んだという報告に合わせて、

謙信が戦場に出てこなくなったという報告があった。病かもしれないと。

これには正直、驚いた。


何があったのか?

色々と調査が必要と、密偵の百地にはもう一仕事してもらっている。

爺さん頑張って。


しかし問題だ。

特に後者が問題だ。 謙信がなぜ?


信玄は前から調子が悪いというのは百地から聞いていた。

伊賀の里を掌握し、広い情報網を持った百地から淡路攻略前から報告があった。


この時代の情報は集めるのがすごい大変だ。

嘘も多い。それらを精査して、

正しい情報を素早く持って来てくれる甲賀、百地には感謝している。


多分、これを掴んだのは、うちと上杉ぐらいで、

武田狩りを始めるタイミングを両方共に狙っていた。


俺としても真田家が欲しい。

優秀なものが多い武田だ。

その中でも、統治も情報戦も優れた真田が一番だ。

義理堅く、知も武も優れた家だ。

某ゲームの初期版では、真田幸隆は最強だった。



もっとも武田家は多くの問題がある。

大きいのが後継者問題だ。

これは3代続く大問題だ。

信虎と晴信(信玄)

信玄と勝頼


常に武田はこの後継者問題がつきまとうのだ。

簡単に言うと父子の不仲と後継の不勉強だ。


信虎と信玄は明らかに仲が悪かった。

信玄は勝頼を後継者にしなかった。これは勝頼の母が正妻ではなく、諏訪家の出身のため、その諏訪の神宮勢に力を与えたくないというのが大きい。

そういったことから後継者として勉強不足と野心で、史実では、武田は潰れる。


勝頼の野心を見抜き、後継者に指名しなかったのだろう。しかし、後継者の信勝という幼子を指名したのは間違いだった。


もっと言うと、

義信事件が痛かったのだろう。1565年だった。山県昌景、当時は飯富源四郎であったが、兄の飯富虎昌と武田家嫡男の義信による謀反の計画を見つけた。

これにより、飯富虎昌は自害、義信は廃嫡のもと幽閉となった。

これは、武田の歴史で、信玄も晴信時代に圧政をし、信濃にせめてばかりの信虎を追い出し、甲斐の安定を狙ったが、義信も同じことを狙った。結局信玄も謙信と諏訪との戦争で、甲斐を発展させられずにいたからだ。

あと、この義信事件は史実通りになった。

前世では、信虎や織田の関わりを考えたが、今川が下降線を降るなか今川に匿われた信虎にそんなことはできなかった。また、織田も義信と信長様の妹君が婚姻している。だから武田にそこまで関わって何も得るものがないというのが本音だ。


今世では、但馬爺から真相を聞いた。諏訪が策略をめぐらし計画したらしい。で、織田に話が来たが、特に何もしなかったようだ。

諏訪は信玄とは切っても切れない家だ。

ここの攻略と調略が上手くいかず、信玄を苦しめた。南信濃を早く制定してたら歴史は変わっただろう。何度も癇癪を起こし、攻め急ぎ政情を悪くした。


実際に、諏訪家由来の勝頼は後継には指名されなかった。

武田勝頼という名で有名だが、諏訪勝頼が本名だ。

武田勝頼は信玄が死ぬ間際に自身で勝手に名乗り出した。これは後継者に指名した信勝の後見人という立場を利用して、自分から名乗ったのだろう。実際に勝頼には信の字が名前にない。

信の字が武田の後継者候補には入っているので、この字がないものはそうなれない。


こういった後継者問題がつきまとうのは戦国の世の常。南部も上杉も伊達も大内も大友も後継者問題で家が傾いた。(伊達は戦国時代に入る前は東北地方をまとめ一大勢力だったが、政宗の3代前の当主が後継者問題を引き起こし家が割れ、一国にも満たない領主となった。)


そして、その信玄の体調不良による武田の傾国が始まった。織田としても武田の力は削いでおきたかったが、面と向かってはできない。

織田は幕府の将軍補佐で、実質のトップである。その将軍補佐が、幕府の管領の武田を何にもなしに攻撃したら朝廷や他国の不興を買う。やってはいけないのだ。

なので、経済戦争をした。これなら何かしらいわれても商人や宗教等のせいにできるし徳川や謙信も巻き込める。


そして、経済戦争をしたのはもう一つ理由がある。武田の問題として後継者と同じくらい大きい、甲府だ。

この地はこの時代は不毛の地で、

病があり、土地も不作が多い。金山に頼り切った地。故に信玄も信虎も信濃を目指したのだ。

さらに駿河を目指した。


よって、信濃を調略しながら、甲府に経済戦争で圧力をかけた。目に見えない形で。

このことは俺と叔父上と長政殿、信長様のみが知っていた。あまりに多くの者(特に柴田のバカとか)が知ると情報が漏れ、朝廷の不興を買う。

畿内が荒れるのは良くない。密かにだった。


こんな時に上杉謙信が死んだ。

謙信と信長様の武田攻めのタイミングを計る戦いとなるはずだった。

織田としては謙信が攻め込んだ後に、武田家救援という形で謙信を叩き、武田を吸収することがベストだ。謙信に管領攻めの誹りを全て引き受けさせる。

なのに、謙信が前にでれず、上杉もどうなるかわからないのは問題だった。

正直、2年近い経済戦争で武田の内情はボロボロだ。だから調略も進んでいる。


木曽に…と。なのにだ。どうした?

謙信は1579年の死亡が史実だった。だからここでは少し前まで元気なはずだ。


勝蔵君の読みが外れます。2回目かな?

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