第22話 ついに始まるヘアカット
迎えた週末——
栞との約束は15時なのだが、それに向けて俺は朝から妙にソワソワしていた。
無駄に早起きてしまった俺は気持ちを落ち着かせようと筋トレで全身に汗をかき、シャワーを浴びてリフレッシュしたあと、早々に母さんのいるヘアサロンへ向かうことにした。
うちは三階建ての一軒家で、一階は母さんのプライベートサロンと親父の事務所。二階より上が住居スペースになっている。
サロンのドアを開けると、そこには準備中の母さんの姿があった。
すらりと伸びた長い脚、すっきりとしたウエスト、明るめのロングヘアをきゅっとまとめたその姿に40代とは思えない美貌……
さすが元モデルで現役の美容師だ。
そんな母さんは、俺に気づくと口元にいたずらっぽい笑みを浮かべながらゆっくりとこちらに歩いてきた。
「あら薫、来たわね〜。まさか薫からお友達の髪を切ってほしいってお願いされるなんて……母さんびっくりしたわよ〜」
「ありがとう母さん、今日休みなのにサロン開けてくれて」
「いいのよ〜、可愛い息子のためだし張り切っちゃうわ!しかもそのお友達、女の子なんでしょ?母さん楽しみで仕方ないわぁ〜」
「ちょっと母さん!?変な事とか言わないでよ?俺と彼女はそういう関係じゃないんだから」
まあ、こうなることは想定内だ。
思春期の息子が女の子を家に呼んだとなれば、親としての反応はある意味当然。
けれど、俺の母親はそんな常識の範疇には収まらないひと癖ある人物だったりする。
「またまたぁ〜、男女の仲なんてコロッと変わるものよ?気付いたら裸になって事後でした……なんてよくある話なのよ?」
「母さん!?だからそれを止めてって!」
「なによぉ……薫も男なんだから早くやることやりなさい?私と父さんの息子なんだからポテンシャル相当持ってるはずなのに……で、その子とはもうエッチしたの?最近は一発やってから付き合うなんてのも普通の事よ?身体の相性ってめちゃくちゃ……」
「母さん!ストップストップ!……」
母さんのマシンガントークがエグさの領域に踏み込んだあたりで、俺は慌てて声を被せてなんとか強制終了させる。
……そう、これが俺の母さんだ。
これを栞の前でお披露目なんてことになったら……想像するだけでも恐ろしい。
そんな俺の焦りをものともせず『ふふっ』と口元に手を当てて笑う母さんの横顔を横目に見た瞬間、静かなドアの開閉音と共に小さく遠慮がちな声が背後から聞こえてきた。
「あの〜〜……おじゃまします〜……」
時計を見れば、針は15時の5分前を指していた。
緊張が高まる中ふとサロンの入口に目をやると、そこには背中をすぼめ、不安げな表情でおどおどと足を踏み入れる栞の姿があった。
「あっ、栞!」
「薫くんっ!よかったぁ……スゴいオシャレな所で本当に合ってるかって心配になっちゃったよぉ」
「わざわざ来てくれてありがとな、まずはこっちに……」
栞が周囲に戸惑うように視線をさまよわせている。
その不安げな背中を俺が前から軽く誘導する形で部屋の奥まで進むと、予想通り母さんが目をキラキラさせながら彼女に向かって駆け寄ってきた。
「あらぁ〜、いらっしゃい!あなたが中田さんね?薫から聞いてるわ〜!」
「あっ……あのっ……はじめましてっ、私、中田栞と申します!いつも薫くんとは仲良くさせていただいています!今日はお招きいただき、ありがとう御座いますっ!これ、つまらないものですが、どうぞ召し上がってください!」
母さんのテンションに気圧されながらも、栞はきゅっと袋を握りしめて差し出しペコリと深々と頭を下げた。
こういうとこがほんと栞らしい。真面目で気を遣える優しい子なんだよな……
母さんはそんな彼女の気遣いを、満面の笑顔でしっかり受け取っていた。
「あらぁ、お気遣いありがとね!栞ちゃんっていうのねぇ、可愛いお名前♡私が薫の母のゆかりです♡ゆかりさんって呼んでね?……それかもうお母さんって呼んでくれても……」
「ちょちょちょ!!母さん!?ほらっこんな所で立ち話はなんだし!一回座って落ち着こうよ!?」
マジで勘弁してくれ……
ヤバいセリフが飛び出しそうになるのを察知した俺は、慌ててふたりの間に割って入り強引にカウンセリングスペースへと誘導する事で会話を一旦リセットさせる。
そして、こんなドタバタな流れのまま中田さん美女化計画改め……栞美女化計画について母さんに順を追って説明し始めたのだった。
————
「とにかく一番栞ちゃんが可愛く見えるような、映える髪型にしてほしいのね……う〜ん……そうねぇ……」
母さんが栞をカット台に座らせながら真剣な表情で呟いている。
あの後、今回のミスコンの目的や栞のイメージを一通り伝えると、先ほどまでの砕けた雰囲気から一転してプロの顔になった母さんはじっと栞を見つめながらぶつぶつと独り言を呟き、イメージを膨らませているようだった。
流石はプロ。オンオフの切り替えが見事だ。
そんな母さんの様子を俺は少し緊張しながら横で見守っていた。
「確かに栞ちゃんは薫の言う通り凄く可愛いんだけど……その可愛いさが全部髪で隠れちゃってるのよね……」
「そっ……そうなんですかっ……?私、自分で可愛いとか思った事なくて……」
「本当よ?むしろ自分で可愛い事に気付いてないのが不思議なくらいよ?薫はよくこんなダイヤの原石みたいな可愛い子見つけてきたわね……母さんも鼻が高いわ」
まあ、たまたまなんだけどね……色々あって……
心の中でそう呟きながら余計な口を挟まず母さんの様子を見守っていると、母さんは栞の髪を優しく持ち上げたり撫でたりしながら、ふと何かを思いついたような表情を浮かべた。
そして次の瞬間、慎重な口調で静かに栞に問いかけた。
「ねぇ栞ちゃん……結構、髪バッサリいっても大丈夫かしら?」
「……はいっ、ゆかりさんの好きにしてください!」
栞が真剣な表情で頷く。
女の子にとって髪は命のようなものだ。その大切な髪を母さんに託そうとする栞の覚悟は、やはり本物なんだと思う。
その想いを受け取った母さんの言葉には熱い気迫がこもっていた。
「わかったわ……それなら私が絶対に可愛くしてあげるから任せてちょうだい!じゃあ、早速はじめるわよ!」
「はいっ!宜しくお願いします!」
静まり返った空気の中で母さんのハサミがそっと持ち上げられ、一瞬の沈黙のあとシュッと音を立てて栞の髪に刃が入る。
そしてその瞬間から、彼女の変化が始まったのだった——




