第07話 貴族の盾
ずっと主が不在の執務机。
私は使用人が寝静まった深夜にノアを呼び出し、その椅子に座った。
「ノア。次の段階よ。父の目の届かない所で静かに進めたいの」
「マリエッタ様。その意見には賛同します」
私とノアは頷きあった。
父に事業を取り上げられると、今までのすべてが無駄になる。
また同じ轍は踏ませられない。
今の私はもう、二度と領民を裏切リたくなかった。
「まずは、鉄鉱山を新たに発掘するのは危険です。既に掘られて、放棄や廃材になったものを使いましょう」
派手な動きは控えたい。
だが領地の再建を考えると、父に無理やり眠らされたものを全て掘り起こさなければ意味がない。
少しずつでいい。
鉱山のことも、動かさなければならない。
まだ鉱員が残っている今が、最後の機会になるかもしれない。
となると、問題は――。
「そうね。帳簿はどうしましょうか。父は、たまに確認をするのが厄介なのよ。……目先の金策のためだけにね」
安全策を取るならば、私は身を引いたほうがいいかもしれない。
動きが目立ってしまう。
……しかし。
私が矢面に立たないと、皆が危険に晒される。
「――私が、勝手にしたことにするわ。それが最善じゃない?」
最悪、私なら父に罰せられるとしてもそこまで酷くない。
でも、他の人は違う。
やはり、責任は私が取ったほうがいい。
部屋の明かりが乏しいので、ノアの顔に影がかかって表情が読めない。
他の意見がないようなら、そうしよう。
そう決断した時、ノアの硬い声がした。
「男爵は数字を確認するだけです。それに、これは男爵家主導でない方がよろしいでしょう。帳簿には載せません」
「新たに商会を作る、と?」
随分と思い切った意見だ。
「いえ、販売は引き続きエルンスト商会を通します。ですが、こちらが主導権を握りましょう」
前回の商人とのやり取りが頭をよぎる。
『貴女は貴族女性で、当主でもない』
あれは、私への挑戦だ。
職人は技術を生み出し、さらに継承していく。
そして商人は、価値と市場を計算している。
そこに私は要らないかもしれない。
でも、こんな私にも使い道があるのなら――。
「すでに、退路は塞がっているのよね。……ノア。危険だけれど、付いてきてくれる?」
「……ええ。お供します。あなたの道を少しでも整えることが私の生き甲斐になってしまいました」
フッと表情を緩めた彼の顔は、とても印象に残った。
――ごめんなさい、ノア。
貴方が一番、最も危険な道を歩いているのかもしれないわ。
それに甘えてしまっている私が、とても狡く思えた。
◇◇◇
エルンスト商会の馬車が男爵家の前で止まった。
そのまま、商会長を応接室へと招き入れる。
私は立ち上がって、握手の為に右手を差しだした。
「わざわざ来てくれてありがとう」
貴族女性の挨拶と違ったからだろうか。
彼はわずかに目を見張った。
「いえいえ。いつでも身軽じゃないと、私の女神から見放されますからね」
「その女神ってものが私じゃないと嬉しいわ」
私の返答に、商会長が皮肉げに笑った。
「ははは。商人が信じているのは、金運をもたらせてくれる存在。総じてそれを“幸運の女神”と呼ぶんです」
――やり返してきたわね。
もはや完全に、彼のお得意様扱いではなくなっている。
これは一歩進んだ証かしら……。
「前回の話の続きをしましょうか。……彼にお茶を」
私は侍従を下がらせ、彼に席を勧める。
部屋には、私とノア、それと商会長だけになった。
「あなたの危惧と思惑はわかるわ。私は貴族女性だから。――自分の商会が全て手に入れたいのね?」
「ええ。――本音を語れば。ですが……」
私は彼の言葉を遮るようにカップを置いた。
「二年契約はどうかしら」
「二年後にこちちへ譲る、ということですか?」
短期契約。
これなら、エルンスト商会も損害が抑えられる。
そして、私も準備ができる。
「いいえ、全ては無理ね。設計図も技術も渡さない。もちろん人材もよ」
「ですが、それではあまりにもこちらに旨味がないですね。流通してから乗り移られる可能性もあるのでは?」
商会長が指摘するのはわかる。
「それはお互い様でしょう。鉄はこちらが用意するわ。領地にある鉄鉱山なら、材料費が抑えられる」
そう。
二年で、鉄鉱山をなんとかしたい。
エルンスト商会としても、わざわざ鉄を仕入れなくていい分、魅力があるのではないかしら。
「まずは二年で、お互いに地盤を固めましょう。職人が育ち、利益が出始めたら、さらに工房の規模を大きくする。その費用はこちらが受け持ちます。初期費用を抑えられる分、そちらにも利があるんじゃないかしら」
「悪くはない。しかし、不安材料が残るのも事実です。言ったでしょう?貴方は当主でもない、貴族女性だと」
やはり、そこが問題なのよね。
だからこそ、“彼”がいてくれてよかった。
「それなら私じゃなくて、ノアに全権を譲るわ」
「マリエッタ様、それは……」
「ノア。貴方なら優秀だし、任せられる。でも、まだ先の話よ」
ノアが口を開こうとするが、手で遮る。
最初から考えていたことだ。
正直、私は不安材料ばかりだもの。
「なるほど。彼が事業主になる、と。それならば話は変わる」
「ええ。でも、まだ私は引く気はないわ」
鉄鉱山をまた、広く稼働させなければ。
二年で目処を立てるか、投資家を募るか……。
とにかく、父にだけ気づかれなければ問題ない。
貴族への売り込みを私が引き受ける形にすればいいかもしれない。
「……私が、貴族の盾になりましょう。いきなり派手になったら他の商会に目をつけられる可能性があるもの」
商会長も、カップを静かに置いた。
沈黙が下りる。
「――それに」
もう一押し、かしら。
「私がいなくなっても、人材は残る。積み上げたものも残る。後は、守り切る覚悟だけ」
張り詰めた空気の中、彼が少し身じろぎをした。
それを真っすぐに見つめながら、私は言葉を紡ぐ。
「私は、簡単に手放すつもりはありません。」
そこで、テーブルの上のカップを揺らす。
人差し指で、零さないように加減をしながら。
「悪い話じゃないでしょう?それに、あなたは『売れる』と理解して、既に選んでいる。――でも、同時に私もあなたを見定めていることを忘れないで」
商会長は黙ったままだ。
でも、それでもいい。
椅子から立ち上がり、窓を開けた。
「この領地、そして、この重苦しい椅子。宝の持ち腐れにしない。それが私の覚悟よ。もしもの時は、こちらのノアに全権を譲る。これでどう?」
商会長は、すぐには答えなかった。
きっと、色々と計算しているのだろう。
冷たい空気が髪を攫っていく。
「だから、エルンスト商会は販路を受け持ってくれればいい。無理だと思えば二年後に考え直せばいい」
「マリエッタ様。女性の貴女では制約が多い……。ですが、本当の目利きは違う。実際に手に取り、自分で判断を下す」
彼は、ほんの一瞬だけ言葉を切った。
「エルンスト商会はまだ彼らに繋がるルートがない。つまり、商人の“幸運の女神”になるつもりだと?」
私は、その答えを聞いて無意識にノアの顔を見た。
彼は僅かに目元を緩めて私に頷いた。
――そんなに大仰なものにはなれないけれど。
「まずは試作品を十本売りましょう。私が五本。商会が五本でどうかしら?」
自分の指を十本、目の前に広げた。
「高級品をあなたに五本。そして……若手が作ったものは、私が引き受ける」
「ほう。……いい案ですね。ただ。全部任せてもらってもいいんですよ?」
私の答えを、いや、思惑を知りたいらしい。
彼らしくもなく、わざとらしい煽り方だった。
「いいえ。今度、夜会が開かれるの。そこで、目を付けている人物がいる。きっと彼ならその価値を見抜くでしょう」
私は、ゆっくりと扇子を広げる。
「まずは、その成果を見て判断してもいいわ」
正直、どうなるかは予想ができない。
でも進まなければ、結果は生まれない。
技術は生まれた。
次は根付かせる方法を探さなければ。
「女性だから、風当たりが強い?ええ、その通り。悪目立ちするわね。でも、だからこそ武器になるかもしれない」
「なるほど。それを逆に利用するということですね。ただ、それだけだと厳しいと思いますよ」
商会長の言うとおり、普通なら馬鹿にされて終わりだ。
でも、今回の夜会は少しだけ勝算がある。
そして、貴族令嬢だから許されることもある。
「そうかしら?目利きができる人なら、“本物”に気づくんでしょう?そして……その方は、初めて女性の補佐官を登用したのよ」
「それは……!」
有名な話だった。商会長が知らないはずがない。
「私は、“領地のものを自慢するため”に夜会に挑むことにするわ。そのために、まずは知名度の高い人に売り込みに行く」
その人に認められたら、世間から注目される。
そうすれば、信頼度も上がる。
さらに大勢の興味を引けるかもしれない。
――誰にも出来ない戦い方で、ここを守ってみせる。
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