第03話 若い職人フィン
万年筆のペン先作りは難航していた。
やはり簡単にはいかないらしい。
今日も訪れた工房で、下から声が掛かった。
見下ろせば、フィンが工房の入り口に座り込んでいる。
「ねぇ、お嬢さん。羽根ペンって持ってます?」
こちらを見上げるフィンの様子が、いつもと違う。
私が知っている彼は、よく笑う青年だった。
こんな風に肩を落とした姿を見るのは、初めてだ。
「えぇ。今は手元にないけれど。どうしたの、フィン?」
フィンは答えず、草をむしり続けた。
ぶちり。
ぶちり。
私の質問の答えの代わりに、草が千切れる音が続く。
「自然って凄いっすよね。うーーん、羽根ペン。あれ、どうなってるんだろう?お嬢さん、詳しく知ってます?」
羽根ペン……。
確かに、どうして昔から使われているのかしら。
普段から使い慣れすぎて、疑問にも思わなかった。
詳しい構造?
答えられないわ……。
私は少しだけノアに身を寄せ、小声で囁く。
「……ノア。教えてあげて。私には全然わからないのよ」
ノアは困ったように笑うと、静かに一歩前へ出た。
「私も専門家ではないので詳しくありませんが……。では、知っていることだけを」
ノアは私の無知を笑わない。
最近は、後でこっそりと彼に質問することが多くなった。
……あくまでも、こっそりだ。
「あれは、力を加え過ぎると、自然と逃げる構造になっています。軸がしなるので折れにくいんですよ」
私が答えられないことを、隣にいたノアが丁寧に答えてくれた。
こういう時は、本当に助かる。
私は、知らないことが多すぎるわ……。
「しかし、良いところに目をつけましたね」
「そうっすか?兄貴たちに話してみたけど……羽根ペンを真似できるわけないだろう!で終わりですよ」
フィンの声が、普段よりも低い。
そして、また草に手を伸ばした。
ブチブチと、雑草が千切れる音は途切れなかった。
「俺……向いてないのかなぁ……。いっつも変な事ばかり言っちゃう……。性格もこんなんだし」
そう言った瞬間。
フィンの指が一瞬だけ止まった。
しかし、また次の草を掴んで引っ張る。
私は言葉に詰まり、工房に並べられた失敗作へと視線を向けた。
きっと、一つ一つ心を込めて加工したのだろう。
どうやって、励ませばいいのかしら……。
そう考えると、私は彼らに何も貢献出来ていない。
「じゃあ、羽根ペンを何個かあげるわ。分解してもいいし、観察してもいい。少しはヒントがあるかも」
「え!いいんですか?じゃあ、失敗作と並べて観察したい」
立ち上がって、私の手を取り喜ぶフィン。
先ほどの様子が嘘みたいに、その瞳は好奇心で輝いている。
私はノアを見上げて、声を出さずに伝えた。
『ノア……お願いできる?』
『了解しました』
彼は一つ頷き、屋敷への道を引き返していった。
その背中を見送り、フィンに笑顔を返す。
――これで少しは、彼らの気晴らしになるかしら。
◇◇◇
しばらく待っていると、ノアが屋敷から三本ほど羽根ペンを持ってきてくれた。
しかも、安価な物、一番流通している物、高級品と全部価格帯が違う。
なるほど、これなら作りの違いまで比べられるかもしれない。
「ありがとうございます!」
「うわ、すげぇ。見るからに高そうだな」
工房内に活気が戻った。
フィン以外にも、煮詰まっていた職人は多かったようだ。
職人たちは、そわそわとしながらこちらの顔を窺っている。
――こういう所は、みんな子どもみたいよね。
普段の屈強な姿からは想像できないほど、好奇心が疼いているようだ。
思わず口元が綻ぶ。
「じゃあ、せっかくなので色々比べてみてちょうだい。遠慮はしなくていいわ」
私の言葉を待っていたかのように、職人たちは動き出した。
「おい、奥から持ってこい」
「あ、工房の羽根ペンも持ってこようぜ。お貴族様の使うものと違うかもしれない」
そして、机の上に今までの失敗作を並べていく。
手慣れている。
彼らは、日々こうやって研鑽しているのだろう。
それを垣間見た瞬間だった。
覗き込んでみると、ペン先の厚み順に並べられている。
「こっちは、紙を傷つけないように薄くしたやつです」
「……こんなに細かく作ってくれたのね」
私が頷くと、中堅の職人が目の前の失敗作を手に取った。
「こちらは、途中でペン先が曲がりました」
「ええ。かなり加減して書くことしかできませんでした。結果は細々とした線が引ける程度です」
彼の説明通り、黒く走る線はひょろひょろと波打っていた。
確かに細すぎる。
私とノアは顔を見合わせるが、彼も同意見のようだった。
……いいえ。
この場で私たちが、職人の仕事を評価することはできない。
「なので次は少し厚めに作ってみたんですが、今度は紙を傷つける。今のところ、ちょうどいい厚みがわかりませんね」
彼は私たちに説明しながら、隣のペンを持った。
そして、その万年筆を紙に滑らせる。
――ガリガリ。
不快な音が響いた。
こちらは先ほどとは違う問題のようだ。
職人たちは黙り込み、テーブルの上へ視線を落とした。
紙に小さな穴が空いている。
描かれた一本の線は、紙に引っかかり、歪にゆがんでいた。
なるほど。
柔らかいと折れやすいので、書く時の力加減が難しい。
でも、硬すぎても使えない。
課題はわかりやすいけれど、改善策が思いつかなかった。
でも、彼らはこうやって試行錯誤を繰り返し、何度も作ってくれていたのね。
その時。
沈んだ空気とは場違いなほど軽い声が、職人たちの間へ割り込んだ。
「ねぇ、兄貴〜」
ずっと会話に加わっていなかったフィンだ。
彼は手元の羽根ペンをくるくると弄りながら、呟いていた。
「思ったんだけど、この羽根ペンさー。文字を書くと太さが変わるじゃん?俺たちのペン先は全部同じ太さだ」
「……それは!」
誰もが息を呑んだ瞬間だった。
やはり、結局は羽根ペンのほうが優れているということなのかしら――。
そう思った直後。
一人の職人が動いた。
「……え!?」
目を見開く私の前で、彼は素早くテーブルに手を伸ばした。
「……なんでだ。何が違う?」
その疑問に答える声はなかった。
だが、空気が変わった。
中堅の職人が、失敗したペン先をまじまじと観察している。
それにつられるように、我先にと羽根ペンを手に取る人もいた。
工房内がざわついている。
なに――?
羽根ペンにヒントがあったの?
思わずノアを見るが、彼も何かに気づいたようだった。
「……どれ、見せてみろ」
低い声が耳朶を打つ。
決して大きな声ではなかったのに、全員が同じ方向へ顔を向けた。
私も慌ててその視線の先を追う。
「親方!?」
奥の方から、力強く床を踏みしめる音が近づいてくる。
やがて、ゆっくりと親方が姿を現した。
そして、フィンから羽根ペンを受け取った。
彼の大きな手がペン先を丁寧に触り、力を加え、紙の上を滑らせる。
「……面だな」
そして、親方はどこか納得したように低く呟いた。
フィンが首を傾げる。
「面……ですか?」
職人たちも最初は当惑した様子で、互いに顔を見合わせていた。
しかし、しばらく経つと徐々に表情が明るくなった。
「わかった……」
「ああ……。そうなんだ」
彼らは同時に頷き合う。
目の色を変えている人もいた。
羽根ペンを持っていた職人は、そのまま手元へ視線を落とした。
軸を触り、ペン先を手のひらに当てる。
「そうか……!紙を傷めるのは強度じゃない。力が集中する範囲の問題なんだ!」
「おい、俺にも貸せ!」
工房内に熱気が籠もったのを肌で感じる。
さまざまな意見が上がってくる。
周囲を見渡すと、最早置いていかれているのは私だけだ。
――カタン。
親方が羽根ペンを机に置く。
その瞬間、沈黙がおりた。
今までの興奮が嘘のように、職人たちの動きが止まる。
誰もが固唾をのみ、親方の言葉を待っている。
「……ふむ」
いつの間にか、私も周囲の空気に飲まれていた。
期待と信頼。
そしてわずかな不安。
私は知らずに息を潜め、親方を見つめる。
「俺たちは新しい物を一から作る必要はない。――これが答えかもしれん」
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