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独り

 ――ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ……


 目覚ましのタイマーかと思って手を伸ばしたものの、一向に触れる気配がない。


 ――ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ……


「もー! うるさいなあ!」


 苛つきながら目を開ける。仄暗い――。


「……あれ?」


 ベッドでもソファーでも、ましてやコクーンの中でもない。

 ガバ、と身を起こせば、僕は操縦席の中にいた。左半身を背もたれに預けた横向きの姿勢で、すっかり眠りに落ちていたのだ。


「夢……?」


 見上げたスクリーンは灰色のまま。超光速航行中の重低音が響いている。耐久性訓練後の個室じゃない。左側が温かいのは、座席に籠った自分の体温で、寄り添ってくれたエマの温もりではなかった――。


 ――ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ……


 呆然としていた僕を、無機質なシグナルが引き戻した。これは、恒星間通信の呼び出し音だ。


「えっ、だって――」


 操縦席に座り直す。ノアから地球に悲報を送信したのは、一眠りする前だ。船内時計を確認したが、ものの2時間しか経っていない。

 だとすれば、僕が送った通信の返事ではなく、2週間前に地球から発信された別件のメッセージに違いない。

 急ぎパスワードを解析し、受信する。無意味な電気信号が変換され――。


『こちら太陽系第3惑星・地球――航宙船ノア、乗船員に告ぐ』


 緊迫した、やや早口でハスキーな声。音声に続いて映像が現れる。スクリーンに拡大して映し出した。


『こちらは、宇宙庁指令室。この通信は、予定にはない緊急通信である』


 灰色の長髪を、きっちり首の後ろでまとめた50代くらいの男性は――肌にシワが刻まれ老けて見えるが、記憶の中の長官に重なる。


『ノアの諸君。この通信を確認するのは、ルシファー星系到着直前のタイミングだろうな』


 彼のアイスブルーの瞳が憂いに翳る。やや俯いて沈黙した後、彼は意を決したような厳しい面持ちを浮かべると、こちらを真っ直ぐ睥睨へいげいした。


『結論から述べよう。ノア計画は、失敗した』


「え、ええっ!?」


『反対勢力――ケイロンの過激派が、太陽を破壊して自爆した。彼らは、地球に見捨てられると曲解したのだ。誤解を解くために、我々は幾度も会合を持ち、説明を試みたが――徒労に終わった』


 長官の説明の途中から、ケイロンへ向かった交渉使節団の様子を映した資料映像が流れた。正式な会合の席であるにも関わらず、ケイロン側の代表者達が突如、地球側の使節団に武器を向け――血飛沫が上がった。


「なん……てことを……」


 次に、粗い連続静止画像が流れる。ケイロンから脱出する航宙船の船外カメラが撮影したものらしく、コロニー全体を覆う半球状の透明な外壁ドームを捉えている。しかし、一点、目映い閃光が走ると、連続する画像には、コロニー内部が勢い良く炎に包まれる様子が映り――その惨状は、徐々に遠ざかっていった。あれでは、生存者は望めまい。


「あぁ……」


 嘆息が漏れる。やるせない。無力感に押し潰されそうだ。


『太陽からの衝撃波は、免れぬ。予測では、第一波で水星が蒸発する。地球にも、あと4時間で到達するはずだ。太陽に面した昼半球では、全ての生物が死滅するだろう』


 再び、長官の沈痛な表情が映し出された。


『……太陽系内のコロニーに向かった者もいるが、太陽爆発の影響を避けることはできまい。よしんばコロニーが残ったところで、もはや太陽系は生存可能域ハビタブルゾーンではない。遠からず死滅することは、目に見えている』


 地磁気が乱れているのか、数秒、長官の姿が醜く歪んだ。


『ノアに還る……故郷はない。我々が築い……きた文明が、この……な形で霧散す……とは、痛恨の……』


 映像に続き、音声も途切れてきた。聞き取りに集中しようとするのだが、解した意味を脳が拒絶している。咀嚼したのに嚥下できない言葉が口の中一杯に堪ってしまい、息が詰まりそうだ。


『――諸君……命を賭し……重要な仕事ミッション……携わ……て……れた……を誇り……おも……――』


 労いとも懺悔とも取れる長官のメッセージを最後に、映像も音声もノイズに覆われて、切れた。


「――地球、が――?」


 通信の消えた灰色のスクリーン。司令室ブリッジに響くノイズは、草原を駆け抜ける風音のようにも、止むことのない雨音のようにも聞こえる。


「――嘘、だろ?」


 ノアで、唯一生き残ったことを知っても、僕を苛んだのは、仲間を失った悲しみだけだった。地球で調査報告を待つ同胞がいるからこそ、仕事ミッションを成し遂げる覚悟を持てたのだ。

 けれども――。


「……嘘だって、誰か……」


 誰も、待つ者がいないというのか?

 この広い、果てなき宇宙空間で、僕独りだけが生き残ったと――?


「誰か、言ってくれよおぉ!!」


 悪い夢なら、もう沢山だ。どんな神が――或いは悪魔が、こんな……酷い喜劇を描いたんだろう。


「笑えない……笑える訳ないじゃないか……」


 不思議と、涙はなかった。仲間の死で枯れ果てたのかも知れない。やり場のない憤りだけが、ただただ渦巻いている。

 操縦席のタッチパネルをでたらめに叩いて、今すぐ自爆してしまいたい――ノアにそんな機能があれば、だが。


「……エマ」


 面影を脳裏に描く。最期の時を、彼女はどこで迎えたのだろう。地球にいたのか――それともガニメデか、別のコロニーで過ごしていたのか?

 今すぐ地球に引き返した所で、11年以上かかる。地球どころか太陽系だって消滅しているはずだ。


「……何のために、ここにいるんだよ」


 今更、ノアがルシファーに行くことに、何の意味があるんだろうか。何もかも手遅れだというのに、今更――。


 投げやりな気分で、タッチパネルの上に突っ伏した。超光速宙行の低振動が頭蓋骨越しに前頭葉に響く。ゴロリと右に顔を向けると、操作テーブル上、すぐ目の前に淡い緑色のランプが点っている。ノアが、正常に自動運転している証だ。


「――正常?」


 呟きを吐き捨てる。そんなこと、もうどうでもいい。八つ当たりのような気持ちで、緑の小さな光を睨み付けた。


-*-*-*-


 ユラリ……と淡い光の中で、緑色の液体が揺れている。室内灯の下、白衣の背中が見える。


『……それ、何ですか、ドクター?』


『うん?』


 振り向いた彼は、僕を見て片眉を上げた。それから僕の視線の先――自分の右手に持ったボトルをチラと一瞥する。


『こいつはな、地球の素だよ』


 答えながら僕に渡すと、彼は掌サイズのメディカルスキャナーで、僕のバイタルサインのチェックを始めた。ここはドクターのラボ兼個室で、僕は彼のベッドに横たわっている。


『地球の素?』


『ああ。藻類の仲間だ。ルシファーの海に先客がいなけりゃ、こいつを投下する。進化の過程をすっ飛ばして、植物プランクトンで満たすんだよ』


 測定結果の表示を眺めて、うんうんと頷いている。僕自身、異常な動悸も発汗も収まっているので、もう大丈夫だと分かる。ゆっくりと身体を起こしてから、液体が入ったボトルをじっくりと眺めた。


『それって、ルシファーに、地球型の生態系を創るってことですか?』


『そうだ。植物プランクトンが定着したら、動物プランクトンを投下して……それから陸に植生を展開する』


 半透明の液体を小さく揺らしてみるものの、生命の集合体には何の変化も見られない。とはいえ、これはノア計画に関わる重要な物質なのだ。僕はボトルをドクターに返した。


『神様の仕事をするんですね』


『はは……そうかも知れん』


 あれは――まだノアの乗船が決まる前のことだ。初めての耐久性訓練を終えた後、僕はトイレに駆け込むと激しく嘔吐した。訓練に対する極度の緊張が、克服したはずの閉所恐怖症を呼び起こし、パニックになりかけていた。異変に気付いたドクターは、僕をトイレから運び出し、介抱してくれたのだ。


『今度こそ、人間は緑の惑星と共存せにゃならんなあ』


 それは――育んでくれた地球を汚した、人類に課せられた贖罪なのかも知れない。

 手元に戻った緑色の液体を眺めるドクターは、穏やかに微笑んでいたものの、決意に満ちた強い想いが滲んでいた。




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