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契機

『もーいいーかーい?』


『まぁーだ、だよー』


 どこからとなく声が響く。僕は膝を抱え、身体を小さく丸めたまま、声と気配を圧し殺した。


『もーいいーかーい?』


 沈黙。


『もーいいーかーい?』


 更に、沈黙。僕は息をひそめる。期待と不安に胸がドキドキと高鳴る。


『いくよー!!』


 鬼役の友達が、一層声を張り上げた。ガランと広い廃工場のフロアに余韻を残して、彼の声がゲームの口火を切った。


 足音が遠くで聞こえる。まだ大丈夫だ。パタパタ、ガタガタと鬼が探し回っている。


『ユウちゃん、見っけ!』


『あーあ!』


 1人、見つかった。

 鬼の子は、壁際の階段を上がっていったのか、頭上から足音が降ってくる。


『いた! シンちゃん!』


『うわ、早いよー!』


 バタバタ駆ける音。階段を下りてくる。隠れている子は、あと3人。

 僕は、折り重なって倒れている壊れたロッカーの中の暗がりで息を殺す。


『アッちゃん、見つけたー!』


『ちぇーっ!』


 あと2人――緊張感が増した、その時。


『キャッ?!』


『わあっ!』


 ガタガタぐらぐら――地面が揺れた。

 ガチャガチャ……ゴトゴト……激しく揺れて、驚きの余り声が出ない。僕はギュッと目をつぶった切り、身体を縮めて固まった。

 雑音の中、『キャー』とか『ワー』という友達の声が遠くなった。


 揺れが収まってもなお、僕は動けなかった。身体が小さく震えている。

 地震は、初めてじゃない。何度も体験しているものの、こんな独り切りのシチュエーションで遭遇したことなんかない。


『――は……み、みんな、いるの……?』


 鬼ごっこなんか、もうどうでもいい。心細さから、恐る恐る声を上げた。


 返事は、ない。


『ユウちゃん? シンちゃん! アッちゃん!? 誰か、いないの?!』


 突然、心細さが恐怖に変わる。恐い、恐い! 嫌だ、独りにしないで!!

 冷や汗がダラダラと吹き出して来た。叫びながら、僕はロッカーの扉をグイと持ち上げる。開かない!!


『やだあ!! 助けて!! 開けてえ!!』


 パニックになりながら、開かない扉をダンダンと激しく叩く。喉がちぎれるんじゃないかと思うくらい、声の限りに叫ぶ。

 自分が発する騒音が、閉じた狭い暗闇の中にこだまする。その振動に、更に恐怖が膨らみ、焦りに火がつく。


『助けてえー!! 嫌だああぁ!! 開けてよお!!』


 焦燥感に息が苦しくなる。泣きながら、激しく後悔していた。こんな所に隠れるんじゃなかった。いや、こんな場所で遊ぶんじゃなかった。『危険なので近付いてはいけません』――学校の先生に、禁止されていたのに!


『助けてえ! 助けてえ!』


 力を振り絞って叫んでいたが、やがて僕は力尽き――意識を失った。


-*-*-*-


 廃工場のロッカーの中から()()されたのは、日付が変わった早朝だった。

 夜になっても帰宅しない僕を探した両親が、片っ端から友達の家に連絡して、僕らが立ち入りを禁止されていた廃工場で遊んでいたことを突き止めたのだ。


 泣き疲れて倒れていた僕は、軽く脱水症になっていたそうだ。病室のベッドで目を覚ました後、心配した両親から酷く叱られた。

 脱水症状は軽かったので、3日間の入院で済んだものの、それ以来――僕は閉所恐怖症になった。


 初等部の2年生、まだ8歳のことである。


-*-*-*-


『――カイト』


『え?』


『展望室、行かないの?』


 振り向くと、赤いブレザーの制服姿のエマ――当時はまだ『水越みずこし』とファミリーネームで呼んでいた、クラスメイト――が立っていた。


 初等部5年生の夏。研修旅行で訪れた西の街で、この日最後の行程として、シンボルタワーへ行った。ここは、この街のランドマークで、観光客は必ず足を運ぶ。何故なら、世界一の高さを誇る地上10kmに位置する展望室は、地上より宇宙に近いと称されているからだ。実際、地表は雲の下で、見える景色といえば、航空機が発着する空中ステーションの様子と、かなり上空を移動する宇宙ステーションの姿だ。運が良ければ、地球外コロニーへの定期便、航宙船も見ることができる。

 夜になれば満天の星空の下、夜間飛行の灯りを眺めるのが人気なのだそうだ。


『僕は――エレベーターが……その』


 この街を模したジオラマの前で、観光案内のホログラムを眺めていた僕は、しどろもどろになって答えた。


 地上から展望室までは、最新の高速エレベーターでも5分はかかる。施設案内には『一度に50人を運べる広さ』とあるが、閉鎖空間は僕には鬼門だ。ひと度パニックを起こしたら、叫ぶか暴れるか――自分ではコントロールできない。

 事情を知っているので、引率の先生も無理強いはせず、地上階で待機することを認めてくれていた。


『……私と一緒に行こうよ。大丈夫、側にいるわ』


『えっ。水越?』


 クラスメイト達は、既に全員展望室に向かっている。何故、彼女1人が地上階にいるのか、理解できなかった。


『ちょっと待ってて』


 困惑する僕を置いて、エマは係員に何事か告げている。係員の女性は、笑顔で頷いていた。


『ほら、カイト。行きましょ!』


 戻ってきた彼女は、しっかりと僕の左手を取ると、強引にエレベーターの前まで進んだ。

 足が動く。ぎこちなくもつれるものの――エマにグイグイと引かれれば、不思議と足は動いた。独りなら、決して近付くことなどないエレベーター。恐怖を呼び起こす対象物には、近付くことなど出来ないはずなのに。


 程なく、小さな機械音と共にエレベーターの扉が開いた。先に見学を終えたクラスメイト達が、ゾロゾロと降りてきた。そして僕達を見ると、驚いたように指差し、ヒソヒソ話す者もいた。


『……やっぱり、や』


『私、転校するの』


『――えっ?』


 彼女は、最後の一押しとばかりに強く手を引いた。一瞬、気を逸らされた僕は、つんのめりながらエレベーターに足を踏み入れてしまった。背後ですかさず扉が閉まる。ほとんど振動も衝撃もなく、小部屋のような箱は上昇を開始した。


『大丈夫、一緒にいるわ』


 彼女は真っ直ぐ正面に立つと、ふんわり微笑んだ。繋いだままの手は、閉じられた室内を感じ、小さく震えたが、いつもは冷える指先は彼女の温もりに包まれている。


『カイト、こっち』


 ゆっくりと壁まで誘導され、背中を付けて並んでもたれた。

 その時になって初めて、50人乗りの広いエレベーターの中に、僕達が2人切りだと気付いた。


『……水越、どうして』


『エマ』


『――え』


『エマ、よ。リンって呼んでいい?』


『何で』


 思わず、素っ気なく返してしまった。

 ミドルネームで呼び合うのは、同性の友達相手でも珍しい。よほどの親友か――一般的には夫婦パートナーなどの極めて親しい相手に限ったことだからだ。


『私ね、高所恐怖症なのよ』


 ツンと澄まして正面の壁に向けている、彼女の視線の先には、展望室までの残り時間と現在の高度が、ご丁寧に電光掲示板で表示されていた。――あと3分25秒。


『だ、だったら、どうして』


『ママが、ガニメデにいるの』


 ガニメデは、木星最大の衛星で、5年くらい前に出来たばかりの、比較的新しい地球外コロニーだ。


『ママもパパも、惑星緑化機構っていう所で働いていて、来年、私もパパとガニメデに行くの』


 彼女の両親は、確か著名な研究者と聞いたことがある。


『飛行機でアメリカに行って、航宙船に乗らなくちゃならないの』


 そう話す彼女――エマの右手も微かに震えていた。


『ごめんね、リン。私も、恐いわ。でも……いつかは、乗り越えなくちゃ。私達は、行きたい場所へ、自由に、行ける……のよ』


 電光掲示板を見つめる薄紫の瞳が強張っている。あと2分。高度は8kmを越えている。


『――だ、大丈夫だ』


『うん……』


『大丈夫だから、エマ』


 僕は、繋いだ左手に力を込めた。


『うん』


 彼女も直ぐに握り返してくる。並んで、電光掲示板のカウントダウンを息詰めて見上げる。


 あと、1分……45秒……30秒……15秒……。


『……10、9、8、7、6、5、4』


 いつの間にか、声に出していた。


『3! 2! 1!』


 ――チン


『お待たせ致しました。展望室にようこそ! 宇宙に最も近い、空の旅をお楽しみください』


 小さな機械音に続いて、女性のアナウンスが軽快に流れ――ついに、扉が開いた。


『エマ』


『リン』


 ほとんど同時に呼んでいた。クスッと笑いを溢して、彼女は先に動き出した。


『行きましょ、リン』


 ちょっと躓きそうになったが、彼女の手に支えられて僕も足を踏み出した。エレベーターホールの係員の女性は、僕達を急かすことなく、笑顔で扉を開けて待っていてくれた。


 展望室は半球の形状で、天井を含めた全体がUVシールドで覆われた特集強化ガラスになっていた。まさに宇宙の玄関口だ。窓外に広がるパノラマは、ちょうど昼から夜へ衣替えの最中で、壮大な光のショーを展開している。太陽が成層圏の彼方に姿を消すと、光の波が次々に押し寄せて、残照の橙色から朱色、赤紫、青紫、紫紺……と鮮やかなグラデーションを披露した。


『……凄い、綺麗』


 震える呟きに、心配になって隣を見ると、大きな瞳が濡れていた。


『エマ?』


『一緒に来てくれて、ありがとう、リン』


 涙を右手の甲で拭うと、晴れ晴れとした屈託ない笑顔が、僕を包み込んだ。ガラスの向こうの夕空が霞むほど――綺麗だと思った。


『あ! 航宙船……!』


 淡雪のような髪を揺らして、彼女が僕の背後を覗き込んだ。指し示した方向を振り向くと、銀色に輝く円盤状の飛行物体が見えた。

 僕達が見上げる中、銀の塊は紺碧の虚空に吸い込まれていった。


『私も……乗るのね』


 微かに痕を残した航宙船を見送る眼差しには、もはや怯えの陰はなく、憧憬を湛えた穏やかな輝きが滲んでいた。彼女が急に大人びたように思えて――僕は、かける言葉を探したまま横顔に見とれていた。


 僕達が浸っていた感慨は、唐突に破られた。戻りが遅いことを心配した引率の先生が展望室にやって来て、僕達は軽く注意を受けた。だが、僕達それぞれの事情を知っていた先生は、恐怖症を克服した努力を褒めてくれもした。


 1年後、エマは予定通り転校した。それから半年くらい経った頃、電子通信で『ガニメデに行く』という便りが届いたが、それ切り彼女との接点は途絶えた。


 今思うと、僕が宇宙そらへ関心を持った切っ掛けは、あのシンボルタワーでの体験だ。あの日、エマに引かれて踏み出した一歩が、閉所恐怖症の固い扉を開き、彼女の言葉が、僕に勇気をくれたのだ。


『リン。私達は、行きたい場所へ、自由に行けるのよ……』




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