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静寂

「……せんっ……船ちょ……!」


 テーブルに突っ伏して、泣いた。苦しくて、切なくて、やるせなくて。言葉にならない声を全身から振り絞って、スチュワート船長を呼ぶ。


 船長は、絶望の中にあっても冷静だった。

 悲しみに流されて、命を断ったのではなかった。


 未来を儚んだのではない。むしろ――未来を託すために、自己犠牲を選んだのだ。


 ドクターと僕が正常に覚醒した場合、ミッションを遂行して、地球へ帰還するまで20年近くかかる。コクーンが壊れた以上、船長を生かすにはエナジーが必要だ。ノアに搭載している備蓄分を全て消費しても、到底足りない。

 全ては、ミッションを成し遂げる確率を上げるため――。


「っせ……ちょおぉ……!」


 彼の英断の為にも、ルシファーに行かなくては。

 全身の涙を枯らした後の胸の奥で、熱い炎が点った気がした。


-*-*-*-


 クロエ副船長とスチュワート船長、それぞれに深く一礼して、船長の個室を出た。

 隣のドクターの個室の前で、立ち止まる。形だけノックして、入室する。

 室内は通常照明に切り替わり、正面奥にソファーとテーブル。左側にベッド、右側にコクーン、僕の個室と左右対称の造りだ。


「ドクター……」


 コクーンは、既に停止している。異常を知らせるランプは点いていない。


 磁気嵐の後、船長が確認した時は正常に動いていたらしい。その後で何があったのか分からないけれど――コクーンが停止しているということは、生命維持機能が働いていないのだ。中の人間が無事でいるはずがない。


 僕は、酷く冷静になっている。

 ドクターのコクーンの蓋の開閉ボタンを押すと、すんなりと開いた。故障した訳ではないようだ。


「――う」


 マキネンの時の数倍、濃縮された腐敗臭に息が詰まった。

 ドクターは、ミイラ化していないものの、やはり自家融解が起こり、白骨化している。

 手を合わせると、素早く蓋を閉じて、個室を出た。申し訳ないが、異臭に耐えられなかった。


-*-*-*-


 自分の個室には戻らずに、食堂室に向かった。

 明るい室内は、あの日――11年半前の、最後の晩餐の時のまま、何も変わらない。ただ、仲間はもう集わない。円卓に6つ並んだ椅子が埋まることはない。


 保冷庫から、飲料水のパックを1つ手にして、あの晩餐と同じ席に着く。

 冷えた液体を喉に流しながら、ガランと広い室内を眺めた。


 ドクターのコクーンは、壊れていなかった。

 恐らく、再起動すれば、充分使用可能だろう。


 と、いうことは――。


「突然死……かな」


 ドクターに持病があったのかどうかは、知らない。ノア計画に選出されたくらいだから、健康の問題はなかったと思うのだが、詳しくは分からない。

 けれども、入眠中に何らかの理由で体調に異変をきたした場合、外部にシグナルを発するものの、コクーンに治療機能はない。もし内部の人間が死亡すれば、コクーンは自動停止する。


「地球に連絡しなきゃ」


 泣いた分の水分を補給して、食堂室から司令室ブリッジに向かった。


 自分の操縦席で、充血した目と腫れぼったい瞼が落ち着くのを待って、恒星間通信を送った。


 僕だけが正常覚醒したこと、残りの乗員クルーの死と、その原因となった8年半前の磁気嵐の関係――諸々を報告した。

 彗星回避と磁気嵐の件は、スチュワート船長が報告した当時の記録が残っているだろう。地球でも照合するに違いない。


 衝撃的なノア発の通信は、2週間後には地球に届く。その返信が来るのは、やはり2週間後。ノアは、ルシファー星系に到達しているはずである。


「――ふぅ」


 とりあえず、すべきことは終えた。

 ドッと疲労感に襲われ、操縦席の背もたれに身体を預ける。


 ブゥ……ン、と低く運転音が響く。スクリーンは、相変わらず灰色のままだ。


「……静かだな」


 呟いた声が、広い司令室ブリッジで所在なく転がる。


『カイト、出力を上げてくれ』


『はい、船長!』


『スクリーン右下を拡大して頂戴』


『クロエさん、了解です!』


『カイトさん、このシグナルなんですけど』


『いいよ、マキネン。こっちで解析する』


 僕の名前は「ムナカタ」だが、発音しにくいらしく、乗員クルー達は皆「カイト」と呼んでいたっけ。


 在りし日の会話が甦る。何てことのない、ありきたりな会話が、今は懐かしくて堪らない。


『おーい、カイト。非番ならカード付き合えよー』


『あれっ、ドクター? ラッセルさんとチェスの勝負だって言ってませんでしたっけ?』


『あぁ、動力炉かのじょの機嫌が悪いって、ドタキャン食らったのさ』


『それは仕方ないですよー』


『待ってるからな、カイト!』


『はぁい』


 ドクターは、カードやボードゲームが大好きで、僕やラッセルさんはしょっちゅう誘われていた。ラッセルさんに言わせると『その道でも食っていける腕前』だそうで、確かに滅法強かった。時たま僕が勝つと、ビタミン剤なんかのサプリメントをこっそりくれたりした……。


 二度と還らない、記憶の中の光景が胸を締め付ける。

 落ち着いたはずなのに、視界がジワリと滲み――思わず目を閉じた。


-*-*-*-


『ほら、行くわよ、リン』


 グイ、と腕を引かれて、ぼんやりと目を開ける。


『大丈夫? 耐久性訓練は終わったわよ』


 屈み込んだ拍子に、ショートカットの髪がサラリと頬を滑って翳りを作る。淡いクリームベージュの柔らかい髪……。


『え――え、エマ?!』


『何よ、もぉ! 人のこと、幽霊みたいに見ないでよね!』


 戸惑う僕の両腕を、更にグイと引く。ここは――個室だ。航宙服姿の彼女の背後にコクーンが見える。


『あっ……いや、えっ……何で』


 だって、僕はノアの操縦席で……覚醒したら皆亡くなってて……でも、ここは個室で、エマが――訳が分からない。


『……リン。ホントに大丈夫? 訓練、終わったのよ?』


 僕は、どうやらベッド前の床に蹲っていたらしい。見下ろしていたエマは、ゆっくりしゃがむと、心配そうに正面から僕の顔を覗き込んでいる。


『――訓練?』


『……やだ。耐久性訓練じゃない』


 色素の薄い紫掛かった灰色の大きな瞳に、泣きそうな自分の顔が映っている。


『そんな……まさか』


 混乱を拭えない。あんな生々しい悲劇が、閉鎖空間に置かれた僕の造り出した妄想だというのか?


『――リン』


 掴んでいた両腕を離すと、エマは僕の隣に腰を下ろした。左半身に彼女の体温が、温かい。


『誰も、あなたのこと、忘れたりしないわ』


 ドキリとした。彼女は、僕が耐久性訓練を苦手とする理由を知っている。


『ちゃんと覚えているから、大丈夫』


『……エマ』


『大丈夫よ。リン』


 彼女の掌が後頭部を越えて、僕の頭を抱き寄せた。小さな子どもに安心を与えるように。側頭部が優しくコツンと触れる。


『大丈夫。私は、忘れたりしないから』


 ポロリと涙が溢れると――止まらずにポロポロと流れ落ちる。

 情けないと感じる一方で、どうしようもなく癒されている自分がいる。


『ありがとう……ごめん――』


 言葉が震えた。彼女の温もりに包まれて、滲む視界をゆっくり閉じた。




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