遺志
ソファーで大人しく1時間過ごしたところで、身体がスッと軽くなった。バイタルをスキャンすると、普段より、まだかなり低い値だが、一応正常値の範囲まで血圧は回復している。
テーブルに掴まりながら立ち上がり、下肢のふらつきがないことを確かめてから、コクーンへ向かった。補給庫には、まだエナジーパックが残っている。そこから1つ取り出して、ソファーに戻る。
「バレたら……ドクターに叱られるな」
苦笑いを溢しつつも、ドロリと生暖かいエナジーをゆっくりと飲み込む。
血糖値は低すぎると昏睡状態に陥るなど命に関わるが、急激な上昇もまた危険である。マニュアルにないイレギュラーな摂取は、必ずドクターの所見を得てから――と言われているが、彼のバイタルは未だ登録がない。悠長に目覚めを待ってなど、いられない。
「さて……と」
空になったパックをテーブルの上に残して、航宙服に着替える。制服に身を包むと、気持ちが引き締まる。この瞬間が心地好い。隣の執務室に移動しかけた時、医療システムが鋭く警告を発した。
『マダ安静時間ヲ経過シテイマセン! 終了時間マデ安静ニシテクダサイ!』
「分かってる。隣のデスクで安静にするだけだ」
言い訳の傍ら、医療システムを手動で強制終了する。
ブウン……と不満げな呟きを漏らして、医療システムは停止した。
「こりゃあ、またドクターに叱られちまうなぁ」
独りごちながら、執務室に入る。青白い非常灯から、照明が切り替わる。
室内に乱れはなく、至って入眠前と変わりない……ように見える。
だったら、何故私は覚醒したのか――。
答えを求めて、デスクからノアの航行記録にアクセスした。
「未確認の――これは、彗星か?」
航行記録を遡ると、3日前に予定外の星系に進入したデータがあった。予めプログラミングしていた航路と、実際にノアが通った航路を導き出し、航宙図にトレースする。
ノアが航路を変えた原因は、予定進路と交差する軌跡を描く、岩石の存在だ。搭載された高性能遠距離センサーの観測記録では、少なくともノアの4倍はある。掠りでもしようものなら、ひとたまりもなかっただろう。ゾッとしなくもない。
自動回避システムにより、未知の彗星との接触は避けられた。しかし、回避する為にノアが選んだルートが問題だった。偶然通過した星系で、強大な磁力の乱れが発生していたらしい――いわゆる磁気嵐だ。
航宙開発黎明期のレトロな航宙船と違い、一度の磁気嵐の直撃くらいでノアの中枢が狂わされることはない。
だが、コクーンシステムは影響を受けたのだ。
磁気嵐に遭遇したのが5時間前。私の覚醒のタイミングから考えても、こいつが誤作動を生じさせた原因とみて間違いなかろう。
安静時間が経過するまで、航行記録のみならず、様々な計器をチェックした。私が見た限り、今後もノアの航行には問題ない。ラッセルが覚醒してくれれば、確信が確定に変わる。心強いのだが――。
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「……磁気嵐」
スチュワート船長の航宙日誌から、一旦、顔を上げる。
予測不可能な強い磁気嵐が、コクーンシステムに誤作動を引き起こした。
マキネン君とクロエ副船長のコクーンは、生命維持機能が停止したに違いない。ラッセルさんとドクターの情報はまだ無いが、僕が助かったのだから、或いは――。
――でも。
コクーンシステムが誤作動したのは、船長のせいじゃない。どうして彼が自ら命を断ったのか、その理由が知りたい。
ゆっくりと深呼吸すると、一度頷く。核心に迫るであろう、日誌の続きにアクセスした。
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覚醒後の安静時間終了まで、あと1時間45分。
私は、コクーンの再調整を試みている。目的地ルシファーまで、あと8年以上かかる。ずっと起きている訳にはいかない。倉庫にエナジーの備蓄はあるが、6人×1年分だけだ。コクーンでの長期入眠を前提とした航行なのだから、当然だろう。
機関長のラッセルの知識と技術が頼みの綱だが、まだバイタルの登録がないことが気に掛かる。
――いや、彼だけではないのだ。
私が非常事態で覚醒してから1時間以上経つ。医療マニュアルでは、覚醒後1時間以内にバイタルの登録が必要だ。コクーンシステムに、私と同じ異常が発生したのであれば、ほぼ同じタイミングで覚醒するのではないのか?
覚醒できなかった、或いは覚醒後、エナジー摂取に失敗して、動けなくなっているのではあるまいか?
嫌な予感ばかりが頭を駆け巡る。
コクーンシステムの再調整に取りかかったのは、余計なことを考えないようにするためでもある――。
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スチュワート船長の日誌は、それからしばらく途切れていた。
彼が言うように、コクーンに掛かり切りだったのだろう。
日誌は、先程の記録から3時間後――安静時間終了を疾うに過ぎてから、記されている。
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深刻な状況だ。
ノアに訪れた磁気嵐の名を、私は知っている――「悪夢」、或いは「絶望」だ。
今から10時間前、ノアは未知の彗星との接触を避けようとしたのに、結果として死神の庭に招かれてしまったのだろう。
僅かに遭遇した一瞬で、3名の命が奪われつつある。
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「……何だって?」
サァ……ッと音を立てて血が引いていくのが、分かった。
マキネンとクロエ副船長と――まだ1人、いるのか?!
スチュワート船長の悲しみが広がっている。日誌を超えて、直接、目の前で涙する姿が見えるようだ。
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ドクターとカイトのコクーンには、幸いにして異常は見られなかった。
だが、私のコクーンはもはや再起動しない。システムを制御する中枢が完全に壊れている。
クロエ、ラッセル、マキネンの3名は――代謝抑制機能が暴走している。強制解除も受け付けない。1時間に1年、老いている。
命のゆりかごであったはずのコクーンが、命を吸い取る悪魔の機械になろうとは。
私は、今ひとつの決断を下そうとしている。
冷静に考えれば、間違いかも知れない。最善策は、他にあるのかも知れない。
結末がどうあれ、全ての責任は私にある。
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日誌は、その翌日まで記録されていなかった。
続きを読むのが、怖い。
スチュワート船長の言う『決断』が、隣室の変わり果てた姿に繋がるのではないか――その予感に、先へ進むことが躊躇われた。
「だけど……読まなくちゃ」
独り呟いて、頷く。パネルに触れる指先が小さく震えた。
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私の決断が無謀だということは、分かっていた。
しかし――他にどうすることもできなかった。
今しがた、クロエが逝ってしまった。
私は……彼女のコクーンを破壊して、無理矢理こじ開けた。分かっている。入眠中にコクーンシステムから切り離されれば、脳に深刻なダメージを受けることを。
だが、あのまま暴走したコクーン内に留まっても、加速させられた異常代謝によって、命が尽きていた。
……実際、マキネンとラッセルは――老人のような容貌で息絶えてしまった。恐ろしいことに、未だ彼らのコクーンは動き続けている。中枢がオーバーロード状態なので、遠からず自動停止するに違いないのだが。
クロエは、私のコクーンに運んだ。容貌は60代になっているが……やはり美しい。
彼女は息を引き取る直前の数分間、意識を取り戻した。私を見上げて微笑んで――眠るように瞼を閉じた。何も語らなかったが、彼女は自分の死を理解していたのだろうか。
ドクター、カイト。君達2人、或いはいずれかが、この日誌を読むことを切に願う。そして、どうか道半ばで潰えた私達の遺志を継ぎ、ミッションを貫徹して欲しい。
ノアに何が起きたのか、地球への報告は済ませてある。もちろん、コクーンの磁気嵐対策も嘆願した。
私は――一足先に、ルシファーへ想いを飛ばそうと思う。
新しい故郷で、人類が長く繁栄する未来を信じて疑わない。
ドクター、カイト、君達の無事と、ノアの航宙の無事、そしてミッションの成功を祈っている――。
追伸。
8年半後、君達が正常覚醒した時、私のバイタルサインが残っていると混乱するだろう。データを消去しておくが、悪く思わないでくれよ……?




