悪夢
どのくらい呆然としていたのか――マキネン君の変わり果てた姿を前に、長時間床にへたり込んでいた。
……他の乗員の様子も見に行かなくちゃ。
ようやく、次に取るべき行動に思い至ったのは、船内時計で1時間ほど経ってからのことだ。
高々10kg程度の身体が重い。ゆっくり腰を上げて、立ち上がる。そして、もう一度マキネン君を眺めて、合掌した。
遺体を晒したまま放置するのは、さすがに気が引けたので、ベッドからシーツを剥がして、コクーンごと覆う。
白い棺を後に、マキネン君の個室から通路に出た。もう膝は震えていないのに、歩みが覚束ない。
もし覚醒が近いのであれば、やはり船長に報告すべきだろう。通路の壁を伝うようにして、一番奥のスチュワート船長の個室に向かった。
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「船長、すみません……失礼します」
やはり無断侵入は、気持ち的に抵抗感が強い。聞こえないと分かっているけれど、声を掛けてから室内に入る――。
「わ……何だ?」
意図的に室内の照明設定を固定しているのか、入り口のセンサーが僕の生体信号を感知しているはずなのに、非常灯から切り変わらない。青白い視界の中は、まるで海底に沈んだ難破船内を捜索している気分だ。
船長の個室は、僕ら一般乗員と間取りが異なり、執務室とプライベートルームの2部屋が繋がっている。高級ホテルのセミスイートみたいな造りになっているのだ。
執務室には、ちょっとした打ち合わせが出来るように、大きめのソファーが円卓を囲むように配置されていたはずだ。徐々に馴れてきた視覚情報を、うろ覚えの記憶情報に結び付けていく。
ソファーをぐるり、半周した所で、足を止めた。
コクーンが設置されているプライベートルームを覗く間でもなく、執務室の奥に人影を見つけた。
「……せ、船長?」
船長の執務用デスクに、こちらに背を向けて座っている。だが――様子が妙だ。再び鼓動が不安のリズムで暴れ出す。落ち着け、落ち着け、を口の中で繰り返しながら、慎重に近づいていく。
「せ、ん、ちょ……」
前に頭を落として、眠っているような姿勢――実際、スチュワート船長は眠っていた。永久の目覚めない眠りに就いてしまって、久しいようだ。
「あぁ……」
医学の知識に疎い僕でも、彼の死因は明らかだった。
デスク脇から回り込み、至近距離で伺うと、船長用の航宙服を来た骸骨が座していた。護身用の短剣で自ら喉を貫いており、体液が夥しく流れ出たのだろう。既に乾き切っているものの、航宙服を変色させていた。
マキネン君同様、自家融解が起こり腐敗したようで、皮膚組織が崩れ落ち、部分的に白骨化している。コクーン内部ではなく通気性の良い室内での保存だったことが、両者の遺体の様相を変えたのかも知れない。
「どうして……何があったんですか、船長……?」
あの快活で頼もしかった船長が、自ら命を断つなんて――考えられない。
『ノア計画は、命の保証がないミッションだ』
かつて彼自身がそう言っていたが、こんな形で現実にするなんて、あんまりだ。
やるせなく、明度の低い室内に視線を向けた。この清謐な照明は、死に様を晒さない為の、彼なりのプライドだったのだろうか。
また、涙が視界を滲ませた。物言わぬ上司の傍らで、為すすべなく立ち尽くしていた。
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ミッションのリーダーを失った今、この緊急事態を切り抜けるには、残った人員が自分の業務範囲に関わらず協力し合わなければなるまい。
現状把握、安否確認が急務である。
やや落ち着きを取り戻した僕は、涙の痕を拭って、船長の亡骸に敬礼した。
――船長。貴方はミッションを途中で放り出すような無責任な人じゃない。よほどの事情に見舞われたんでしょう? ノアに何が起きているのか――原因を探るため、貴方の私的日誌にアクセスすることを、お許しください。
声に出さずに語り、唇を結んだまま踵を返した。死者の霊、というものがあるのかどうか――僕には分からないけれど、この青白い部屋の中には、船長の魂が留まって存在るような気がした。
円形配置のソファーの縁を通って、隣室、真っ暗な船長のプライベートルームに入る。
パッと照明が点り、眩しさに一瞬怯む。ゆっくり瞼を開くと――。
「……クロエさん」
才色兼備の副船長が、船長の(・)コクーンの中にいた。コクーンの蓋は完全に開いており、システムは停止している。
土気色の乾いた肌、落ち窪んだ眼窩と痩けた頬。退色したプラチナブロンドが、彼女の特徴を僅かに留めているばかりだ。
「マキネンと同じだ」
仲間の不可解な死に、さほど衝撃を受けていない自分に驚く。
感覚が麻痺してしまったのか――こんな事態に馴れたくなんてない。
「船長、失礼します」
呟いて、テーブルに着く。タッチパネルを操作して、航宙日誌にアクセスする。
――ピピッ
妙だ。通常、セキュリティロックが掛かっているはずなのに、ロックは解除されていた。まるで……。
「誰かがアクセスすることを、想定していたみたいだ」
だとすれば、この中には僕が知りたい答えがあるに違いない。更に、内容如何によっては。
「……遺書、かも知れない」
開いた日誌の最終記録の日付を見る――地球出航から3年後、今から8年半前の記録だった。
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『非常事態発生……非常事態発生……』
頭痛が酷い。ガンガンと身体全体を揺さぶるような痛みの波間を掻い潜って、ブート音が聞こえる。ゆっくり開いた視界が赤い――茜色の夕焼けの中にいるようだ。
『非常事態ガ発生シマシタ。システムヲ停止シマス。再活動準備、完了デス』
コクーンの蓋が開く。頭痛は収まってきたが、まだ目の奥が痛む。周囲の明るさにも馴れない。
「……非常、事態だと?」
今が、何時なのか。入眠してから、どのくらい経ったのだろうか。
身体が重い。通常と異なる、急激な覚醒の影響だろう。しばらく深呼吸を続けることにする。
視界に映る範囲では、室内の異常は見られない。
だがコクーンが予定外のシステム停止に至ったことは、揺るぎない事実だ。
『スチュワート船長、再活動後5分経過シマシタ。アト25分以内ニ濃縮栄養液ヲ摂取シテクダサイ』
そうだった。医療システムに急かされて、思い出す。30分以内にエナジーを摂らなければ、低血糖になる。
フゥ……と大きく息を吐き、身を起こす。骨やら関節やら、あちこち軋む音がする。
「うっ……」
地上での訓練中、コクーンシステムを実際に使用した覚醒実験を体験したが、こんな非常事態を想定したものではなかったから、もっとスムーズに再活動できた。
錆び付いた鉛の甲冑を装着した身体を、無理矢理動かしている気分だ。
ズルリと滑り落ちるように、コクーンの外に這い出し、床に転がる。腕を伸ばして、コクーン外付けの補給庫からエナジーパックを2つ掴むと、夢中で吸い尽くした。不味いとか温いとか――入眠前に色々言い散らかした不満を思い出す余裕などなく、一気に取り込んだ。
床の上で大の字に伸びる。依然、自分のものとは思えない重い全身は、このまま眠りに堕ちたいという強い誘惑を掻き立てる。
「――駄目だ」
バイタルの登録をしなければ。倦怠感という名の鎖を引きちぎりながら、テーブルを目指して匍匐前進する。
歩けば数秒で着く距離を、ゆうに5分はかかったろうか。黄色いソファーに指が届くと支柱を握り、グイと棒のぼりのように腕の力で身体を持ち上げ、垂直に起こす。息が切れかけるが、この勢いを殺してはならない。力の伝わらない下肢を必死に踏ん張り、硬いテーブルに掴まりながら、何とか支えた身体をソファーに投げた。
こんな状態でバイタルを測定しても意味はない。低反発の程好い柔らかさのソファーにダラリと横たわった切り、もう少し落ち着くまで視線をさ迷わせる。
「なん……嘘だろ……」
テーブルに設置されている船内時計の表示に、釘付けになった。
地球を出てから、まだ3年しか経過ていない――ノアは、たった1/3の行程で、何らかの非常事態に見舞われてしまったらしい。
乗員のこと、ノアの航行状況、非常事態の全容と原因――懸念材料は尽きることがなく、脳内をグルグルと駆け巡る。
私は、まだ何一つ分からないのだ。
それから更に10分待って、バイタルを登録した。わざわざスキャンする必要がないくらい、分かりきった結果――「低血圧」と表示された。やはり緊急覚醒の影響に違いない。
他の乗員達のバイタルデータの登録状況を定期的に確認しながら、医療マニュアルに従って、3時間の安静時間に入った。




