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プライマリーローズ~地味目な私が学年一の美男子と付き合うことになってしまった  作者: 伊可乃万


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第5話

美咲にとってはまた憂鬱な朝が始まった。クラスの違う狩川とは頻繁にLINEで連絡を取り合っていたが、それでも直接会う機会は減り、美咲は寂しい思いをしていた。    

 今日という日が無事に終わりますように。

 アノマロカリス様、お願い。

 いいえ、何を弱気になってるの? 指野美咲! もっと前向きに、ポジティブにならないと駄目。前向きに、前向きに、そうして生きていかないと運が逃げるじゃない。

 時刻は四時。

 美咲はベッドから跳ね起きると、男装を止め、化粧台に座り、髪型を昨日大志にしてもらったトップの高いポニーテールにした。

 早歩きで牛舎に向かうと、そこには今井親子と父の姿があった。

「みんな、どうしたの」

「大志君がどうしても牧場作業をやってみたいと言ってね、手伝ってもらうことにしたんだ」

「そういうこと」

「は、はあ」

 美咲は気の抜けた炭酸水のように声を漏らすと、自らも藁ベッド作りに参加することにした。

「牛の乳首の辺りには厚めに藁を仕組んだよ。傷ついちゃったら牛乳の品質が悪くなるからね」

「わかりました」

「美咲ちゃんは毎日こんな重労働をしているのか? 大変だね」

「もう慣れましたから」 

「慣れるには時間かかったでしょう」

「そうですね、割と」

「はは、おじさんちょっと腰が痛くなってきたよ」

「あんまり無理しない方がいいですよ。怪我したら大変ですから」

「そうだね、あとは任せることにするよ」

 哲夫は腰を押さえながら牛舎を後にした。

「それにしてもデカイ牛舎だな。牛は何頭居るんだ」

「この牛舎には百二十頭いるの、ちゃっちゃかやら無いと朝飯抜きよ」

 美咲達に遅れて二十名以上の従業員達が牛舎に入ってきた。美咲は彼らと挨拶をし、自らは藁ベッド作りに終始した。


 早朝の激動のような忙しさが過ぎ、今度は朝食作りが待っていた。

「俺が作るよ」

「いい、私がやる」

「無理すんなって」

「そう、じゃあお願い」

 美咲はコーヒーを入れると、台所の椅子に座って新聞を読みつつまったりとした時を過ごした。

「今日からウチの高校に転校してくるの?」

「そうだよ、一緒に学校行こうぜ。案内してくれよ」

「一人で行けないの」

「転校手続きは終わったけど、色々雑務があるから、少し早めに行かないといけないんだよ」

「そうなんだ。じゃあ一人で行けば? 牧場の外のバス亭のバスに乗って一時間だから」

「一時間?! そんなにバスに乗るのか?」

「うん」

「遠いとは聞いてたけど気が狂いそうだぜ。高校がウチに来いって感じ。昨日だって一人で行くの大変だったんだぞ~」

 不満をもらす大志を、美咲は生暖かい眼差しで見つめた。

 これから始まる学校の一日も、彼が居るなら少しは楽になるかもしれない。

 でも彼には私がクラスで孤立していることを知られたくない。

 一体どうすればよいのだろう。

 美咲は悩んだ。

 しかし特によい答えが浮かぶはずも無く、大志を口止めするしか方法がないだろうと思い立った。

 幸い今日は掃除当番ではなく、全ての授業が終われば新聞部の狩川とは違い、帰宅部の美咲は直ぐに帰宅することが出来る。 

 とにかく絶対に大志には自分が学校で辛い立場にいることを知られたくない。

 美咲は生まれ変わった姿で登校することを決めた。そうすれば皆の私を見る目が変わり、少しは話しかけてもらえるかもしれない。

 問題は藤堂がどういう反応をするかだが、休憩時間、距離を置いていれば目を付けられることも無いだろう。そう美咲は確信し、新聞を読み終え、モーニングコーヒーを飲み干すと、大志の朝食作りを手伝うことにした。

「一体何を作るの」

「プレーンオムレツ」

「へえ、そんなの作れるんだ」

「親父はいつも夜遅いからな。ガキの頃は毎日弁当だったけど、許斐ちゃんぐらいの年の頃から自然と料理をするようになったんだ」

「そっか、じゃあ私と似てるね」

「美咲もそれぐらいの時期に始めたのか?」

「私は小学校四年生のときから自分で料理するようになったのよ。最初は目玉焼きとお味噌汁から始めて、卵焼きを上手に作れるようになるのが目標だった」

「それ、俺と一緒じゃん」

「そう、うふふ」

 二人は自然と笑顔になり、笑いあった。

 その瞬間だけは今日一日に自らに起こるであろう災難を自然と忘れさせてくれた。

 美咲は冷蔵庫から卵を取り出し、大志に手渡した。

「この卵、自家製なのよ。すごく美味しいんだから」

「お前んち、養鶏場もやってんのか」

「うん、と言っても大々的にでは無く、自分達が食べる分とお店に少し並べる程度なんだけどね」

「へえ、牛に鶏に豚と・・・」

「馬もいるわよ」

「馬も?」

「うん」

「美咲ん家の牧場は大変だな」

「もう慣れたよ。動物好きだし、東京に行って一人暮らしを始めたら、豚を飼おうと思ってるの」

「一人暮らし? 北海道の大学には行かないのか?」

「うん、私は高校卒業したら東京の大学に行くつもり」

「そうか、俺と同じだな。俺も東京の大学入学を目指してるんだ」

「じゃあ一緒だね」

「そうだな」 

 大志と美咲はなんともなく見つめ合った。怪しい空気に気が付いて、美咲の方から視線を外した。

 昨日突然現れた、初恋の幼馴染に、自分はもう心を許し始めている。

 これは美咲にとっては驚くべき事態であった。

「もう行く大学は決めてるの?」

 美咲は何ともなく大志に進路を訪ねた。

「ああ、東大」

 大志の奔放な発言に、美咲は閉口してしまった。

「美咲も行こうよ。一緒に行こうぜ、東大」

「ばっバカ言わないでよ。いくらウチの学校が偏差値高いからって、東大にいける人は一学年に一人か二人ぐらいなのよ」

「東大を目指せる高校だから、俺はお前の学校に転校して来たんだぞ。編入試験も歯ごたえあったしな。あとは通信制と衛星予備校の塾で今から猛勉強だよ」

「それは凄いね、せいぜい頑張るといいわ。まあ無理だと思うけどね」

「なぜそう言い切れる? やってみなくちゃわかんねえだろ」

「東大目指してる人が牧場手伝ったり朝食なんて作ってる場合じゃないでしょう」

「まあそれもそうだな、あはは」

 朗らかに笑う大志に、美咲は呆れ果て、返す言葉も見つからない状態に陥ってしまった。

「ま、今のままでも余裕だろ。俺、頭いいし」

「凄い自信家ね、恐れ入るわ」

「そういう美咲はどうなんだ? もう行く大学とか決めてるの? 将来の夢は」

 大志の問いかけに、美咲は言葉を返すことができなかった。

 ただ漠然と北海道を出たいから東京の大学を志望しているだけで、将来何になりたいかも考えたことが無かった。普通に東京で就職して結婚して、幸せな家庭を築ければそれで満足だった。

「どうした、美咲」

「ん」

「お前には夢はないのか?」

「無い。そんなこと、考えたこともない」

「かーっ、寂しい人生だな」

「何よ、文句あるの? 私は今のままでいい」

「人間には夢が必要なんだぞ。もっと目標を高く持って生きろよ」

「そんなこといわれても、夢なんて無いし」

「まあ夢が無くても生きていける人間もいるけどさ、俺はそういう人間になりたくないんだ。自分が駄目になりそうでさ」

「だから東大に行くの」

「東大は通過点だ。俺の目標は親父が成れなかった警察官僚になることさ」

 大志の大言壮語に美咲はもはや呆れを通り越して楽しい気分になってしまった。

 これからまた孤独な一日が始まるのに、なんでこんなに楽しいんだろう。

 きっと彼がいるからだ。

 そんなことを考えると、美咲は益々自分が藤堂と険悪な関係になっている現状を大志に知られたくない感情が湧き上がってきた。

 一体どうすればいいんだろう。

 美咲は正直に自分が学校にいる悪魔、藤堂麗華のことを大志に詳しく話すべきではないかと思い立った。自分から話してしまえば、現場を見られて傷つくよりはマシなような気がする。

 しかしいつ、どのタイミングで言おうか、美咲は悩んだ。

 いっそ今言ってしまうべきか、それとも通学中のバスの中で話そうか。

 美咲は迷った。

 自分がクラスで孤立している事を知ったら、大志はどんな反応をするだろう。今までのように話してくれなくなるかもしれない。

 それとも力になってくれる?

 彼が私を救ってくれる?

 駄目よ、そんなの。自分の問題でしょう。

 自分で解決しなきゃ。

 でも今日学校に来られたらバレちゃう。

 今日一日、藤堂のターゲットにならないように頑張ればいいのよ。

 でもそんなの無理。藤堂は同じクラスだし。

「どうした、美咲。ボーっとして」

「え、いや、全然何でもない」

「そうか。何かわけあり風に見えたんだが」

「あっ・・・・あはは」

 美咲は薄く笑ってその場をやり過ごそうとした。

「ふーん、それならいいんだけど。そういえばお前の学校って給食無いよな」

「購買もあるけど。基本はお弁当よ」

「じゃあ作らないとな」

「私が作る。大志はお父さん達を手伝って」

「おう、そうか。じゃあそうするわ」

 大志はやけに聞き分けがよく美咲の言うことを聞き、美咲の父親のいる牛舎の方へ向かった。

 ふう、ひとまずこれでよし。

 美咲は弁当用の食事を作りながら延々と答えの出ない問いを考えていた。

 見た目は白鳥のように美しくなっても、心の中はまだ地味のままである美咲にとって、この問題は大きな意味を持っていた。

 大丈夫よ、美咲。自分に自信を持って。

 あなたは生まれ変わったのよ。

 何言ってるの。悪目立ちして藤堂の標的になるのがオチよ。

 そんなことない。今日はこれまでとは違う一日になるはず。

 そんなことない。今日もまた苛めの現場を目撃することになるはず。私は傍観者として見ているだけの女。無視している自分は実質苛めているのと変わらない。

 美咲は溜息をついた。

 今日という一日が無事に終わってくれますように。そう祈るしか今の美咲には出来なかった。

 大志と違うクラスなら、たとえ藤堂と小競り合いになっても、ばれずに済むかもしれない。そのため美咲は大志と違うクラスであってほしいと強く望んだ。


 美咲は後輩を含む女生徒にはモテている。告白されたこともある。女性を無自覚に引き付ける男顔に生まれたことを内心呪っていた。

 美咲にとっては苦痛であった。

 女生徒の多い学校故仕方がないとしても、もう少し健全な日々を過ごしたい。そして、藤堂の視界に入らないようにしなくては。

 美咲は井上のことを思い返していた。

 そして彼女を何とか助けてあげたい。

 そう思っていても中々行動に移せない自分を恥じていた。

 今日の朝食の時間はいつもより和やかに時間が過ぎていった。今井親子が良く喋るので、

猛もつられてお喋りに興じていたが、美咲は会話に参加することなく、学校についた後の事を考えていた。

「おい、美咲」

「何?」

「お前はどこのクラスなんだ」

「2のA」

「そっか。親父、俺、美咲と同じクラスだよ」

 美咲は口をつけていた味噌汁を思わず戻しそうになった。

「よかった。知り合いが一人もいないと寂しいもんな。今日からよろしくな、美咲」

「ああ、うう、うん」

「なんだよ、嬉しくないのか。この俺と一緒に学校生活がおくれるんだぜ。しかも周りは女生徒ばかり。天国じゃないか」

「そんなにいい所じゃないよ。学内カーストがあるし、男はあなたしかいないんだから」

「ならお前のグループに特別枠で入れてもらうことにするよ」

 自分のグループ。そんなものない。私はクラスでは一人ぼっちです。

 そう言いたい気持ちをぐっと堪えて、

「嫌よ、大志は別のグループに入って」

 と美咲は強がって見せた。

「何言ってんだよ。俺が一緒の方がお前にとってもいいだろう」

「そんな事言って、女子達にちょっかい出す気なんでしょう」

「あは、ばれた?」

「ばれる以前の問題よ」

「大志、お前は手癖が悪いから、女の子に迷惑掛けるんじゃないぞ。」

 哲夫が大志に釘を刺す。

 そうだ、それでいい。

 今井大志という女好きの男が一人で女子しか居ない学年に転入するのだから、何も問題が起きないほうがむしろおかしい。哲夫はそれを案じて大志を縛り付ける作戦に出た。

「別に何にもしないよ。女の友達が欲しいだけさ。必要なら編み物だってするよ」

「今時編み物などする女子高生はいない」

「そうなのか。まあ大丈夫だよ、親父に迷惑掛けたりしないから」

「約束だぞ、大志」

「ああ。」

 とりあえず大志が学内で無法松のように振舞うことはなさそうで、美咲は安心した。


 学校へ行くバスが出る時間が迫り、美咲と大志は二人そろって牧場を出て行き、バス停でバスを待った。

「流石に北海道でも五月は寒くないんだな。今思い出したぜ」

「当たり前でしょ、年中雪が降ってると思ってたの?」

「いや、そんなことないけど。お、バスが来たぞ」

 やってきたバスに、大志は前から乗ろうとしたので後ろから乗るバスであることを美咲は彼に告げた。大志は驚き、美咲の後に続いて後ろのドアから乗車した。

「北海道のバスは後ろから乗るのか」

「そうよ、もう忘れたの?」

「いやあ~、あはは、すっかり東京に染まっちゃってさ。何もかもが違うんだな」

「シティーボーイには北海道は魔窟かもしれないね」

 美咲が意地悪い表情で言ってのける。

「はは、いきなりこんな田舎に戻ってくれば、ギャップも楽しめるってものさ。」

「どこまで楽しめるかしら。明日辺り東京が恋しくなるんじゃない」

「かもな。ま、でも今日という日が無事終わってくれればエンジン入って明日も余裕でしょう」

 ひたすらに前向きな思考回路を持つ大志が、美咲には羨ましかった。

 二人は親しげに喋りながら最後尾の席に並んで座った。

 バスは二人を乗せてゆったりと目的地の学校へと向かっていた。バスの中は運転手を除けば大志と美咲の二人きりである。その二人だけの時間が、美咲には精神を安定させる薬のように感じられた。

 しかし、ずっと二人きりではない。途中から藤堂のグループにいるクラスメイトも乗ってくる。そうしたら、自分が藤堂の一派と険悪な関係であることが大志にばれてしまう。 

 もうどうすることも出来ない。

 美咲は観念したように窓の外を見つめた。

 バスが桜並木に差し掛かったところで、大志は感激の声を上げた。

「こりゃすげえ。」

「そう、もう見慣れた光景よ」

「俺にとっては新鮮だよ。室蘭は五月に桜が咲くんだったな。思い出したぜ」

「もう満開のピークは過ぎてるけどね。所々葉が出始めてるでしょう」

「そう言われるとそうだな。でもこれはこれで風情があっていいよ」

「そう?」

「ああ」

 大志は後部座席の窓から過ぎ行く桜並木を愛しそうに見つめていた。その姿はヒーローを見つめる少年のような純粋さが感じられ、美咲の体温を上昇させた。

 しかし二人だけの静かだが、楽しい時間は、バスが停留所に止まって終わった。

 美咲にとって災厄である藤堂グループの二人の女子高生がバスに乗ってきたのである。

 ああ、ついにこの時が来てしまった。

 どうしよう。

 どうしようって、どうすることも出来ない。

 お願い、何も起こらないで、私を無視して。

 私は空気になります。

 お願いします、助けてアノマロカリス様。

 胸元に身につけたアノマロカリスのブローチを握り締めている指野の祈りが通じたのか、女子生徒達は美咲たちを一瞥すると真ん中付近の椅子に座った。

「ねえ、あれ指野じゃない」

「本当だ」

「てかあの隣の男の子、カッコよくない」

「うん、カッコいい」

「制服着てないけど、誰だろう。」

「こんな時間にバスに乗ってるから、噂の転校生じゃないの」

「そうかな、そういえばイケメンらしいしね」

「でもあの人、なんでスカートはいているの?」

 二人の女子高生の会話は美咲達にも聞こえていた。彼女達は美咲のあまりの変貌ぶりに気が付かなかったようである。

 美咲は安堵した。と、そこへ大志は急に美咲の手をぎゅっと握ってきた。

「え」

「大丈夫、俺がお前を守ってやるから」

 それは一体どういう意味?

 まさか、大志、私の学校生活がうまく行っていないことに気づいているの?

「実は昨日、学校で見ちゃったんだ。お前が教室に一人でいるところ」

「え」

「お前、学校で孤立してるのか? 友達いないの?」

 美咲は言葉を失った。

 どう答えればいいのか分からず、ただひたすらに沈黙していた。

「友達と呼べる人は、一人しかいない」

「やっぱりな。昨日校内歩いているとき、お前の悪口言ってる奴いたし」

「そうなんだ」

 それ以上、美咲は言葉が出てこなかった。

「でも今日からは大丈夫。美咲は見た目も変わった。俺も見てるし、もう苛められないよ。」

「別に苛められてるわけじゃないけど」

「無視は究極のいじめだろ」

 そう言って笑う大志を見て、美咲は複雑な気分になった。

 感謝するべきか、ありがた迷惑と怒るべきか迷った。

 しかし今は大志の好意に甘えることにした。

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