第3話
「あんたみたいな女なんかね、生きてる価値なんて無いのよ。だから死んで皆の役に立ちなさい」
「そうそう死ね」
藤堂の取り巻きたちが井上に対して死ね死ね、とコールをしてきた。
その様子を目撃した美咲は、助けるべきだと考え動こうとしたが、狩川に、藤堂とは関わってはいけない、と釘を刺されていた為、唇を噛みつつ、その振る舞いを止められずにいた。
井上はひたすらに涙を流し、この凄惨な状況を耐え抜く手段を見つけようと心の中で足掻いていた。
「そう、死なないの。あんたってホントにつまらない女ね。苛めがいもありゃしない」
「どうして」
「え」
「どうしてこんな酷い事が平気でできるの」
井上の決死の問いかけに、藤堂は笑顔でこう答えた。
「人の苦しむ姿って面白いじゃない。苛めは選ばれた人間だけが出来る娯楽なのよ」
「酷い・・・あなたって最低」
「最低なのは貴方の人生でしょ。この私よりブスに生まれて友達も無く、毎日何が楽しくて生きているの? 楽しいって日々感じている? 辛いんじゃない。もういい加減楽になった方がいいわよ。このまま生きてても、あなたにいい事なんて、これ~っぽっちだって起こらないんだから」
藤堂の言葉に、井上は大粒の涙を流した。それを見た藤堂は笑い、外野も女生徒達も笑った。
それはとても凄惨な光景だった。
だが藤堂にとっては最高に楽しいショータイムで、娯楽であった。
教室の外からその様子を見ていた美咲は唇を力強く嚙み締め、同時に何もできない自分を恨めしく思っていた。
その様子を見ていたのは美咲だけではなかった。彼女は気が付かなかったが、少し離れた所から学内を散策していた今井大志が苛めの現場を目撃していたのである。
「いい、あなたはこの学校には必要のない存在なの。いいえ、この世界からもね。さっさと死んだ方が楽になれるから死んだ方がいいわよ。これ以上私の手を煩わせないでよね」
「あなたに私の人生をどうこう言われる筋合い無いです。私の人生は、私が決めます」
井上の強い言葉に、藤堂の苛立ちは限界を超えた。
「ったく口答えばかりして、本当に生意気な女ね。あなたみたいな女、ボロボロにしてやるから、覚えてらっしゃい」
そう藤堂は井上にそう吐き捨てて、仲間と共に教室を出て行った。教室の外で藤堂とすれ違った美咲は、
「あなたって、最低だと思うっ」
と静かな口調で吐き捨てた。
「あら? あなたには関係ないでしょう。それともあなたも同じめに遭いたいの?」
「悪いけど、お断り。これ以上あなたと話してると、虫唾が走りそうだからっ」
藤堂達は高笑いしながら美咲の下を去っていった。
教室内に留まっていた井上は泣いてしまった自分を恥じ、必死に目をこすった。
私はこの世界には必要のない存在なの?
藤堂の言葉が井上の脳内を駆け巡る。
いや、そんなことない。
死んでいい人間なんて世の中にはいない。
私は生きてていいんだ。
井上の心は強かった。
たとえ苛められても絶対に逃げ出すものかと逆に奮起した。
そんな彼女に藤堂は苛立ち、苛めのボルテージを上げていった。
ある日は井上の教科書に豚と書きなぐり、
ある時はすれ違い様に肩をぶつけ倒したり、考えうる限り陰湿で暴力的な苛めを藤堂一派は井上に実行した。
しかし彼女の心はけっして折れなかった。
むしろ虐めをしてくる藤堂に同情すらしていた。
彼女は可愛そうな人。
自分より弱い人を苛めることしかできない。
井上はそう自らに言い聞かせ、藤堂を憎もうとはしなかった。
そんなことよりも自分がいかにこの学校生活を快適に過ごすかの方に関心が向いていた。
今のままではとても人生で一度しかない高校生活を満喫することは出来ない。
何とか藤堂の虐めから逃れ、学校生活を楽しむ方法を見つけなければ。
そうだ、部活だ。
部活活動に精を出そう。
井上は美咲と似たような考え方をしながら日々を過ごしていた。
大学デビューもいいけれど、たった一度の高校生活も実りのある物にしたい。
それが彼女の心からの願いであった。
しかし井上にはその方法がわからない。
一体どうすれば自分は輝けるのか。
彼女は日々悩んでいた
そんな井上を救ってあげたいと思っていたが、何もできない自分自身を美咲は呪っていた。
3
美咲の通う高校は自宅近くのバス亭から出るバスに乗って一時間ほどかかる。料金は後払いで定期代も結構高い。途中で美咲以外にも生徒が乗ってくるが、彼女達は美咲を無視して自分達の世界に浸っていた。
いつもの帰りのバスの中で、美咲は生まれて初めて買った女性ファッション雑誌を読みふけっていた。いつもなら詩集やら少年漫画やらを読んでいるのに、その日の美咲はファッション雑誌にご執心だった。
定期を運転手に見せてバスを降りると、少しだけ生暖かい、優しい風が彼女を包み込んだ。
この風がある限り私は頑張れる。
ファイト、私。
美咲は自分で自分を奮い立たせ、実家の牧場へと歩を進めた。
美咲の実家の牧場は、この時期一家総出でのビーツ作りに追われていた。ビーツとは牛の餌になる野菜のことで、人間が食べる物ではない。
毎月五月頃に種をまき、11月頃に収穫を迎える。
牛の多い美咲の牧場にとっては生命線とも言える作業であり、職員達も気合を入れて畑に種を撒いていた。
彼女の実家の牧場は法人化しており、美咲と父以外に従業員が四十名いる。
牧場の朝は早く、美咲は毎日四時には起きて家業を手伝っている。彼女が主に行っているのは豚の世話と牛の藁でのベッド作りである。
牛舎の中にある藁の中でも特に湿った藁を地面に落とし、綺麗な藁と新しく持ってきた藁に入れ替える作業を毎日行う。
力のいる作業で女の美咲には大変な仕事だが、動物が好きな彼女はその行為に楽しみを見出していた。
雌牛しかいない牛舎の藁ベッド作りで一番気をつけないといけないことは、牛の乳首の部分に厚めの藁を敷くことである。品質の良い牛乳を搾り出すためには牛の乳首を地面に当てないように守るのが大事である。
そんな厳しい仕事終わりの後の美咲の日課は、新聞を読む事であった。
毎日欠かさず新聞を読む事が美咲の習慣であった。
また野球にも少しうるさく、ネットを通して応援するチームの動向を常にチェックしていた。
美咲の牧場は一般人にも解放されており、お客用の飲食スペースや、馬に乗ることも出来る。
牧場内では絞り立ての牛乳やバター、チーズ、ソフトクリームなどが販売されており、貴重な収入源になっている。牧場の製品はお客からも好評で、美咲の牧場の経営は常に黒字で安定していた。
美咲は髪型と眼鏡を差し引いても大層美しい顔立ちをした女性であったが、その自覚は本人には無く、自ら接客をすることを嫌っていた。父親は看板娘として美咲に接客を手伝って欲しいと思っていたのだが、彼女は固辞している状況である。
しかし自分自身生まれ変わるためには、接客業にも参加することが必要ではないかとは常に感じていた。
「お嬢さん、お帰りなさい」
美咲が牧場に入るなり、女性スタッフが彼女に声をかけてきた。
「お疲れ様、調子はどう?」
「上々ですよ。今日もお客さんが沢山来てくれています。」
「そう、よかった」
「お嬢さん、学校はどうでしたか?」
美咲の学内での事情を知らないスタッフの問いかけに、彼女は明るく答えることにした。
「うん、今日も楽しかったよ」
嘘だ。
本当は今日も藤堂のいじめを見てみぬ振りしている自分を恥じる一日だった。
誰かこの地獄のような学校生活から自分を解放して欲しい。
それが美咲の今の嘘偽らざる本心であった。
「愛しのアノマロカリス様~どうか私に救いをくださいませ~~」
美咲は天に祈った。
牧場の中にある自宅に戻り、美咲はアロマロカリスのポスターやぬいぐるみが飾られた自分の部屋へと直行した。カバンをベッドに投げ捨て、自らも同時に飛び込んだ。
今日という辛い一日から解放され、美咲は安堵した。
しかしまた明日から始まる地獄のような日々を思うと、彼女は家に帰ってきたことすら素直に喜べなかった。
美咲は井上の事を思い返していた。
苛めは人の心を腐らせる。苛められた方の心は深く傷つき、今後の人生にも暗い影を残すケースもある。
美咲は井上が過激な苛めにあっている現状は自らの至らなさが招いた行為でもあるため、半分は受け入れていたが、もう半分は後悔していた。
美咲は体を仰向けにして、大の字になって天井に出来たシミを見つめた。
どうしたらこの地獄から抜け出せるのか。
逃げるのは簡単だ。
でもそれだけは絶対にしたくない。
美咲の強い心も度重なる苛めの観察には勝てず、脆くなっていた。
学校の教師は井上が苛められていることに感づいていたが、相手が藤堂麗華であることから自己保身のために無視していた。藤堂の父親が学校のPTAの会長で、室蘭でも有数の鉄鋼業を営む会社の社長だからである。
圧倒的な権力を武器に、藤堂は学内で女王様として君臨していた。
彼女に歯向かう者は愚か者の烙印を押され、苛めのターゲットになる。
陰惨な一面を色濃く持った藤堂の前に立ち向かう勇敢な者など校内にはいなかった。
流石の美咲と狩川も、巨大なる権力の前には歯が立たなかったのである。
お願い。誰か、彼女を助けて。
ベッドの上で寝転がりながら美咲は儚い願いを抱きつつ、眠りについた。
友達の家に遊びに行った小学生の妹の許斐がまだ帰って来ていないことも、美咲の眠気に拍車をかけた。彼女がいれば彼女はご飯の催促をされ、嫌でも炊事を始めなくてはならなくなるからだ。
美咲が目覚めたのは、夕方の五時半頃だった。すでに本日の牧場の作業は終了し、百二十頭を超える牛達のブラッシングも終え、妹の霞も自宅に戻ってきていた。
美咲の家に母親はいない。
彼女の母は美咲が中学生の時に牧場に勤めていた男と不倫し、そして駆け落ちしたのである。結果両親は離婚し、美咲は父親の猛と許斐の三人暮らしとなっていた。
美咲はベッドから起きると、鏡台の前に座り、徐に、例によって趣味の男装を始めてみた。生まれ持ったイケメン風の容姿は男装と相性がよく、美咲はショートカットのカツラを被り、ご満悦だった。
ご飯を作るのは自分の仕事なので、美咲は眠ってしまった自分を恥じ、そのままの姿であわてて一階の台所へ向かった。
するとそこにはタータンチェックのスカートをはいた背の高い人物の後姿があった。
一体、誰?
美咲は恐る恐る声を絞り出した。
「あの、誰ですか?」
声を掛けられた人物は振り返り、彼女を一瞥すると、再び調理作業に戻った。
「ちょっと、聞いてるんですけど」
「うるさい。今、手が離せないんだ。用件なら後にしてくれ」
「え? その声、男?」




