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 教室内での真潮(ましお)に対する扱いは腫れ物に触るような一定の距離を取った態度で統一されていた。


 今日一日の授業が終わるなり何食わぬ顔で真潮がさっさと教室を後にした直後から、普段はそれほど接するこのないクラスメイトたちまでがわたしを取り囲み、優しくて耳障りの良い気遣いの言葉を並べ立てた。


 図らずも真相を知ってしまったため、そんな風に気遣われれば気遣われるほどに決まりが悪くなってしまい、曖昧にうつむけた顔を上げることが出来なくなった。


 さらに、放課後の教室でクラスメイトたちが競うみたいに語る、真潮に対する根も葉もない酷い言いように気が滅入ってしまう。

 被せるみたいにわたしを励まして元気付けようとする言葉の数々がさらに重くのしかかり、どんどんわたしの表情を曇らせていった。


 本来であれば、わたしがこんな顔をしていて良いはずがないのに。


 ほとんど苦痛を感じるだけだった放課後の付き合いから解放され、とぼとぼと帰路につきアパートが見えてきたところで足が竦んでしまった。


 きっと晩ご飯の支度をしているだろう真潮のいる部屋に、どんな顔をして帰ればいいのかわからなかった。当たり前だが今朝、真潮をビンタしたっきり口を聞いていなければ目も合わせていないのだ。


 辛うじて玄関ドアの前まで足を引きずりドアノブを見つめて立ち尽くしていると、

「どうしたんだい幸帆(ゆきほ)ちゃん? 良いお知らせがあるんだよ、さあ入って入って」

 慌てた様子で息を弾ませながら階段を駆け上がって帰ってきた仁井谷(にいや)さんに声をかけられた。


 促されるまま背中を押されて部屋に入ると、やはり晩ご飯の支度をしていた真潮と視線がぶつかった。


 けれど、すぐに気まずくなって視線を逸らしてしまう。


「ああ、おかえり」

 真潮はちっとも気にする様子もなく、わたしになのか仁井谷さんになのか曖昧にぼそっと呟いただけですぐに視線を手元に戻してしまった。


「さあ、座って座って」

 仁井谷さんに促されて座卓の定位置にぺたりと座ると、

「幸帆ちゃん、ついさっき連絡が入ってね、お母さんの帰国の目処が立ったんだよ」

「えっ、ほ、本当ですか!?」

「うん。本人からの連絡だから間違いない。良かったね、お母さん帰ってくるよ」

 良いお知らせがあると前置きされた話は、まさに寝耳に水だった。


 どうやらクーデターの起こった国との度重なる交渉によって、足止めされていた外国籍の人たちが順番に出国出来る手筈となったらしい。


「明日の便で搭乗手続きが進んでいるようだから、あさってには日本に帰ってこれるはずだよ。詳しいことがわかり次第追って連絡してあげるからもう少しだけの辛抱だよ」

 仁井谷さんの説明に胸が高鳴り、無意識に握りしめた拳に力が籠もる。


 海外出張に出掛けたきり不運にも帰国できなくなっていたママが帰ってくる。


 本来ならば諸手を挙げて小躍りしながら喜ぶべきことのはずなのに、あまりに今日一日の密度が濃すぎたことが相まってちっとも感情が追いついてこなかった。


 そんなわたしの様子を気にすることもなく、良かった良かったとしきりに喜んでみせる仁井谷さんに愛想笑いを返している間に、晩ご飯を作り終えた真潮は手早く身支度を調えて「じゃあバイト行ってくるから」とだけ残してさっさと出掛けて行ってしまった。


 仁井谷さんからの思いがけない報告に気を取られて、真潮に今朝の演技を問い質す時間はなかった。

 そもそも仁井谷さんがいる前で、そんな話が出来るはずもないのだけれど。


 真潮がバイトから戻り順番に入浴を済ませ就寝の時間となった。


 これまでに何度かあったけど、仁井谷さんがいる夜には隣の部屋で真潮と並んで眠らなければならない。


 いつも以上に口数少なく、敷き終えた布団の端と端に限界まで身を寄せて横になり明かりが消される。


 もはや話が出来る雰囲気でさえなかった。


 けれどそれは言い訳だ。問い質せる時間が充分にあったところでわたしは真潮に対して何一つ聞き出すことなんて出来なかっただろう。


 だって本当に問い質す気持ちがあるのなら、今この瞬間にくるりと身体を捻って真潮の耳元に囁きかけるだけで済むのだから。

 

 実際はほんの僅かに身じろぎすることもかなわず、焼け付いたみたいにヒリつく喉は呻き声の一つも出そうになかった。


 たったの六畳しかない狭い部屋の中で、ほんの少し手を伸ばせばあっさりと届いてしまう真潮との距離が、果てが見えないくらいに遠く感じられてやりきれなかった。


 翌朝、まともに眠れるはずもなく寝不足でぼんやりしたままのわたしに笑顔を残して仁井谷さんは出勤していった。


「お母さん、帰国出来るみたいで良かったな。とりあえずはこれで一安心だな」

 もたもたしながらもなんとか朝の準備を済ませ、鞄を肩にかけたわたしの眼前にお弁当を差し出しながら真潮が話しかけてきた。


 ずいぶん久しぶりに声を聞く気がして戸惑ってしまう。


「あ、うん……」

「お母さんが帰ってきたら、ここに住まなくてもいいようにお願いしろよ」

「えっ……、ど、どうして……」

 そろそろとお弁当を受け取りながら真潮の本心が見えずに言葉が詰まる。


「学校でのおかしな噂、俺とお前が付き合ってるだなんてバカなこと言ってるやつはさすがにもういないだろ? そんでお母さんが無事に帰ってくるなら絶好のタイミングだ。会社は倒産ってことらしいが住むところくらいはどうにかなるはずだろ。だったら、こんな狭いところで我慢せずに出て行ってしまえば、お前が気にしてる秘密も減って御の字じゃねえか」

「そ、そんなこと――」

「親の再婚は、こればっかりはもう俺たちにはどうしようもないから、そこだけはお互いに妥協しよう。必要最低限だけ接して済むようにな」

「ちょ、待っ――」

「さすがに親をがっかりさせたくはないだろ? お互いの親の前でだけは、穏便に偽物の兄妹のフリだけは続けてくれ、頼む」

 徹底してわたしの語尾を遮り、首を曲げるみたいに頭を下げた真潮の言葉が胸を抉った。


「……そ、んな、こと――」

「今日は俺が先に出るからちゃんと戸締まりしろよ? じゃあな」

 あまりに素っ気なく、むしろずっと胸につかえていたことを解き放って清々しささえ醸し出しながら、真潮は振り返りもしないで後ろ手に玄関を閉めてしまった。


 一人残された室内の静けさに圧倒されて、ただただ呆然と立ち尽くしてしまう。






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