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次々に生まれてくる疑問がめまぐるしく脳裏を駆け巡っているわたしを待つことなく、当たり前に二人の会話は続く。
「そのLINEで、きちんと全部説明しないと協力しないって波瑠が言ったから仕方なく教えてやったんだ。だから理由はどうあれ鳴海との約束を破って秘密をバラしたのはやっぱり俺だ。波瑠が気にする必要はない」
「気にする必要ないって、私が気にしてるのは幸帆ちゃんじゃなくて仁井さんの立場よ?」
「それこそ気にしなくていい。俺が望んだことを波瑠が手伝っただけだからな」
「……どんなに望まれても、本当はあんなこと手伝いたくなかった」
波瑠ちんの口調からふっと力が抜けて聞こえた。
身を潜めて聞き耳を立てているわたしにも、ありありと後悔の念が滲んでいることが伝わってくる。
「まあ、ちょっと唐突な言い回しだとは思ったが単語のインパクトを重視したら――」
「言い回しじゃなくて、仁井さんを貶める片棒なんて担ぎたくなかったって言ってるの」
「……それは違うぞ。波瑠に頼んだのは、綿摘が言っていた俺と鳴海が付き合っているだなんて馬鹿げた噂を払拭するための手伝いだ。俺が自分で自分を貶めてくれなんてドMみたいなことお願いするわけねえだろ?」
「茶化さないで。それは仁井さんの認識でしょう? 説明も何もなしで久しぶりに仁井さんからLINEが届いたと思ったら『明日のホームルーム前、鳴海幸帆に「秘密をバラす」って脅してみせる。すぐにアイツを庇いながら必ず「弱みを握られて脅迫されているのか?」と大袈裟に言ってくれ』なんて頼まれて、はいそうですかって引き受けられるわけないでしょう?」
「……だから、そのバラす秘密の説明はしただろ」
「そうね、私が何度もしつこく聞き続けてやっとね。それで続きが『脅迫していたと誤解させれば俺と鳴海が付き合ってるなんて噂は上書きされるはずだ。鳴海が完全な被害者の立場になることで必ずうやむやに出来る。くだらない噂が目立たなくなれば結果的に助けられる。こうすれば妹のお願いを叶えられるはずだから』なんて、これのどこが噂の払拭なのよ。それになによ妹のお願いって……」
――なんてことだ。今朝の真潮の取った異常な行動も、波瑠ちんの行動でさえ、わたしを含めてクラスメイト全員を欺く演技だったのか。
だからあの時、あんなに仰々しくわたしを抱き締めたのか。普段の波瑠ちんからは考えられないような大きな声を出して、わざわざ脅迫だなんて物々しい言い方をしたのか。
「どんな形であれ、鳴海が妹になった事実をなかったことには出来ねえだろ。そしてその秘密を守った上でくだらねえ噂を消し去る。全部、妹のお願いを叶えてやるために必要なことだ」
「だからって……、こんなのあんまりじゃない? 幸帆ちゃんを間違った噂から完璧に守るために、仁井さんだけがここまでの悪者役を背負い込むなんて……」
「俺のことはどうでもいい。波瑠の協力がなかったら詰んでたシナリオだったからな」
「どうでも良くないよ、……でも、それはいいの。ううん、ぜんぜん良くなんてないけれど、私が納得できないのはそこじゃないの」
「どこが気に入らないんだよ?」
「全部よ。けど、一番納得できないのは幸帆ちゃんがこの事実をまるで知らないまま、仁井さんのことを憎んでいることよ」
身を隠して聞き耳を立てているわたしのことを、実はすでに気が付いていて試しているみたいな波瑠ちんの口調に肩を竦めてしまう。
「いや、鳴海に演技なんて無理だからな」
「だから、いまならもう演技なんてしなくていいでしょう? 幸帆ちゃんを助けるために取った仁井さんの行動を、助けられた幸帆ちゃんがなにも知らないまま一方的に恨んでるなんて私どうしても許せないわ」
「波瑠、これは贖罪のために勝手にやったことだ。鳴海がどう考えているかなんて関係ない」
「贖罪……?」
「……鳴海のことを傷付けたんだ。いや別に手を上げたとかじゃねえぞ? だから鳴海が、遠慮なく一方的に俺のことだけを恨んでいられる手段を選んだんだ」
「なにがあったの……?」
「なんでもない兄妹喧嘩――、にも届かなかった、つまらねえ口喧嘩だ。とにかく、この話はこれで終わりだ。だいたい波瑠もこうやって俺と接してるところを誰かに見られるとマズいんだぞ。今朝のあれが演技だってバレたら全部水の泡だからな」
「仁井さん……、一生懸命すぎるよ……」
波瑠ちんが零した溜息交じりの呟きを聞き終える前に、わたしはその場をあとにした。
事の真相を耳にして膝が震えた。
いつ足がもつれて転んでしまってもおかしくない覚束ない足取りで逃げるように教室を目指した。
真潮は最初から、どんな秘密でさえもバラすつもりなんてなかったのだ。
わたしに演技なんて出来るわけがないと決めつけて、わたしに対してさえも秘密をバラすと脅して鎌をかけたのだ。
わたしとの関係の全てが誤解なのだと、信憑性を高めるために自分一人だけが泥をかぶったのだ。それなのに――
「わたし……、そんなこと、そこまでしてなんて、頼んで、ない……」
無意識にぽつりとわたしの唇が紡いだ言葉は、この期に及んで自分を正当化するためのものだった。
売り言葉に買い言葉で罵詈雑言を叩き付けた土曜日に、確かに「どうにかしてよ」と憎しみを塗りつけるみたいに叩き付けた。「すべてなかったことにしてよ」と無茶を承知でわがままを押し付けた。
だからといって、波瑠ちんが言っていたみたいな、真潮一人が悪者になってわたしを助けろだなんて、そこまでしろだなんて頼んでない。
けれど、そうさせる以外の選択肢を他でもないわたしが奪っていたのだ。
真潮と波瑠ちんの会話を偶然盗み聞きしていなければ、きっとわたしはそんなことを知る機会さえなくずっと被害者面していただろう。
このままで良いはずがない。
けれど本人が言っていたみたいに、これは真潮が勝手にやったことだ。
わたしに何が出来るのかなんてさっぱり思い付かない。
呆然と教室に帰り着き、倒れ込むみたいに自分の席に腰を下ろす。
机の中には波瑠ちんが言っていたとおりお弁当が入っていた。
ぎこちない手付きで包みを解き、そろそろとお弁当を開いてみると、その中身だけがいつも以上にいつも通りで胸が詰まった。
数日間のわたしのわがままに合わせて、だんだんとわたしの嫌いなものが減っていった、小さな子供が遠足に持って行くみたいなおかずの詰め合わせ。
綺麗に巻かれた卵焼きを震える箸でなんとかつまみ上げて、口に運ぶ。
しょっぱいと思っていた卵焼きからは優しい甘さがふわりと広がって、わたし自身が甘い味付けが好きだと指摘していたことを思い出した。
そんなほんの数日前に文句を言ったやり取りでさえ遠い思い出みたいに感じて途方に暮れてしまった。
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