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並んで眠っていてさえ果てしない距離を感じて問い質せずにいたわたしが悪いのだけれど、言いたいことをろくに聞き入れてもらえない現状を前にして臆面もなく傷付いていた。
真潮の方から面と向かって口を開いてくれたくらいで簡単に埋まってくれるほど浅い溝ではなかった。
こうして呆然と立ち尽くしている時間でさえも、本当に取り返しがつかなくなるほどにわたしたちの間の溝をどんどんと広げているのかもしれない。いや、もはや溝なんて呼ぶにはあまりに深すぎる奈落となっているのだろうか。
明日にはママが帰ってくる。こんな風にうじうじと思い詰めている時間なんてほとんどない。
わたしに出来ることは何なのか。
そもそも真潮を問い質して何を聞きたかったのか。
波瑠ちんとの会話を立ち聞きしていたことを申し出て蔑まれてしまうかと思うと、このまま何もしないことが最善とさえ思えてきた。
そんなことを悶々と考えながら通学路を歩き、昨日とはまるで方向性の違う暗く沈みきった顔で登校したわたしが教室に入ると、
「仁井谷、お前さぁ? 鳴海さんのこと脅迫しといてよく平気な顔して学校来れるな?」
「どういう神経してんだよ? 恥だとか、そういう感覚ってねえのかよ?」
豊原くんと玉野くんの二人が真潮の席を取り囲んで、昨日の件を咎めて問い詰めていた。
クラスメイトを脅迫して恋人のフリをさせていたなんて、教師たちの耳に入ったら放ってなんてもらえず何らかの処罰に値する話だ。
――ただし、その脅迫が事実であれば。
実際は全て真潮が作り上げたシナリオだった。
みんなの勝手な想像と勘違いを逆手に取った演技なのだ。
脅迫をしていた事実なんて、どこを掘り返したところで埋まってはいない。
けれど、みんなはそんなことを知るはずがない。
真相を知っているのは、当事者である真潮本人と、協力していた波瑠ちん。
そして、二人の会話を偶然立ち聞きしてしまった、わたしだけだ。
だから真相を知ってしまったわたしの目に映る豊原くんと玉野くんの行動は、一方的に迫害しているみたいにしか見えなくて目を覆いたくなった。
だって、そんな乱暴に過ぎる行動の全てが、わたしを守ろうとする志を掲げるだけで正当化されるのだ。
見知ったはずの教室内がどこまでも歪な空間に思えて眩暈がしそうだった。ここにいる誰よりもわたしのことを、わたしの名誉を守ったのは、他でもない真潮なのに。
こんなことはどう考えても間違っている。それなのに、
「うるせえな。お前らには関係ねえだろ? もう鳴海にちょっかいなんて出さねえよ。これでいいだろ? あっち行けよ」
当の真潮本人が、あまりにぞんざいな態度で咎める二人をあしらってしまう。
その行動の意味はさすがのわたしにだって理解できた。
ぞんざいな態度であしらうことで、わざと心証を悪くしているのだ。
そうすることで、わたしと真潮がこっそり付き合っているだなんて噂がとんでもないデタラメだったと暗に印象付けようとしているに違いない。
そうやって真潮の評判が地に落ちて悪名が轟くほど、わたしはより一層かわいそうな被害者として守られる対象となり、元々あったつまらない噂は誤解だったのだと忘れられていく。
それが真潮の狙いであり思い描いているシナリオなのだ。
「あ、鳴海さん、見ない方がいいよ……」
クラスの女子たちが結託して輪になり、わたしの視界を閉ざすように周りを囲んでくる。
目にするのも苛まれる醜いものを遠ざけるみたいに、一丸となってわたしを守ろうとしてくれている無垢なる善意の手が、わたしの心に鈍く食い込んでくる。
酷い目に遭っていたに違いないクラスメイトを純粋に助けてあげたい、どうにか力になってあげたいという純粋すぎるほどの連帯行動だ。
彼女たちはまるで間違っていない。だって、わたしだって守る側の立場であれば同じ行動を取るはずだから。傷付いていたに違いないクラスメイトを気遣う、ごく当たり前の善意なのだ。
ただ唯一、間違っているのは、わたしがその善意を受ける立場にないことだ。
それなのに、わたしは言葉をなくして成り行きを見守ることしか出来ない。絶対に安全な檻の内側で。
きっと悲壮感に染まりきっていただろう愕然として見つめていたわたしの視線が、女子の垣根越しに豊原くんと玉野くんの二人とほんの一瞬だけ交わった。
すると――
「もうちょっかい出さないだと? お前の言葉なんか誰が信じると思ってんだよ?」
「そうだな、まずは鳴海さんにきっちり土下座でもして謝れよ!」
視線が交わったことでわたしが見ていると認識したのだろう、真潮に対する二人の態度がより荒々しく変化した。
きっとそれは、わたしを助けるための大義名分というよりも、わたしに対するアピールを兼ねているように見えた。
気分が悪い。
二人のそんな行動もだし、それでも何も出来ずにただ黙って成り行きを見守ることしか出来ない自分が情けなかった。
しかも、ただ黙って見守っているだけでさえ、わたしは真潮の負担になってしまっているのだ。
もう、何をどうすればいいのかまるでわからなくて頭がぐらぐらした。
「なあおいっ、なんとか言えよ?」
血気盛んな二人とは対照的に、ちっとも取り合う気がなく目を合わせようともしない真潮の肩を玉野くんが乱暴に掴んで揺さぶる。
「豊原、玉野、二人ともやめるんだ」
「そっそー、止めなよー。弱いものいじめみたいに見えるよー?」
そこに見かねた様子で綿摘くんが進み出て玉野くんの腕を掴んで窘める。
その肩越しに円が冗談めかした軽口を飛ばして顔をしかめてみせた。
「仁井谷くんのやったことが本当だとしたら、それは決して褒められたものじゃない。だからといって、寄ってたかって僕らが一方的に責め立てていい理由にはならないだろ?」
強い口調で、けれど叱責するわけではなく綿摘くんがまっすぐに玉野くんを見据える。
「……まあ、綿摘がそう言うなら」
「いやぁ、ほんとに颯馬くんの聡明さには頭が上がんないわぁ」
綿摘くんに窘められた玉野くんは渋々といった様子で真潮を掴んでいた手を離し、豊原くんが緊迫した雰囲気を和ませようとおどけてみせる。
「けど仁井谷くん。もし良かったら昨日の件について僕に話してくれないかな? 仁井谷くんのタイミングで構わないから、同じクラスの仲間として相談に乗らせてくれよ」
教室内に充満していた緊張感がふわりと僅かに和らいだ。
綿摘くんは聞き分けのない子供を優しく諭すみたいに、真潮の肩をさりげなく撫でながら口元だけで微笑んで見せる。
その、どこまでも自然な態度できっちりと仲裁してみせた綿摘くんのおかげで、緊迫感に包まれていたクラスメイト全員の気持ちが弛緩したみたいに感じた。
けれどただ一人、騒ぎの中心人物である真潮だけは違っていた。
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