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「……俺と波瑠(はる)はそんなんじゃねえよ」

「知らないわよそんなこと! どうでもいいわ本当にっ!」

 そっちから煽っておきながら気持ちいいほど遙か彼方に投げ捨ててしまう。


 あまりに理屈も筋も通っていない振る舞いの連続に開いた口が塞がらなかった。


「はあ……、どうでもいいならこの話はもう終わりに――」

「なんでよ!? どうして!? なに涼しい顔してるのよ!? わたしが今日一日でどれだけの目に遭ったと思ってるのよ!? あまりにも理不尽に! ヒドすぎるじゃない!?」

 頭を冷やすインターバルを置くべきだと思って話を終えようとしたのだが、包み隠す気さえない完全な言いがかりで遮られてしまう。


 いや、最初から言いがかりでしかなかった。


 だからこそ、一度捲し立ててしまったがばかりに着地点を見失っているのだろう。


「わかったから、落ち着け。な?」

「なにがわかったのよ? なにもわかってないでしょ! ねえ、なんとかしてよ!? 言ってたじゃない、妹のお願いはなんでも聞くって! お願い聞いてくれるんでしょ? だったら時間戻してよ! なにもかもなかったことにして元に戻してよっ!! お願い聞いてくれるくらいしか良いところのない陰キャのくせに口ばっかりで何にも出来やしないじゃない! ほら、時間を、戻して、全部なかったことにしてよ! 黙ってないでやって見せてよ!? ぜんぶ、ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ、アンタのせいなのよ!!」

 怒りの感情がひどく高ぶり、そんな自分の怒りに興奮してますます猛り狂う激昂だった。


 これまで何度となく声を荒げる鳴海(なるみ)の姿は見てきたが、今回ほど怒りと憎しみのこもった激情をあらわにしてきたのは初めてだった。


 それくらい胸の内側にフラストレーションを鬱積させていたのかもしれない。


 それにしたって、前に話してやった妹に対する俺の覚悟をここで持ち出してくるのか。


 言うまでもないが俺は聖人じゃないし、感情を殺して悟りを開こうとしてる修行僧でもない。我慢に限界もあれば、踏みにじられて平気ではいられない領域だって人並みにある。


「……どうして全部が俺のせいなんだよ? 俺がこれまで、どれだけお前のわがままを聞いてきて、小さなお願いを叶えてやってきたと思ってんだよ?」

「なによ恩着せがましい! 自分で言ってるじゃない、小さなお願いって! やだやだ、なにが兄妹の絆よ? ばっかじゃないの? 絆だなんて言葉の響きに酔って気持ちよくなってるだけでしょ! ほんっとにくだらないわっ!!」

「そうでもしないと俺たちに血の繋がりはないんだから仕方な――」

「その通りよ! わたしとアンタは血も繋がってない、親同士が再婚したから嫌々そうなっただけの偽物の兄妹なのよっ!!」

 鳴海がこれでもかと歪めた口元から紡がれた言葉が決定打となった。


 ここまでのらりくらりと巧みに躱してきたのに、吐き捨てられた鳴海の本心が俺の心の奥底へと流れ込んできて、あっという間に溺れてしまいそうなほど満たしてしまう。


「はっ、絆ですって? 聞いて呆れるわ! ホントに勘弁してよ、アンタの独りよがりな兄妹ごっこにわたしを巻き込まないでっ!!」

「――ふざけんなよ」

 吐き捨てられたその言い草に、煮えたぎる血液が体中を駆け巡っていくのがわかった。


 いけない。これ以上、口を開いてはいけない。


 大丈夫。いつものように、適当にあしらってやり過ごせばいい。


 ちゃんと自制心が仕事している。


 えらいぞ。頭だって驚くほどクリアだ。


 雲一つない青空の下で、大きく両手を広げて風を受けているみたいな清々しさだ。


 すごいぞ俺。


 さあて、知的で気の利いたユーモア溢れる返答でいつものようにぐうの音も出なくさせてやろう。


 ――それなのに、心の奥底から汚泥のように溢れ出してくるどす黒い感情が、鉄壁だと思い込んでいた俺の自制心を脆くも押し流していった。


 そうやって抵抗する間もなく押し流されていった自制心を、ただただ呆然と眺めることしか出来ないでいた。


 他ならぬ自分自身の感情なのに、普段だったらいくらでも腹の底に押し込んで見て見ぬフリをしていられるのに、一度箍の外れたそいつの前ではあまりにも無力だった。


「大人しく聞いてりゃ次から次へと、お願い聞くくらいしか良いところがないだと? だったらお前はどうなんだよ? いったい何が出来るんだよ? なんにもぜんぜん出来やしねえじゃねえか。好き嫌いばっか言うくせに飯も温められない、掃除も洗濯も出来なきゃやろうともしねえ。お前が見ようとしてねえだけで、俺がどんだけの時間と労力を割いてるのか知りもしねえくせに、俺の独りよがりな兄妹ごっこだと? 巻き込まれてるのがそっちだけなんていつから勘違いしてんだよ? こっちだってな、お前なんかが妹だなんて願い下――」

 どこまでも流暢に罵詈雑言を吐き出していた喉が、続く言葉を詰まらせた。


 細い両肩を竦ませて俺を見つめ返している鳴海の姿が視界に飛び込み、あまりにも容易く言葉の濁流は押し留められてしまった。


 まさか俺から言い返されるだなんて思ってもいない、目の前の現実が信じられないとでも言わんばかりの、驚きと戸惑いと悔しさをない交ぜにしたような表情。


 しかも瞬きを忘れて大きく見開いた目には、今にも零れ落ちそうなほどいっぱいの涙を浮かべていた。


「……なによ、やっぱりそんな風に思ってるんじゃない」

「い、や、待て……」


 ――なんだよ、それ。


 はらはらと、舞うように大粒の涙が零れて鳴海の頬を濡らす。


「うん、わかったわ」

 それまでお互いがぶつけ合った悪態の全てが幻だったかのように、あまりにも不意に室内を満たした静けさに気を遣うように鳴海が呟く。


 まるで夢から覚めたみたいに二度三度と瞬きし、そのたびに涙の雫が零れ落ちる。


 立ち尽くす俺からの反応を待つことなく、静かに足をすべらせて隣の部屋に入り後ろ手に襖を閉める。


 鳴海はなにがわかったのだろう?


 わかったなんて言い捨てられたせいで、俺には何一つわからなくなって途方に暮れることしかできなかった。







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