第23章(満月スーパームーンの奇跡)
5月の満月は、一年の中で一番パワーが強いらしい。そこで、毎年、京都の鞍馬寺ではウエサク祭という不思議な祭事をしている。月との間に道が出来、月を映した水を頂きながら、一つだけ願えば叶えてもらえる。そんな不思議な世界へ、日本中から、世界から多くの人が集う。
宮坂晴子は、今年は一人でここに来た。昨年は病気で今にも死にかけていた姑の命乞いをして、奇跡が起こったからだ。肺炎で病院に運ばれた姑は、抗生物質を打って、どんどん悪くなった。そして、酸素吸入が苦しくて、直接喉から繋いで息をさせられている状態だった。
晴子は、本当は子供のために、お願いをするつもりだったのだが、苦しそうな姑が可哀想になって、「義母さんを助けてあげて下さい」と願ったのだ。すると、まさに、その日に義母は蘇ってくれた。後で聞くと「何か、バスのようなものに揺られて行っていたんだけど、急に運転手が「また、今度にしようか」と言った途端、目が醒めたんよ」と言っていた。
晴子は親戚の死に何度か立ちあっていたが、あんなに管であちこち通されている状態から、良くなった人を、今まで見たことがなかった。聞けば、途中、持ち直した時も、姉妹に囲まれて朝食を食べた時も、既に記憶が無くて、魂委はあちらの世界に行っていたらしい。それが、急に、医者も驚くことに、戻って来て、みるみる良くなって退院したのだった。この時、それまで、子供の受験がうまく行ったのも、子供が「竜を見たい」と願って、空が急に暗雲に包まれ、車に乗った途端、嵐になって雷が落ちたのも、あの願いのせいだったと確信できた。「昔は雷は金竜だと言われていたのよ。つまらない願をするものだから、あんなに天気が良くて、満月が見えていたのに、こんな豪雨になってしまって、鞍馬で神事をしている方々に悪いでしょう?」と叱ったことを思い出したものだ。思えば、今まで、家族のためばかりお願いして来た。自分のことは、いつも最後。いや、ないがしろにして、願うこともなかった気がした。なので、今度こそ、自分のために祈りたいと思って、一人で、こんな山奥に来た。
いつもは誰かと一緒に行っていたのだが、自分の我儘が言えない晴子は、周囲に合わせてしまい消化不良で儀式の途中で帰らなければならなかった。19時、22時、そして1時からの3部があって、そのどれも意味が違い、いつも19時の回だけ参加して、月を映した水を飲みながら願いをしたら、そそくさと山を下りていたのだった。家まで帰り着くには、そうしないと途中で電車が無くなるからだった。車で来ることもあったが、子供が小さいので、眠ってしまわないよう早めに切り上げて、中途半端なことばかりしていたのだ。もちろん、徹夜になるし、最後の儀式が終わって帰ろうとしても、まだ電車は動いていない。「だいたい休める所は、あるのだろうか?お腹が空いたら?喉が渇いたら?トイレに行きたくなったら?」などと考えたら、つい一部だけにしようと逃げ腰になってしまうのだ。しかし、今年の晴子は違っていた。ここで、お願いしないと破滅。「離婚して、生活保護しか無い」というところまで来ていた。だから、自分をを変えたい。何か不思議な力でもいいから、この地獄から救ってもらいたかった。
昨日、お店を閉めて帰ろうとして、頭上の、ひときわ大きな満月が、念に一度しかない鞍馬奇跡を起こせる日のことを思い出させてくれたのだ。次の日はバイトも定休日で無い。こんな運命的なことって無いと思うと、居ても立ってもいられなくなった。子供のリュックサックにおにぎりや水、傘やカッパ。懐中電灯や、フリースのカーディガンなど思いつく物を手あたり次第を押し込んで持って来た。ジーンズ姿なのだが、これも子供のお古だ。だいたい自分のために服など、ここ数十年、買ったことがないのだから仕方ない。まだ、2部までは我慢できたのだが、3部になると人も少なくなって、5月と言えども山の上はおもいのほか寒過ぎる。震えていたら、知らない男性が上着を貸してくれた。彼は、そのせいで半袖のポロシャツになって痩せ我慢をしていた。「大丈夫ですから。そんな姿だと風邪ひいちゃいますから」と言うのに、富んだり跳ねたりして、身体を動かしているので平気だと、言ってくれる。他人の優しさに触れて、心まで暖かくなった。それにしても、こんなに山の上は寒いなんて考えもしなかった自分の危機管理の無さに、また情けなくなった。それでも、山頂で3部を待っている人々の中で、変な結束力が出て、お互いの持ち物を交換したり、女子に優しくしてくれたりと楽しかった。少ししかない休憩所に行くと、皆がひしめいていて、寝るスペースなど無い。年齢も目的も違う男女が、寒さのためか、寄り添って話をしている。「どちらから、いらしたんですか?」と、さっきの上着をかけてくれた男性が話しかけて来た。「大阪です」と言うと「僕も、大阪なんです。売れない芸人で、パチンコ屋のアルバイトをしながら、そこに住み込みでご厄介になっているんですわ」と満面の笑顔で言うものだから、心が緩んだ。一人ぼっちだったので、緊張していたのだろう。あちこちで、色々な方言で、お喋りしているのが聞こえて来る。「今年の満月は、ひときわ大きかったなぁ」と誰かが言った。「また、竜に会いたいとでも、お願いした奴がいたようやな。あんなに晴れていたのに、この豪雨は」と言う声が聞こえる。「この山には、ピンクのカエルや大蛇や、竜が棲んでいるって言うウワサを聞いて、会いたいと願う奴がいるんだよね」と。「1人ですか?」と別の女性が聞いて来た。「いつもは友人とか家族で来ていたんですが、1部で帰ってしまうので、今年こそは3部まで、いたいと思って来たんですけど。こんなに寒いとは思ってもいなかった」と言うと、周囲の人も頷いて笑っていた。「ここは、宇宙の大王が開山したんだって、何かで読んだけど、あの三角の上に立つと凄いエネルギー感じるよね」と言う女性を囲むようにして皆口々に不思議な話をし始めた。「ほら、宇宙船が降りた所だという岩があったよね。真ん中に、そんな跡があるのよね」とか「前にここに来た時、目の色が左右違う老人が案内してくれたんだけど。片方の目は金色だったんでビックリした。あれは、ここの龍神か何かだと思う」とか。「ずっと山の上に上ると貴船の方に出るんだけど、途中の木に、ワラ人形が打ち付けられていて、ゾッとした」とか、「この山には天狗がいたらしいけれど、それは宇宙人だったのではないか?」とかと、想像も交えて、話は尽きない。「でも、本堂の下に骨壺のようなものが並んでいるのはゾッとした」と言う女性に「あれは髪壺なんだよ。中には、天皇や、有名な方々の髪の毛が入っているらしい」と、穏やかでしっかりとした男性の声が物語る。「宇宙の大王の像もあったでしょう?」と言うと、「宇宙人のような角のある写真もあったね」と女性の恐々した声もした。やがては、それぞれ持って来た食べ物を分け合ったりして、和気藹々。
年齢は30代前後の人が多そうだったが、年も性別も関係なく、こんなに親しくなれるのが新鮮だった。気の合った人とメールの交換をして、外科医での再会も約束していた。晴子も、先ほどの売れない芸人だと言っていた尾崎実と電話とメールアドレスの交換を申し込まれて、気軽にしてしまった。初めてだった。会ったばかりの見知らぬ男性とアドレスを交換するなんて。やがて、ポツポツと、気の合うメンバーに身の上話をしたのも、涙が止まらなくなって、みっともなくもティッシュを皆からもらいながら泣いてしまったのも、初体験だった。
こんな真夜中に、遠く遥かから来ているのだから、周囲の皆も何かしら自分では、どうにもならない問題を抱えているに違いない。多分、二度と会うことなどない、一期一会の出会いだからこそ、優しさが身に沁みた。ありがたかった。
第3部になると、その時できた仲間が色々気を使ってくれて、山とも月とも一体になれた気がした。雨は上がって、大きな満月がポッカリ闇夜の空に輝いていた。おかげで、手に持った、ろうそくの光と共に、まるで宇宙に輝く星のひとつになったような灌漑があった。
式典が終わると、そのままそこで、朝が来るまでいて、楽しく会話をしている人もまばらだったが。朝の帳が上がるまでは、まだ時間があるので、そそくさと下山する者もいたが、晴子は尾崎に誘われて数人の人と下山した。人なつっこい尾崎が、大阪方面から車で来たという男性と仲良く成って、同乗させてくれることになったからだ。こんな好意も素直に受けることが出来る自分に驚きながらも、何だかウキウキしている。同じものを崇拝する者同士の、何だかわからない信頼関係が生まれていた。街で声をかけられても、絶対に縁を持つことは無いのに、山や自然は相手へのバリアを無くしてしまう。それとも、どこの誰かもわからない、過去も性格も、年齢さえもわからない相手とだから、悩みや言いにくいこともスラスラ話せるのだろうか?「男ってね、どうしようもない生き物なんだよね。ほら、犬が電信柱を見ると足を上げてマーキングしてしまうやん。どれだけ叱られたとしても、一度臭いをつけたら、家の中でも、やっぱり、やらかしてしまう。だからさ、ほら一度寝た女は自分の持ち物だって思っているワケよ。別れたって、フラれたって気になるし、つい、ダメだとわかっていても、やらかしちゃうワケよ」と尾崎はすまなさそうに言う。「でも、女は、嫌いになった人とは二度とは会いたくないし、過去の男性とはそんなことにはならない」と責めてしまう。
別に尾崎が浮気をして、自分を裏切ったワケでもないのに。「だからさぁ。人にもよるけれど、俺みたいなチャランポランな刹那主義な男はさぁ。今、目の前に、おいしそうな物があると、ガマンが出来ないんだな。ダメだと言われれば言われる程、食べたくなるワケ」と言う。「子供みたい」と笑うと「男は、みんな子供なんだ。大人になれないって言うか、いつまでたってもマザコン。ママのオッパイが恋しくて仕方ないのよ」とバブちゃんみたいな仕草をして同乗している他の3人も笑わせた。女子たちは「いやだ。気持ち悪」と爆笑する。
芸人らしく、笑われたら嬉しいようで、それからつまらないギャグをいくつかかましたが、それは皆の失笑に終わって、ショゲていた。
「家はどこ?送るよ」と運転している藤井さんという男性が言ってくれた。「いいです。まだ帰りたくないし。その辺に落としてもらったら。本当に助かりました。ありがとうございます」と言うと「モーニングの安くていい所があるんだ。もう開いている筈だから、お腹も空いたしみんなで行かない?」と尾崎が言った。皆も賛成した。そこはJR福島駅のすぐ近く。ホテル阪神の前の高架下にある古いカフェだった。昭和の香りのする、マスターがかなりの年なのだが、モーニングが飲み物とサンドウィッチかホットドッグ、ゆで玉子とトーストのいずれかで380円という安さだった。サンドウィッチを頼んだが、ボリュームがあって充分だった。尾崎はアツアツのホットドッグをほおばって「懐かしい。コレコレ」と言って2つを、あっという間に食べ終えた。あとの3人も驚きながら熱いコーヒーにほっと日常を取り戻したような顔をしていた。つい3時間前までは、あの鞍馬のミステリアスな世界にいたことが嘘のようだった。
既に、7時頃になっていた。カフェにも人が込み出して、皆は、そこで解散することになった。JR福島駅が目の前だったので、3人は、お礼を言って、またの再会を約束した。夫婦なのか?女性の名前は愛称でユリリンと名乗ったのでわからないが、運転して送ってくれた藤井さんと2人一緒に車に乗ってミナミの方に走り去った。山ガールのようないで立ちの山本さんは40代くらいの女性だった。「有給を取っていたんだけど、この分だと今から仕事できそうやわ」と言っていた。家まで帰ると大変だけど、会社は弁天町らしく、JRに乗れば、すぐなのだと悩んでいた。尾崎は天満なので2駅だし、実は晴子は福島だったので徒歩でもすぐだった。たぶん、尾崎が気を利かして、このカフェを提案してくれたに違いない。泣きながら、お金に困っていることを告げていたので、鞍馬からの電車賃も浮いたので内心すごく助かった。そして、尾崎の能天気なのに、さりげない心配りというか手配力に、見直して好感が持てた。
それから数日たって、尾崎からメールがあって、飲みに誘われた。それも、夜中の1時にだ。言われたお店に行くと、店長に紹介されてトントン拍子にアルバイトの話が決まった。夜中なので時給もいい。近くにライブハウスがあるようで、電車が無くなると若者が一気にに入るのだけど、そんな時間から来てくれるアルバイトがいないのだと言っていた。晴子なら、徒歩でも数分なので、朝まで働ける。子供たちが起きるまでに帰れば大丈夫だから。今働かせてもらっている店も、7時から11時までだったので、終わってから、その店に行けばいい。2つの店をハシゴできるので、申し分のない。これなら月に、まとまったアルバイト代になるので、生活苦からは逃れられそうだった。しかも、若者が多いようで、晴子を知る、近所の人とは会いそうにない。これが、コンビニやファミリーレストランだったら、すぐに噂になりそうだったが。
若作りしてメイクをしっかりしたら、まるで別人。たとえ、見かけたからと言っても気づく人はいないだろう。
尾崎の人脈の広さと、人の良さには感謝するばかりだ。まるで、鞍馬の天狗か神様か?宇宙人だったのではないかと思えたりもした。
アルバイトの事は家族には内緒だが、きっと誰も気がつかない。夕食さえ作って食べさせていれば、母親がどこに出かけようが気にもならない。関心が無いのだ。まだ、皆が寝ている間に帰って来る。
仕事は楽しかった。若者たちと、分け隔てなく色々話せるのが刺激になって、「ますます若返ったね」と、尾崎にも言われた。若いバイトの子も「着物なんて着たら新地のママでもいけそう」と褒めてくれる。そう、晴子目当ての男性客も増えていた。若い男子からも、アプローチされると、少し照れるが嬉しい。ここが、自分の居場所かどうかは、まだわからないが。「お店を持たないか?」と、「飲食業の神」と言われている方に申し込まれた。愛人になれば、お店を持たせてくれるという殿方は沢山いたけれど、仕事ぶりを評価してくれての依頼は嬉しかった。尾崎も太鼓判を押してくれている。「柿本さんの新しいお店の店長なんて、すごいよ」と言って、驚いていた。ギャラも破格値。今まで、秘書をしていた頃でも、もらったことのない金額を提示されたのだ。これなら、いつでも離婚しても生活に困らないだろう。鞍馬での願いは、とんとん拍子に叶って行った。
日々、鏡に写った自分の姿を見るのが楽しい。父の若い頃に似ている二重の大きな目は、人が笑うくらいの夢を見つめて輝いているから。




