(第20章 恨み、生霊と闘う日々)
出逢う人すべてが離婚には反対だった。しかも、あれから晴子は体調も悪く、伏せってばかり。夕方近くになると、特に立っているのも困難になっていた。友人が子供たちのために夕食を作りに来てくれたり、食欲のない晴子にゼリーや果物の差し入れをしてくれた。霊感の強い友人は「彼女の生霊だ。何かしないと呪い殺されるよ」と言った。
紫式部の『源氏物語』には出てくるが、愛人が主人を、そこまで愛しているとは思えなかった。「嫉妬や恨みが怖いのよ。良い生活をしていて、妬みとか。とにかく不幸な女は、幸せそうな人を見ると腹が立つらしいから」「そんなことをしても意味ないのに?」と聞くと、「自分でも抑えきれないんだから仕方ない。自分でも生霊を出しているのに気づかないこともあるんだから」と教えてくれた。確かに、それは厄介なことだ。「しかも、恨んだ方も不幸になる。ほら、藁人形で呪うと、相手も自分も死ぬと言われているでしょう。人を呪えば穴二つ」と。
『どうして、あんな女と心中しなければならないのだろう? もしかしたら、知らずに生霊を出しているのは私の方なのか?』
縁切り寺に参ったり、怨霊を払ってくれる陰陽師のような人に頼んで、梵字で書かれた呪文を部屋のあちこちに貼り、子供と一緒に唱えたりと努力した。しかし、午後三時過ぎると微熱が続き、本当に呪い殺されるのではないかという恐怖におののいた。カサカサした皮膚も、自分を正当化し、晴子を罵倒してくる睨んだ彼女の目も、蛇のようだった。
晴子は主人を、浮気だけはしないと信じていたので、ガンも何十万円ものサプリを飲ませ治してしまった。本当にお人好し。自分の馬鹿さ加減に笑えてくる。裏切られても夫婦でいるべきなのか。そのうち、自分の罪悪感に逆ギレした主人は、暴力を振るうようになった。たぶん何度も医者にかかったので、警察にも届けられ、ブラックリストに載っている。男は都合が悪くなると暴力に訴える。そして、自分よりも弱いと思うと調子に乗っていじめる。
除霊で有名な先生を紹介してもらった。すると、「何だか黒い紐のようなものがご主人に巻き付いていて、奥さんが剥がそうとして頑張る毎に締め付けられ、苦しむ姿が見える。今は、やればやるほど暴れるので、手がつけられない」と言った。「絡みついているのは蛇では?」と聞くと、「そうかもしれないけど、随分長年ぐるぐる巻き付いていたようで、その念が薄まっていくのを待つしかない。無理に取ろうとすれば、被害を被るのは奥さんの方だから、離れていた方がいい」と。不思議な物語だった。でも、ありそうな話。
オーストラリアにある蔓草は、大きな木に巻き付いて、その養分を吸い取り、倒してしまうという。人間も、誰かに巣くって、お金や名誉や仕事を食い物にして没落したら、次の獲物にかかる人がいるらしい。そういうタイプの人間と縁を持ち、人の道を外れたのだ。同じ波動を持っているから巡り合える。この広い世界で、たくさんの人がいるのに、縁のある人は数人。しかも、どれだけ好きでも、離れたくなくても、ずっと一緒にいられるわけではない。ラジオの周波数のように、チャンネルが合わなければ聞こえない。あるいは雑音だけというように、人も波動が合わなければ、同じ場所にいたところで無関係。
子供がよく、「付き合ってる友人が悪くて、うちの子がゲームセンターとか行って補導されたのよ」と嘆くが、見た目は同じでも、心が荒んでいたら悪い人と縁が繋がる。逆に、どれだけ不良グループにいても、本を読んだり、心に夢や希望ができた時、不良グループの方からいなくなるということがよくある。
「最近、付き合い難い」と、相手の方が波長が合わなくなって、居心地が悪くなるようだ。だから、愛人に仕事も家庭も信頼も仕事も駄目にされても、本人はその方が居心地よかったに違いない。そう気がついた時、主人への執着心が、「良くなって欲しい」という思いが諦めに変わった。
『彼が良くなってくれたら、稼いでくれたら生活が楽になる?』という依存が、夫婦としての愛情が本当に消えた瞬間だった。いつか自立して離婚するまでの同居。家庭内別居。
どうして、もっと早く気が付かなかったのだろう。そう、父が亡くなった時、誰かの後ろ盾でも得たように、彼の態度は豹変していた。
眉間には深い皺があり、仕事をもらっているスポンサーや仕事仲間の悪口ばかり言うようになっていた。まるで暴君のように。些細なことで怒り、仕事仲間の言葉遣いが悪いと暴力を振るい、その会社の社長に呼ばれ、同じことをされたと言って、顔を腫らして帰って来たことがあった。馬鹿にしたような言い方に我慢ができなかったのだと。昔の彼は、どんなに難しい相手でも、上手に立ち回って大きな仕事を取ってきた筈だった。
愛人と会った時、彼女の話し方や、何もかも他人のせいにする姿が乗り移っていると感じた。いつも不機嫌。仕事仲間と仲良くするのを嫌い、自分が優秀だとアピールするために、周囲の人々を無能呼ばわり。他人の幸せを一緒に喜んでくれた、尽力してくれた彼は、もういない。
自分が家族を裏切り、醜悪なことをしているのを、全て女房のせいにし、被害者面。「自分で稼いで食わしてやっているという態度が嫌だった」とか、「キャンキャンしゃべる言い方が腹が立つ」とか言っていた。冷静に、ゆっくりしゃべっても、彼にはそう聞こえるらしい。お金をわざとくれなかったのは、子供たちがママばかりに感謝しているのに腹が立ち、「だったら、自分も食わしてくれ」と思ったらしい。本音を話して来なかったツケが溜まったのだ。
子供の前では喧嘩はしたくなかったし、主人を尊敬して欲しかったから、事実ではないが、「パパが働いてくれているから食べていけるのだから、感謝しないと」と呪文のように言っていた。なのに、子供たちが自分に感謝しないのは、ママが入れ知恵しているからだと思い込んでいた。
どこに食事に行っても、晴子に払わせているのだから、どんな馬鹿な子供だって、誰のおかげで美味しいものを食べることができているのか、分かりそうなものだ。嘘は見抜かれていた。人は言葉ではなく、態度や行動で評価しているものだ。
あんなに嫌だった筈の父と主人を比べて、父は偉かったと思うようになっていた。男はお金を稼いで、家族を幸福にするものだ。それができないケチな男を卑下していた結婚当初は、「お金があっても幸せとは限らない」と言って、純粋な愛を信じていたのに。
何年もお金に苦労し、我慢してきたのに裏切られ、親が「お金が無ければ、愛も憎しみになる。しなくてもいい喧嘩を、お金が無ければするようになるから」と言って、年収のいいエリートばかりとお見合いさせた理由が、今なら理解できる。
父と比べ、「小さい男だ」とか、情けない奴だと思ってしまう。子供たちのことを考えて、尊敬しているふりをしていても、養ってもらっていると言葉にして嘘をついても、現実離れしているのだから誤魔化されない。
良い親を、これ以上演じるのは無理がある。次第に、事実や不満がほころび、ボロボロ出てくる。「もう、これ以上は無理だ」。嘘と欺瞞に溺れそうになっている。本当の気持ちを吐き出さなければ、自我が壊れて死んでしまうと思った瞬間、長い夫婦の歴史の中で、言わずに我慢してきた本音が、ドロドロと吹き出してきた。自分では、もう止めることができない。
主人は、一体いつの何のことを言っているのか、理解できないようだった。でも、一度堰き止められなくなった不満や怒りが、怒涛のように押し寄せて来て、涙と共に噴出。最初は聞いていた主人も、怒りに震え、飲んでいたワイングラスを投げつけ、ワインボトルを掴み、壁に投げつけ粉砕した。
どれだけ威嚇しても、もう怖くない。
『殺すなら殺せ』と、心の中で居直っていた。




