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(第15章 結婚しても子供ができない夫婦)

「子供なんていらないよ。俺には裕子さえいれば充分なのだから」と颯斗は言った。「でも、お願い。私は子供が欲しいの。子供さえいれば、颯斗が忙しくても、寂しくない。一人っ子だったから、本当は沢山の子供に囲まれるのが夢だったのよ。もし、今年、駄目だったら、親のいない子を養子に迎えたいとも思っているの。莫大な遺産を受け継ぐ者がいないと、矢島家も困るから。もう、最後のお願い。病院に明日、一緒に行って欲しいの」と懇願していた。20代の颯斗には、まだまだ子供を作れるという可能性があるから。女の35歳の立場など、わかりはしないだろう。親から、子供が出来ないことを、毎日のように責め立てられる。

お金に糸目をつけずに不妊治療をして3年になる。検査も治療も、痛くて辛かった。婿養子になってくれた颯斗には両親がいない。離婚して颯斗を連れて祖母のところに帰って来た母親も、しばらくして颯斗を置いてどこかに行ってしまったらしい。結婚当時は、まだ元気だった祖母も、5年前、ガンで亡くなった。天涯孤独だと、悲しそうな顔をして笑ってみせた颯斗の顔が忘れられない。家族のいなかった颯斗だから、裕子の孤独に寄り添ってくれた。寂しい時には、いつもギュッと抱きしめてくれた。「2人なら、もう大丈夫」と思えた。「子供が出来たら、あれもしたい。これもしたい」という夢がいっぱいあった。「自分のようにならないよう、子供に充分な愛情をかけてあげるんだ」と。

子供が出来たら、どう扱えば良いのか、きっと颯斗にはわからない筈だ。父親が、ずっといなかったのだから。だから、余計に父親になって、過去の親への怒りや不満を払拭してもらいたかった。自分だって、どんな母親になったら良いのか、わからない。近くに、手本がなかったからだ。家政婦さんに育てられたようなものだったが、家族ごっこはしてくれたから、寧ろ夢を持っている。颯斗のことは好きだが、家族になるなら、やっぱり子供が欲しい。2人で子供の成長を喜び、悩み、相談しながら乗り越えて行きたかった。颯斗の子が欲しかった。たとえ、1人で育てなくてはならなくなっても、今の状態よりも、きっと幸せな筈。この宙ぶらりんな状況に耐えられなかった。

最近、無関心を装いながら、父が特に遠慮なく罵倒するようになった。「あんな、どこの骨ともわからない相手と結婚するから、子供が出来ないのだ。結婚は、好きだというだけでは済まされない。次の子孫を作り育てるという、大きな使命があるだろう。特に、矢島家の代々続く家、財産はどうなる? あの立派な墓を、将来守ってくれる者がいないというのは、祖先の方々に申し訳がない」と嘆き悲しむのだ。「とにかく、孫を抱きたいのよ。周囲の人は、みんな孫がいて、一緒に旅行に行ったり、楽しそうなんだから」と、母も口うるさく言い出した。

努力しても、どうにもならないことがある。両親は、人より優れているという選民意識を持っている。ただ、莫大な遺産を相続して遊び暮らしているだけなのに。お金に群がる政界や財界の重鎮たちとの交友が、その扱いが、自分を偉い人間なのだと思い違いさせるのだ。婿養子だった父は、確かに祖父の眼鏡にかなった天才だったようだ。知能指数200を超えた者だけが入れる会員にもなっている。そこに登録しているメンバーも、ユニークな人が多いらしい。月にロケット旅行が出来るようになったら、一番乗りで出かける予定にもしているようだ。もとより、裕子には、超お金持ちの道楽など興味もない。

矢島家は代々女系で、女の子しか生まれなかった。なので、優秀な遺伝子を取り込むために、婿養子は厳選されて来た。しかも、3年、子供ができなければ別れさせられた。「子孫を作り、代々守って来た家を繁栄させるのが、矢島家に生まれた者の使命だ」と言われ続けた。なのに、裕子だけは、親たちの反対を押し切って、自由恋愛で結婚した。颯斗が婿養子を受け入れてくれたので、親も許した。

財閥となると、優秀な雇われ社長さえいれば、勝手に事業は大きくなった。多業種に投資しているので、どこかが不調でも、別の業種で大きな富を得られる。時代を創造している数パーセントの人と繋がっていると、儲け話も、インサイダー取引などの情報も一番に入る。そうやって、お金持ちは、どんどんお金持ちになるという構造らしい。国の将来を創るシンクタンクとの交友が、父の仕事だった。それを、颯斗が継承できるとも思えなかった父は、裕子を秘書のように連れ回すようになった。だから、颯斗のバンドのツアーには行けなくなったのだ。

幼い頃は知らなかった、矢島家の凄さに、初めて気づいた。自由気ままに遊んでいるばかりと思っていた両親への見方が、最近変わった。この人脈に、颯斗は、ついて行けるのだろうか。10年近く彼をプロデュースして来て、わかっている。颯斗には、一流にはなれないことを。スポンサーになって、海外ツアーにも連れて行ったこともある。大手芸能プロダクションにも入れてもらったこともある。でも、何かが欠けている。そこそこ上手いし、顔もスタイルもいい。熱狂的なファンもついている。なのに、ブレイクしない。あの手、この手を尽くしてきたのに。

作詞作曲、演奏やトークに、これという輝くような個性が無い。ヒットしているアーティストは、随所、違和感があったり、嫌悪感さえあることが多い。なのに、そんなマイナス面がある時、熱狂的に好きになる。マリファナのように、何度も何度も聴きたくなる。口ずさみたくなる。何故だかわからない。絵画だってそうだ。誰もが見て、綺麗だと賞賛される絵は忘れられる。一見、不愉快に感じた絵は忘れられない。印象に残る。何故か、心を揺さぶられている。「記録は残さなかったけれど、記憶に残る人だ」という感じだろうか。

颯斗の音楽の中で、好きで好きで仕方ない曲はあっただろうか。毎回見逃せないと、日本中を追いかけてくれるファンはいるだろうか。そんなファンが200人を超えたら、アーティストは食べていけるらしい。そんな熱狂的なファンは、新しいアルバムは必ず買ってくれる。毎回グッズも買ってくれて、コレクションしてくれる。ファンも年齢を重ね、ある日突然、卒業することもある。人気稼業は、フル回転で活動し続けなければならない。

SNSを使って、無料チケットをばら撒いたこともある。ファンクラブをネット上で作って、情報やサービスを充実させたこともある。しかし、それに関わる人件費だけでも、多大な損益になる。つまり、矢島家の財産を食い潰すだけで、趣味でバンド活動をさせているようなものだった。バンドのメンバーも、「目指している音楽が違う」と言って、何度辞めて行ったことだろう。その度に、バンド仲間は若返り、颯斗との距離は、むしろ広がったのではないだろうか。

裕子がバンドメンバーのギャラを払っているから、優秀なバンドマンが集まってくれているだけで、颯斗の音楽に憧れ、一緒に音楽活動をしてくれているのかさえも、よくわからない。それでも、主人の成功のために尽力するのが、妻の務め。年下の颯斗の態度も、最近鼻について来ている。きっと、裕子がバンドのツアーについて行っていないせいだ。感動していないからだ。

ライブに行くと、あの騒音に血が踊り、輝くライトに映し出される颯斗の勇姿に、胸躍るに違いないのだ。しかし、30歳を過ぎると、聴きたい音楽が変わる。欲しい言葉も違ってくる。10代から自分もバンド活動をしていたから、わかる。あの地下にうごめく若者たち。下手なバンドとのタイバン。夜遅くまで付き合うのも苦痛な、頭の悪い男たち。誰か、可愛い女の子とどうにかなりたいだけの目立ちたがり屋。

夏になると、日本中、大きなフェスへと出かける。あちこちのライブハウスに出演して、超多忙になる。昼頃から音合わせがあるので、夕食は、いつもなおざりになる。ライブが終わって、仲のいいメンバーと食事や飲みに行く。そのまま夜、走って次の公演場所まで移動しなければ、間に合わないこともある。正直、メンバーは、その時期までにアルバイトをして、ツアーの必要経費を貯めて参加している。若くなければ出来ない。体力的にも、自由な時間がある学生時代にしか、あんな無茶は出来ない。

ファンサービスの延長で、カップルもできる。恋をしたら、音楽も変わるから不思議だ。何か社会に訴えたかった。新しいウェーブを創りたかった。自分たちだけを観に来てくれているわけではないが、何百人もの観客の前で演奏すると、血が湧き躍る。皆の歓声と拍手を受けたら、自分が別の何かになれた気がしたものだ。そして、そんな若者が集結する場で、何度も奇跡的に出会い、仲良くなって恋に落ちた。音楽という魔法にかかって。若かりし頃の、ほんの戯れごと。そんなに真剣にバンド活動をしていたわけでもない裕子だったが、この熱気や、熱い想い、エネルギーが溢れている青春の日々が、裕子は好きだった。

やがて、自分のバンドは解散しても、颯斗のバンドの手伝いをしているだけで幸せだった。出会った頃は、颯斗は中学生で、まだ子供だったのだが、高校生になると、背も高くなり、一番人気のバンドになっていた。裕子が大学を卒業したら、マネージャーとして同行するようになった。ずっと裕子に憧れ、恋していた颯斗に、結婚を迫られたのは24歳の時だった。裕子も卒業間近で、就職する気もなく、家で嫁入り修行をするだけだったので、時間は充分あった。

なので、卒業して、バンドのツアーに一緒に行くようになって、愛が深まり、自然に同棲するようになった。プロを目指していた颯斗の夢を支えてあげたいと思っていたので、嬉しかった。大きなフェスティバルで賞を取れたら、結婚しようと約束した。無我夢中で彼を売り込み、私財も投げ売って、CDデビューも果たした。バンドのメンバーも一新して、プロのバンドマンを雇い、本格的な芸能プロダクションのようなものを立ち上げた。

人気稼業なので、結婚したことは関係者には内緒にして、2人だけのハワイでの挙式。成人していたので、両親には籍を入れてから報告した。両親は不機嫌だったが、今まで無関心だったことを恥じた。何も知らなかった。大人しく、嫁入り修行でもしているものと思っていたらしい。裕子の両親は仲が良かった。いや、寧ろ良すぎて、裕子の存在を忘れて、2人だけで旅行に行ったり、食事に行っていた。2人がラブラブ過ぎて、自分はお邪魔虫だと思い、出来るだけ一緒に行動しないようにしていた。

思春期の複雑な時期から、両親も扱いにくくて、干渉しなくなった。家は広かったし、お手伝いさんはいたので、生活するのに困ることはなかった。ただ、跡取り娘だというプレッシャーだけは受けていたものの、したいことは自由にさせてくれたし、お金も充分に与えてくれた。なので、バンドのスポンサーさながら、経費を出していたのも、ずっと両親は気づかなかったのだ。母のショッピングにかける金額に比べたら、可愛いものだったからだろう。



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