(第14章 大富豪の家に生まれた矢島裕子の闇)
矢島裕子は一人っ子なので、両親から有り余る財産を相続を受けるのがわかっているから、働く必要がなかった。なので、エスカレーターで大学まで進み、就職活動もする必要も無いので、遊び暮らしていた。男の稼ぎなんて期待しないで、貧乏学生とばかり恋をした。
両親は海外旅行に行ったり、遊ぶのに忙しく、裕子を家政婦に任せて不在なことが多かった。家族団欒とか、母親と一緒に食事を作るなんて、よくある家族の触れ合いなんてなかった。そもそも母は家事などしない。たまに、自分の好きな物だけ作って食べるのだが、夕食は4時には食べたいらしく、一緒に食事を摂ることがまず無いのだ。
ミス着物だった母は美食家だったが、すぐ太る体質らしく、夜6時以降は何も食べないと決めて、もう何十年もそれを守っている。なので、中学の時も、塾が終わって家に帰ると、母は自分だけご飯を食べてお風呂に入っている。夜8時過ぎたら、さっさと眠ってしまうのだ。父も、養子のように母の実家の財産で遊び暮らしているものの、長男なので老齢化した祖父母の面倒も見なければならないらしく、よく九州の実家に行っていた。そんな時、母は美しい身体を取り戻すことに夢中になる。食事や家事にマメな父が留守でも、食事を用意してくれるのだが、母だけの時は、お金をくれて「友人と好きなものを食べるように」と言われた。中学生まで、夕食を子供一人で、あるいは子供同士で食べさせてくれる所なんて無いのに、母はそんな常識すら知らない。
子供が食べ物を買えるのは、コンビニかマクドナルドのようなファーストフードしかない。コンビニには塾帰りの子や、不良グループが駐車場などに集まっていた。どう見ても、暴走族の頭だと思える透という男に、何故か気に入られて族の仲間に入れられた。透の彼女ということで、仲間内では大切にされた。お金に物を言わせて、遠出をしたり、お酒を買ってバカ騒ぎをしたり。お化粧や洋服でOLに見えるようで、バーやカラオケ、クラブ遊びに毎夜、楽しくて仕方なかった。父には、たぶん気付かれていた。しかし、裕子に無関心な母は「これで好きなものを買いなさい」と言って、ゴールドカードを持たせてくれた。その当時は、そのカードで現金も下ろせたので、湯水のごとく使うことができたのだ。母はたまに「何に使ってんの?請求額が跳ね上がっているけど」と言うので、「ごめんなさい。塾のお金も払っちゃった」と言うと、納得してくれるのだ。
お金を渡すだけ。自分磨きに夢中で、毎日ジムに行ってトレーニングしたり、エステに通って、自分のスケジュールを子供のために変えたりはしない。中学の時、そんな母に反抗して、学校に行かないで遊園地やゲームセンターに地元の悪い仲間と行っていた。それでも、無関心な母は何か月も気づかなかった。学校から連絡があって、警察に補導されても「何かの間違いでしょう?」と迎えにさえも来てくれなかった。担任の先生に連れられて家に送ってもらった時も、家には誰もいなかった。真っ暗な家に入り、台所に行くと、テーブルの上に1万円が置いてあった。「2、3日、パパと旅行に行くので、これで足りなかったらカードから下ろして使ってね」と、ハートマークまでついているメッセージを残していた。「そういえば、韓国旅行に行くと言っていたっけ」と思い出した。玄関で待っている担任に「父の実家で不幸があって、急に行かなくちゃいけなくなったみたいで。先生には謝っておいてって手紙が置いてました」と、また嘘をついた。先生は呆れながら、帰って行った。不幸と言えば、だいたい諦めてくれる。というか、先生だって、早く帰りたい筈だ。生徒の夕食のことなんて気にも留めない。
誰もいない家で、私服に着替えて、また夜の町に出る。化粧を施しているので、中学生には見えない。バイクの音がする。迎えに来てくれたのだ。透からヘルメットを受け取って、バイクの後ろに乗せてもらって風になる。「お腹空いてるの。警察に補導されて散々だったから」と大声で彼に訴えるのだが、バイクの騒音にかき消されて声は届かない。仲間が集まる、高速のドライブインに着くと同時に、おにぎりやアメリカンドッグや唐揚げを買って、端の方で隠れて食べる。ここのところ、ろくな物を食べていない。体重は減る一方だ。でも、周囲の友人たちは心配するどころか「羨ましい」と言う。
こんな時間に出かけていても気がつかない、あるいは無関心な親に辟易している。不良仲間といると束の間、孤独を忘れることが出来た。シンナーや煙草、お酒はやったが、クスリや売春はやらない。覚せい剤や性病で、ボロボロになった女の子を見たことがあったからだ。暴走族の女になっていることを、親が知ったら、きっと半狂乱になることだろう。でも、もう1年以上になるが、気がついていない。
14歳といえば、将来の職業について考え始める時だ。なりたいものがあれば、それなりの高校に進み、勉強だってしなければならないだろう。学校に行っていないわりに、裕子の成績は悪くなかった。英語だって好きだし、ネイティブだと間違えられる発音ができるのは、夏休みなどは海外で過ごすことが多かったからだ。スケボーもスキーも、カナダに毎年行くので当たり前のように出来る。ハワイに別荘を持っているため、年に何度も行っていた。おかげでスキューバーもサーフィンも出来る。ついでに、親の付き合いでゴルフもテニスも出来るようになった。
何でも夢中になる性格なので、すぐに上手くなって両親の自慢の娘だと賞賛されている。海外で自由な環境の中で触発され、望めば何でも出来るという自信だけはあるものの、本当に自分がしたいこと、しなければいけないという、生まれて来た使命というものが、まだ見つけられなくて、無駄に退廃的な思春期を過ごしてしまった。ただ、成長する程、心が寂しいと叫んでいるのに気付く。
好きでもない男性と、好奇心でバージンも捨てた。なのに、世界は何も変わらなかった。誰も、自分の変化にも気づかなかった。夜、どんな不良と付き合おうと、いつも早く床に就く両親は夢の中。どこから見ても、大人しくて優しい思いやりのある女の子にしか見えない裕子は、エクステで髪の毛も瞬時に長くなったり、スプレーで金髪になったりできる。
そして、高校時代に、バンドをやっているメンバーに誘われて、音楽にのめり込んだ。相変わらず、夜遅く外出しても誰も気づかなかったからだ。親が寝静まってから、ライブハウスに出かける。夜だけが、本当の自分でいられる居場所のような気がしていた。流行とか、他人の目と関係なく、自分をプレゼンテーションできる舞台の上だけが真実だと思えた。
大きなフェスティバルにも仲間と見に行って、将来出演したいと夢を膨らませていた。『どこかの音楽事務所のプロデューサーの目にとまってデビューする』それが、裕子たちの夢だった。しかし、目指す音楽の方向性が違うと仲間割れがあって、誘ってくれた友人は上京してしまい、バンドも解散。メンバーを捜したが、強いリーダーシップと強力な個性を持った人物は、そうそういるものじゃない。
ライブハウスに毎夜のように行っているうちに、ファンになってしまったのが風間颯斗だった。ボーカルだったが、ギターもできる。メンバーが一斉に辞めて、一人でギターの弾き語りを、どこかのバンドの前座でやらせてもらっていた。それまで激しいロックだったので、歌詞も聞き取れないし、うるさかったのでスルーしていたのだ。しかし、その時はギターの音色も、その声も今にも消え入りそうで、思わず聞き惚れてしまった。裕子の心の一番冷たい部分が、熱くほてっていた。「この人は同じなんだ」。目尻が熱くなった。二人とも、一人ぼっちだった。
誰にも理解してもらえなかった心の闇。仲間だと思っていたバンドのメンバーも、裕子の財力を利用していただけなのだと、解散する時に思い知らされた。しかも、感謝されるどころか、皆から嫉妬され、「気に食わなかったんだ。本当は」とまで言われた。それまでのキラキラ耀いていたバンド活動の思い出までが、どす黒い醜悪な記憶に塗り替えられた。それでも、裕子には夜のライブハウスしか居場所がないように思えて、毎夜通っていた。
颯斗は人気があった。もしかしたら、誰でも良かったのかも知れない。何でも良かったような気がした。何かに打ち込みたかった。誰かを愛したかった。そして、自分を真正面から受け止めてくれた颯斗に夢中になった。いや、なりたかった。
そして、グッズをいつも大量に買ってくれる裕子に感謝し、二人は急接近。彼の出るライブには、日本中どこにでも出かけた。その当時、裕子の両親は、豪華客船の旅だとか、ベトナムやタイ、シンガポールなどなど、まだ発展途上国の一流ホテルでのロングステイが気に入って、ほとんど日本にはいなかった。
大学も、母も祖母も卒業生ということで推薦入学が決まっているので、先生方の受験指導も受ける必要がなく、大人たちは乱れた私生活のことも知らないままだった。
【愛】の反対は【憎しみ】ではなく、【無関心】だと言う。実験したら、白いご飯に「ありがとう」と声をかけたものと、「死ね」と声をかけたもの、そして、何も声をかけない白いご飯を用意して放置したところ、「ありがとう」には白カビが、「死ね」には黒カビが生えたのだという。そして、何も声をかけなかった白いご飯はどうなったか?腐って、ぐちゃぐちゃになったのだと。人も、愛情をかけるのが一番理想的だが、憎しみでも相手にされるだけマシだということ。無視されてしまうと、存在自体が腐ってしまうことを。
自分も嫌というほど体感している。母は父が好き過ぎて、裕子のことなど気にもかけない。父は母の我儘に気を取られて、優等生のように気がつく裕子のことは、つい安心しきって見ていない。お金は充分渡しているので、大丈夫だと信じているのだ。下手に努力して苦しんでいると、母はいまいましく、「何もしなくたって食べていけるんだから。苦労なんて買ってまで、する必要はない」と叱るのだ。
「顔が気に入らなければ、整形手術でもしたらいい。良い医者なら知ってるから、いつでも連れて行ってあげる」と言って、二重瞼にしてくれた。手術後は痛くて腫れてはいたが、メイクをしなくても、いつも眉毛も目元も決まって楽だった。まつ毛エクステをして、カラーコンタクトを入れたら、見違えるほど綺麗になった。身体も、ジムに行かなくても、エステで理想的なボディラインが手に入ったし、肌もスベスベ。母がお気に入りの高い化粧品を付けていたら、色も白くなった。
父に愛されたくて、美意識の高い母は、仕事にできるくらい、世界の若返りの術を知っていた。もはや、本当の自分の顔がどうだったのかもわからなくなった。まるでメイクをするように整形手術をし、カリスマ美容師のところでイメチェンする。高いブランド品を身につけ、すぐ飽きて売ってしまうものだから、最近はレンタルして、使い心地の良いものだけを買うようになった。お金に群がる男には目もくれず、婿養子に収まろうと必死で求婚する男も無視した。
自分がどこの誰かも知らない、ファンの一人なのに気に留めてくれた彼に夢中になった。「なんで、そんな悲しい目をしてるの?」と優しくキスしてくれて、彼しか見えなくなった。彼のマネージャーを買って出て、海外遠征をしたり、芸能界に売り込んで、少しは音楽業界で有名になった時に入籍した。ファンの手前、誰にもわからないように結婚。知恵の結婚式に招かれて仲良くなった由美と晴子だけが真実を知っている。だからといって、信じきっているわけではないので、不妊治療をしていることも、子供ができないで苦しんでいることも話していない。「二人だけで、いつまでも恋人同士のような関係でいたいから」などと、嘘を言う。
皆の前では、優しい物わかりの良い女性を演じている。初めての女友達だったから、失いたくなかった。この女子会は、刺激のない日常のアペリチフ。特に、いつも情熱的な知恵や由美の、強烈な生き方の魅力的なこと。二人が語るドラマのようなストーリーに興味津々。一緒にいると危なっかしかったが、話題に事欠かなかった。
「浮気なんて、最大のスポンサーである裕子に頭が上がらない颯斗には、絶対あり得ない」と思って、呑気に笑っていられた裕子だったが、それからすぐ裏切られ、悪魔のような怨念に苛まれて豹変して行くなんて。貞淑な妻から悪女へと堕ちて行くなんて、思いもよらなかった。
『あれだけ尽くしたのに、何が悪かったのだろう?彼の夢を支えて、頑張って来た。何も見返りも望まなかった。無償の愛で包み、聖女のような潔癖さで彼だけを見つめていたというのに』。悪夢のような試練は、二人の間に子供が出来なかったという不幸から始まった気がする。




