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時計塔へ

 ヴァーツラフを追って走っていると、鐘の音が鳴り始めた。

 さっきディアナが鳴らしたどの鐘よりも大きく、腹の底に響くような重い音。

 市庁舎の時計塔の鐘の音としてよく聞く音だ。


 イヴァンの作業が終わったのだろうか。

 

 作戦は順調なのだろうか。


 鐘の音からは判断がつかず、不安は解消できない。

 ただ、走るしかなかった。

 

 ヴァーツラフの目的地はどうやらディアナが赤い服の男たちを閉じ込めた最初の部屋だったようだ。

 ディアナが追いついたとき、彼は縄を切ってドアを開けたところだった。


「あっ、待って…!」


 つい声が出たけど、ヴァーツラフに聞こえたかどうかも分からない。

 

 赤い服の男たちが解放されたらまたディアナはこの部屋に軟禁されるのだろうか。

 せめてフィリプを連れ戻して同じ部屋がいい。


 それか、もう殺されてしまうかもしれない。


 数で責められたら、もう足止めもできない。


 礼拝堂にフィリプを寝かせていることはもうバレている。

 それであればせめて、フィリプの隣で限界まで彼を守ろう。


 ディアナは踵を返して元きた廊下を歩き始めた。


 そして、数歩進んだところでヴァーツラフの怒号が聞こえてきた。


「どうしたんだ、君たち!? しっかりしろ!」


 焦った様子の声にディアナの心は、はっと期待に満ちた。

 礼拝堂に戻るのを中止し、身を隠しながらヴァーツラフの様子を見に進む。


 壁沿いを歩きながらドアから半身だけ覗かせて、ディアナが封鎖した部屋の中の様子を見た。


 赤い服の男が5人、両手を上に挙げて部屋の壁際に並んでいる。

 ヴァーツラフはその男のうちの一人の胸ぐらを掴んで揺さぶっているが、誰も何も反応を示さない。

 わずかな明かりで彼らが瞬きをしているのがわかった。


 意思のない人形のような様子にディアナはゾッとした。


 しかし同時にイヴァンが言っていた、ヴァーツラフ一派の戦意を喪失させる催眠魔法が成功したことを悟った。


 よかった。

 

 ディアナはほっとしてつい力が抜けて、その場にへたり込んでしまう。

 その音でヴァーツラフがディアナに気づいた。


 焦りでぎらぎらと光る眼光に怯んだけれど、ディアナが何かを言ったり動いたりするより先に、ヴァーツラフはハッと息を呑んだ。


「……そういうことかっ!!」


 途端にヴァーツラフは赤い服の男を放り投げるように手を離し、駆け出した。

 ディアナは慌ててすぐ横を通り抜けようとするヴァーツラフの足を掴む。


 するとヴァーツラフは懐から取り出した拳銃で躊躇いなくディアナの足を撃った。


「…っ!!」


 至近距離なのに、命に関わる頭や胸を狙ってこなかったのは、ヴァーツラフの焦りによるものだろうか。


 ディアナは撃たれた衝撃でほんの一瞬意識が飛んだ。

 つい手を離してヴァーツラフを逃してしまう。


 ヴァーツラフが何に気づいたのかは分からない。

 けれどヴァーツラフが走っていった方向は時計塔がある方だった。


 ディアナは、ヴァーツラフに撃たれた足を見る。

 

 幸い、撃ち抜かれたわけではなくてかすった程度だったようだ。右足の脛にしゅっと線のような傷ができていた。

 血もそれほど出てはいない。


 マジックツールを持っていてよかった。


 痛みは感じない。


 ディアナは、ハンカチで傷を覆うように縛って少しでも出血を抑える。

 

 立ち上がった瞬間少し眩暈はしたが、普通に歩けるし、走れそうだ。


 ディアナは開けられた扉をばんっと閉めて、ヴァーツラフが走っていった方へ走り出した。

 最初の角を曲がった後の行き先は分からなかったが、ディアナは時計塔に向かうことにした。

 ヴァーツラフがそこにいてもいなくても、イヴァンと合流しようと思った。


 時計塔への入り口の場所を思い出しながら市庁舎内を走った。

 建物内に時計塔の入り口はあったはずだ。


 市庁舎の一番奥、王宮だった頃から倉庫として使われているだろうエリアに、奥まった場所の割には綺麗な扉があった。


 きっとあそこだわ、と思ってディアナは扉を開けた。

 ぶわっと空気が流れるのを感じる。


 そのまま中に入るとやはり時計塔だった。

 

 吹き抜けになっていて、見上げると大きな振り子が揺れている。

 

 機構と文字盤がその上にあるはずだが暗闇の中では見えない。

 おそらくイヴァンは時計機構のあたりにいるはずだ。


 壁沿いにぐるぐると階段があって、これを上るのかと思ったら気が遠くなった。

 けれども、姿は見えないが、誰かが階段を駆け上っている足音が聞こえる。


 ヴァーツラフだろう。


 ディアナは、よし、と気合を入れて階段を上り始めた。

 

 階段を上がりながら、少しずつ、少しずつ、視界が狭くなってきているのを感じる。

 体が重く、ぐわんぐわんするような耳鳴りもする。


 マジックツールはただの催眠魔法で、ディアナの体に回った聖気を取り除いてくれるわけではない。

 催眠魔法で誤魔化し切れないくらいまで、ディアナの体が限界に近いということだろう。


 それがわかっていてもディアナは足を止めなかった。


 ヴァーツラフの野望を、なんとしても止めたかった。

 ディアナの家族を奪ったあの男の野望が潰えるところをこの目で見届けたい。


 階段を上がったせいでの息切れか、聖気に魅了されての息切れか。

 またしてもぜひゅーぜひゅーという自分の呼吸音を鬱陶しく思いながら、階段をのぼりつづける。


 大きな振り子の横で、手すりもない階段を上る。


 振り子が動くたびに体が揺れるような気もするけれど怖いと感じる余裕はディアナにはなかった。


 果てしなく思えた時計塔の階段も、どうにか終わりそうだ。


 息切れしながら必死に上るディアナと、がんがんと激しい靴音を立てながら駆け上がっていくヴァーツラフとではとっくに差が開いていてヴァーツラフはもう最上階に到着してしまっただろう。


 イヴァンは大丈夫だろうか。


 耳鳴りがひどくて、周りの音が聞こえづらくて、様子がわからない。

 

 頭が痛い。

 

 目がまわる。


 振り子の上の機構室にはきちんと床があった。


 歯車やシャフト、ロッドが複雑に噛み合った機構の中を通り抜けてさらに上に行くための階段を見つけてまた上る。

 

 文字盤の裏にたどり着いたとき、ディアナはついに膝をついた。

 

 視界がちかちかするようなまわるような。


 膝をついて動いてないはずなのに、体が回っているような感覚になる。


 脂汗が額から手の甲に落ちた。

 そのわずかな感覚を手繰り寄せるようにしてなんとか意識を保つ。


 イヴァンはどこだ。

 ヴァーツラフは。


「…っディアナ!こんなところまで来たのか!?」


 突然イヴァンの声がした。

 遠いのか近いのかもよくわからない。


「さ、さく、せんは」


 舌が痺れてうまく言えなかったが、それだけでイヴァンは言いたいことを汲み取ってくれた。


「成功した。だが今はヴァーツラフが…っ!」


 ぱぁん、と発砲音がした。

 

 すぐ近く、かもしれない。


「ぐっ…」


 小さく呻くようなイヴァンの声。


「う、うたれたんですか!?」


「…ああ、足をね」


 驚きで少し苦しみが和らぐ。

 目をこらすと、すぐ隣にイヴァンがいた。

 火薬のような匂いもする。わずかに血の匂いも。


「レオポルト!」


 ヴァーツラフの絶叫が聞こえた。

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