レオポルトとヴァーツラフ
「ヴァーツラフ、話をしよう。
俺が催眠魔法を発動させてから、もう20分は経っている。
あなたの手下はもう拘束されているだろう」
レオポルトは立ちあがろうとして、わずかに呻いてうずくまった。
ヴァーツラフは数歩先からこちらに拳銃を向けている。
暗くてその表情はよく見えない。
「そうであるなら、私はお前をここで殺す。
お前らのようなただの人間が王として振る舞うなど、国に対する冒涜だ。
国を守る国王として、私はお前を殺さねばならない」
イヴァンがごくりと喉を鳴らしたのがわかった。
両手を挙げて敵意がないのを見せていても相手はあの態度。
それでも、ヴァーツラフの方も余裕を失っているようで、声が震えているのがわかった。
「そちらがその気でも、俺はあなたを殺しはしない。あなたを裁判にかけなければならない」
イヴァンは膝をついたままじっとヴァーツラフを見据えて言う。
血の匂いが濃くなった。
暗闇でディアナが目を凝らすとイヴァンのズボンは裂けていて、そこから血が流れているのが見えた。
「…王太子が、反逆者を殺さずに、裁判だと?
やはり滑稽だな」
ヴァーツラフは鼻で笑った。
「この国の憲法は、たとえ王太子であろうと、独断で犯罪者を殺害することを認めていない。
だから、俺はあなたを絶対に生きて捕らえねばならない」
イヴァンのそれは、自分に言い聞かせる様な言い方だった。
近い距離で銃を向けられていて、相手はこちらを殺すつもりで、こちらは相手を生きて捕えるつもりでいる。
それにこちらは負傷している。
状況の苦しさにディアナは歯軋りをした。
「ヴァーツラフ、俺は旧王朝時代の繁栄の上に今があることをよく分かっているつもりだ。だからこそ、より永きにわたってこの国を守るために」
イヴァンの言葉は、一発の銃声でかき消された。
ヴァーツラフが撃った。
幸い銃弾はイヴァンにもディアナにも当たらなかった。
ヴァーツラフは舌打ちをして再び銃を構える。
「次は外さない」
銃声の衝撃で耳がぐわんぐわんする中でも、ヴァーツラフの低い声は聞き取れた。
イヴァンが、立ち上がろうとして膝をつく。
それでも、片手を後ろに向けて伸ばし、ディアナを庇う様子を見せながら、
「身を隠せ」
と小さく言った。
ディアナは自身の手にあるマジックツールを伸ばされたイヴァンの手に握らせる。
「ん……?」
なんの説明もなく握らされた金属の小物にイヴァンは一瞬戸惑った様子だったが、すぐにその効果を実感したのだろう。
すっと立ち上がって、ありがとう、と言った。
ディアナはもうその場から動けなかった。
苦痛を催眠魔法で誤魔化していただけで、聖気による魅了も、ヴァーツラフに蹴られた怪我も、なくなってはいない。
「お前のことはずっと見てきていた。
あの忌まわしき離宮にいた頃からお祖父様や父上に言われてな」
「そうか。俺はあなたをよく知らない。
ぜひ話を聞きたいものだ」
睨み合いながら距離を詰める二人。
それでもイヴァンが徐々にディアナから距離を取ろうとしているのが分かる。
口の中に血の味を感じながらディアナは自分の無力を嘆いた。
「それにしても、あなたのお父上から聞くあなたは、素直で真面目な少年だった。今はそうは見えないな」
イヴァンの声には長いこと会っていなかった幼馴染に対するような気楽さがある。
ヴァーツラフの声は硬いまま、それでも少しだけ戸惑いが滲んだ。
「…私の父上がお前にそんな話を?」
「ああ。
そうか、離宮を出てもう長いあなたは知らないのか」
今まで気づかなかったというように、イヴァンの声から肩の力が抜けたような、気の抜けた響きが滲んだ。
「あなたのお父上は、今では私たちと友好的な関係を築いている」
「なんだと?」
「お父上は私たちパストルニャーク朝のあり方を認め、最近では哲学に取り組んでおられる。
あなたのお祖父様も、晩年は同じように認めてくださっていた」
ヴァーツラフが鼻で笑う。
「あのお祖父様と父上が?そんなわけないだろう」
「…あなたが離宮を抜け出した頃までしか彼らを知らないのであればそう思うのも無理はない」
少し寂しそうな、残念そうな様子のイヴァン。
ディアナは動けるようになろうとしてとにかく起きあがろうとしていた。
腕の力で上半身を支えようとしても目が回って、起きていられない。
ヴァーツラフを止めないといけない。
その一心で、ディアナは意識を保っていた。
「…戯言だろう」
そう言って否定するヴァーツラフ。
でもその言葉が出るまでに、少しだけ間があった。
「あなたが、あの赤い服を着た男たちに唆されて、いや、半ば騙されるようにして離宮を出たことがよほど堪えた、と言っていた。
お祖父様にとっては唯一の孫。最期まであなたに会いたがっていたよ」
ヴァーツラフが、何かを呟いた。
振り子が風を切る音や歯車が動く音で何を言ったのかは聞き取れない。
しかし、その様子に、怒りや憎しみのようなものは感じられなかった。
ディアナは、どうしても起き上がれずに、ただ視線だけは外すまいと二人を目で追う。
「お父上は今も離宮で暮らしている。先日お会いしたときには、『ヴァーツラフは本当の王にはなれない。家族の元を離れては、愛を知ることもできないのに』と」
「何をっ…!」
ヴァーツラフが一発銃を撃った。
その弾は見当違いの方向へと逸れる。
そしてもう一発銃声が響く。
「ぐっ…!?」
イヴァンの撃った弾がヴァーツラフの肩を撃ち、腕がだらりと垂れ下がる。
拳銃が床に落ちて、金属音が響く。
「お父上はヴァーツラフに会いたがっている。
ヴァーツラフ、どうかここで終わりにしてくれないか」
イヴァンは狙いを定めた体勢を変えないまま、ヴァーツラフに訴える。
ごうん、ごうん、と振り子の振れる音が響く。
二人が睨み合うのをディアナはじっと見つめていた。
「ふっ、はは…。父上がそんなことを?ふざけるな」
ヴァーツラフの口からは空虚な笑い声が漏れ出た。
撃たれた肩から流れる血を反対の手で抑えている。
「ふざけるなよ…。
私が本当の王になれないだと!父上が、お祖父様が、私を、私こそを王にと、あれほど…!」
ヴァーツラフがついに膝をついた。
これはもしかしたら、希望が見えたかもしれない。
「それなら、それなら私は一体何のために…!」
イヴァンは銃を下げ、ヴァーツラフに一歩近づいた。
「ヴァーツラフ、あなたの父上にも会わせる。そして思いの丈をぶつけるといい。
もうすぐ、軍も到着するだろう。
だから、拘束されてくれ」
イヴァンはヴァーツラフに目線を合わせるように膝をついた。
そして。
「はっ、拘束だと。されるものか。
王は、法の裁きなど受けない。王権は神より与えられしもの。法など、王が定めるものだ」
ヴァーツラフはゆらりと亡霊のように立ち上がる。
血がぽたり、ぽたりと腕をつたって床に落ちる。
「……私こそが、王だ。王は神の裁きしか受けない」
ヴァーツラフは、イヴァンの手にあったマジックツールを蹴飛ばし、時計塔の文字盤に駆け寄った。
「…おい、まさか…!?やめろ、ヴァーツラフ!」
イヴァンがそう叫んでヴァーツラフを追おうとするも、先に撃たれた足のせいで立ち上がれなかった。
ヴァーツラフは、文字盤の点検の開口部から外へと身を乗り出した。
「……ディディ!」
起き上がれないまま、首だけ起こして叫んだ。
ヴァーツラフはちらりとディアナの方をみてにやりと笑った。
「あんたの作る料理はなかなか美味かったよ、ディアナさん」
そう言ってヴァーツラフは、真夜中の空へと飛んだ。
イヴァンが足を引き摺りながら開口部へとにじり寄って、下を覗き、目を閉じて首を横に振った。
「…そんな」
夜空をバックに見たあの赤毛は、この数年共に暮らしていたヴラディーミルだった。
ディアナはまた家族を喪い、呆然として、ついに意識を手放した。




