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ヴァーツラフの弁明2

 冷たい床の上でヴァーツラフの革靴が立てる音を聞いていた。


 フィリプのもとには絶対に行かせたくない。


 だってフィリプは自白剤で気を失って動けずにいるのだ。

 ヴァーツラフがもし彼を見つけたら何をするかわからない。


 フィリプは今身を守る手段を取れないのに。


 彼の元に置いてきたグスタフの時計だけが頼りだった。

 

 フィリプ様を守って。おねがい。


 ディアナは願った。

 少し口にも出していたかもしれない。

 意識を手放すまいと必死になっている中では心の中での祈りか、口に出した願いか、そんなことは些事だった。


 ヴァーツラフの足音が聞こえなくなり、伸ばした自分の指の先も見えない。


 ディアナは、危うく意識を手放すところだった。


 かちゃんという音とともに、指先に何か金属製の小さなものが当たったのを感じてほんの少し意識を取り戻したのだ。


 さっきヴァーツラフが懐から出そうとしていたマジックツールだろうか。


 ディアナの動かない手を誰かの手が包むように上から覆って、その金属製の何かを握らせた。


「このボタンを押せ。一時的だが楽になるらしい。」


 低い男の声。


 その手はディアナに金属製のマジックツールのボタンを触らせた。

 腕時計の竜頭のような感触のボタン。


 必死に目を開けて誰がそこにいるのかをみようとする。


 敵か味方か。


 ぼんやりとした視界で、金色のきらめきが目に入った。

 ヴァーツラフのマジックツールだ。

 そのきらめきはディアナが幼い頃から慣れ親しんだ、時計工房ノヴァークの懐中時計とよく似ていた。


 真鍮でできたマジックツールだ。


 それから、すぐそばに見慣れた作業靴を履いた足があるのだけが見えた。

 ディアナのそばに傅くようにその男はいる。


「早く。押せ」


 グスタフによく似た低くてぶっきらぼうな声。

 

 ディアナは、言われた通り、必死に力を振り絞ってボタンを押す。

 かちっと音が鳴ってしっかり押せたのがわかった。


「あ…」


 声が出た。


 ボタンを押すと、嘘みたいに呼吸が楽になった。

 視界が明瞭になり、体の痛みも痙攣もなくなった。


 何が起きたのか分からず、床の上に倒れた体勢のままボタンから手を離す。


 するとまたさっきと同じように、息苦しくて、ぼんやりした視界で、全身が痛くて痙攣する状態になった。


 仕組みはわからないが、このマジックツールはボタンを押している間は体を楽にしてくれるみたいだ。


 ディアナは、もう一度ボタンを押す。今度は押し続けた。

 体が動く。

 ゆっくり起き上がって、さっき作業靴の男がいた方に視線を向けた。


 誰もいない。


 後ろからふわっと両肩に手を乗せられたような感覚。


「急げ。あの男、礼拝堂に向かっているぞ」


 グスタフの声だった。

 後ろを振り返っても誰もいない。


 何が何だかわからない。

 

 でも今は、礼拝堂に向かわないと。


 ディアナは、立ち上がって歩き始めた。

 先ほどまでの苦しさが嘘のように普段通りだ。

 でもボタンを離すとまた苦しくなるということを踏まえると、催眠魔法を発動させるマジックツールなのかもしれない。


 とにかく急ごう。


 ディアナは、礼拝堂に向かって走った。


♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎


 礼拝堂の前の廊下にたどり着くと、軍服姿のヴァーツラフがそこに立っていた。

 礼拝堂の扉に手をかけ開けようとしているところだった。


「ヴァーツラフ!」


 ディアナが叫ぶと、ヴァーツラフは振り向いてぎょっとした。

 それでもすぐに平静を装う。


「早かったな。

でもあんたがここに来たということは、やはりフィリプ・ペトラーチェクはここにいるんだな」


 ディアナは、唾を飲んだ。


 幸い、ヴァーツラフは手下の兵たちの解放を後回しにしたようで、ディアナが封鎖した部屋はどこも開いていない様子だった。


 それにもう30分はすぎた。

 そろそろイヴァンの作業が終わる頃だろう。そうであってほしい。


 ヴァーツラフをとにかくここに引きつけておかないといけない。

 5分か10分でも……。


「あなたがここに来ると思ったから来たまでよ。

それより、さっきの話の続きをしてよ」


 扉を開けてそのまま中に入られたら、フィリプが危ない。

 どうにかヴァーツラフを扉から引き離せないだろうか、と考えながらディアナは言葉を投げかける。


「ルドルフが聖気で死んだところまでは話したんだったか?

その先を話したらあんたは俺に協力するのか?」


 挑発的に顎を上げるヴァーツラフにディアナはよく考えて答えないといけない、と思った。

 けれども、それより先に生理的な嫌悪感で鳥肌がたった。


「そんなわけないでしょ!」


「だろうな。交渉決裂だ」


 ヴァーツラフは両開きの扉を開けて礼拝堂の中に入った。

 慌ててディアナはその後を追う。


 しくじった。


 礼拝堂の真ん中の通路を歩いて祭壇まで向かって行くヴァーツラフにディアナは追い縋った。


「待って、ねえ、ヴァーツラフ!

私、フィリプ様から、王太子殿下について聞いたわ!それを話す、話すから、フィリプ様には何もしないで!」


 ヴァーツラフは足を止めて、追い縋るディアナをちらっと見る。

 ディアナはヴァーツラフの瞳を見つめた。


 ただの色のついたガラスのような瞳。


 感情が読み取れなくて、背筋が粟立つような感覚になる。


「…本当だろうな?」


「少なくとも私が聞いた話は正直に話すわ。

でも代わりに、父のこととグスタフのことも話して」


「それならあんたからだ。

あんたが本当のことを言っていると判断したら、私はその二人のことを話すし、フィリプ・ペトラーチェクに手を出さない」


 マジックツールを握りしめた左手に一層力がこもった。

 

 より長く時間を稼ぐにはどう答えたらいい?


 少し視線を落として逡巡する。


「だめ。

あなたが先。父のこととグスタフのことを話してくれたら、私が話す。

もし私が嘘をついても、あなたにはフィリプ様の身の安全って切り札があるじゃない。

それにフィリプ様のところへ向かっても、今気絶してるから話は聞けないわよ」


 ディアナはそう言って唇を引き結んだ。


 これ以上は話さない。

 その意思表示にヴァーツラフは眉を顰める。


「…仕方がない。

それなら、あんたの父親の話からだ」


 はーっというため息とともにディアナの手を払うヴァーツラフ。


 ディアナは素直に手を引いた。


「ロベルトは優秀な職人だった。

だから教団は立場を隠してある注文をした」


「注文?」


「マジックツールだ。

こちらで指定した魔法陣を懐中時計サイズの真鍮に彫り込み、ボタンを押すと魔法が発動するようにして欲しいという内容だった。

それだ、今あんたが持っているそれ」


 ヴァーツラフはディアナが胸元で握りしめていたマジックツールを指差した。


「…これ、お父さんが作ったの?」


「ああ。まあ別に、グスタフでも良かったが、そのとき手が空いていたのがロベルトだった。

ロベルトは、時計職人に時計以外のものを作らせるとはと愚痴を言ってはいたが、仕事をやり遂げた。

見事だったよ。催眠魔法と、転移魔法…」


 ヴァーツラフは言いかけて首を横に振った。


「詳細は置いておこう。これは、そもそも彼らが私に持たせるために作らせたんだ。護身用に使うものでね。

とにかくあんたの父親は仕事をやり遂げた。教団はロベルトの仕事を気に入ったので、いくつかマジックツールを発注しようとした。


しかしあんたの父親はそれを怪しんだ。

教団は慈善団体として公には存在している。慈善団体がなぜ独自のマジックツールを作らせるのか、報酬は高額だがどこから金が出ているのか。

当時工房長だったグスタフに相談したロベルトは、教団の仕事を受けるのを辞めることにした。


しかし、ロベルトは口のかたい男ではあったが、念には念を入れて口を封じた。

あの工房にはフィリプもよく出入りしていたからな。王室に話が行かないとも限らない。

怪しい慈善団体がいるという情報が出回りでもしたら私たちの計画は台無しになる。


工具を入れた箱に細工をして落ちやすいようにしておいたんだ。本当にそれだけだ」


 依然としてヴァーツラフの様子は泰然としており、反省も後悔も何も感じられない。


 ディアナは、こんなもののせいで父の命が奪われたと思って手の中にあるマジックツールを床に投げつけたくなった。

 でも同時にそれは父の作ったものだ。ヴァーツラフに返してなるものか、とぎゅっと握り込んだ。


「……そういうことだったのね。それで、グスタフは?セリヴォーンで殺したんでしょ」


 声が震えてもとにかく冷静に。


 ディアナが言ったセリヴォーンという地名にヴァーツラフはわずかに目を見開いた。


「そうだ。

グスタフは、自身の父親が亡くなる前から聖気耐性喪失症について調べていた。

私がすり替えた薬が何かおかしいと思ったらしく、グスタフはあの小瓶を持ってセリヴォーンへ向かった。


私がそれを知ったのは、グスタフが出かけた後だった。

セリヴォーンにいる手下から連絡が来てな。グスタフがセリヴォーンに来ていると。

念のため確認したら、あの小瓶がなくなっていた。


聖気の固体だと気づかれた可能性があった。

気づかれても構わなかったが、それならそれで私の計画への協力を得なければならない。


だから、まずはグスタフと話しに行こうと思った。

話が通じればそれでいいし、だめなら排除する。


だが私の犯行だと知られるわけにはいかないからな。

寝台列車を予約して、列車の中で死んだことにするつもりだった。


急いでセリヴォーンとビルスレビヴに転移魔法陣を設置させ、準備を進めた。

それから私はビルスレビヴへ行き、グスタフのふりをして列車に乗った。

列車の個室内で転移魔法を使ってセリヴォーンへ移動し、グスタフの前に現れた。


王都にいるはずのヴラディーミルが突然現れたんだから、当然驚いていたよ。

そこでまず聞いた。

何を知っているのか、どこまで調べたのか。

しかしあの男は口を割らなかった。


だから正体を明かして、マジックツールの製造に協力するように言った。

あの男の腕なら役に立つと思ってな。


だがグスタフは断った。

それどころか、ディアナには手を出すなと言った。


だから排除した。

聖気の丸薬を飲ませたんだ。量は多めだったからすぐに息が止まった。

そのあと遺体を抱えて列車に戻り、車内で死んだことに見えるよう細工をした。


だがひとつ誤算があった。


グスタフはライターを持っていると思っていたが、あれはセリヴォーンの聖門に預けてあったらしくてな。

仕方がないから私が持っていた同じ型のライターを置いた。

故障しているように思い込ませる催眠魔法を仕込んでな。


それからもう一度セリヴォーンへ戻った。

グスタフが何をしていたのかを調べたかったが、あまり長く王都を離れているわけにもいかない。ヴラディーミルが突然いなくなれば怪しまれるからな。


だからグスタフが泊まっていた大司教館で夜を明かし、日の出とともにセリヴォーンを出た。聖門でグスタフが預けていたライターを受け取り、王都へ転移した。


それでまた何事もなかったようにヴラディーミルとして生活を続けた。

それが、グスタフを殺した流れだ」


 ヴァーツラフは、話しながら長椅子に腰掛け、長い手足をぶらつかせていた。

 彼にとっては話している内容なんて大したことがないとでもいうように。


 ディアナが探偵ごっこの末にたてていた仮説は概ね当たっていた。

 犯人がこれほど身近にいたということ以外。


「…気になることが二つあるわ」


 ディアナは2本指を立てた。


「あなたはさっき、王都にいる限り催眠魔法は突破できないって言ってたわよね?

セリヴォーンに行ったとき、グスタフはあなたをディディだと思っていたの?」


「私がヴラディーミルとして会いに行ったからな。

口調や仕草をヴラディーミルのままにして会ったら、違和感を抱いたとしても、多くの人間は催眠魔法を突破できない。

この顔に見覚えがある上に、口調や仕草もヴラディーミルなのだから」


 ディアナは、そう、と呟いて唇を噛む。


「二つ目の質問。あなたはどうしてそのすべてを自分でやったの?

あの赤い服を着た彼ら、あなたが教団と呼ぶ彼らがいればあなたが自分で手を汚す必要はなかったんじゃないの?」


「神の計画を遂行するのは基本的に私であるべきだ。教団は人数や財産によって私を助ける存在にすぎない。

それに、神の身許へは私が直々に送る方が彼らにとっても良いことだったろう」


 ディアナは、ずっと信頼していた弟のような存在であるヴラディーミルに殺されたグスタフの思いを想像した。


 息を引き取るその瞬間には本物のヴラディーミルではないことを知っていただろうが、それでも、5年一緒に働いていたのだ。

 

 なんてことだ。


 しかもヴァーツラフに正体を明かされて、自分の身の危険を感じたら『ディアナには手を出すな』なんて言ったという。


 ディアナは、自分の頬を涙が伝うのを感じた。


 そんな、かっこつけている余裕があるなら、なんとしても生き延びて時計工房に帰ってきてほしかった。

 

 さっき、ディアナにマジックツールを握らせたのはグスタフだったのだろう。

 死んでから、そばに来てくれたって仕方がないのに、どうしてあの無愛想な男はそれが分からなかったんだろう。


 グスタフが亡くなってから、彼を思って泣いたのはこれが初めてだった。

 マジックツールのボタンをしっかり押しているのに苦しくて仕方ない。


 礼拝堂の床にうずくまって声も出せずに泣く。

 マジックツールを握らせたときみたいに、現れてほしかった。

 何勝手に死んでるのよ、馬鹿、と言ってやりたかった。


 それでもさっき見えた作業靴も、手を握った感触も二度とは感じられず、代わりに聞こえてきたのは、グスタフを殺した男の冷たい声だった。


「私は話した。

次はあんただ、ディアナさん。レオポルトはどこだ」


 うずくまるディアナに上から問いかけてくる。


 そうだ。


 ディアナはフィリプを守らなければならない。


 手のひらで雑に頬の涙を拭いながら起き上がった。


「ええ、悪いけど、具体的な場所は知らない。

フィリプ様からは、王太子殿下が王都の民を見捨てて王都を出るわけがない、と聞いたわ。

それに、偽の聖杖を14本、準備しているって。だから王都内から、本物も合わせて15本の聖杖が発見されるはずだって」


 ディアナはヴァーツラフを真正面から見つめた。


「なるほどな。

それでレオポルトは時間を稼いで、何をしようとしているんだ?」


「さあ、そこまでは…。

何しろフィリプ様が殿下に会ったのは昨日だから、まだそこまで作戦は考えられていなかったんじゃないかしら」


 ヴァーツラフが信じたのかどうかは分からない。

 しかし彼の様子をじっと見ていると、ディアナを見て、それから祭壇の方へ目を向け、もう一度ディアナを見た。


 永遠にも感じられるほどの長い沈黙の後、ヴァーツラフは、そうか、と言って立ち上がった。


「一旦信じよう、善良なる市民ディアナ。

フィリプ・ペトラーチェクには手を出さない」


 こんな男の言うことに安心を感じるのも悔しくてたまらないが、それでもディアナは安心した。


「…ええ。私は嘘をついていないもの」


 ディアナはそう言って念を押す。


 ヴァーツラフは、機嫌良さげに礼拝堂を後にした。

 どこに向かったのか、一応追った方がいいだろう。


 そう思いつつも、ディアナはフィリプの様子を確認したくてたまらなかった。

 ヴァーツラフが礼拝堂から出て行ったのを確認してからフィリプの元へ走る。


 ここに残した時と同じ、青白い顔で気を失った状態のフィリプ。

 唇の端にディアナが残した口紅もそのままだ。


「グスタフ、馬鹿だなんて思ってごめんね。もう一回、どうかフィリプ様を守ってね」


 懐中時計に念を込め、フィリプの額にキスをしてからディアナは立ち上がって礼拝堂を後にした。

 ディアナが礼拝堂を出たとき、廊下で角を曲がるヴァーツラフが見えた。


 願いが通じたから、グスタフはディアナにマジックツールを握らせたのだろう。

 フィリプを守りたいというディアナの願いに応えるために。


 ディアナはヴァーツラフを追って走りながら、グスタフがあの無愛想な顔で気絶しているフィリプの横に座って守っているのを想像して少しだけ笑えた。

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