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ディアナ、頑張る。

 窓ガラスが割られ、ディアナは息を吸い込んだ。


「きゃあーーーーっ!!」


 できる限りの大声で叫ぶ。

 叫びながら淡々とランプも上から落として割って室内を暗闇にした。


「誰かーーっ!!誰か、来てーーっ!!」


 二、三人が廊下を走ってくる足音が聞こえて、しめしめと思っているとすぐにドアが外側から開く。


「何があった!?」


 赤い服を着た男が2人顔を覗かせた。


「誰かがっ、誰かが窓から入ってきてっ…!!」


 ディアナは極力怖がっている可哀想なご婦人に見えるように、叫んだ。


 もちろん叫んでいる内容は嘘である。


 そもそも破られた窓は、人間が通れるような大きさではない。


「何っ!?それで、そいつはっ!?」


 男が二人ともずかずかと部屋に入ってきて窓を覗く。


「く、暗くて、こわくてぇ、よくわからないんですけど、たぶん煙突に、煙突の中に入っていたとおもいますっ…!!」


 外から窓を割って侵入した人間が、そのまま煙突の中に入っていくというのもなかなか奇妙だが、この際それはどうでもいい。


 男二人は煙突を覗き込んだ。

 真っ暗で何も見えないぞ、と言いながら確認作業をしている。


 ディアナの悲鳴を聞いて集まってきた赤い服の男が3人、ドアの外から覗いてきていた。


「でも、本当なんですっ…!背の高い、男の人が突然窓を割って!」


「何っ、レオポルトかっ!」


 扉の前にいた男たちも皆部屋に入ってきて、窓の周りや煙突の周りを調べ始めた。


 背の高い男の人というだけで、王太子レオポルトだと思い込んでくれて、ディアナは大変助かった。


「こっ、こんな怖い部屋には私もういられません…っ!

夫と一緒に他の部屋へ移るわっ…!!」


 フィリプが横たわるカウチソファを押して、部屋の外に出た。


 一応言い訳めいたことを言いながら、怪しまれないようにそっと。

 けれども男たちはディアナの動きを気にも止めず、煙突や窓辺を嗅ぎ回って王太子の行方の手がかりを探していた。


 ラッキーと思いながらディアナはドアを外側から閉める。

 フィリプの腕を縛っていた縄と、部屋の中で発掘した南京錠を使って急いでドアを封鎖した。


「おっ、おいっ!何をしているっ!?」


「あ、くそっ開かないっ!おい、女、開けろっ!」


 閉じ込められたことに気づいた男たちが、口々にそう言ってディアナを罵る。


 心を無にしてその罵倒を聞きながら、ディアナは神の印である三角形のマークを、ドアがそれを割るような形ででかでかと書いた。

 ドアの内側にも同じものを書いてある。


「くそっこんなドア魔法で燃やすなりなんなりして女を捕えろっ!」


「しかし、このドアには神の印が描かれていますっ!

ドアを開けたら、その印を我らの手で破ることになってしまう…!」


「そんなこと我らにできるわけがない…!卑怯だぞペトラーチェクの女ぁっ!」


 ディアナは、イヴァンの読みに感心した。


 過激派ではあっても彼らは敬虔な国教徒。

 神の印を割るようなことは絶対にできないはずだから、開けられたくないドアにはペンキで三角形を描くようにイヴァンが言ったのだ。


 だから卑怯なのはディアナではない。

 イヴァンなのだ。


 ディアナは、喚く赤い服の男たちをふふんと鼻で笑いながら、移動を始めた。


 これで5人、足止めできた。


 フィリプの横たわるカウチソファには小部屋の中で発掘した小さな車輪を取り付けて、ディアナにも移動しやすくしている。

 

 ドアに三角形を書いたペンキも物置と化していた小部屋で発掘したのだ。

 古くなって固まっていたが、イヴァンが魔法で使える状態に戻してくれた。

 一時的なものらしいが、十分使えた。


 ディアナは、カウチソファを押しながら一生懸命走った。

 大した距離ではないが、フィリプが乗ったソファはなかなか重いし、車輪は仮でつけたものだから不安定で進みづらい。

 赤い服の男がいつ出てくるかもわからない中で走ったので、次の目的地に着く頃にはディアナは息が上がっていた。


 たどり着いたのは市庁舎内にある礼拝堂だ。

 王宮として使われていた頃、王家の私的な礼拝の際に使われていた場所だった。

 その一番奥の祭壇の裏にディアナはフィリプを乗せたカウチソファを置いた。


 イヴァン曰く、赤い服の男たちは礼拝堂には入ってこない。

 彼らにとっては聖域に近い場所であり、無闇には立ち入らないだろう、とのことだった。

 

 中でも祭壇の裏は、礼拝堂に入ったとしても祭壇まで来ない限り見えない位置だ。

 

 イヴァンが時計塔で作業をする間、フィリプにはここで寝ていてもらうことにしたのだ。


 発案したのはイヴァンだが、ディアナもこの案に賛成だった。

 意識のないフィリプを1人にしてしまう不安はあるものの、ディアナが負荷なく動き回る方ができることも増える。

 

 先ほどの喧騒が嘘のように静かな礼拝堂で、フィリプを寝かせた横に膝をついた。


 月明かりがよく入る。

 顔色は悪いまま、瞼や指先は痙攣しているフィリプ。

 心配だけど、フィリプを助けるためにもすぐに行かなきゃいけない。


 ディアナは、自分の首に下げていた懐中時計を外してフィリプの胸の上に置いた。


 グスタフが加工したという、フィリプの懐中時計。

 フィリプはディアナに『持っていて』と言ったけれど、ディアナはフィリプに持っていて欲しい。


 約束を破ってごめんね、とディアナは囁いた。

 

 フィリプの手を取って、懐中時計の上に重ねる。その上から口付けをした。


「グスタフ、どうか、フィリプを守って」


 フィリプの手に、ディアナの口紅がうっすらうつった。

 それを見てディアナは、そうだ、と思いつく。


「…早く目を覚ましてね」


 意識のないフィリプの唇に自分の唇を、口紅の色がうつったかな、と思えるまで重ね合わせていた。

 顔を離し、口紅が少しだけうつったフィリプの唇の端に一瞬指を置く。

 

「またあとでね」


 自分から夫にキスしといて照れているなんて、キスしたこと自体よりもバカみたいで恥ずかしい。


 照れて真っ赤になっている顔も、愛おしさで泣きそうに歪んだ顔も、誰にも見られないように、ディアナはすぐに切り替えて礼拝堂を飛び出した。


 ディアナは市庁舎内にある鐘という鐘を鳴らして回った。


 中庭にある小さな警鐘に始まり、礼拝の始まりを告げる礼拝堂上の小さな塔にある鐘、壁や外壁に残された呼び出し用の小さなベルすべて。

 

 一度鳴らした鐘やベルが鳴り続けるように重しをつけたり、できる限り弾みをつけて鳴らしたりしたもんだから、真夜中とは思えない騒々しさになった。


 ごぉ〜〜ん、ごぉ〜ん、ごぉん、


 かぁん、かああん、かあん、


 じりりりりりりりりり、


 じぃいいいりりりりぃいいい、


 ごぉ〜ん、かぁん、じりぃりじぃりりい、


 うるさすぎてディアナは思わず顔を顰めながら走った。


 うるさければうるさいほど成功だ。

 もし、イヴァンのいる時計塔で大きな作業音がしたり、鐘が鳴ったりしても市庁舎内の人間には聞こえない。

 それにこの音を誰が出したのか躍起になって彼らは探すだろうし、探すのにも足音や物音で探すというのが難しくなる。


 時間を稼ぐのにぴったりな作戦だ。

 

 難点は、自分の方も相手の足音が聞こえづらく、出会い頭に追っ手と衝突する可能性があることだ。


 そして、ディアナが地下倉庫に繋がる廊下近くを走っているときにその可能性が現実のものとなった。


「うおっ…!」


「きゃっ…!」


 寸前で衝突を回避し、赤い服の男が2人いるのを視認した。


 焦りよりも早く、イヴァンが立ててくれた計画を思い出す。

 ディアナは手の中に、粉になるまで砕いたチョークを詰めた粗い目の布の袋を持っていた。

 それを赤い服の男に向かって投げつける。


「うわっ!」


という声とともに、あたり一体が真っ白になった。


 物置となっていたあの部屋から発掘した白いチョークと布で煙幕もどきを作ったのだ。

 もわもわと白い粉が舞い、視界が遮られる。


 ディアナはその隙に手探りで地下倉庫への扉を開けて、下に向かう階段に小瓶を投げ落とす。

 ばりんっと鈍い音を立てて瓶が割れる。


 ディアナはチョークの煙幕が晴れるより前に、近くの柱の陰に身を隠した。


 心臓がばくばくいう。


 煙幕が晴れ始めると、赤い服の男たちは、咳をしながら、こっちだ!と地下倉庫に向かっていった。

 そして、


「うわーー!」


という悲鳴とともに、2人の人間が階段をごろごろと滑り落ちる音とその先にある棚にぶつかる音、棚からガラス瓶が落ちて割れる音が立て続けに響いた。


 柱の陰からそっと顔を出すと他に男がいる気配もなかったので、ディアナは急いで地下倉庫への扉を閉めた。

 近くにあった箒をドアの取手に通して封鎖し、中の様子にどきどきしながら耳をすませる。


「おい!扉が閉じられているぞっ!?」


「くそ、あの女の仕業か!?」


 男たちが叫ぶ声が聞こえてディアナはほっとした。


 ディアナが階段に投げつけた瓶には油が入っていた。

 暗い階段、急いでいる状況、それに滑りやすい油という条件で転ばない奴はいない。

 もし階段付近で赤い服の男に遭遇したら煙幕と油で時間を稼ぐといい、とイヴァンに提案された計画だが、ちょうどそこにあったのが地下倉庫だったからついでに閉じ込めてみたのだ。

 

 ただ、思っていたよりうまくいきすぎてしまったので、階段下に転がっていった男たちが死んでいないか不安になった。

 騒ぐ元気があるならよかった、と安心してディアナはその場を立ち去る。


 イヴァンと別れてからどれくらい経ったかしら、と時計を見ると、既に20分ほどが経過していた。


 そろそろいい頃だろう。


 ディアナは、時計塔から最も遠い厨房へと足を向けた。

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