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未亡人ディアナの療養生活2

 そして、ディアナが意識を取り戻してから一ヶ月と少しが過ぎた頃。


 短い時間であればディアナも自分で歩くことができるようになってきていた。

 この分なら、きっともうすぐ元の生活に戻れるわ、とディアナはひとり希望を抱いていた。


「はい、ディアナ。あーん」


 それでもまだ食事はフィリプに『あーん』で食べさせられている。

 恥ずかしくてディアナは首を横に振る。


「今日は、自分で食べるってば!

それにフィリプ様、お仕事忙しいでしょう!?

戻らなくていいの!?」


「うん、忙しい。だからディアナ、早く食べて?そうしたら僕も早く仕事に戻れるから。

知ってると思うけど僕は頑固だからね」


 しれっと言い返され、ディアナは閉口した。


「そうだぞ、ディアナ殿。

諦めて早く食べたほうがいい」


 なぜかランチの場にラウラが同席しているから、『あーん』されるのが一層恥ずかしいのに、当のラウラが真顔でそんなことを言ってくる。


「らっラウラ先生まで……」


 ディアナが恨みがましくフィリプを睨んでも、いつも通りの笑顔でスプーンを向けてくる。


 ディアナは諦めて、大人しく『あーん』されることにした。


 恥をしのんでスプーンを口に入れた。


 野菜スープだろう。

 食べやすい温かさまで冷まされている。


 そのまま二口、三口と口元に運ばれてくるので、渋々食べる。


「……ほら、だから言っただろう?」


 ディアナが黙って食べているのを見たラウラが難しい顔をしてフィリプに目線を送った。


「そうか……。

うん、そうか、気づかなかった……」

 

 フィリプは、呆然としているようで、気のない反応を示している。


 二人の言っていることの意味が分からなくて、ディアナは首を傾げた。


「何か、ありました?」


 ちらりと二人がアイコンタクトを取って、ラウラから話すことになったらしい。

 ラウラがディアナに向き直って口を開いた。


「ディアナ殿、君は味覚障害の疑いがある。

心当たりはないか?」


 ラウラに真剣な顔で言われて、ディアナは唇を噛んだ。

 返事に困ったのだ。


「その反応、自覚があったんだね」


 ラウラがふっと優しく目を細めた。

 

「そうなの、ディアナ……?」


 大型犬が甘えるような表情のフィリプに、ディアナは目を逸らして、ゆっくり頷いた。


「やはりそうか。いつからだ?」


「……少し前から、です」


「ディアナ殿、具体的に」


 ラウラにじっと見つめられて、ディアナは誤魔化しきれないと諦めた。


「……グスタフの葬儀が終わった翌日、からだと思います」


 フィリプが息を呑んだのがわかった。

 そしてラウラがすぐに、そうか、と呟く。


「それなら、聖気の影響ではなく、心因性のものだな」


 しんいんせい、がなにかディアナには分からなかったが、聖気の影響ではないことは確かだったので、恐る恐る頷いた。


「でもなんで、わかったんです……?」


 ラウラがふん、と鼻を鳴らして、先ほどディアナが食べさせられたスープを指差した。


「そのスープ、見た目と匂いは普通だが、これでもかと砂糖を入れている。およそ人間が食べられるものじゃない。

君が味覚障害になっているんじゃないかと疑って、見た目には分からない味付けをしたんだ」


 フィリプが、ぎゅっと目を瞑って、ごめんと言った。


「ディアナが隠しているみたいだったから、普通に聞いても誤魔化すだろうなって」


 全然分からなかった。

 ディアナは、まさかそんな風に試されているとは夢にも思わず、見た目と匂いで普通の野菜のスープだろうと思っていた。


「……最初のうちは自分でも気づいてなかったんです。味覚がおかしいって。

でもフィリプ様と再婚した頃から、何を食べても味がしなくって。

それまでは何を食べても甘いような、味がしないような、よく分からなかったんですけど」


 ついに自分のおかしさがバレたことにより、気が抜けて喋りたくなった。

 ラウラもフィリプも、優しい目で相槌を打ってくれる。


「グスタフが亡くなったと連絡を受けたときに食べていたジャムの味だけが口の中に残っていたんです。

でも気づいたら、ジャムの味も消えて……」


 フィリプと再婚してから見たことない食べ物を食べることも多かったが、よく喋るフィリプの反応を見て合わせていた。

 ラダイアやセリヴォーンでもヘレナの反応を見て合わせることが多かった。


 甘いお菓子や美味しい料理が、もともと大好きなディアナにとって、味を感じられないことは中々にストレスで、食事のたびにバレるんじゃないかと緊張していたのだ。

 

「……そうだったのか。

言ってくれれば、何か治療をしたのに」


 フィリプに優しく手を握られて、ディアナは唇を尖らせた。


「言えないわ。

だって、そんな面倒なハンデを持った女だって知られたくなかったし……。

それにいざとなったら、お料理や家事でフィリプ様のお役に立とうって思っていたから」


 味が分からない料理人など、要らないのは目に見えているのだ。

 

 ディアナが正直に言うとフィリプが眉を顰めてラウラの方を見た。


「信じられる、ラウラ先生?

僕がどれだけディアナのことを好きか、ディアナは全く分かっていないんだよ?

どう、ラウラ先生?ディアナの意識がない三ヶ月の間僕を見ていて」


 ラウラは、話題を振られて肩をすくめた。


「お熱いことで」


 フィリプは、はーっとため息をついた。


「とにかくディアナ、味覚障害についてもきちんと治療しよう」


「そうだな。私は専門外だから、誰か別の精神科医に頼むといい」


「探してみるよ。

……ディアナ、どうかした?浮かない顔してるね?」


 フィリプがディアナの頬に手を添えてくる。


「あ、いえ、なんでもない、なんでもないの。

治療、受けるわ……」


 そこまで言ったら、自分でも驚くほど堰を切ったように涙が止まらなくなった。

 嗚咽も止まらなくて、ひどい顔になっている気がした。


 なんでもないわ、と重ねて言おうとしても言葉にならない声が漏れるだけだった。


 ラウラが例の甘いスープを片付けながらそっと部屋を出ていく。


 フィリプが少し戸惑いながらも、静かにディアナを抱きしめてくれた。


 自分が泣いている理由がディアナには分かっていた。


 隠していたことがバレて気が緩んだというのがまずひとつ。

 

 それから、グスタフが亡くなったときに欠けたままの自分が、そのままグスタフを忘れないことにつながっているような気がしていたのだ。

 そして、家族がみんな死んでしまったのに、自分だけ生きていることへの罪悪感を、その欠けで晴らしていた。


 治療はうける。

 ちゃんと治して、フィリプと一緒に美味しいものを食べて、幸せな時間を共有したい。


 そうは思っているけれど、治療を受けたら、グスタフのことを忘れようとしている気がして、自分が恥ずかしくて、一度溢れた涙が止まらなくなった。


 頭では、そんなことを気にせず治療をうけるべきだと分かっているけれど、心と涙腺がすっかり緩んでしまっていた。

 

 何がなんだか分かっていない様子ではあるけれど、フィリプは優しいトーンで、大丈夫だよ、と言いながらディアナの背中を撫でていた。

 その手が暖かくて大きくて、ディアナは思う存分泣いて、フィリプの肩を涙で濡らした。


♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎


 それから一ヶ月ほどが経ち、街がすっかり春になった頃。


 グスタフの遺品がペトラーチェク邸に届けられた。

 送り主は、王都の警察だった。


 ラダイア警察署じゃないのかしら。


 そう思って一緒に届いた手紙を読むとその経緯が書かれていた。


 ディアナの意識がなかった期間、ヴァーツラフの件を捜査していた警察と王室は、ディアナと行動を共にしていたヘレナに事情を聞いた。

 するとヘレナは、当時の怒りをそのまま鮮明に思い出して、ラダイア警察署の対応を激しい言葉で非難した。

 その結果、事が重大であると判断されて、ラダイア警察は相当厳しく指導され、今では煙草の煙と埃に塗れたあの汚い警察署も見違えるように綺麗になり、刑事たちもにこやかになったという。


 そして、ヴァーツラフの件での捜査のためグスタフの遺品はラダイア警察署から王都の警察へと送られた。

 その捜査も終わり、ペトラーチェク邸に届けられたとのことだった。


 リハビリに励んでいるディアナは家の中であればもう自由に動けるようになっていた。

 だからグスタフのトランクを自分の衣装部屋に運んで、部屋の鍵を内側からかけた。


 衣装部屋には窓から細く日光が差し込んでいて、空中の糸屑が光を反射していた。

 一番日当たりがよくて、明るい場所にグスタフのトランクを置き、ディアナはその場に膝をついて座った。


 鞄を開けると、グスタフがよく着ていたシャツがあった。

 下着やライターや財布もある。


 やっぱりグスタフは馬鹿だ。

 こんなものだけ遺して、ひとりで勝手に死んでしまうんだから。

 ディアナがこんなに悲しむなんてことも知らずに。


 ディアナは、グスタフの遺品の数々を胸に抱いて、部屋の床に仰向けに寝転がった。

 春の日差しの中で行儀悪く床に寝転ぶと、幼い頃にグスタフと工房の屋根裏で遊んだ記憶が蘇ってきた。


 あの頃はグスタフと結婚するとは思っていなかったが、ずっと変わらずに大好きで大切な幼馴染だった。

 無口で無愛想だけど、心根は優しい人だった。

 どきどきしたり、ときめいたり、そういう恋みたいな感情はなかったけれど、ずっと一緒にいるものだとばかり思っていた。




 それなのに。




 ディアナは、ときどき、いや、きっと頻繁に、こうしてグスタフや亡くした家族との思い出を振り返りながら生きていくことになるのだろう。

 そのたびに、どうして、と悲しくもなるし怒りもする。


 でもそうやって生きていくしかない。


 春の日差しを浴びながら、ディアナはしばらく泣いて過ごした。

 それから、体が疲れてきたのを感じて、遺品をトランクに戻し、衣装部屋を出た。


 フィリプには何がなんでも長生きさせよう。

 そしてディアナを看取ってもらおう。

 

 ディアナは、頬の涙の跡を手の甲で拭いながら、人生の最期に関する決意をそっと固めた。


 そんなことを考えていたら、フィリプの顔が見たくなった。

 書斎で仕事しているはずだ。


 お茶を淹れていってすぐ出てこよう。それくらいなら邪魔にならない、だろう。


 キッチンでサシャに頼んでお茶を淹れてもらっていると、モニカが『奥様宛てです』と手紙を持ってきた。


 触った感じでやけに上質な紙であることがわかる。

 宛名を見ると確かにディアナ・ペトラーチェク宛で、こんな上質な紙で手紙をくれる知り合いなんていたかしら、と差出人を確認する。


『ルミナヴァ憲政王国 国王

フェルディナント・ヨーゼフ・フランツ・ヤン・フォン・パストルニャーク』


 国王陛下だった。

 ディアナはつい手紙を取り落とした。

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