2月のある日。
ディアナは、喉が渇いたと思って目を覚ました。
目を開けようとするとまつ毛が下瞼に張り付くようなカピッとした感触がある。
泣きながら寝ていたときはいつもそうだ。
そろそろ起きないといけない時間かしら、と思いながら目を開けるとやはり明るい時間で、光が眩しかった。
ディアナは長い夢を見ていたために、自身の寝ている部屋がどこだか最初わからなかった。
時計工房ノヴァークの、工房長夫妻の寝室ではない。
父や母と過ごした工房の3階でもない。
寝起きのぼんやりした視界が徐々に輪郭を取り戻し、視線だけ光の方へ向けた。
光の正体は窓から差し込む日光だった。
窓の外の景色には見覚えがある。
ここは、フィリプと暮らす王都の家の寝室だ。
「ディアナ!」
フィリプの声がする。
視線を向けると、窓とは反対側のベッド横にフィリプがいた。
なんだかやつれているように見える。
それに、驚いているのか、嬉しいのか、目を丸くして泣いているようにも見える。
「ど、した、の」
うまく声が出なくて、声が掠れた。
「僕が分かるね、ディアナ!?
ちょっと、ちょっと待ってて!!」
フィリプが半ば叫ぶように言って、寝室のドアへ向かう。
「ラウラ先生!!
ラウラ先生、ディアナが目を覚ました!!」
ドアから廊下に身を乗り出して大きな声を出すフィリプにディアナはあっけに取られた。
いったい、どうしたと言うのだろう。
それにしても体がだるい。
フィリプがやつれていたように、ディアナ自身ひどい顔をしている気がする。
ディアナは、起き上がって顔を洗いたかったが、体が痛いような重いようなで、とても起き上がれなかった。
寝る前、何をしていたんだっけ。
ディアナはこの体の重さの理由を記憶から探る。
「あ」
思い出した。
時計塔で、聖気に魅了された後遺症で気を失ったことを。
「……い、きてる」
自分も、フィリプも、生きている。
ディアナは、ほっとして、ベッドの上で寝たまま涙を流した。
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フィリプに呼ばれたラウラが駆けつけ、その声を聞いたサシャやモニカも駆けつけた。
そのまま数時間。
ディアナは、自分を中心にみんなが駆け回る様をベッドで寝たまま見ていた。
事態を把握しきれずに、なんだか他人事のような感覚で眺めていた。
駆けつけたラウラの処置も終わり、慌しかった雰囲気が落ち着いた頃、フィリプがベッドの傍でディアナの右手を取って涙を流したのだ。
「ほんとうに、よかった……!!」
「フィリプ様こそ、元気そうでよかった」
顔を向けて微笑みかける。
無事に声も出るようになったが、まだ体を起こすのは辛い。
「ディアナのおかげだよ!
目を覚ましてくれてほんとうによかった……!」
そう言ってフィリプは、ベッドに項垂れるようにして泣き始めた。
少し長い夢を見ていたくらいの感覚でいるからあまり実感はないが、ディアナはどうやら三ヶ月間、目を覚さなかったらしい。
ラウラやフィリプによると、体だけでも生きていたのが奇跡で、意識を取り戻すことはもうないことを覚悟していたという。
ヴァーツラフによるクーデターの夜、イヴァンが気絶したディアナを背負って時計塔を下り、駆けつけた軍に事情を説明して医者を手配してくれた。
王宮に運ばれ、そこでそのまま治療を受けていたが、聖気に魅了された状態の治療はできることも限られていた。
王宮お抱えの医師たちでもお手上げ状態で、衰弱を待つのみとなってしまったのだ。
さて、礼拝堂で寝かされたままだったフィリプは解毒剤を飲まされて、夜明けには目を覚ましたという。
若干体の痺れなどが残っていたが、それも数日のうちに無くなっていた。
そして、回復したフィリプがディアナの状態を知ると、激怒した。
元凶のヴァーツラフに対しても、無茶をしたディアナに対しても、無茶をさせたイヴァンに対しても、いくら技術的に難しいとはいえ何もしない医師に対しても、そんな中で気絶していただけの自分自身に対しても。
そしてすぐにセリヴォーン観測院へ出向いた。ラウラ・シャンデラを訪ね、事の経緯を話し、王都でディアナの治療にあたってくれないかと頼み込んだのだ。
当初は難色を示したラウラだったが、聖気を固体化する技術についての情報が手に入るよう手配するということで、話をまとめた。
何しろ作った当人たちは捕縛され、取り調べを受けている真っ最中なのだ。
フィリプはなんとしてもその情報を入手するつもりでいた。
そして、ラウラを連れてフィリプはすぐに王都へ戻り、王宮のディアナがいる客室に乗り込んだ。
しかし、聖気と人体に関する研究の第一人者をもってしても、ディアナをすぐに回復させることはできず、ディアナは王宮から自宅へ移されることになった。
そのままラウラも客室に泊まり込みで治療にあたり、王宮の医師も手伝いに来て、なんとか衰弱死は避けられる状態にまでなったものの、意識が戻るかは分からない。
それでも看病を続けて三ヶ月。
今日やっとディアナが目を覚ましたのだ。
「毎日神様にお祈りをしていたんだ。
どうかディアナを返してくださいって」
フィリプはディアナの右手を握って泣きながら言った。
「目を覚さなかったら、僕は、もうほんとうにどうなっていたことか」
ディアナはフィリプの手を握り返した。
「それなら神様にお礼を言わないとね」
そう笑いかけると、フィリプは涙を目にいっぱい溜めたまま笑って、そうだねと言った。
「神様はきっと君を天使と間違えたんだろうね。はぐれた天使だと思ってご自分の身許に戻そうとしたんだ。人間だと気づいて慌てて戻してくださったんだね。
僕の可愛いディアナ、生きていてくれて本当にありがとう」
フィリプがディアナの額にキスをした。
ディアナが気を失っている間に冬になり、年も変わり、2月。
窓の外では、ちらちらと雪が舞っていた。




