蜘蛛の巣を模したレース服
初音がモデルを務めるアトリエへ、様子を見に行った時のことだ。
部屋の奥では、雨宮青児がキャンバスに向かって筆を動かしながら、初音と何やら会話を交わしている。
俺は奴が変な事をしないか見張るため、死角になる壁にもたれかかり、二人の会話をそっと盗み聞きしていた。
「どうしてモデルを引き受けてくれたの? 半裸なんて嫌がると思ったんだけど」
「青児さんが、お父様である月山青湖を超えたと思ったからです。それほどの人に『私を描きたい』と言われれば、やはり自尊心が満たされますから」
静かだが、はっきりとした初音の答えに、雨宮は面白そうに尋ね返す。
「僕が父を超えたって、いったいどこで判断したの? 君の意見を聞きたいな」
「月山青湖は、初期から中期にかけて賞を取ることはあっても、あまり絵が売れず、室生家が絵を担保に資金援助をしていました。でも、後期から突然売れ始めて……その後期の作品は、青児さんが描いていましたよね?」
「…………」
「今回、画廊がお父様の初期の絵を『贋作』と見なしたのは、世間で高く評価されている後期の絵――つまり青児さんの絵とは、タッチが違ったからです」
見事な推理だった。
俺が壁の裏で息を呑んでいると、雨宮がキャンバスから視線を外し、初音に向き直る気配がした。
「……父の絵と僕の絵は、どう違うと思う?」
「お父様の絵は、情熱に任せて描いていますよね? 好きな女性ができたら、そのエネルギーを注ぎ込んで、モチベーションの赴くままに描き込んでしまう。だから、描ける時と描けない時の差が激しい」
「まぁ、そうだね。父は描かない時はまったく描かなかった」
雨宮が苦笑交じりに肯定すると、初音はさらに続けた。
「だけど青児さんの作品には、客観性があります。こう描けば見た人が惹きつけられるということを、生まれ持った感性と才能で、当たり前のように描けてしまう……。モチベーションに頼り切らない、圧倒的な技術があるというか……」
感嘆の溜め息のような初音の言葉に、アトリエに短い沈黙が降りた。やがて雨宮が、心底不思議そうな声で言う。
「初音さんって、天然なのか鋭すぎるのかわからない人だね。仔犬みたいに何にも考えてないかと思ってたよ」
ここまで聞いて、俺は内心で盛大にツッコミを入れた。
(おいおい雨宮よ、人の奥さんに向かってなんてこと言うんだ!)
だが同時に、初音の思わぬ一面に驚かされてもいた。普段は絵以外の事にはめっぽう鈍い彼女だが、自分の好きな分野に対しては、これほどまでに鋭い観察眼を持っているのか、と。
隙間からそっと覗き見ると、蜘蛛の巣のような黒いレースがあしらわれた衣装を退廃的に着崩していた。
事前に妥協して許可を出したとはいえ、実際に生で見るとやはり露出しすぎではないかと思え、俺は今すぐ踏み込んで文句を言ってやりたい衝動に駆られるのだった。




