成長と継承 ④
競馬学校に撮影隊が入ってくるのは、これがはじめてではなかった。
入学した直後に、あいは生まれて初めてのインタビューを受けた。
それからも、何度か受けている。自分が受け答えした言葉が、どの媒体から発信されているのかは、よくわからなかった。
世間について、あまりにも疎い。
学科の教養の授業で、競馬業界の知識は身に付いたが、そこから一歩外れると、綾しかまともな話し相手がいなかった頃と、見識はほとんど変わっていない。
変わった部分と、変わらない部分がある。
身体能力は、確実に向上していた。
以前の自分と比べたら、各段にできることが増えた。騎乗に限らず、頭でイメージした通りに身体を扱えるようになってきたのだ。
身長も、三センチだけ伸びた。
携帯端末のカメラを向けられていた。
目の前には、目鼻立ちのはっきりとした、綺麗な大人の女性がいる。
女優なのだと教えてくれた大矢は、どぎまぎとして落ち着かない様子で、女性から投げかけられる質問に答えていた。
「トレセン研修を控えて、なにか抱負はありますか? こんなことを身につけたい、とか」
「まず、進級試験を合格すること。いまは、それしか考えていません。トレセンでは、盗めるものはすべて盗んでやろう、とは思っていますが」
正士郎がしっかりした声で答えた。
「盗む、ですか?」
「はい。トレーニングセンターは、学校ではありませんから。日々、次のレースを見据えて多数の馬の調教が行われています。そんな中で、僕らに手取り足取り丁寧にノウハウを教えている余裕は、多分ないでしょう」
「なるほど。それで盗む、ですか」
「言葉は悪いかもしれませんが」
「いえ、伝わりました。諏訪君はしたたかなんですね」
インタビューは対談形式で進められる。さらに別の二人に同じ質問をしたあと、女性が話題を変えた。
デビュー後の目標を尋ねられ、個別に答えていく。
大矢は有馬記念で一着を獲ることだと答え、正士郎は、一つでも多く勝鞍を稼ぎたいと答えた。
「藤刀さんは?」
「は、はい」
声が上擦ってしまった。落ち着け。自分に言い聞かせた。もうおどおどしてばかりの昔の自分ではないのだ。
「凱旋門で、勝ちたいです」
あいがきっぱりと言うと、場がざわついた。
「あの、なにか変なこと言いましたか?」
「そんな。素敵な目標だと思います。頑張ってね」
女優が対談を締めくくる感想を述べ、撮影は終了した。
「入学した頃はレース名すらまともに知らなかった君の口から、凱旋門が出るとはね」
自由時間となり、トレーニングルームで柔軟運動をしていると、正士郎が入ってきた。
「馬鹿にしてる?」
「別に。天道調教師になにか言われたのか? あの人、騎手を引退する直前は凱旋門を獲ろうとしていた」
「うん」
正士郎はレッグプレスのシートに座り、ウェイトの乗っかった板を踏みあげはじめた。
「自分が叶えられなかった夢を、君を使って叶えさせようとしているなら」
「違うよ。私が、自分で決めたの」
凱旋門賞で勝つ。天道にだけは伝えていた。昨年の初夏頃のことで、その時はまだ漠然と、強くて頼られる騎手になりたい、と考えていただけだ。
レースに出るだけでいいのか。零の活躍ぶりを見ているうちに、そう考えるようになった。
プロポロスという競走馬と挑んだ先の皐月賞で、零は着外となり、続く日本ダービーでは別の騎手に替えられていた。
昨年は最多勝利新人騎手の記録を更新した零でさえ、勝てなければ、鞍を降ろされることがあるのだ。
「認めてもらいたい、ううん、自分で自分を認めてあげたい。だから、凱旋門賞で勝ちたい」
「羨ましいな。君にはゴールが見えているんだな」
ぽつりと、正士郎が呟くように言った。
「え?」
つい訊き返したが、正士郎はそれきり口を閉ざし、ひたすらトレーニングを続けた。
その夜、寮に戻ると山南から手紙が来ていた。もしや、と思い、急いで手紙の封を切った。
やはり、綾が子を産んだとの報せだった。
「綾が、お母さんに」
なんとなく寂しく感じたものの、喜びの方がはるかに大きい。
あいは大慌てで返事の手紙を書いた。
それから二日が経ち、進級試験の当日になった。
試験に落ちれば、夢もなにもない。トレセン研修にも進めないのだ。
不安は膨らみ、緊張しながら騎乗馬の馬装を整えた。しかし馬に乗ってしまえば、不安は吹っ切れた。
これまでもそうだった。
走路訓練に移行する前の馬術試験でも、JJHコンペティションでも、不安だったのは直前までだ。
馬に乗っている間は、どこまでも自由な世界が拡がっている。その間、煩わしいあらゆる感情は、地上に置き去りにしていける。
試験が開始された。
馬場で障害飛越を披露し、引退競走馬に乗り替えた。
一頭目でゲート発走、走路障害を試され、二頭目で、馬上での速度感覚を試された。
すべて、これまで実技訓練で繰り返しやってきた内容だ。馬場で一鞍、走路で二鞍という構成も同じだ。失敗が許されない、というだけだ。
技術がちゃんと身に付いているかを見る試験ではあるが、本番でも練習通りにやれる胆力が備わっているか、ということの方が案外重要なのかもしれない。
その点、あいは馬上では緊張とは無縁でいられた。
試験を終えると、調教スタンドの二階に呼び出された。
一人ひとり、小早川の口から合否が伝えられていく。
「藤刀あい、合格」
あいが最後の一人だった。大矢が背中を叩いてきて、やったな、と白い歯を見せて笑った。
あいも、笑い返した。




