志摩宗介 ⑤
河川敷で凧が上がっていた。風を受けて、凧はみるみる上昇していく。凧の影を追って、子供が走っている。
川岸に繁茂する葦原から、鴨の番いが泳ぎ出てくる。
あいを乗せた電車は、鉄橋を渡って川向うにある町で停車した。
「病院があるのは西口だな」
駅の改札を出ると、正士郎が構内の駅周辺地図を確認した。
入院している志摩の見舞いに行こうと発案したのは大矢だった。
正士郎は乗り気ではなかったが、大矢にせがまれて付いて来ていた。
厩舎作業中に二人の話を聞いたあいは、自分も行くと名乗り出たのだった。
外出申請をし、最寄り駅から一時間ほどかけて志摩が入院している病院の近くまで来ていた。
駅と直結した高架橋に出ると、アパレルショップや家電屋などを集めたテナントビル群の隙間に、病院の看板を見つけた。
「なにか買って行った方がいいかな。果物の盛り合わせみたいなもん」
大矢が言った。信号待ちをしていて、交差点の先にある青果店が目に入ったのだろう。
「そんな金ないだろ。それに、食い物はよそう」
「そうか。そうだな」
「本がいいんじゃないか。確かSFが好きだと、前に話していた気がする」
「お、いいな。そうするか」
本屋に寄り、店員に最近出版されたSF小説のおすすめを聞いて見繕った。
大矢が支払いを済ませる脇で、あいはレジの横に置いてあるスチール製の栞に惹かれた。
「あの、これもいいですか」
動物をモチーフに使い、影絵のようなデザインを施された栞だ。数種類ある中から、馬のかたちをしたものを選んだ。
栞の分の代金を大矢に渡して、一緒に支払ってもらった。
病院の受付で来院名簿に記入し、面会証を出してもらった。受付の女性から、志摩の病室を教えてもらった。
志摩の病室へ向かう途中、入院患者のためのサロンスペースの前を通りかかった。
奥の窓際の席に、志摩を見つけた。病院着を着ているが、血色は悪くない。
志摩のいるテーブルに、落合が同席していた。数枚の書類を広げ、落合がなにごとか説明している様子だ。
「隊長、どうした、気づかずに置いてくところだったぜ」
「あそこ」
廊下の先から戻って来た大矢が、あいの視線の先にいる志摩に気づいた。
「落合先生、来てたのか。話の最中みたいだな。挨拶しに行かない方がいいか?」
「よせ。そういう雰囲気じゃない」
三人は少し戻り、サロンスペースの様子が見える廊下の隅で目立たないようにして待った。
二十分ほど経つと、落合は志摩を残して席を立った。サロンスペースを出てくると、三人に気づいた。
「彼のお見舞いに?」
「はい」
「彼を慕っているのですね。ですが、いまはそっとしておいてあげた方がいいかもしれません」
落合は寂しげな笑みで言い、老いた背中を向けてリノリウムの廊下を歩き去っていった。
「帰るぞ」
落合の姿がエレベーターに消えると、正士郎が言った。
「ここまで来たんだ、せめて挨拶だけでも」
「俺たちに、脱落していく人間にかかずらっている時間があるのか。三年しかないんだぞ。一分一秒が惜しい」
「志摩先輩は、俺らが入学して右も左もわからなかったときに、親切にしてくれた人だぞ」
「だから、なおさらだ。落合教官は退学の話を伝えに来たんだ。その直後に、あの人が俺たちの顔を見たいと思うか」
大矢は束の間正士郎と睨み合ってから、深く息を吸い、長く吐いた。
「そうだな」
志摩は、落合が置いていった書類を前に、じっと動かなかった。
そこへ、二十歳ぐらいの女性が近づいてきた。
明るめの茶色に染めたショートヘアで、春物のタイトなジャケットを着こなしている女性だった。目から鼻へ抜ける佇まいで、背筋をぴんと伸ばしたまま、志摩の肩に手を置いた。
志摩は二、三言交わすと、その手に、自分の手を重ね合わせた。
「綺麗な人だな。カノジョさんか?」
「行くぞ」
「ああ」
正士郎に促され、大矢が踵を返した。あいもその後ろについて行った。
「今日は悪かったな、振り回したみたいになっちまって。隊長も、ごめんな」
電車に乗ると、大矢が申し訳なさそうに言った。平日の昼間の下り電車で、乗客は数えるほどしかいない。
「ううん。私は自分で言い出したんだから。気にしないで」
「本は、せっかく買ったし、三人で回し読みでもするか」
「私は、いいや。あんまりSF小説って読まないし。その栞も、大矢君が使って」
車窓の外の景色に目を向けた。
河川敷に通りかかった。
凧あげをしていた親子はいなくなっていたが、二匹の鴨は川面に浮かんで陽を浴びていた。
行きに見た番いかはわからなかった。
恋人と手を重ね合わせる、志摩の儚い陰影が、いつまでも消えずあいの瞼に残っていた。




