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ミスジョッキー   作者: 井ノ上
第十三話

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志摩宗介 ④

 加奈恵は最近、気づいたことがあった。


「オハナさん、あんたもやなぁ」

 厩務員課程の実技訓練で、オハナと組んで障害馬術に取り組んだあとだった。


 馬場を離れ、放牧場の枯れた芝の上に、青草を撒いていく。


「走路の子らとおんなじ。あいが繰り返し乗っとる馬は、どっか似てくるんやな」

 青草を食む、オハナの背を撫でた。


 別の馬が近寄ってくると、オハナはあっさり場所を譲った。


「もうええの?」

 オハナが茫洋とした瞳を向けてくる。


「横取りさせちまって悪いな。こいつ、食い意地が張っててよ」

 オハナの青草を狙ってきた馬に引っ張られてきた同期が、寒そうに肩を縮こませながら言った。


 この同期は、元々佐賀競馬で厩務員をしていたキャリアがあり、中央への転属を希望して競馬学校で学んでいた。

 長身痩躯で、軽くどついたら折れてしまいそうだ、というのが第一印象だった。


「ええですよ。オハナさんはもう満足したみたいですし」


「すまんな。ときに、なにひとりでぶつぶつ言ってたんだ?」


「いえね、あいがよく乗る馬はみんな、こっちの扶助に対する手応えというか、乗り心地みたいなもんが似てきよるんで、不思議やなぁ、って」


「ああ、たまにそういうホースマンがいるな。馬を自分色に染める、とでも言うか。佐賀にも似たような騎手がいた」


「自分色にするかぁ。まさにそんな感じです。気性とか、脚質とか、それは当然馬ごとにバラバラですけど、あいの乗ってる馬は、あいの馬、って顔しよるんです」


「継続して騎乗することで、騎手は馬への理解が深まる。その逆もある。藤刀さんの騎乗の癖が、馬にも伝播しているのかもしれないな」


「それ、すごいことやないですか?」


「人馬がお互い理解を深めれば、レースで取れる戦略も増える。もしそうなら、藤刀さんの強味だと思うよ」


「よっしゃ」


「まるで自分のことみたいに喜ぶな。親しいのは知っているが」


「なんなら、自分が褒められるより嬉しいですよ」


「それはいいが、自分の就職のこともそろそろ考えろよ」


「考えてますって。悩み中なだけです」


 厩務員課程生は二年制で、来年の今頃は就職している。


 就職希望先の多くは東西のトレーニングセンターで、加奈恵もそのつもりだった。


 ただ、東西のどちらを希望するかを、まだ決められずにいた。


 廃業するまで、実家で飼育していた馬が、高齢になっている。その馬は、今は那須に牧場を持つ叔父のもとに引き取られ、のびのびと暮らしていた。


 家族同然の存在だと、以前から考えていたが、あいから綾という馬の話を聞いてから、その想いが強くなった。


 老いた家族を思えば、なにかあればすぐに駆けつけられる場所にいたい。そうすると、関東のトレーニングセンターを希望したいところだった。


 だが、あいはおそらく、デビュー後は関西トレーニングセンターを拠点とするはずだ。


 というのも、中央騎手の多くは、在学中にトレセン研修で世話になった厩舎に所属してデビューする。


 そして、あいのトレセン研修先は、ほぼ間違いなく天道厩舎になる。


 あいは天道厩舎を希望しているし、天道もそのつもりなはずだ。


 騎手になったあいを、厩務員の立場から手伝えるのは、関西だった。


 家族同然の馬か、友達か。どちらもかけがえのない存在なだけに、加奈恵は決めきれずにいた。


「ああ、なんでウチの身体は一個しかないんや」


 一日の課業を終え、厩務員課程生の寮の女風呂に浸かりながら、加奈恵は天井に向かって嘆いた。


 水滴が垂れてきて、鼻頭にあたって弾けた。


 そこへ、後輩がタオルで体の前を隠して浴室に入って来た。


「あ、加奈恵先輩。ご一緒していいですか」

 社会人経験もある三十路の後輩がからかってくる。


 中卒がほとんどの騎手課程生とは違い、厩務員課程生は年齢層が幅広い。


 在学中の厩務員課程生四十五名のうち、中心は二十代だが、半数近くは社会人を経て入学してきている。


 加奈恵のように、家の都合で高校を中退し、専門校を経て十代のうちに競馬学校に入学するケースは稀なのだ。 


「先輩はやめてくださいって」

 年上の後輩はからからと笑って、さっさと身体を洗って湯船を進み寄ってきた。


「うわ、やっぱ加奈恵ってプロポーションいいね。てかおっぱい大きい」


「なんでわざわざ下品に言い直すんです。邪魔なだけですよ。体重管理も大変ですし」


「ああ、ね。騎手課程生ほど厳格ではないけど、こっちも六十キロ未満でって言われているもんね。加奈恵は身長高いから気を遣うか」


「ほんまですよ」


「まぁ、重いのはおっぱいじゃなくて筋肉の方だとは思うけど。この前なんか、トレーニングルームでベンチプレス百三十とか上げてたじゃん」


「うぐ、見られとったんか」


「趣味なんだろうけど、ほどほどにしときな」 


「うす」


「騎手課程生の三学年で、体重オーバーで退学者が出るかもって噂だしね」


「志摩さん、ですか」


「知ってたか。加奈恵はこの手の噂話には疎いから、知らないかもと思った」


 近頃、あいの元気がなかった。

 気になり、課業の合間に尋ね、栄養失調で入院したという志摩のことを聞いた。


「きついよね、努力で身長は縮まらないし、そのせいで夢を断たれるなんて」


「まだ退学が決まったわけやないでしょう。外野が憶測であれこれ言うんはよしましょ」


「ん。あんたのそういうとこ好きだよ」


 志摩は身を削ってでもデビューまで漕ぎつけようとしたのだろう。その身を案じているあいに、自分の進路の悩みまで持ちかけられなかった。


 あいの口から志摩の話が出た時、加奈恵は、間が悪い、と思った。


 自分が、ではなく、志摩が、である。


 そう考えた自分の身勝手さは、ずっと恥じ続けている。


 湯から上がった。


「お先です」


 脱衣所で身だしなみを整え、部屋に戻った。ルームメイトのいない完全個室である。


 ベンチプレスでもして煩わしい気分を晴らしたかったが、いまトレーニングルームに行くのは目を背けるのと同じだった。


 ふと窓の外に目をやると、ランニング中の正士郎が寮の前を通り過ぎていくのが見えた。

 正士郎は、歪んだ自分の心を受け止め、それでも前を向いて進もうとしている。


「うっし、今夜中に、ばっちり進路決めたるで」

 加奈恵は頬を叩いて気合を入れ、学校に提出する進路希望用紙を取り出した。


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